マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大西・チョウジャドンの祝い膳

2017年10月10日 08時54分48秒 | 山添村へ
大きな注連縄を玄関にかけているお家を訪ねる。

元日の朝、お家の正月祝いにチョウジャドンの祝い膳のイタダキをしていると話してくださったのは山添村大西在住の婦人だった。

座祭りが終わりそうなときにお会いした婦人が云ったお家の習俗に思わず取材のお願いをした。

お許しいただければ是非とも取材させていただきたいと申し出た結果は、年明けの1月4日になってからだった。

見てはもらいたいが、家の都合もある。

しかも、腱鞘炎まで起こしてしまって重いものを持ち上げるのに苦労している。

お餅は小さくするなど工夫したと云っていた。

ありがたいお言葉に甘えて出かける大字大西。

オコナイ行事を終えてから寄らせてもらいますと伝えていた。

時間帯は午前11時半になってしまった。

ありがたいお言葉をいただいて、お年賀持参の民俗取材に心が弾む。

弾む心に迎えてくれた形が美しく綺麗な注連縄に「笑門」の木札がある。

伊勢の猿田彦の講に属しているので講中に頼んで入手したものだそうだ。

婦人が初めに案内してくれたのはカドニワに奉っていた門松である。



日にちが経過しているから葉は日焼けでチリチリ感がある。

普段であれば砂盛りをしたところに立てる門松。

今年はそうすることもできない重い道具の持ち運びであるが、松、竹(笹竹)、梅を立てた。

ナンテンもあればセンリョウも。

そこにサカキもフクラソウ(フクラシであろう)も添える。

ただ、今年は入手できなくて代替にビシャコを選んだそうだ。

注連縄は眼鏡型。

ユズリハにウラジロを添える。

これらは第二日曜日の朝8時半にトンドで燃やす。

昔は習字焼きの天筆もしていたが、誰も書くことがなくなった現在は見なくなったそうだ。

松は1月4日になれば穂先というのか知らないが、てっぺんの先っちょを伐って仕事始めをするという。

そのときはシバ(柴)を結う。

山行きして伐ってきた枝を束ねるのであろうか。

そのシバはトンド焼きの心棒にするというから、割合長めであると思われる。

カドニワに立てた門松の前にポリバケツがある。

中には若水を入れてある。

若水は正月の三が日。

元日の朝に柄杓を浸けて若水を汲む。

水が溜まれば顔を洗う。

若水は裏木戸の前にある井戸から汲み上げる。

昔は釣瓶で汲んでいたが、今では水道の蛇口にように捻るとジャーである。

手押しのポンプで汲みだした時代もあったが、いつしか電動ポンプの汲み上げ。

ポンプもやがて消えて蛇口を捻ればでてくる仕掛けになった。

その井戸を拝見して、つい「捻るとジャー」やと口が出る。

婦人も同じように「捻るとジャー」。

同世代ならではの生活文化の語彙が出てくる。

こうした門松立てや若水文化の民俗を拝見したら、祝い膳である。

膳は三種。

正月三が日も終えたこの日までわざわざ残してくださった祝いの膳にあっと驚く。



方形や円形のお盆に盛った品々。

丁寧に、そして綺麗に盛り付けされている。

椀からはみ出しそうな大きなカシライモ(頭芋)。

キナコは雑煮餅に漬けて食べる。

あまりにも大きすぎるカシライモ(頭芋)でその下にあるものが見えない。

婦人に具材を教えてもらわないとわからない。

その答えは豆腐に人参、蒟蒻、牛蒡、大根。

すべてが2個ずつ。



カシライモに載せている人参の形を見ていただきたい。

象って切り抜いた形が松(三枚葉)、竹(三枚葉)、梅(五花弁)。

実にお正月らしい飾り野菜である。

クシガキ(串柿)のニコニコ(2個、2個)。

1個であれば、一人もん。

一対の2個であれば、夫婦仲良く睦まじく、である。

お正月の餅は押し餅。

保存するのに最適な餅である。

かつて我が家も正月の餅を搗いていた。

小餅もあれば鏡餅も。

ひと際大きかったのは太く長い形の餅だ。

これをネコモチと呼んでいたことを思い出した。

小正月に切ったネコモチは厚さが1cmぐらいだったか。

ぜんざいに入れて食べていたことも思い出す。

それはともかく取材地民家の祝い膳。



たくさん搗いた餅を保存する場は「ナナワ」の奥の座敷。

ゴザを敷いて餅を並べているという。

髭のあるトコロイモは長寿の印し。

特に髭が長いのが良い。

トコロイモは家族の人数分の数。

栗は2個。

枝軸付き干柿も2個であるが、普段であれば2個でも1個でも構わないという。

それに葉付きのユズ。

昔はミカンだった。



祝い膳は家族の人数分を盛る。

子どもにあげるお年玉の膳に載せて拝む。

拝む順序は長老からだ。

その年の恵方か、若しくはお日さんが昇ってくる東に向かって拝む。

「ちょうじゃどん」と、一回云って座りながら拝む。

この場は座敷ではなく、玄関土間。



「このような感じでしているのです」と云いながら“形”を再現してくださった。

床の間辺りに並べておいて、「ちょうじゃどん」して長机に置く。

お爺ちゃん、お父さん、男の子の次がお婆ちゃん、お母さん、女の子の順でそれぞれが「ちょうじゃどん」の作法をする。

先祖さんを祀るお仏壇にも同じように供える餅、トコロイモ、栗、串柿、ユズのセット盛りである。

神棚さんは床の間。

かつてはそこには三宝も載せていたというから、その形式は年末に拝見した木津川市山城町上狛・M家や大和郡山市雑穀町の元藩医家の三宝飾りと同じであったろう。

方形のお盆に盛ったそれぞれも同じであるが、異なる形の餅もある。

右下角にある餅はまるで乳房のように見えるが、それは山の神さんの餅。

家ではオカイサン(お粥)を足して祭っているという。

山の神さんの餅は男の人数分を用意する。

炊いたオカイサン(お粥)に七草を入れて食べる。

山の神さんに参る行事を拝見したことがある。

場所は山添村の大塩。

小字キトラデ在住のK家の山の神行事である。

1月7日は山の神。

その日は七草の日である。

山の神参りを済ませた親子は家に戻ってから七草粥を食べていた。

ここ大西の住民も同じようにされていたものと思われる。



山の神さんの餅の左横にあるのが三日月餅。

ちょんと、くっつけているのがお星さんだ。

その左横に並べた餅は小判型。

本来は家の蔵に供える蔵の餅。

広げたシダの葉を敷いて、その上に載せる。そのシダは村の人(子供だった可能性もあるが)に頼んで採ってきたもののようだ。

方形盆の右上角に並べた12個の餅はツキノモチ。

12個あるから一年間の月の数。

新暦の閏年の場合は13個にするというから、元々は旧暦の閏年であったろう。

その新暦の閏年の年は伊勢講が揃って参るお伊勢参りがあるという。

方形盆の左下角に並べた10個の餅はそれぞれ。

恵比寿大黒さんに供える餅は2個。

三宝荒神さんは3個。

井戸の神さんは1個。

門松さんも1個。

山の神さんに参る分に1個。

トンドの神さんは2個。

これは先を尖がらせた竹に挿してトンドの残り火で焼く。

ほどよく焼けたら、その場で食べる。

その際、炊いて作った小豆粥を持っていく。

そのトンドの火の燃え殻。

炭としても役立つ燃え殻を拾って帰る。

それを味噌樽の蓋の上に置けば、味噌が美味しくなると云われてきた。

さまざまな神さんに供える正月の餅の数々。

今年は訪問者のために一つの方形盆に盛り合わせてくださったから、例年とは違う形式である。

しかも餅などの大きさは方形盆に乗せられる大きさであることを添えて紹介する。

昔、お婆さんが「丸い栗はダメ」だと云っていたそうだ。

栗の実は蒸すか、茹でるかにして、それを数珠玉のよう吊るして干した。

通すのは布団針のような太くて長い針だった。

そう話す婦人は冷凍して保存しているようだ。

「カンピンタン」は硬くて食べられないからトンドにあげるともいう「カンピンタン」とは・・・。

帰ってから調べた結果は奈良県の宇陀郡や三重県の南牟婁郡、志摩郡、四日市市の方言のようで、干乾びた状態というらしく、充てる漢字は「寒貧短」っていうのが面白い。

さらに調べてみた「カンピンタン」。

小学館の『日本語大辞典』によれば、まったくお金がない無一文のことを「スカンピン」。

子ども時代から使い慣れている「スカンピン」を充てる漢字は「素寒貧」。

なるほど、であるが、「カンピンタン」ははじめて耳にした言葉。

しかも、尾鷲のようにサンマの寒風干しを製品化する場合においてもそう呼ぶ地域もある。

婦人が提供する話題は次々と広がる。

トコロイモは水に浸けておくと元気になる。

籾も水に浸けておくと芽出しが良い。

トコロイモも同じことだと云うトコロイモはモグラが好物のようだ。

恵比寿大黒さんにはカケダイをする。

カケダイモ新品の大型マッチも紐で吊るして供える。

マッチを供えるのは、火が起こせるからだ。

火を起こすマッチ擦り。

マッチは火起こしに欠かせない道具であるから食べられるようになるということから供えるという。

カケダイは三重県伊賀市治田まで出かけて「まるそうスーパー」の魚屋さんで買ってくる。

山添村からそれほど遠くない地であるが、婦人の家では夏のお盆に乾物のトビウオを供える。

トビウオはホントビもあればアオトビもあるらしい。

そのトビウオは両親が揃っておれば2尾。

片親であれば1尾。

ともに亡くなれば買うことも、供えることもないが、祝いに供える場合は、終わってからそのトビウオを下げて、分け合って食べているそうだ。

山添村の北野津越松尾でされているサシサバのイタダキさんと同じ様相である。

東山間に今も聞くサシサバの風習はサシサバでなくてトビウオもあると聞いていた。

それをしていたのはここ大西の婦人宅であった。

なお、婦人が云うには隣村の菅生もトビウオの風習になるという。

話題は替わってカシライモ。

カシライモは赤ズイキでオヤイモになる。

ズイキは芋がらとも呼ばれる芋茎である。

八ツ頭(ヤツガシラ」とか唐の芋(トウノイモ)などのサトイモの葉柄の部分である。

一方、赤ズイキに対して青ズイキもある。

青ズイキの子芋は食べられるから芋串祭りの御供に出しているが、カシライモ(頭芋)になる部分は食べられない。

他にも竃の三宝荒神さんは松の枝に注連縄などなどを飾るなど豊富な在り方にただただ感動するばかりだ。

その上に別途雑煮の用意までしてくださった。



キナコもあれば雑煮の餅に大きなカシライモも。

ありがたく同家のお味を堪能させていただいた。

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

(H29. 1. 6 EOS40D撮影)