荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『懺悔』 テンギズ・アブラゼ

2009-01-18 09:51:00 | 映画
 1984年に製作されたテンギズ・アブラゼ監督の『懺悔』が、いま東京で公開されている。全盛期シネセゾンの公開予定ラインナップに入っていたはずの作品らしいのだが、ようやく陽の目を見た格好だ。

 共和国連邦が瓦解して早17年。今から思えば、検閲と抑圧、独裁と腐敗の中にあっても、ソ連映画は、極めて多彩なるシネマの星雲を形成していた。ゴルバチョフ大統領の「連邦70年間の成果として、『ソビエト文明』なるものが確かに育まれた」という主張は当時、誰にも相手にされなかったが、ある意味で真実だったのではないか。もちろん、陰惨な政治体制下でかくも実り多き映画史を築いた陰には、連邦傘下の各共和国で撮り続けた作家たちの並大抵でない苦難がある。このテンギズ・アブラゼもそうした1人であるが、しかし彼の過剰に象徴主義的な話法は、当局からの介入を最小限に留めるためのテクニックだったとはいえ、グルジア共和国の他の映画作家たち、たとえばオタール・イオセリアーニのデラシネ的な奔放さ、ゲオルギー・シェンゲラーヤの可憐な静謐さ、あるいはアルメニア出身のセルゲイ・パラジャーノフの変態的な華麗さに較べた場合、ややもすると野暮ったい感は否めない。

 しかしながら、現在という時間の只中にこの『懺悔』というフィルムを置いた場合、イオセリアーニの葡萄酒ではないが、奇妙な熟成が進行し、安全地帯からスクリーンに目を投じていると過信する私たちを嘲笑するかのごとく、苛酷にして幻惑的な映画体験を強いてくるのだ。特に、思想犯として流刑に遭った夫の痕跡を求めて、妻が流刑地からやって来た木材運搬列車の荷物の中に夫のメッセージが書き込まれていないか探る場面の悲壮さは、なんとも形容しがたい感情を呼ぶ。どのようにして、このような場面を思いつくのだろうか。


12月20日(土)より神田神保町・岩波ホールで公開中
http://www.zaziefilms.com/zange/

『黒薔薇昇天』『実録白川和子 裸の履歴書』

2009-01-16 01:55:00 | 映画
 夜、久しぶりに「麗郷」にてあつあつの台湾素麺をたぐってから、円山町のシネマヴェーラへ。20数年ぶり神代辰巳『黒薔薇昇天』(1975)と、初見となる曾根中生『実録白川和子 裸の履歴書』(1973)。後者は曾根が、引退する白川和子を送別するために撮った記念映画だが、正直あまり面白くなかった。『関東緋桜一家』(1972)は未見なのだが、そもそもどうもスター女優の引退記念映画ということ自体が、あまり近づきたい代物ではない。

 『黒薔薇昇天』も神代の中では良い部類には入らない作品だと思うが、それでも結局、『黒薔薇昇天』における、ブルーフィルムの監督(岸田森)がよそ様の妾(谷ナオミ)を嘘八百重ねてナンパする──いやナンパと言っては失礼、これはれっきとした自作への出演交渉なのだが、なに、ブルーフィルムをご存じない? ウィキペディアか何かでお調べ下さい──白昼のデパート屋上のゴンドラからタクシー後部座席へ、さらに岸田のアパート内へと延々と持続する、執拗な〈説得〉の儀式を凝視しつつ、ジル・ドゥルーズ著『マゾッホとサド』で指摘されていたザッハー=マゾッホの小説における〈説得〉の重要性だかそんな記述を想起しながら悦に入っていたずっと昔の学生時代を思い出す、という、きわめて後ろ向きの作業に終始することとなった。


P.S.
 『黒薔薇昇天』は1/16(金)、つまり本日もシネマヴェーラ渋谷で上映される。併映となる崔洋一監督『性的犯罪』(1983)も結構いい映画だった記憶があり、お得な2本立と言える。

2008年 カイエ・デュ・シネマ誌ベスト10

2009-01-15 00:16:24 | 映画
 仏「カイエ・デュ・シネマ」誌の1月号で、2008年のベスト10が発表されている。昨年に引き続いて、またしても私が紹介するのもお門違いであるし、もういいかと思ったが、普段覗いているサイト、ブログ類等で紹介されてもいなさそうなので、一応今年も、備忘録代わりに載せておこうと思う。こうしたベストテン行事など遊戯であって、私はいちいち目くじらを立てずに眺めることにしている。

■カイエ編集部選出ベスト10
1- リダクテッド 真実の価値(ブライアン・デ・パルマ)
2- コロッサル・ユース(ペドロ・コスタ)
3- クローバーフィールド/HAKAISHA(マット・リーヴス)
4- ノーカントリー(コーエン兄弟)
5- Two Lovers(ジェームズ・グレイ)
6- バシールとワルツを(アリ・フォルマン)
7- 最後の抵抗(マキ)(ラバ・アメール=ザイメッシュ)
8- ハンガー(スティーヴ・マックイーン)
9- A Short Film About the Indio Nacional(ラヤ・マルティン)
10- 戦争について(ベルトラン・ボネロ)


■読者投票ベスト10
1- ロルナの祈り(ダルデンヌ兄弟)
2- ノーカントリー(コーエン兄弟)
3- バシールとワルツを(アリ・フォルマン)
4- クリスマス・ストーリー(アルノー・デプレシャン)
5- ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(ポール・トーマス・アンダーソン)
6- Two Lovers(ジェームズ・グレイ)
7- Vicky Cristina Barcelona(ウディ・アレン)
8- ハンガー(スティーヴ・マックイーン)
9- La Vie moderne(レーモン・ドパルドン)
10- Entre les murs(ローラン・カンテ)

 上記作品中、フォルマン、アメール=ザイメッシュ、マックイーン、ボネロ、デプレシャンは正式には日本未公開ではあるものの、特集上映会・映画祭などの機会で都内上映済み。ダルデンヌ兄弟は今月31日より恵比寿ガーデンシネマでロードショー。W・アレンとJ・グレイの公開予定は知らないが、いずれやるだろう。カンヌでパルムドールの『Entre les murs(クラス)』も配給が決まったとか風の噂で聞いた。
 なぜかアジア映画が激減している。昨年のベストテンにはジャ・ジャンクー、蔡明亮、アピチャッポンなどがいたが、今年はフィリピンのラヤ・マルティンだけとなった。

『チェ 28歳の革命』 スティーヴン・ソダーバーグ

2009-01-14 06:05:00 | 映画
 この映画が単に正しい画面と音によってできていること、そして将来に主人公チェの妻となる同志アレイダ・マルチ・デ・ラ・トーレを演じた女優がいいという感想を最初に抱いた。だが、革命の映画とは、革命の人や物を描くのみでなく、その製作の姿勢において、精神においてこそ革命的でなければならないだろう。ゴダールの映画から学んだあれやこれやを念頭に置かずに、この映画を見ることは不可能なことだが、ではそれは実践されていたのかを自らに問うとすると、正直答えに窮してしまう。
 NYタイムズ紙の女性ジャーナリストによる友好的なインタビューであるとか、一流人士の集うパーティでスターのように扱われるエピソードであるとか、そういうものがやたらとモノクロームのドキュメンタリー風画調で挿入されるのは、米国の手前勝手なサブカル的手法であり、本作は所詮、若者たちがファッションとして着ているTシャツの似顔絵と変わらない、などと批判を連ねることは難しいことではない。
 ラテンアメリカにおける反政府闘争に対してことごとく介入したアメリカという国は帝国主義であり、反革命国家であるが、だからといって、アメリカという国の始まりそのものが1773年12月16日のボストン・ティー・パーティであるという事実、国家の存立自体がよその国との比較、反発、対立、離反によって、つまり革命行動によって始まっている事実は、消し去ることはできない。したがってソダーバーグは、ラテンアメリカを通してアメリカ合衆国を見るということを画策しているのだろうし、それ以外にどうすればよいというのだろう。


日劇PLEXほか全国で上映中
http://che.gyao.jp/

脚本家リチャード・コリンズについての追記

2009-01-10 07:15:00 | 
 1/4付のドン・シーゲルを称揚する記事で取り上げたシナリオライター、リチャード・コリンズについては、どうしても書き加えるべき点がある。米ソ冷戦を背景に、ハリウッドで赤狩りが本格化する以前まで、リチャード・コリンズは米国共産党の公式的かつ指導的な役割を担う大御所であった。

 先ごろ出版されたヴィクター・S・ナヴァスキー著『ハリウッドの密告者 Naming Names』(論創社)の書評執筆を依頼された私は、この700ページに及ぶ大著を読み込む中で、リチャード・コリンズが、下院非米活動委員会(略称HUAC)からの証人喚問に抗しきれず、かつての仲間を売ったユダの一人として、何度も登場するのを読まねばならなかった。
 HUACのブラックリストに載ったドルトン・トランボのごとく偽名を使って『ローマの休日』(1953)のような名作を捏造してみせる才覚もなければ、ジョゼフ・ロージーのように決然とヨーロッパに亡命する身軽さもなく、リリアン・ヘルマンやアーサー・ミラーのように最後まで「協力的な証言」を拒み続けた不屈さも有さず、かといって、率先して仲間を売り、当局への積極的な協力を呼びかける新聞広告さえ出したエリア・カザンのような厚顔さも持ち合わせていなかったリチャード・コリンズは、現代の言葉に従うなら「負け犬」である自分を甘受し、ひたすら自己正当化に奔走するしかない。

 そうしてなんとか、ハリウッドでのキャリアを延命させた彼は、HUACでの証人喚問から2年後、ドン・シーゲル監督の『中国決死行』(1953)において、トルーマン大統領による原爆投下の決断を消極的ながら正当化するシナリオを書き、その1年後に、同じくシーゲルの『第十一号監房の暴動』(1954)で本格的に復活を遂げるのである。『中国決死行』で、日本軍が正々堂々とした、同情に値するあっぱれな敵として描かれ、中国の軍閥が卑劣な変節漢として描かれている理由は、朝鮮戦争における中ソとの間接的な交戦という時局が反映されているばかりでなく、作者たるコリンズの個人史的な抑圧と、反動的な悔悛がまぶされているためなのであろう。

 アメリカ映画を見ることとは、かつても今も、こうした抑圧の構造につぶさに視線を差し向けることにちがいないことを、決して忘れてはならないと、私は考えている。