荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ブラックハット』 マイケル・マン

2015-05-19 01:20:17 | 映画
 トニー・スコットが『トップガン2』の製作準備の渦中に亡くなってしまった以上、シネフィルたちの期待を一身に受け止めることになった(?)マイケル・マンであるが、本人の状況は決して順風満帆とは言えない。前作『パブリック・エネミーズ』(2009)はお世辞にも芳しい出来ではなかった。そのせいかは知らないが、あれから6年もの歳月が流れてしまった上、新作『ブラックハット』はアメリカ本国で興行、批評双方で失敗に終わったそうである。
 しかしこの『ブラックハット』、スマートからはほど遠いスランプ丸出しのシナリオながら、このB級テイストの無責任きわまりないクライム・アクションを、マイケル・マン本人が愉しんで作っていることが、手に取るように分かる。ロン・ハワード『ラッシュ』(2014)のF1ドライバー、ハント役が好演だったクリス・ヘムズワースが、冒頭の獄中シーンでこれ見よがしに腕立て伏せをしてみせるあたりから、おおっと画面が見る者を惹きつける。
 湯唯(タン・ウェイ)がヘムズワースを見つめる(彼女主演の『ラスト、コーション』、あまりいい評価を見ないけど、私はこの作品を好きだ)。原発テロ、大豆先物取引へのサイバーテロなど、いろいろあっても、最終的には湯唯とヘムズワース、つまり一組の女と男が、いわば増村保造的に孤立して二人きりとなる。二人きりになってからの、復讐譚の無駄なきひとつながり、その画面の連鎖は、映画をよく見ている人と共有したいたぐいのものである。ベッドに横たわり、携帯の写真で追憶にふける湯唯を、クリス・ヘムズワースが傍に横たわって後ろから抱きしめるカットは、これがガンアクションであることをしばし忘れさせる。いや、ガンアクションにこそ必要なカットだ。しかも長々と見せない。すぐに翌朝の行動へと移行する。
 香港の夜景、臭気たちのぼる路地、マカオの白昼の軒下、ジャカルタの群衆の中での殺人....。あたかもサミュエル・フラー『クリムゾン・キモノ』のサム・リーヴェットのごとき視線をそれらの空間に投げかけたイギリス出身の撮影監督スチュアート・ドライバーグは、昨年に『LIFE!』の撮影も担当しているだけでなく、かつてはジェーン・カンピオン『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(1990)、『ピアノ・レッスン』(1993)のカメラも担当していた、と言えば、何か分かることになるのだろうか?


TOHOシネマズみゆき座(東京・日比谷)ほか全国で上映中
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