荻野洋一 映画等覚書ブログ

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脚本家リチャード・コリンズについての追記

2009-01-10 07:15:00 | 
 1/4付のドン・シーゲルを称揚する記事で取り上げたシナリオライター、リチャード・コリンズについては、どうしても書き加えるべき点がある。米ソ冷戦を背景に、ハリウッドで赤狩りが本格化する以前まで、リチャード・コリンズは米国共産党の公式的かつ指導的な役割を担う大御所であった。

 先ごろ出版されたヴィクター・S・ナヴァスキー著『ハリウッドの密告者 Naming Names』(論創社)の書評執筆を依頼された私は、この700ページに及ぶ大著を読み込む中で、リチャード・コリンズが、下院非米活動委員会(略称HUAC)からの証人喚問に抗しきれず、かつての仲間を売ったユダの一人として、何度も登場するのを読まねばならなかった。
 HUACのブラックリストに載ったドルトン・トランボのごとく偽名を使って『ローマの休日』(1953)のような名作を捏造してみせる才覚もなければ、ジョゼフ・ロージーのように決然とヨーロッパに亡命する身軽さもなく、リリアン・ヘルマンやアーサー・ミラーのように最後まで「協力的な証言」を拒み続けた不屈さも有さず、かといって、率先して仲間を売り、当局への積極的な協力を呼びかける新聞広告さえ出したエリア・カザンのような厚顔さも持ち合わせていなかったリチャード・コリンズは、現代の言葉に従うなら「負け犬」である自分を甘受し、ひたすら自己正当化に奔走するしかない。

 そうしてなんとか、ハリウッドでのキャリアを延命させた彼は、HUACでの証人喚問から2年後、ドン・シーゲル監督の『中国決死行』(1953)において、トルーマン大統領による原爆投下の決断を消極的ながら正当化するシナリオを書き、その1年後に、同じくシーゲルの『第十一号監房の暴動』(1954)で本格的に復活を遂げるのである。『中国決死行』で、日本軍が正々堂々とした、同情に値するあっぱれな敵として描かれ、中国の軍閥が卑劣な変節漢として描かれている理由は、朝鮮戦争における中ソとの間接的な交戦という時局が反映されているばかりでなく、作者たるコリンズの個人史的な抑圧と、反動的な悔悛がまぶされているためなのであろう。

 アメリカ映画を見ることとは、かつても今も、こうした抑圧の構造につぶさに視線を差し向けることにちがいないことを、決して忘れてはならないと、私は考えている。