マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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吉野町・山口の牛滝まつり

2021年10月29日 10時03分12秒 | 吉野町へ
昭和28年に発刊された『奈良県総合文化調査報告書-吉野川流域・龍門地区-』によれば、牛滝社は大淀町の馬佐だけでなく、吉野町の山口・志賀、大淀町の比曽、高取町の壺坂にもあったようだ。

平成25年9月16日、その一行にある大淀町の馬佐に伝わる牛滝まつりを取材した。

その後の平成28年8月24日に訪れた吉野町・山口は、夜間にゴクマキをしていた。

行事は地蔵盆。行事を終えてから話してくださった山口の年中行事に、9月1日の八朔盆踊りがあった。

八朔行事をした夜に盆踊り。

今や、ここ山口だけでなく、奈良県内の盆踊りは、とんと見られなくなった。

山口もたぶんにそうであったとして二百二十日の八朔日は、大風がやってくるころ。

せっかく育った稲も倒れる時季。

生産者にとって荒れる大風が来ないように、と祈願。

豊作を願う八朔行事を拝見したく訪れたが・・・。

時間帯も聞いていなかった八朔行事。

お店の方ならご存じでは、と思って尋ねた。

一段下がった位置に建つ商店。

伺った女将さんが云うには知らない、という。

あったとしても、吉野山口神社の役員さんがしているのでは、と。

ずいぶん昔しのことですが、と話してくれた十七夜の盆踊り。

8月17日の夜は、盆踊りがあった。

また、その数日前の14日は、小学校校庭で盆踊り。

打ちあがる花火もあったので、賑わったそうだ。

十七夜、といえば、観音さまの縁日。

各地の観音霊場にて十七夜行事の法要などがある。

平成5年に復活した東大寺二月堂の「十七夜」盆踊りや、橿原市小房町のおふさ観音の「十七夜」の夏祭りがある。

十七夜行の盆踊りは、ともかく大勢の子どもたちで溢れるほど賑わう行事に地蔵盆があり、盛大に撒かれるゴクマキがある。

11月のマツリもそうだがゴクマキが賑わうのは、村外に住む外子たちが大勢やってくるからだ。

女将さんの話題提供は、そこまで。

伺いたい人は、地蔵盆の夜に年中行事の一部を教えてくださった元観光協会会長のYさん。

訪ねた公民館におられた。

その日は、一日限りのプロジェクト・イベントの「吉野森林セラピー拠点賑わいプロジェクト」実施日だった。

そのプロジェクトにも関与していたYさんとばったり出会えた。

この年から、八朔行事は9月1日に近い日曜日に移した。

ちなみに、今年の日程は、8月2日。

以前は、午後1時から始めていた神事を、夜の午後7時に移した。

行事の場は、社務所。

その場より山口吉野神社の拝殿に向かって拝礼。

豊作を祈願したあとは直会に入る。

そう話してくれたYさんが、9月24日に牛滝まつりを、春に祈願するお田植祭は、4月22日の固定日にしていると教えてくださった。

山口に牛滝まつりがあると知ったのは、昭和28年に発刊された『奈良県総合文化調査報告書-吉野川流域・龍門地区-』の記事もあるが、取材し、アップしたブログ記事の「大淀町馬佐牛滝社の牛滝まつり」に、平成30年8月12日投稿してくださったY・Gさんの指摘コメントだった。

「吉野町 山口の間違いかと存じます。吉野町 龍門地区の山口は志賀よりはるかに大きな神社の中にあります。9月の行事でした。60年前の遠い日の出来事です。懐かしいですね。」

また、平成30年8月12日の投稿はブログ「吉野山口の地蔵盆」の記事に。

同じく投稿してくださったY・Gさんのコメントの「吉野町山口は私の生まれ故郷。60年前の遠い日の思い出。あの頃は子供も多く、盆踊りもありました。盆踊りは17日の盆踊りが盛大で、各村々の青年団が高張り提灯で山口神社に集結します。山口神社の神殿の前の広場での盆踊り。浴衣と下駄で両親に連れられ盆踊りに。山口には多くの行事が有りました。何十年も前に訪れ時は多くの行事は無くなっていました。このブログを拝見していると涙が止まりません。」のコメントに、是非とも訪問したくなった山口の牛滝まつりである。



牛滝まつりが始まる時間は、午後1時。

その時間までに着いた山口の公民館。

前に拡がる稲作田園地に、作りものの大鳥が舞う。

稔り近くなった9月後半の大空に張りぼての大鳥が気持ちよさそうに舞う。

大鳥の姿はまるで鷹。

スズメやカラスを追い払う。

野菜畑のある山口の稲作地。

稲刈りを早くもしていた耕作地。



ハザにかけた収穫したてのお米。

次に予定する稲刈りはもうすぐだ。

おっと、こうしてはいられない。

祭りをはじめるにあたって運ばなければならない餅がある。



二つの桶にたっぷり詰め込んだゴクマキの白餅は、前日に搗いた。

臼、杵でなく電動餅つき機。

餅を絞って取り出す餅絞り機も器械頼り。

最後に綺麗に餅を丸めるのは手作業。



この日の行事は自治会が主催。

みなが集まって搗いた餅や神饌御供などは、車に積んで運んだ。



拝殿前に停めて運ぶ御供は、人手で運ぶ。

一旦は、拝殿回廊に置いて社家宮司が確認され、ものものが揃った。



本日に第一神事をされる場は、意賀美神社(おがみじんじゃ)。

中央に配置した吉野山口神社の左側に建つ。

元々は、吉野町・宇陀市の境ある山。

龍門岳・龍門の滝がある辺りにあったそうだ。

創建は500年前であるが、昭和59年に寄進し、今の位置に下ろした、と話す。

一度、龍門岳に登って岳のぼり行事を拝見したことがある。

平成19年4月17日、吉野町山口の嶽神社で行われた岳ノボリである。

新鹿路トンネル入る手前にある林道を、注意しながらひたすら低速で走った先に・・。

今では記憶も薄らいだ既知の道だが、よくまあたどり着いたものだ。

車を下りて、さらに登ったそこに鎮座する嶽神社。

情景は覚えているが、山道は記憶の外に消えてしまったようだから、もう一度、と云われてもごめん被る。

なぜなら、行きも帰りも西谷地区の人たちとともに行動したからだ。

とてもじゃないが、単独行動は危険を伴う山行きである。

吉野山口神社の右手にある社は、高鉾神社

春に行われる祈年祭・御田祭神事をされる社である。



自治会役員、みなそろって神饌御供を調える。

塩、洗米、お神酒。生鯖一尾にスルメ、昆布、キャベツ・カボチャ・大根・人参・茄子・キュウリの野菜に梨・葡萄・林檎・バナナなど7種の果物。



宮司とともに揃えていく。

当初は、神饌御供の真ん前に置いていたが、社殿前に移された御供餅も奉る。



自治会会長のNさんを頭に、自治会役員、氏子、生産組合員ら、普段着姿の一同がそろったところで整列された。

夏は、とうに終わったというのに、秋にも告げるツクツクボウシが鳴く社そうに神事がはじまった。

まずは修祓。

祓詞に祓の儀。



献饌、祝詞を「かしこみ かしこみ かけまつる おがみじんじゃの 神さんに」、と奏上される。



そして、玉串奉奠、撤饌、宮司一拝され、意賀美神社の神事を終えた一行は、場を移動し、境内社の牛滝社に参拝する。

素盞鳴尊を祀る牛滝社は、かつて存在していた吉野山口神社の境内の神宮寺である本地堂跡地に鎮座する小社にあり。



そのことを伝える由緒板に「本地堂跡 古来山口神社の別当寺として宮寺-本地堂があり、その鐘楼には、建長八年(1256)銘の釣鐘があった。これはもと添上郡辰市村(※奈良市杏町辰市神社辺りか?)の廃寺、聖峯山のもので、方々を転々とした末に、伊勢相可の豪商大和屋某が寄進したもの(※現在は吉野町佐々羅意運寺所有/「大和国添上郡辰市郷聖峯寺鐘」「建長八年丙辰二月廿八日」の刻銘がある銅梵鐘は平成4年3月に奈良県指定有形文化財に指定されている) 明治の神仏分離のため廃寺となり、最初は竜門小学校に転用されたか、明治十年ころ、破損甚だしく、取り壊された。その跡地に牛の守り神である牛滝さんとして祭り続けてきている」とあった。

朱塗りの小社は、昭和55年4月に復旧再建された牛滝社。

意賀美神社(おがみじんじゃ)での神事を終えた一行は牛滝社に参る。



当社に御供することなく、一同拝礼し、牛滝まつりの神事を終えた。

神事を終えたらお楽しみのゴクマキ。

嶽の神さん、古来より雨を司る八大龍王にお供えした御供餅。

ご加護をもらいたく孫も伴ってやってきた氏子たち。



自治会役員が、ほうれ、そらっ、いくぞっ、と放り上げた白餅に手が伸びる。



ゴクマキに盛り上がる歓声。

ほんの数分ですべてを撒き終えた時間帯だけ、境内を静かにしていたツクツクボウシは再び鳴きだした。

用意してきた袋にいっぱい詰め込んで、お家に戻っていく。



役員さんも解散されたこの場に佇んでいた。

牛滝社があるこの広地。



今では想像もできないが、相撲の土俵があった。

やや高い台地がかつての土俵。

男の相撲だけでなく、女相撲もしていた、という。

当時をとらえた写真も残されているそうだ。

その土俵周りを牛が歩き回った。

手綱をひく牛飼いの田主が連れてきた農耕牛が土俵の周りを歩かせる牛参りをしていた。



牛滝まつりの原点は、牛をひき連れて廻る牛参りだった。

その様相は牛の品評会だった、とYさんが話してくれた。

先に揚げた大淀町・馬佐の牛滝まつりも、かつては上半身裸に晒しで巻いたふんどし相撲に土俵もあった。

また、吉野山口同様に、手綱で引き連れた農耕牛も・・。

橿原市の五条野は、昭和30年ごろまで牛滝参りがあった。

たくさんの幟を立て、綺麗な衣装を牛に着せてやってきた素盞鳴神社。

牛滝参りは、牛の品評会。

草相撲もあった、と庚申講中に教えてもらったことがある。

橿原市の一町(かずちょう)も同じような状況だった。

取材当時は総代だったMさんが、記憶を遡って話してくださった。

農協主催の牛の品評会の場は、旧長法寺大日堂に鎮守社がある境内。

美しい化粧まわしのような襷を牛の背中に掛けて参っていた。

子供や大人が消防ホースをマワシに奉納相撲もしていた。

特筆すべきなのは願主7人の名が見られる絵馬である。

明治参拾四年に奉納された「奉納 大日如来」の絵馬に描かれた牛の姿。

農耕に飼っていた牛に袈裟をかけてお参りする姿である。

牛の品評会が催されていた時期よりも、もっと以前の時代の様相だと推定される牛参りの絵馬はとても貴重だと思う。

(H30. 9.24 EOS7D撮影)


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