荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ぽろり、と何かの間違いのように

2009-01-27 13:58:00 | 映画
 ジャック・ドゥミのデビュー作『ローラ』(1961)は、まだそれを見ていないという人が、これから初めて見ることができるという幸運に感謝しつつ画面に眼を投じるべき傑作であり、また、真に映画ファンからの神格化に値する不滅の一作だ。そんな作品が、ぽろりと何かの間違いかのように、シネセゾン渋谷のスクリーンに、明晩(1/28)から1週間だけレイトでかかるのだという。こうした映画を見逃したまま、いったい人間は何を見るべきだというのか。

大阪の映画をめぐる推察 その1

2009-01-27 11:30:00 | 映画
 『大阪ハムレット』に端を発して、大阪の映画について、詮無きことを何項目か考えた。きょうはその1回目。

 溝口健二の『残菊物語』(1939)は、東京と大阪の風情を両方味わえる稀有な作品だろう。柳橋の花街に遊興んだ主人公の歌舞伎役者(花柳章太郎)が、深夜2時に隅田川沿いの道ばたで風鈴を買い求めつつ、弟の乳母(森赫子)からの自分への直言に耳を傾ける場面や、両国花火の夜にこの2人が西瓜を切る場面が醸す風情。一方、大阪では道頓堀の芝居町からほど近い下宿屋の2階が醸す情緒、そして森赫子をほとんど斜め後ろからしか捕らえようとしない、映画史上最も残酷なカメラワーク。ここには、本当は簡単に風情やら情緒やらの言葉では片付けてはいけないようなものが、あった。

 思えば、あの『大阪の宿』『夫婦善哉』『わが町』の大阪3傑作がいずれも1950年代中盤に作られているとして、大島渚監督の『太陽の墓場』(1960)までほんの5、6年しかインターバルがない。すでに『太陽の墓場』で映っている世界は、近年に濫造された岸和田なにやら(数年前まで持て囃されていた三池崇史の岸和田映画なんて今はもう見ていられないでしょう)とか、なにわ金融なんとか、そういう世界とは地続きの世界に見える。ちなみに『太陽の墓場』の作者・大島渚は、後年に梅本洋一と私が行ったインタビューの中で、「いや、釜ヶ崎なんていう所は、実につまらない所であってね」と、冷たく突き放していた(「釜ヶ崎」は現在の「あいりん地区」の20世紀初頭までの旧称)。映画作家としての醒めた視線である。私にはそんな単刀直入に、ある土地に対して「つまらない所」などと言い放つ度胸などまったくないのだが。

 推測するに、おそらくこの5、6年のインターバルの間になにかあったのではないか。