荻野洋一 映画等覚書ブログ

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庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』

2009-12-11 11:47:11 | 演劇
 〈フェスティバル/トーキョー09秋〉の一環として、東京・豊島区のにしすがも創造舎で上演中の庭劇団ペニノ『太陽と下着の見える町』(作・演出 タニノクロウ)は、私にとって今年のベストワンと言える演劇作品だった。強迫的なまでに清潔な、白を基調とするセットの中で、何組かの人々がまったく別のエピソードを演じる。セットは4つのユニットと1つのバルコニーによって区切られ、ドア奥の見えない空間によって通底し、たまに人物同士が往来するものの、それでもたがいのユニットで演じられるエピソードは、わずかな接点しか持たない。各劇は断片化され、途中ですぐにブラックアウトして、暗闇に大音量のノイズが鳴り響く。上演時間1時間半のうち1/4くらいが、暗闇にノイズだったのではないか。1~2ユニットだけ照明がたかれて「オン」の上演がなされ、別のユニットでは暗がりの中で「オフ」の芝居が静かに続行されているケースもある。
 精神科医でもあるタニノの前作『苛々する大人の絵本』は、青山の古いマンションの一室を上下2層構造に改良して上演された実験的、ミニマリズム的な作品だったが、より大きな予算の与えられたこの新作では、狂気についての省察はより直接的になり、セットの上下2層構造は、簡素ながら驚くほど大がかりとなった。各ユニットにはベッドが設えられているため、ここが精神科の入院施設であることは明らかだろう。バルコニーと階上のユニットを往来する2組の男女は、医師とナースにも見えるし患者にも見える。オリヴェイラ『神曲』、衣笠貞之助『狂った一頁』といった過去の映画作品が、舞台を眺めながら頭をよぎった。
 しかし、前作で素描された、床下の地下茎、樹液といったメルヘン的に擬装された主題群は、今回は「下着への執着」という通俗的なものに置換されてしまった。この点が少し気に入らなかったが、バルコニーの男が2度にわたって「私の名はパンティ」などと滑稽に名乗ることで、なんとか中和されてもいた。

P.S.
右上の写真は、会場の「にしすがも創造舎」(廃校となった区立朝日中学校のリノベーション)が、戦前に天活、国活、帝キネ、河合映画、大都と転々と持ち主の変わった「巣鴨映画撮影所」であったことを示す記念プレート。巣鴨は往時、日本最大の映画量産地だったらしい。ちなみに、閉所前の最後の持ち主だった大都は、その後は戦時統合をへて大映→角川映画と変遷。


『太陽と下着の見える町』は、〈フェスティバル/トーキョー09秋〉内で今週日曜まで上演
http://festival-tokyo.jp/