荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ロサンジェルスよ、いまいずこ

2008-09-15 19:04:00 | 映画
 米国それ自体の風刺喜劇へと向かった野心がどっちつかずの失敗に終わっていながらも、痛々しささえ漂わせないという、ウィル・スミス主演の変てこな特撮映画『ハンコック』を見て、私が最も心を動かされたのは、ロサンジェルスの都市景観が、思いがけずたくさんのカットで視界に収まっているという点であった。
 にもかかわらず、この映画の登場人物たちは、ハリウッドを擁するこの西海岸の大都市圏がまるで、映画にとっては似つかわしくない、忌避すべき環境である、とでも主張するかのように、主人公ハンコックを街から遠ざけようと必死である。この無意識の忌避がなにゆえに顕在化するのかは、私にはわからない。ただ最近、映画において、まともにロサンジェルスを見ることができなくなってしまったと感じていたのは、私だけだろうか?

 というのも、少し前に「日刊スポーツ」紙HPで、ロサンジェルス在住のライター千葉香奈子が寄稿した『映画の都の機能を失いつつあるハリウッド』というエッセーを興味深く読んでいたため、以上のようなことを思うようになったのだ。同記事では、世界の映画産業の中心であったロサンジェルスのここ数年の地盤沈下について報告している。「LAタイムズ」紙によると、現時点でロサンジェルス市内で撮影されている大作は、WGA(米脚本家組合)ストライキの影響で遅延していた『ダ・ヴィンチ・コード』の続編『天使と悪魔』、およびソニー・スタジオで撮影中の『トランスフォーマー2』のみなのだという。

 その「LAタイムズ」が最近、同紙記者・編集者の選出による、過去四半世紀にロサンジェルス市内で撮影された「25ベストLAフィルムズ」というランキングを発表したらしい。1位『LAコンフィデンシャル』(1997)、2位『ブギー・ナイツ』(1997)、3位『ジャッキー・ブラウン』(1997)、4位『ボーイズン・ザ・フッド』(1991)、5位『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)、6位『ザ・プレイヤー』(1992)、7位『クルーレス』(1995)、8位『レポマン』(1984)、9位『コラテラル』(2004)、10位『ビッグ・リボウスキ』(1998)というのが、ベスト10だそうである。
 「LAタイムズさん、もっといろいろあったでしょう?」と横やりを入れたくなるが、皆様はどのようなタイトルを思い出して下さるだろうか?

最近の映画書籍から

2008-09-12 04:27:00 | 映画
 前回記事では、他人の本にかこつけて長々と極私的な回想を自堕落に膨らませてしまい、甚だばつが悪いのだけれども、その罪滅ぼしというわけでもないが、最近興味深く手に取った2書を几帳面に記しておきたい。

 左は「nobody」の最新号(通巻28号)である。黒沢清の新作『トウキョウソナタ』についての拙文が掲載されているが、まあそれは別としても、中原昌也の『TOKYO! 〈メルド〉』についての文章をはじめとして、数多くの必読の記事が掲載されている。近日発売。

 右は、先述した、有楽町朝日ホールで開催されている《フランス映画の秘宝》の公式カタログ。ヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画(特に、ドイツ軍占領期にあたる1940年代のフランス映画)が不毛の時代であった、という怠惰な通念に対するアンチテーゼをメインテーマとする本映画祭の性格が、このカタログによってより明瞭に浮かび上がるようになっている。セルジュ・トゥビアナ、蓮實重彦、野崎歓、石橋今日美らによる各論評が、ヌーヴェルヴァーグ及びその影響圏内にある現代作家たちに偏向しがちな私自身のフランス映画受容の怠惰を、したたかに撃ってくれた。
 この手の催し物は、えてして関東中心になってしまうが、本カタログの序文によれば、《フランス映画の秘宝》は、仙台、川崎、神戸、広島、山口、高知、福岡などを巡回するとのことだ。また、本カタログは、会場ロビーの他、オンライン販売もされている模様。詳細は同映画祭サイトで。

葛井欣士郎 著『遺言』...そして、わが新宿随想

2008-09-11 00:39:00 | 
 最近はなにやら「不振にあえぐ日本デパート業界の希望」などと褒めそやされているらしい伊勢丹本店の明治通りを挟んだ向かいに昔、ATGのフラッグシップとして名を馳せた「アートシアター新宿文化」という劇場があった(1962-74)。現在は、角川シネマ及びシネマート新宿になっている。ついでに言うと、隣にあった新宿スカラ座とビレッジ1・2の入っていたビルもいまは取り壊されて、再開発中である。渋谷にかつての勢いがなくなった分、新宿三丁目が騒がしくなっている。

 渋い紙質であしらわれた表紙カバーに惹かれるまま、新宿文化の創設者・葛井欣士郎の自伝的インタビューと若干の資料で構成された新刊『遺言』(河出書房新社)を手に取った。遺言などといかめしいタイトルは示唆的で、往時の愉しい思い出話、苦労話の影に、未来の映画界へのメッセージが、なにごとかを成し遂げた矜持を秘めた老人の口から言外に示されている。
 当時から葛井が、斉藤耕一の『津軽じょんがら節』や増村保造の『音楽』はATGの名前には値せず、真のATGとは『戒厳令』であり『エロス+虐殺』であり『天使の恍惚』であり『儀式』であると考えていたこと、『津軽~』あたりからATGが変節してきてしまった、という意見が吐露されている。この変節というのはまさにそうで、私が映画狂になり始めた十代前半の時点ではすでにATGといえば失礼ながら、『Keiko』だの『もう頬づえはつかない』だの『海潮音』だのといった有象無象をだらだらとロングランしている配給会社、としか思えなかったのである。ちなみに私にとっての新宿文化でのもっとも素晴らしい思い出は、改築後の時代になってしまうが、高校時代、ベルトルッチの大作『1900年』初公開を、満員の客席で見た興奮の体験であった。

 しかしそれにしても、旧・アートシアター新宿文化とその地下にあった蠍座の記憶に関しては、幼少期に通りがかったわずかな外観の記憶しか持っていないのがなんとも残念だ。1970年代半ばまで、祖父母の家が新宿戸山町にあったため、あの付近の記憶は風景としてだけなら、私の網膜の奥に刻まれている。そして網膜の奥では、いまも靖国通りに都電が走っている。

 もちろん幼少期の一番の強烈な記憶は、市街における闘争の光景だ。おそらく私という存在は、新宿を舞台にした左翼闘争をこの目で目撃したもっとも若い、最後の世代であろう。1960年代末か70年ごろのある寒い夜、祖父母宅の居間で、当時大好きな曲だったピンキーとキラーズ『恋の季節』のドーナツ盤(穴の大きい、いまで言う7 inch singleのビニール盤のこと。『恋の季節』のドーナツ盤は自宅用と祖父母宅用の2枚持っていた)を何度もかけているうちに、外が騒然となってくる。市街戦が始まると、縁日の要領、一族総出で騒乱見物に出かけるのだ。夜でもサングラスをかけた学生が、幼い私の前を走り抜け、槍投げのフォームで火炎瓶を投げる! 彼らは怒りの表情で、何度も何度も機動隊の隊列に向かって火炎瓶や石を投げている。
 明治通りの奥は真っ赤に燃えさかっている。夜の闇に輝くその巨大な炎は、子ども心に、ある種の「美」を感じてしまったほどだ。あんなに大勢の激怒した大人たちを見たのは初めてだったが、不思議と恐怖は感じなかった。恐怖と言えば、昔は軍事パレートというものがあって、あれの方が怖かった。なにしろ、明治通りを白昼堂々、ミサイル運搬車やら戦車やらが、ドーッと通り過ぎるのだ。今では考えられないだろう、明治通りを通行止めにしてあんな大がかりな軍事パレードを実施するなんて。いや逆に、現代人は喜んだりしてしまうのかもしれないが。

 朝、祖母と共に付近の牛乳屋に牛乳を買いに行くと、交番が真っ黒に焼け焦げていた。きつい悪臭が鼻をついた。

『異母兄弟』 家城巳代治

2008-09-07 00:57:00 | 映画
 けさ、CSにて家城巳代治監督の『異母兄弟』(1957)。どうにも薄ら寒いというか、風通しの悪い作品である。とはいえこれは批判ではなく、そうであろうとしたことへの当然の結果なのである。そして、この薄ら寒さはなにも、大正末期から太平洋戦争終了に至る職業軍人一家の報国精神を年代記として描くことで重くたわんでいったためではなく、また、拡がりを欠いた家城の閉塞的な空間演出のためでもない。

 この作品中、最も激烈な感情を呼び起こす部分は、名門旧家の厳格なる家長にして、「鬼隊長」の異名を取る大尉の夫(三國連太郎)に日々冷遇され続ける女中上がりの後妻(田中絹代)が、夜11時の時を打つと共に、枕を抱え、子どもたちを起こさぬように忍び足で2階の夫の寝室へと、冷たい階段をそろりと上がっていく、その足どりの陰惨さ、さらに裸足の足裏から漂い出す無意識の猥褻さである。
 しかも、「妾の子」「落胤」などと前妻の子どもたちに呼ばれ、やはり冷遇の立場に追いやられている田中絹代の息子もまた、その足どりの陰惨さにはっきりと気づいているのである。

 昭和21年、すっかり零落した夫に対し、後妻が遅まきながら反撃の言葉を投げつけることで、作品の主題に一応の決着がつき、反体制監督の面目躍如が果たされたかに見える。が、物語が終わった後もなお、戦前戦中に毎夜繰り返された、あの忍び足の陰惨さは、息子の記憶からも、この映画の受け手の意識からも消えることはないだろう。

『誰でもかまわない』 ジャック・ドワイヨン

2008-09-06 03:27:00 | 映画
 東京・有楽町の朝日ホールで今、《フランス映画の秘宝 シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に》という映画祭が開催されている。シネマテークの現・館長セルジュ・トゥビアナと蓮實重彦のセレクションによる13本の新旧作品が上映される運びだが、開会日のきのう5日、ジャック・ドワイヨンの新作『誰でもかまわない』(2007)で劇的に幕を開けた。ドワイヨン久々の日本カムバックがこのような劇的な傑作によって実現しようとは、正直なところ予想外なほどであった。

 実はその前夜、東京日仏学院ですでに始まっている《ジャック・ドワイヨン特集》にて、代表作のうちの1つ『ラ・ピラート』(1984)を、ロードショー時の六本木俳優座シネマテン以来20余年ぶりに再見することが叶い、骨太にして繊細な、暴力的にして傷つきやすいドワイヨン映画の濃厚なる生気を再確認したばかりであった。それだけに、いやが上にも過剰になりがちな期待を抱いて、朝日ホールに駆けつけたのである。

 『誰でもかまわない』は、3という登場人物の数が形成するサスペンスを徹底的に追究し、研ぎ澄ますことに成功しており、これは、『ラ・ピラート』で拘泥した5という数(フィリップ・レオタールの役名が「ナンバー5」と名付けられたことで強調された)よりさらに少ない奇数となっている。したがって、いささか混み合った画面で塗りつぶされた感のある『ラ・ピラート』よりも、23年後の新作では、ぽっかりとした屋外の空間が空いている。そして3人の若者は、つねにこの3者という状態に拘泥し続ける。男女を描写するには永遠に不均衡であるこの数字が、たとえば4に変態したとき、物語が終焉を迎えるというおそれを、登場人物たちは全員察知している。そして実際、この充実した3が彼ら自身の手によって3でなくなるとき、素晴らしい2時間という上映時間は、惜しくも終わりの時を告げてしまうのである。


《フランス映画の秘宝》は朝日ホールにて9月15日(月・祝)まで開催
http://www.asahi.com/event/fr/

《ジャック・ドワイヨン特集》は市谷船河原町の東京日仏学院にて9月25日(木)まで開催
http://www.institut.jp/