「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡市東区 ・ 万葉歌碑 「 かしふ江にたづ鳴き渡る志賀の浦に ・・・ 」

2016-12-08 18:38:14 | 万葉歌碑





















   かしふ江にたづ鳴き渡る志賀の浦に
                沖つ白波立ちしくらし毛 


(巻15・3654)



この7号歌碑は、志賀中学校の校門脇に建てられている。

「 香椎の入り江に鶴が鳴いて飛んでいく。
志賀の浦では沖に白波が立って、
幾重にも押し寄せているようだ。」 という歌意である。

この歌は天平8年 ( 736年 ) の遣新羅使一行の一人が、
途中筑紫に滞在しているときに、故郷のことを思い悲しみ、
これからの旅程に苦悩して詠んだものである。




福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 沖つ鳥 鴨とふ船は ・・・ 」

2016-11-01 07:38:22 | 万葉歌碑















  沖つ鳥 鴨とふ船は也良の埼
        たみて漕ぎ来と聞えこぬかも




 歌意は、神亀 ( じんぎ ) 【 724~729 】 のころ
 太宰府から対馬に糧 ( かて )をおくるよう命じられた
 宗像郡津麿に代わった志賀の荒雄は、
 肥前の国の美祢良久 ( みねらく ) [ 福江島三井楽 ] から
 対馬に向かって船出したが、暴風雨にあって海没した。
 それから八年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。
 また、一説では筑前の国守山上憶良 ( やまのうえのおくら ) の作であるとも
 伝えられている。

 歌詞の鴨というのは荒雄の船の名、也良の崎は能古の島の北端で、
 そのあたりを漕いで来る荒雄生還の吉報を期待する家人 ( いえびと ) の
 せつない心を詠んだ歌である。




福岡市東区志賀島  ・ 万葉歌碑 『 志賀の浦に漁する海人 』  

2016-10-08 04:06:41 | 万葉歌碑















 『 志賀の浦に漁する海人明け来れば
           浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ 』
 




しかのうらに いざりするあま あけくれば
うらみこぐらし かじのおときこゆ

この歌は、万葉集 ( 巻十五・三六六四 ) で、
博多湾の志賀の浦で漁 ( いざり ) をする海人 ( あま ) が、
夜が明けてくると海岸沿いに舟を漕いで家に向かって急いでいるらしい、
櫓の音が聞こえるという意味である。
今の自分たちの境遇を思い、望郷の念を歌っているものである。

阿倍継麻呂 ( あべのつぐまろ ) を大使とする遣新羅使の一行が志賀島の湾奥、
太宰府の外港荒津の筑紫の館 ( 後の鴻臚館 ) に着いた時に詠まれたもので、
作者は不明で 「 詠み人知らず 」 である。
筑紫 ( つくし ) の館 ( たち ) は、外国使節や官人をもてなす施設で、
古代の迎賓館であり、後の平安時代には鴻臚館 ( こうろかん ) と呼ばれた。


遣新羅使 ( けんしらぎし ) は、七世紀から九世紀末にかけて、
日本から新羅 ( 現在の韓国南部 ) に四十数回派遣されたもので、
大阪から筑紫の館経由で、志摩、唐津、壱岐、対馬とたどるが、
志賀の海人、荒津の崎、可也山などが歌に詠まれている。


この歌碑は、志賀島潮見公園の突端にある。


福岡県宗像市  ・  宗像大社 「 ちはやぶる 」

2016-09-11 03:21:44 | 万葉歌碑



宗像大社の本殿手前左奥にある 「 ちはやぶる 」 の歌碑
















鐘崎にある佐屋形山 ( さやがたやま )






万葉集には 「 詠み人知らず 」 が多いが、
その歌に優れたものが多い。
ここにあげる歌も 「 詠み人知らず 」 である。


 『 ちはやぶる金の岬を過ぎぬとも
   我は忘れじ志賀の皇神 』
 



この歌は、波の荒い恐ろしい鐘ノ岬をやっと無事に過ぎたけれど、
海の守護神である志賀の皇神 ( すめかみ ) のことを忘れはしまい。という意味である。

金の岬は、現在の宗像市玄海町の鐘崎の北端に突き出た鐘ノ岬のことで、
その先の地島との間の瀬戸は潮流が激しく暗礁が多く、
航海の難所として知られている。

岬の小高い山を佐屋形山 ( さやがたやま ) といい、
その中腹に織幡神社がある。
この地で武内宿禰 ( すくね ) が赤白二流の旗を織って、
神功皇后に献上したことからこの名が付き、
宗像市では宗像大社についで歴史の古い神社である。

また、志賀の皇神 ( すめかみ ) とは、志賀島にある志賀海神社のことで、
海の守護神である。



福岡県芦屋町 ・  万葉歌碑  「 天霧らひ日方吹くらし水茎の 」

2016-08-29 03:50:37 | 万葉歌碑















この歌は 「 詠み人知らず 」 の歌で、
その中でも優れた歌である。


 『 天霧らひ日方吹くらし水茎の
      岡の水門に波たちわたる 』
 



あまぎらひ ひかたふくらし みずくきの
  おかのみなとに なみたちわたる

この歌は、空一面に曇って東風が吹くらしい、
遠賀川の河口に波が立ってきたという意味である。

遠賀川の河口にある芦屋町が岡の地で、
岡の水門 ( みなと ) は、その河口付近のことである。

芦屋町は、かつては港町として栄えたところで、
河口の芦屋橋から内側は広い入江になっており、
格好の船だまりだったと思われる。

この歌碑は芦屋町山鹿の 「 国民宿舎 ・ マリンテラスあしや 」 の庭内の
展望台にあり、そこから芦屋町が一望できる。
洞山、狩尾岬、夏井ヶ浜、ハマユウ群生地など、
自然が創りだした景観を望むことが出来る場所である。