むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

北新波砦(群馬県)

2019年02月27日 | 
北新波砦きたあらなみとりで
別名
構造
築城者新波氏
築城年代15世紀後半~16世紀中期
指定史跡県指定史跡
場所高崎市北新波町216  地図

北新波砦は、57メートル四方を土塁と堀で囲み
南側に防御施設と思われる張り出しを設けています。
箕輪城主で知られる長野氏は、長野郷を基盤として発展し、
北新波砦も長野氏に関係する武士が居住していたと考えられています。



駐車場

公園になっているので西側に駐車場が完備されています。


案内看板

駐車場と本丸広場の間に設置されている案内看板です。


北新波砦史跡公園

本丸広場への入り口は東西南北に各1ヶ所設けられています。


復元土塁

復元された土塁で本丸は囲まれています。
土塁の外周を今は埋め立てられて砂利が敷かれていますが堀が廻っていました。


本丸広場

ほぼ正方形で周囲を土塁が囲い、館があったと思われます。
虎口は北と南の2ヶ所とされ、建物跡や井戸跡、生活用具類や古銭
墓石等が出土しています。
そして…ここの芝が気持ちよさそうに見えたので寝転がってみました!

イテテテ…

タワシのように痛い芝生でした


張り出し(内側)

出桝形状の張り出しがあります。



土塁の上には通り道が設けられていて、
張り出しの部分もコの字になっているのが判ります。


詰所

公園東側には長屋門のような詰所があります。
中から話し声が聞こえていて人の気配を感じました。
公園の管理者かな?


休憩広場

休憩広場のあずまやの中には北新波砦の案内や
北新波砦史跡公園周辺史跡案内が掲げられています。


満勝寺郭

北新波砦に隣接して満勝寺があります。
この敷地も北新波砦の郭で城館としての機能を果たしていたものと思われます。


満勝寺

郭内には満勝寺の他に長野幼稚園もあります。
というわけで、散策は満勝寺までで奥の長野幼稚園までは許可無く
進入出来ないのでお気をつけあれ。


武田家の紋

そして気になったのは屋根に見えた菱の紋。
武田信玄の侵攻によって箕輪城が落城した際にこの砦も
オセロのように武田の紋に塗り替えられたのでしょうか。



この日は中で法要をされていました。
そのために入り口の門が偶然解放されていたのかもしれません。
普段は幼稚園の入り口と一緒なので門が閉じられているかもしれない(未確認)です。


満勝寺の石憧

満勝寺の石憧は1524年(大永4年)に造られ、当時の仏教信仰の様子を知る
貴重な資料とされ高崎市の指定史跡とされています。
石憧は、中国で流行ったものが日本に伝わり日本でも鎌倉時代頃から多く造られるようになりました。
因みに、この石憧の上に載っている笠は別のもので後に付けられたそうです。



本堂正面にも武田の紋が掲げられています。


遺構は既に破壊されていたものの、土塁の復元など史跡として残そうという姿勢が
良く見えます。
また市民の憩いの場としても安心して活用できる良い環境でもあり、この日も
公園には整備をする人、散歩をする人、ボール遊びをする親子の姿も見えました。
平和を感じる史跡でした。


平成31年2月2日訪問




長野業政と箕輪城 (シリーズ・実像に迫る3)
黒田基樹
戎光祥出版