マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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福住町西念寺十夜会法要の鉦講

2013年01月24日 06時49分15秒 | 天理市へ
かつては10日間。

10日間に毎夜の10夜に勤めていた十夜の法会。

天理市福住町の鉦講は8人であったが現在は5人で勤めている。

春、秋の彼岸も勤めていた鉦講も、5人であるゆえ年中行事のその都度のお勤めは難しい年齢になっていると話す。

現在はこの日の十夜を含めて正月を迎える大晦日の除夜の鐘、お盆の施餓鬼の3回を勤めている。

法会の場は西念寺。

そこには2枚の双盤鉦が置かれている。

鉦内側に「京室町住 出羽宗味 誠定作」と墨書されている。

2枚とも同じ記銘である。

その名はおそらく出羽大掾宗味であろう。

誠定は藤原誠定ではないだろうか。

奈良の双盤鉦は福住町以外に他所でも拝見したことがある。

鉦講は昔にあったが今は本堂に置いているだけだと話す各村。

一つは宇陀市室生の下笠間。

春覚寺の庫裏に納められていた双盤鉦には「寶永元甲申年(1704)七月五日 和州下笠間村春覚寺什物光空代 室町住出羽大掾宗味作」の記銘があった。

盆地部では大和郡山市井戸野の常福寺にあった双盤鉦に「常福寺念仏講 元文二年」(1737)の刻印が見られたが作者名は記されていない。

お寺の法会では使うことはないが葬儀のときには叩くという。

葬儀委員長が指名した鉦搗きが連打して一番鉦。

日の出のころに叩く呼び出し一番鉦である。

二番鉦は導師が入堂の際に叩く。

三番鉦は出棺のときだと話していた。

記銘はまったくなかった双盤鉦を所有しているのは天理市苣原大念寺の双盤鉦である。

当地においても鉦講が存在していたが何十年も前に解散したようだ。

宮本の長老たちは今でも鉦を叩いて念仏を唱えていた記憶があると云う。

苣原には昭和11年8月に書き記された『鉦打手習帳』が残されている。

当時はこの本をみて鉦を打っていた。

始めに大小の鉦の音を10回打つ。

「なあっぱいだ はい なあっぱいだ はい なあむまいだ はい なあっぱいだ はい なあむまいだ はい・・」の「地念佛」。

親鉦を先に一人2回ずつ打つ。

「流し」は「なあはいも はい だあはいほ はい」とくる。その後も「おだおけ」、「流し」、「大どそり」、「中どそり」、「小どそり」とある。

当時の鉦講は8人だった。

福住の鉦講は戦前に途絶えていたが都祁白石の興善寺で教わった昭和34年。

白石の双盤念仏を耳で聞き取って覚えたという。



当時に纏められた『鉦打手習帳』を双盤鉦の書見台に乗せて鉦を打つ。

本堂の奥片隅に居られる人たちは伝法講と檀家総代である。



始めの双盤鉦が打たれる。

「はぁー なんまいだー あーぁっいだー あぁはぁ はぁなあまんあぁいぃだぁあぁ なあっぱいだあぁ うぅあぃ うあぁいぃ なあまい なむぅあいだぃだあぁぁ」に続く「なあぁっぱんまいだぁ」は速くなる。

「えぇなっぱいだぁぶつ なあまいだ」で入堂した僧侶たち。

前後に鉦を連打すれば納骨法要をされる参拝者たちが入場する。



双盤鉦を打つのは僧侶の入堂、納骨法要の始まり、納骨法要を終えたときの3回である。

一年に一度の納骨法要は先代の住職が始められたという。

お骨を納める家族は廊下で受け付けを済ます。

その受け付けをするのも鉦講の役目。

受け取ったお骨を本堂に並べる。

満席になった本堂。

先祖代々の塔婆回向、追善菩提、仏しょう献上者の名を詠みあげる。

阿弥陀さんに御徳奉上に南無阿弥陀仏。

再び双盤鉦台に登った鉦講。

鉦打ちの人が交替した。

カーンと鳴る双盤鉦。

「なぁあぁまいぃだあぁ」。カーン。

「なあぁまあ あ あ あぁいだぁ あ あぁ ぁ いあだ なあまんまぁあぁあぁあぁいだぁ あ あ いだぁ なぁんまぁ あ あいだぁ」。カーン。

撞木を上方にあげて横から打つ。

ときおり後方へも返しながら打つ。

そうして法要は説教導師の語りに移る「へぇぇなっぱいだあ へぇなっぱいだあ」で鉦を連打する。

およそ1時間で説教を終えた。

不断に手を合わせて念ずる十夜の法会。

「この世界において善を処する十日十夜なれば、昼夜のことなく念仏は善とする。仏さんのおられる極楽の世界。何千年よりも貴い功徳。10日間の願を掛けた結願の日」であると説く住職の話し。

ガーン、ガーンの双盤鉦の音色とともに下堂する。

「なぁんまぁ あぁ あぁあい いぃだぁああぁ あぁあぁあぁ なあぁんま ままあぁいだぁ あぁあぁ えぇ えっなっぱいだぁ えぇえっ なっぱいだぁ」の間に納骨永代回向料納めの札を貼る鉦講。

そうして十夜の法会は納骨会式に移った。

本尊前に置かれたお骨に手を合わせて焼香する参拝者。



すべてを終えたと思った法会は伝法講と鉦講が残って大玉の数珠繰りをする。

本堂いっぱいに広がった講中の手には数珠がある。

右へ右へと繰り出す数珠繰り。

数取りがいくつであったが判らない。



重さがいくらになるのであろうか束ねた数珠をもつ鉦講。

背中をなでるように一人ずつ数珠をあてる。

身体堅固のありがたい数珠である。

(H24.11.13 EOS40D撮影)