荻野洋一 映画等覚書ブログ

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小川千甕 縦横無尽に生きる

2015-05-09 17:31:16 | アート
 求龍堂から昨秋に刊行された小川千甕(おがわ・せんよう 1882-1971)の作品集 兼 今展の図録『縦横無尽 小川千甕という生き方』(写真=表紙)の帯コピーには、「縦横無尽に生きるにもほどがある!」と書かれていた。さらに今展のちらしには次のような惹句が刷られている。曰く「京都に生まれ 仏画を描き 浅井忠に洋画を学び ルノワールに会い 漫画に手をそめ 日本画家となった「千甕」を知っていますか?」 これだけでもう、小川千甕のことは理解できるようになっている。大したものだ。
 京都の書肆「柳枝軒」の子として生まれ、文芸的環境のなかで育った。「柳枝軒」は水戸徳川家の蔵板書製本をつとめたり、貝原益軒の著作を多数出版した、江戸時代前期から続く伝統ある書肆である。そんな千甕は少年時代に奉公先で仏画の手伝いをしつつ、『ホトトギス』『太陽』で挿し絵と漫画を発表し、後期バルビゾン派の浅井忠のアトリエ塾で洋画を学んでヨーロッパ遊学を果たし、しばらくパリに住んで晩年のルノワールにも会いに行ったりしている。
 いわば江戸期文人の末裔が、バルビゾン派と印象派のメチエを身につけながら、多ジャンルをメランジェしていったわけである。文学ではちょうど永井荷風のようなポジションにある人ではないか。そしてそういう人が描く絵は、ちっとも権威的なところがなくて、また芸術家の才人的悲劇性を帯びることもなく、おそらくは経済的にも人間関係でも多くの苦労はあったろうが、そういうものが作品からは捨象されている。俳画のような、おっとりとしたユーモア性がにじみ出て、見る者をリラックスさせる。
 戦後は中央画壇を離れ、デパートの個展などが活動の中心となった。みずから「俗画」と称したダイナミックな筆使いは、人気を呼んだようである。ちっとも偉そうじゃないから、どんなにやんちゃやっても許されたのだと思う。かんたんに真似できることではない。


泉屋博古館分館(東京・六本木一丁目 泉ガーデン)にて5/10(日)まで
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