荻野洋一 映画等覚書ブログ

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井関種雄から、川崎弘子へ

2008-09-27 06:30:00 | 映画
 先日、葛井欣士郎の自伝インタビュー本『遺言』(河出書房新社)について書いたが、本書の中で非常に印象深かった点は、ATGの2人の創設者、東宝副社長の森岩雄と、葛井自身の当時の所属会社であった三和興業の社長・井関種雄(ATG初代代表)という2人の故人に、葛井がなんどもなんども感謝の言葉を述べていたことである。

 偶さかこれと相前後して、五所平之助監督の『わかれ雲』(1951)を見、この作品のスポンサーが三和興業社長の井関種雄であるという事実の一致に遭遇した。つまり、1948年に勃発した東宝争議の際に先頭に立って運動したために、赤化した立場が敬遠されて独立プロでの活動を余儀なくされた五所平之助が、ノー・スター、信州オールロケで撮りあげたインディーズ映画の草分けのような作品なのだが、これが非常に素晴らしいもので、清水宏の『按摩と女』あたりと較べても遜色がない。嘘だと思ったら実際にご覧いただきたいものだが、風景と人間の融合が素晴らしい(なんとも貧弱な評言だが)。
 ちなみに『お化け煙突の世界』(ノーベル書房 1977)という本の中で、五所自身、1000万円予算でのオールロケだから、「ATG1000万円映画は『わかれ雲』からじゃないのって、冗談言ってるんですよ」と語っている。

 殊に、蒲田の元メロドラマ女優・川崎弘子(1912-1976)が、戦争未亡人となって山奥の旅館で働く年増女中という脇役で出演しているのだが、プレイボーイ福田蘭堂の夫人に収まって引退していたところを、五所本人が懇願して本作のために現場復帰させてしまっただけに、実に心のこもった演出が施されて、正直、川崎弘子はこんなにいい女優だっただろうか、と思うほど絶品の演技であった。
 だから映画はやめられないのだ。たとえば、ほんの数年前に作られたに過ぎない『マトリックス』が、70年前のエドガー・G・ウルマー作品よりはるかに古臭くなってしまう一方で、信州の片隅でちまちまロケされた作品が、現在という時制にこんなにもこんこんと息づいてくれるのだから。

 備忘録として記載しておくならば、彼女は戦前、蒲田の若手スター監督の膨大な量の以下のリスト作品に出演している。

▼小津安二郎
1930 『朗かに歩め』
1931 『淑女と髭』
1932 『また逢ふ日まで』

▼清水宏
1929 『ステッキガール』
1930 『真実の愛』『岐路に立ちて』『海の行進曲』『青春の血は踊る』『霧の中の曙』『新時代を生きる』
1931 『銀河』『子の母に罪ありや』『青春図絵』『七つの海 前篇・処女篇』
1932 『七つの海 後篇・貞操篇』『満州行進曲』『学生街の花形』『暴風帯』
1934 『金環蝕』
1935 『双心臓』
1937 『金色夜叉』
1939 『居候は高鼾』
1941 『暁の合唱』『簪』
1942 『兄妹会議』

▼成瀬巳喜男
1930 『不景気時代』『愛は力だ』

▼五所平之助
1930 『独身者御用心』『処女入用』
1931 『若き日の感激』
1932 『天国に結ぶ恋』『不如帰』『恋の東京』
1934 『さくら音頭』『生きとし生けるもの』
1935 『花婿の寝言』
1936 『新道 二部作』

 特に、1930-32年あたりの切れ目のない使われようからは、彼女が監督たちからいかに愛されていたかがわかるだろう。上記中、見られるものの中で私が好きな作品は、小津の最高傑作の1つ『淑女と髭』(1931)、そしてモダニズムの権化(上野耕路あたりが音楽を新録したがりそうな)のごとき『金環蝕』(1934 清水宏)といったところか。同じく清水の『簪』(1941)が以前、東京フィルメックスで上映されたところ、観客投票でベストワンとなったと聞いた。たしかに『簪』もなかなかいい作品ではあるが、『簪』はトーキー以後の作品であり、川崎弘子というと、基本的にはサイレント映画のヒロインというイメージなのである。

 上記リストを見てもわかるように、清水宏だけは拘泥して後年まで使い続けるが、彼女の出演は野村浩将などのベテランか新人監督中心の、よりコマーシャルな作品が増大していき、上記監督作品への出演は途絶えてしまっている。ただし戦後となった1946年、溝口健二が『歌麿をめぐる五人の女』で、ついに彼女を起用するのである。