荻野洋一 映画等覚書ブログ

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若冲と蕪村

2015-05-07 01:52:20 | アート
 サントリー美術館の《生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村》展は、学芸員のキュレーションシップが光る企画だ。ともに1716年生まれ、来年に生誕300年の節目を祝うタイミングで、この同じ年生まれの、しかも京都の四条烏丸付近でご近所さんだったふたりを特集しようというのである。ゴールデンウィークということもあって、すさまじい大混雑で、ややもするとそそくさと切り上げたい気分を押しのけて、作品の中に視線を凝らせば、やはり素晴らしい。史上初の東京展示となった伊藤若冲晩年の大作『象と鯨図屏風』の大胆さと精緻さ。若冲は天才だ。すごいテクニックを持っている。まさに日本画のスーパースターだ。
 しかしながら私は、今展の真の狙いが与謝蕪村をどう売るかということだったと推測している。21世紀に入って人気絶頂となった若冲とカップリングさせることで、蕪村の絵も見てもらおうという。与謝蕪村というと、普通は国語の教科書の中で「芭蕉、蕪村、一茶」と暗記させられる俳句の3巨匠のうちのひとりである。俳人としては誰でも知っているものの、彼が時代を代表する画家だったことを知っている人は少ない。蕪村だけでやっても、サントリー美術館にはこれほどの人が詰めかけることはなかっただろう。
 しかし、蕪村は若冲と互角以上に魅せてくれた。ショッキングな奇想とスーパーテクニックという点で若冲にかなう者はいないが、磊落、諧謔味、とんちを醸した蕪村の俳画、水墨画は素晴らしかった。中国絵画からの影響が甚だしい両人だが、蕪村の方がよりオーセンティックな文人画の系譜にあるといえる。
 40才代前半からは両人とも京都の四条通り界隈に住み、共通の知人、友人もたくさんあった。讃岐の金刀比羅宮に作品を提供している点でも共通している。にもかからず、ふたりの交流を示す資料や手紙は見つかっていないそうである。MIHO MUSEUM学芸員の岡田秀之氏は「このことこそ、彼らがお互いを意識していたことを示すもっとも重要な証拠であるかもしれない」と書いている。18世紀も今も、芸術家の心情はさして変わらぬようである。


サントリー美術館(東京ミッドタウン)で5/10(日)まで MIHO MUSEUM(滋賀・信楽)で7/14から
http://www.suntory.co.jp/sma/