「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 CBC賞 」 の想い出

2013-06-30 07:22:47 | 競馬・ボート



熊本市内の新市街アーケードにある喫茶 「 CBC 」






今日、中京競馬場でCBC賞が行われるが、
中京の 「 CBC賞 」 といえば、愛知杯ともども師走のレースというイメージがある。
今は距離も千二になっているが、千四の電撃の7ハロンという先入観が強い。
馬もケイスパーコ、オーラミハル、シルバーランドなどの葦毛の快速馬のイメージが付きまとう。

コンクリートの壁から出て来たような馬は、ハナを切って逃げてゆく。
直線半ば、一発二発とムチが飛んで、粘りに粘る。
応援する自分も 「 一緒に走る 」 。そんな気持ちだった。





馬の詩より ・ 「 さよなら 」   リードトリプル

2013-06-30 07:14:26 | 競馬・ボート

 『 さよなら 』    リードトリプル




昭和63年4月28日
翌日の天皇賞で賑わう新聞の片隅に
『 さよなら 』 のコーナーにポツンと小さく
リードトリプルの名前が載っていた
忘れかけていた馬だけに
とぎれとぎれの想い出を
ひとつずつ繫ぎ合わせて
頭のなかで走らせる
今となっては C B C の優勝も
枯れた想い出となって
寂しい気持ちが胸を打つ

本当は
さよならなんてイヤだけど
これで 『 さよなら 』 だ






第22回 CBC賞 優勝馬 リードトリプル
小倉日経オープン ( 1987.7.19 ) にて




沖縄県伊江島  「 伊江島灯台 」

2013-06-30 00:06:07 | 沖縄の灯台

























牧歌的で、のどかな場所に灯台が立っている







米軍施設内なので柵に囲まれ施錠されている








灯台の近くにある米軍施設







空から見た伊江島





灯台表番号 / 7139
ふりがな / いえしまとうだい
標識名称 / 伊江島灯台
所在地 / 沖縄県国頭郡伊江村(伊江島西端)
北緯 / 26-43-33 
東経 / 127-45-02 
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 390カンデラ
光達距離 / 7.5海里
地上~頂部の高さ / 11m 
平均水面上~灯火の高さ / 31m
地上~灯火の高さ / 10.74m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



伊江島灯台は伊江島の西端に位置し、海に近い米軍の演習場の中に設置されている。
そのため間近で見ることは出来ないが、フェンス越しに見ることは可能である。
緑の草原に青い海と白い灯台が絵になって、素晴らしい景観を作り出していた。
そんな灯台業務開始は沖縄返還の昭和47年5月15日である。
灯台の高さは11mで、単閃白光で毎4秒に1閃光の割合で点灯している。


伊江島灯台へのアクセス
伊江島灯台へは、伊江島港から海岸に沿った道を西に進むと、
ニャティヤ洞や寺前ダムの看板がある。そこからさらに西へ進むと家畜センターがあり、
そこから1キロほど西に向かうと米軍の演習場の中に立つ真っ白な灯台が見える。
個人差もあるが、港から自転車で約30分くらいで行けると思う。


福岡県豊前市 ・ 豊前名物 「 宝来軒のラーメン 」

2013-06-30 00:03:18 | ラーメン・うどん・そば














大分県中津発祥の 「 宝来軒 」 のラーメンは美味しい。
豊前店がこの場所に移って10年ほどなるが、以前は宇島駅近くの踏み切りのそばにあった。
小さな店だったが、昼どきになるといつも満員で多くの客で賑わっていた。
玉掛けだったか?土木の講習で3日間ここのラーメンを食べたことがあるが、
毎日続けて食べても飽きない美味しさだった。

店が移動してから寸胴が変わったのか?しばらく味にバラつきがあったが、
最近やっと落ち着いて来たようである。
豚骨にストレートの細麺がマッチして絶妙な味を出している。






沖縄県与那原町  「 聞得大君の墓 ・ 三津武嶽 ( みちんだき )」

2013-06-29 00:14:01 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



「 聞得大君の墓 」 ( 三津武嶽 )































三津武嶽の下にある「 我謝公民館 」











与那原にある 「 沖縄カントリークラブ 」 の南端の丘上、
鉄塔付近の岩下に聞得大君 ( きこえおおぎみ ) の墓がある。

聞得大君が琉球発祥の地、久高島に参詣される途中に強い逆風に遭い、
薩摩の国に漂流し、一命をとりとめることが出来たが、
琉球は日照りが続き、これは最高神女が他国に居る所為だと、神女たちはささやき合った。
君真物のお告げで、薩摩に居るからお迎えせよという。
そこで馬天ヌルを船頭に女ばかりで船を出した。
無事に聞得大君を乗せて帰還するが、
その時、既に彼の地で懐妊しており、王府からの招きを快しとせず、
与那原海岸の御殿山に庵を結んで一生を終えた。

三津武嶽は、聞得大君が死後、葬られたと言われる場所であると遺老説伝の伝わる所で、
「 友盛ノ嶽御イベ 」 ともいわれている。
現在は子宝の神として子宝を望む人のお参りが絶えない。

聞得大君は、NHKの 「 テンペスト 」 の中で高岡早紀が演じているので、
テレビを見た人は大方の人物像が解ると思うが、聞得大君について書いておきたい。


聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、琉球神道における最高神女(ノロ)である。

「聞得」は大君の美称辞で、「君」は「カミ」の意で、従って「大君」は君の最高者という意味であるという説がある。
琉球方言で、チフィウフジンガナシ(聞得大君加那志)と称した。
宗教上の固有名詞となる神名は 「 しませんこ あけしの 」 「 てだしろ 」 である。

聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、
国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。
琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。
ただし祝女の任命権は国王に一任されていた。
また、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管し、首里城内にあった十御嶽の儀式を司った。

就任儀礼

沖縄本島最大の聖地である斎場御嶽において就任の儀式である 「 御新下り 」 が行われた。
「御新下り」の本質は琉球の創造神との契りである聖婚 ( 神婚 ) 儀礼と考えられている。
宗教観念上は、この聖婚により君手摩神の加護を得て、聞得大君としての霊力を身に宿すのである。
就任後は、原則として生涯職である。

由来

琉球王国では、尚真王代に中央集権化と祭政一致が行われた。
この際に各地に存在していた神女をまとめるため神女組織が整備され、
その階位の頂点として新たにこの役職が設けられた。
ちなみにそれまでの琉球王国における祝女の最高位は佐司笠 ( さすかさ / または 「 差笠 」 と表記 )
職と国頭地方由来の阿応理屋恵(あおりやへ / または「煽りやへ」と表記 / 琉球方言読み:オーレー)職であり、
これらは聞得大君職制定のあと、全祝女の中で聞得大君に継ぐ第二位の格付けと降格されている。

その神名 「 しませんこ あけしの 」 は勢理客にあった既存の祝女職と同じであることが判明しており、
聞得大君職の元になった宗教概念が以前から存在したと考えられるが、その詳細については不明な点がある。
また 「 てだしろ ( =太陽の依代 ) 」 はそれまで馬天祝女の神名であったが、
聞得大君職の制定とともに馬天祝女から剥奪された。

盛衰

尚真王の妹である音智殿茂金(神名、月清)が就任したのが最初である。
王国崩壊後もこの役職は存続し、戦時中の1944年に18代、思戸金翁主が就任したのを最後に不詳年に廃職されている。

聞得大君の一覧

初代:月清(生没不明) 就任:尚真王代
二代:梅南(不明 - 1577年) 就任:尚元王代
三代:梅岳(不明 - 1605年) 就任:1577年
四代:月嶺(1584年 - 1653年) 就任:1605年
五代:円心(1617年 - 1677年) 就任:1653年
六代:月心(1645年 - 1703年) 就任:1677年
七代:義雲(1664年 - 1723年) 就任:1703年
八代:坤宏(1680年 - 1765年) 就任:1723年
九代:仁室(1705年 - 1779年) 就任:1766年
十代:寛室(1719年 - 1784年) 就任:1780年
十一代:順成(1721年 - 1789年) 就任:1784年
十二代:徳沢(1762年 - 1795年) 就任:1789年
十三代:法雲(1765年 - 1834年) 就任:1795年
十四代:仙徳(1785年 - 1869年) 就任:1834年
十五代:仲井間翁主(1817年 - 不明) 就任:1870年
十六代:安里翁主(1825年 - 1909年) 就任:明治年間
十七代:安室翁主(1874年 - 1944年) 就任:大正年間
十八代:思戸金翁主(1887年 - 不明) 就任:1944年。戦後廃職

(出典:「歴史・伝説にみる沖縄女性」比嘉朝進著、那覇出版社)



大分県院内の石橋 44 「 景平橋 ( かげひらばし )」

2013-06-29 00:11:11 | 大分の石橋



比較的大きな石が壁石に使われている








下流側から見た景平橋







下流側の上からの眺望






民家の庭より上流側からの眺望








たくさんの石を用いた輪石








左の畦橋に直角に架かっている







「 院内川 」 と書かれた親柱が倒れていた







アスファルトとガードレールで石橋とは思えない








松田新之助の実家には息子で石工の 「 丑男 」 の表札が掛かっている






所在地 /  大分県宇佐市院内町景平 : 院内川
架橋  /  大正13年
石工  /  松田新之助
長さ   /  18.5m   幅   /  2.7m
拱矢  /   4.0m   径間  / 11.3m
環厚  /   50㎝   
単一アーチ


景平橋のある景平は、石工の松田新之助の出身地である。
橋が架かる院内川の右岸にその生家があるが、
対岸の県道に渡るために架けられた橋である。
壁石には粗い大き目の石が使われており、強さを表している。

景平橋へのアクセス
景平橋へは、久地橋から県道27号線を上流に300mほど行った左側になる。
橋の袂には 「 景平橋 」 と 「 畦 橋 」 の案内板が立っている。
駐車は、案内板の近くの道が広くなった場所に駐車した。
※ 畦 橋も10mくらいしか離れていないので同じ場所から行ける。



馬の詩より ・ 「 イエローレイン 」  ハルウララ

2013-06-29 00:07:48 | 馬の詩 ・ それぞれ...

  『 イエローレイン 』    ハルウララ





大観衆が見守るなか
スタートで出遅れて
きゃしゃな馬体は馬群に揉まれ
「 さて これから 」 という時に
悲鳴とともに下がって行った

天才を背に挑んだレースも
惨敗のハルウララ
泥んこの馬体に
泥だらけの勝負服

イエローレイン

春なのに
ハルウララの春遠く
高知の馬場に
砂まじりの雨が降る




平成16年3月22日 高知競馬第10レース
武 豊騎乗のハルウララ 
デビューから通算106連敗


夕べNHKの 「 ドキュメント72h 」 という番組で、
高知競馬に72時間密着していた。
さまざまな思いで競馬場に足を運ぶファン。
そのファンが500人いれば、500人それぞれの想いを背負って走る。
観客の居るスタンドと馬が走るダートコースとは180度景色が違う。

ファンはファンの、馬は馬の、騎手は騎手のドラマがある。



大分県玖珠町 「 戦車 公道をゆく 」

2013-06-28 06:02:43 | 戦闘機 ・ 自衛隊関係



戦車 公道をゆく









































戦車が通った公道の近くにある 「 道の駅・童話の里くす 」














大分自動車道の豊後森インターチェンジ付近の公道を戦車が通過した。
キャタピラー ( 履帯 ) の音はユンボで日ごろ聞きつけているのでさほど違和感はなかったが、
こんな形でお目にかかれるとは思ってもみなかったので、
目の当たりにした時は驚きとその迫力に圧倒されてしまった。

こういった光景になかなか遭遇することがないので、
この遭遇に感謝している。



沖縄県伊江島  「 伊江港南防波堤灯台 」

2013-06-28 06:00:22 | 沖縄の灯台


































灯台表番号 / 7138.5
ふりがな / いえこうみなみぼうはていとうだい
標識名称 / 伊江港南防波堤灯台
所在地 / 沖縄県国頭郡伊江村(伊江港南防波堤外端)
北緯  / 26-42-11
東経  / 127-48-11
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 58カンデラ
光達距離 / 4.5海里
地上~頂部の高さ / 10m
平均水面上~灯火の高さ / 16m
地上~灯火の高さ / 10.1m
業務開始年月日 / 平成1年2月28日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



世界遺産の富士山を飲む?

2013-06-28 05:57:36 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒








世界遺産に登録された富士山。
それに便乗して? 「 富士山麓 」 を買って来た。
このウィスキーは前から知ってはいたが、飲むのは初めてである。

ウィスキーのイメージは、雪が降る寒い日にストーブや暖炉の前で
氷をカランと鳴らしながら飲むイメージがあるのだ。
だから、このジメジメした梅雨の時季にウィスキーは似合わないと思っている。
が、ポイントはあくまでも世界遺産の富士山だから、 ” 良しとしよう ” 。

そんな富士山のある 「 富士御殿場蒸溜所 」 が40周年を迎えた。
そこで造られた奥深い味わいと豊かな樽熟香のウィスキーが 「 富士山麓 」 である。




沖縄県阿嘉島   「 積グスク ( チングスク ) 」

2013-06-27 05:56:16 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



積 ( セキ ) グスクの全景









三角形のピラミッド型した積グスク







天城展望台からの眺望







タキバル展望台から見たサクバル岩礁群







スナシル(砂白)から積グスク方面を望む








深い海を避けるために岩壁を登らなければならない








緑に見える部分はこのようなブッシュになっている







荒々しい岩で出来たグスク周辺







積み重ねたような岩が自然の要塞を造る







途中にあるグスクと島の間の平場







積グスクがある佐久原の岩礁群の遠望




積グスクは、地元ではチングスクと呼ばれている。
そんな積グスクは阿嘉島の南西、砂白(スナシル)の南に隣接する岩瀬の群れなす中央部に位置し、
比較的大きな岩瀬の上に築かれたグスクである。

グスクの築かれた岩瀬に行くには、スナシルの高い岩瀬を越えてリーフ内を歩いて渡らなければならない。
従って干潮時を十分考慮して行かなければ途中で引き返せなくなる危険性も出て来るからである。
グスクの立地する岩瀬は三角形状をなし、標高45mを頂部として北西に向かって傾斜をなしている。
グスクはこの傾斜を削って平らにした4つの平場を有し、その最高所に位置するのが主郭である。
主郭の下には三段の小さな平場がひな段状に続いている。
自然の石を加工しないでそのまま使用した石垣が断崖にとりまいている。


積グスクへのアクセス
積グスクへは、阿嘉港から天城展望台方面に進み、
展望台の手前から左に下りて行き、
浜に出たらそのままスナシルの断崖を登らなければならない。
くれぐれも潮の満ち干きを考えて行動しなければ危険を伴うので、
十分に注意しなければならない。



大分県院内の石橋 43 「 宮の瀬橋 」

2013-06-27 05:51:28 | 大分の石橋



木々の間から覗くアーチ








アーチ頂部の要石付近







輪石には大きな石が使われている







不揃いな壁石に比べきれいに揃った輪石







草に覆われた橋の通路部







深い谷と淵に架かる宮の瀬橋





所在地 /  大分県宇佐市院内町斉藤 : 院内川
架橋  /  明治40年
石工  /  不明
長さ   /  20.9m   幅   /  2.1m
拱矢  /   3.0m   径間  / 11.0m
環厚  /   65㎝   
単一アーチ



宮の瀬橋は影平集落の入り口の深い淵に架かる橋で、現在は上流側に新橋が架けられている。
橋は狭く深い谷の狭間に架かっており、両岸の岩場から橋脚が組まれている。
壁石は不揃いな石で積まれているが、輪石はきれいに切り揃えられた大きな石が使われている。
石工は不明だが、松田新之助の生家が近くにあることからその可能性が高いと思われる。

宮の瀬橋へのアクセス
宮の瀬橋へは院内川の中島橋と景平橋の中間にあることから、
県道27号線を景平集落の手前から左に下りて250mほど行った場所に架かっている。
新橋 ( 宮の瀬橋 ) から見る事が出来るが、橋は右岸の竹林の中から川に下りて行くと見れる。
駐車は新橋の手前に広くなった場所があるので、そこに駐車した。



甲子園競輪の想い出

2013-06-26 07:08:14 | 競輪・オートレース



デビュー4戦目に行なわれたオール新人戦の特別選抜戦2着 ( 右 ・白の染め分け帽 )





甲子園競輪に初めて参加したのは、上の写真のデビュー4戦目に行なわれた新人戦であった。
同期生ばかりによる新人戦だが、デビュー3戦目の広島で行なわれた新人戦では逃げて優勝2着となり、
自信を持っての参戦であった。
参加選手上位9名によって争われた初日の特別選抜戦。
この日も先頭で風を切って逃げたが、卒業記念レースを優勝したチャンピオンHに捲くられた。
だが、後続の選手には抜かせず粘りに粘っての2着だった。
その時のレースのことを書いた新聞の切抜きを今も大事に取ってあるが、
記事を読んでいるとあの時のレースが今も鮮明に甦って来る。

続く2日目の準優勝戦は、中団の内に詰まって行き場を失い。
焦って強引に突っ込んで前を行く選手を落車させ、自らも落車する憂き目に遭った。
選手になって初めて落車したのは甲子園競輪場だった。

当時の甲子園と西宮に参加する選手の宿舎は西宮市小曾根町の武庫川沿いにあり、
そこからそれぞれの競輪場へバスで移動していたので、
治療が終わって擦過傷だらけの身体に絆創膏と包帯を巻いてバスに乗って宿舎まで帰ったのを
この日のレースのことよりも憶えている。

1年後には、各競輪場で優勝争覇級となって参加していたので、
2度目の参加の時は優勝4着。そして3度目の時は、 「 なんとか逃げ切った 」 と思って下りて来ると、
地元兵庫の先輩が、 「 お前のお蔭で優勝や! 」 と言ってタイヤを差し出したので、
「 あれ~、優勝したんは俺やろ! 」 って思いながら割り切れない気持ちでタイヤを受け取った。
しばらくして写真判定の結果が出て、タイヤ差の際どい勝負でボクが勝っていたので、
バツが悪そうな先輩にタイヤを戻しに行くと、
「 九州のお前が俺ら地元の選手を付けて気持ちよ~行ってくれたからな! 」 と言って、
新聞紙に包んだタイヤを押し返した。
「 それでは 」 ということで頂いたが、優勝した自分が貰うなんて何となく複雑な気持ちだった。


自転車を輪行バッグに詰め、着替えて空港へ向うタクシーを競輪場の通用門で待っていたら、
新聞記者から 「 良い誕生日になりましたね。 」 って言われてハッとした。
「 そうか。今日は俺の誕生日やったんか! 」 って・・・
それで新聞記者に「 レースのことしか考えとらんやったけん 」 と言って、タクシーに乗り込んだ。




沖縄県阿嘉島の 「 慶良間鹿 ( ケラマジカ ) 」

2013-06-26 07:05:12 | 花・鳥・虫・魚・猫



森の入り口でいきなり遭遇した牝の親子鹿








村道を闊歩する牡のケラマジカ





慶良間島や阿嘉島に行くと鹿を目にすることがある。
人間慣れしているのか?カメラを構えてもじっとしてこっちを見て動かない。

ケラマジカは、国内で最南限に棲息する野生ジカであり、日本で唯一の亜熱帯性の有蹄動物でもある。
亜熱帯島嶼型の生態を知る上でも、学術的な価値が高い。
また、クジラ類を除けば、慶良間諸島に分布する唯一の大型哺乳類である。

なお、ケラマジカは“島渡り”、すなわち泳いで慶良間諸島の各島間を移動することが知られており、
実際に泳いでいる姿が目撃されたり、時には泳ぎ疲れて漁船に助けられたりすることもあるという。
島渡りは主に繁殖期に行われる。

また、現在、阿嘉島・慶留間島・外地島の3島は、阿嘉大橋などの道路橋でつながっており、
ケラマジカもその橋を渡って各島間を行き来していることが知られている。

形態的特徴
日本国内に分布するニホンジカの7つの地域亜種の中でも最も小柄で、
雄の成獣で通常30キログラム程度。毛の色も本土系のシカより多少暗色を帯び、
雌や子ジカの背中には黒い筋がある。

頭骨および角は、本土系のシカと比べて著しく小さい。
頭蓋最大長を比較すると、雄でホンシュウジカの82%、雌で89%程度(沖縄県教育委員会, 1996)。
角は雄ジカだけに生え、毎年3月末から4月にかけて抜け落ちる。
角の内側には、顕著なこぶ状突起が見られる。

習性
本来は夜行性で、夜には集落まで降りてくることもあったが、警戒心が強く、人には近づかなかった。
しかし近年、阿嘉島などでは日中も頻繁に浜などに下りてきて、人前に現れるようになっている。
人がかなりの距離まで近づいても逃げない個体も見られ、新たな観光資源となっている。




「 空飛ぶ広報室 」 ブルーインパルスが勇気を与える。

2013-06-26 07:02:08 | 戦闘機 ・ 自衛隊関係

















F-15戦闘機

















23日の日曜日で最終回となった 「 空飛ぶ広報室 」 。
毎週楽しみにしていた番組だったので、これで見れなくなるのかと思うと寂しい。
ブルーインパルスに憧れて航空自衛隊に入隊した主人公の空井 ( 綾野 剛 ) 。
彼は交通事故でパイロットの夢を絶たれたが、それでもブルーへの想いは人一倍強い。

ブルーインパルスの飛行は自衛官のみならず一般人が見ても、 「 わぁ~っ 」 と思わせるもので、
松島基地周辺の住民がブルーインパルスの帰還を待ち望んだ気持ちがよく判る。
それだけブルーインパルスの飛行は多くの人に勇気を与え、惹き付け魅了するのである。
そして空飛ぶ広報室のエンディングの 「 告白 」 ではないが、
“ 人を後押しする魔力 ” をも持っている気がする。