「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

今宵の 「 十五夜お月さま 」

2012-09-30 21:58:15 | 日記 ・ イベント







今夜は、十五夜 ( 中秋の名月 ) である。
今年はブルームーンや何やらいう月も観たけど、
こうして日々変化して行く月を観るのも楽しいものである。
以前、ピースと早朝4時過ぎに観る月は独り占めしたみたいで、
なんとなく優越感に浸ったものである。

今夜は台風の影響で雲が出ていたのでお月さまが見れないと諦めていたら、
さきほどソフトバンクの試合が終わって外に出ると、
雲の間から真ん丸いお月さまが顔を出していた。
それでパチリと写したわけである。

観れないと思っていたものが観れると得した気分になる。








長崎県長崎市 「 脇岬港北防波堤灯台 」

2012-09-30 09:12:28 | 長崎の灯台
































所在地 / 長崎県長崎市脇岬港北防波堤外端 
塗色  / 赤色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 連成不動単閃赤光 毎5秒に1閃光
実効光度  / 470カンデラ 不動光 35
光達距離 / 閃光7.5海里  不動光 3.5  
頂部までの高さ / 9.56m
平均水面から灯火まの高さ / 12.87m
現用灯器 / LC管制器Ⅱ型   電球 / C-2
設置、点灯および業務開始年月日 / S.39.3.17


脇岬港北防波堤灯台へのアクセスは、
長崎半島の先端にある樺島へ向う入り口の脇岬港の左手にあり、
灯台までは堤防の上を歩いて行ける。



南極観測船「しらせ」が待ち帰った 『 南極の石 』

2012-09-30 09:03:05 | 日記 ・ イベント



南極観測船「しらせ」が待ち帰った 『 南極の石 』



























写真も動画も、南極観測船 「 しらせ 」 が持ち帰った 『 南極の石 』 であるが、
厚い雪に覆われた下にある南極大陸の石である。
一瞬、氷の塊?かと勘違いしてしまいそうな感じだが、
表面がゴツゴツした石であった。
南極の石など、一生に一度触れるかどうかといった貴重な物を触れただけでも
ご利益を頂いたということであろう。




熊本県宇城市 「 内田の眼鏡橋 1 」

2012-09-30 08:34:23 | 熊本の石橋










パイプの奥にわずかな石組みが見える






新しい橋の横に並んで架かっている










所在地 / 熊本県宇城市松橋町内田 竹の下の南
架橋  /  江戸末期~明治時代
石工  /  種山石工と推定される
橋長  /  不明  橋幅 / 不明
径間  /  不明  拱矢 / 不明
単一アーチ


内田には眼鏡橋が二つあり、そのうちの一つがこの橋で、
松橋町では一番大きな石橋である。
橋は県道312号線に並ぶ形で架かっている。
上流側は赤いパイプが平行して設置されているため見えにくく、
おまけに景観を損ねている。
下流側も新しい橋があるため見えにくい。
石橋は輪石がシッカリと組まれており、
昔のままの姿で残っている。


北九州市門司区  ・  南極観測船 「 しらせ 」 の艦内見学

2012-09-29 23:52:23 | 船 ・ フェリー ・ 港


南極観測船 「 しらせ 」


















































































































先週の日曜日に門司港に寄港している南極観測船 「 しらせ 」 の艦内見学に行って来た。
そのとき撮った動画の編集がやっと終わったので掲載に至ったわけである。


「 しらせ 」 は、3ノットで1.7m厚の氷を連続砕氷できる能力を持っている
砕氷艦(自衛艦の一つ)でもあり、乗員もすべて海上自衛官である。
所有は文部科学省の国立極地研究所、所属は横須賀地方隊、母港は横須賀であった。

砕氷艦の特徴である幅のある艦体であり、1本煙突である。
氷海での監視用に、マスト上に見張りポストがある。
貨物積み下ろし用のクレーンを前甲板に2基、後部に2基装備している。
艦体後部にヘリコプター甲板と格納庫を備えたヘリ搭載大型艦で、
第二次越冬隊の「タロとジロの悲劇」を反省して、
輸送用のS-61Aー1 2機と観測用のDHー6D 1機を装備している
(幸運にも、本来の目的でこのヘリコプターが使用されることは最後まで無かった)。

氷海を航行するので通常の艦船にある、
ビルジキール(ローリング(横揺れ)を抑制して安定した航走をするためのフィンで、
船底の両側面に装備する)が装備されていない。
そのため、外洋航行時、特に時化ている時などは、
通常の艦船に比べて揺れが激しくなると言う欠点があり、
乗組員の海上自衛官はまだしも、船慣れしていない観測隊員などは
ひどい船酔いに悩まされることもしばしばだったという。

乗組員居住区と観測隊員居住区は、厨房をはさんで分離されている。
観測隊員居室は基本的に2人部屋で、観測隊長室、同副隊長室は個室である。
このほか、4人部屋のオブザーバー室、研究室、ラジオゾンデ放球室がある。
海賊の襲撃に備えて自動小銃が装備されている。

推進方式は電気推進(ディーゼルエレクトリック)で、
三井造船製ディーゼル機関6台で交流同期発電機を駆動、
サイリスタで交流を直流に整流しつつ出力電圧を制御し
(静止レオナード方式)、富士電機製直流電動機6台を駆動、
軸出力30,000馬力を発生させる。
推進軸は3軸で、各々2台の電動機を直列に接続し、外洋航行時は電動機3台、
砕氷航行時は全6台を使用する。
船内電源は、別置きのディーゼル発電機4台により供給される。

なお、建造費は文部省(現・文部科学省)予算により支出されたが、
設計、契約および運用については防衛庁(現・防衛省)が行っている。
本船の主任務は観測隊員および物資の輸送であるが、
観測機器を搭載し南極での観測活動も行っていた。
これは後の退役後にウェザーニューズが買い取る理由の1つとなった。


毎年11月中旬に、東京港晴海埠頭を出港、
オーストラリア・フリーマントル港で1週間休暇停泊の後、
南半球が真夏に入る12月末には昭和基地に到達する。

1983年(昭和58年)の第25次隊以降 第49次隊まで、
計25回にわたって南極観測の輸送支援を実施し、
この間の行動日数 3803日、総航程 1006562km、
輸送人員 1447人、輸送物資量 約23900tであった。
しらせの場合、氷厚約1.7m以上の氷は一旦 船を200~300m後退させた上で、
最大馬力で前進、氷に体当たりするとともに氷に乗り上げる形で砕氷を行うが、
南極圏におけるこのチャージングは36650回に及んだ。




夕べの宴会

2012-09-29 23:31:08 | 日記 ・ イベント



炭火焼きで食べると一段と美味しい






地鶏の味付け1キロ






刺身の盛り合わせ






カルビ1キロ







ホルモン1キロとミノ500グラム








手羽先1キロ





焼肉はただ焼くだけなので料理の手間が省けて落だが、
夕べは8人と少なかったので準備に時間がかからなかったのでそこは助かったが、
後片付けが大変である。
まぁ、宴会部屋があるのですぐに片付けなくていいからいいけど、
どっちにしても片付けないといけないからな。
5時発進で12時過ぎまで約7時間飲みっぱなしだったので、今朝は二日酔いだった。
夕べは会社の同僚や事務員さんだったが、
競輪選手時代は選手を呼び、議員時代は議員を呼んでよく家で宴会をしたものである。
次回は友達と忘年会だな。




「 ムサシ 」 ワクチン注射で病院へ・・・

2012-09-29 23:18:46 | 柴犬 ムサシとピース



初めての診察に戸惑うムサシ







爪切りをしてもらった






七宝焼きの作品が目を惹く待合室




2ヵ月半を過ぎたし、仕事が休みだったのでムサシを連れて
ワクチンの注射に行って来た。
初めての体験にやや戸惑い気味のムサシだった。

病院に来ていたブリーダーの方に 「 この犬はいい犬になるから甘やかしたらダメだよ 」 と言われたが、
ピースは幼犬の時に県大会で優勝したが、ムサシはそのつもりはないので、
今まで通りに育てたいと思っている。




北九州市門司区  『 バナナの叩き売り発祥の地 』

2012-09-28 15:07:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



『 バナナの叩き売り発祥の地 』






バナナの叩き売り発祥由来の記

昔しを偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基盤と、
九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した。
ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一コマとして、
アセチレンの灯のにぶい光の下で、黄色くうれたバナナを戸板にならべ、
だれとはなしに産まれ伝わる名セリフは大正初期~昭和13、14年頃まで不夜城を呈し、
日本国中の旅行者の目を楽しませた。
バナナの叩き売りの風情は門司港のこの桟橋通り付近を発祥の地と由来せし。

と、説明板に書かれてある。





門司港駅構内にある 「 0哩 」 の起点











バナナの叩き売り(バナナのたたきうり)は、かつて八百屋、露天商、的屋が行う、
独特の口上を述べながら客を引き寄せてバナナを露天で売る手法。
いわゆる啖呵売のひとつとして有名である。
大正時代初期に福岡県北九州市門司区の門司港周辺で行われたのが元祖。
門司港がバナナの叩き売りが有名なのは、
バナナを神戸に運ぶためにその過程で悪くなったバナナをいち早く捌くため。
また、当時、鉄道の九州の玄関口が門司港だった事。
バナナだけでなくて物資を運ぶためには、当時鉄道が主で、
九州の玄関口が門司港だったため。
今でも九州の起点として0哩の塚がある。




番鳥 ( つがいどり )

2012-09-28 14:42:01 | 花・鳥・虫・魚・猫














いつものように庭にキジバトがやって来て
仲良くラティスの上に止まって何やら始め出した。
チューをしているように見えるのは、虫を取ってあげているのだろう。
仲が良いのは、いいことである。

こうした番鳥を見ると、永井龍雲の「恋に逸れて」という唄を思い出す。
渡り鳥から、番鳥になり、そして最後は逸れ鳥になって行く歌詞であるが、
各々のサワリの部分だけを紹介したいと思う。


貴方を追って この街へ来た
親に内緒の二人暮らし
渡り鳥よ 渡り鳥よ ホーホー
思えばこの身が 哀れで

都会暮らしの 寄る辺なさに
些細な優しさも 心に触れた
番鳥よ 番鳥よ ホーホー
夢を咥えて 飛んで行け

街のように 変わる貴方に
ついて行けない 野暮な女
逸れ鳥よ 逸れ鳥よ ホーホー
恋に逸れて 旅立つ



彼氏に “ さよなら ” されたこの唄を聴いて、
そういえば谷山浩子の 「 カントリーガール 」 もそんなだったな~って思ってしまった。
まぁ、男は女を逸れさせないように大きな背中を見せ、
女はそれから逸れないようにちゃんと付いて行く。
別にどげんこげん言わんでも、それでヨカと思う。



エッセイ 『 ツキ 』 より ( 若戸大橋の思い出 )

2012-09-27 21:44:50 | 競馬・ボート



若松競艇場




30代前半まで熊本に住んでいた。
そのころ、地元の 「 熊本日々新聞 」 に3年間に渡ってエッセイを連載したことがある。
新聞に掲載されたエッセイのタイトルは 『 走馬とう 』 というものだったが、
毎回、その内容に応じたものを書いていたような気がする。
この時の題は「 ツキ 」で、ツキがあるとか、ないとかのツキである。
勝負につき物の 「 ツキ 」 について書いたものだったが、
そのサブタイトルは、 ( 見放されると完敗 ) というものだった。
今回は、若戸大橋開通50周年ということで、昔のエッセイを引っ張り出して、
耳カキほどの 「 若戸大橋 」 の部分をムリヤリ持って来たという感じである。
まぁ、長文は読む方もウンザリするだろうから、気が向かない方はパスして下さい。



『 ツキ 』


広島競輪に参加して落車した。
仙骨骨折の疑いでしばらく入院をするはずだったが、病院のベッドが空かず家でじっと寝ていた。
4、5日経ってもベッドが空かないし、家でゴロゴロしていても退屈だから、
ケツ( 尻 ) のあたりに痛みがあったが小倉競馬場に行った。
 この日は朝から雨が降ったり止んだりして、なんだかスッキリしない天気だった。
雨で車の渋滞が気になったが、土曜日なので道が空いていて競馬場へはスンナリと行けたので、
「 今日はツキがあるバイ! 」 って思いながら、ひそかにニヤけた。
 
 競馬場に着いてすぐの6レースと7レースを続けて当てたが、このあとこのツキも一変してしまった。
8レース前にトイレに行ったあと、馬券を買おうと思って窓口に向かう途中にハッと気が付いたら、
右手の傘と左手の予想紙をトイレに忘れて来たのだ。
慌てて取りに戻ると、傘はちゃんと元の場所にあったが、予想紙はなくなっていた。
こうなるとどの馬から買っていいのか分からなくなってしまい、結局オッズを見ていろいろと買ったが、
完全にツキに見放されて完敗だった。
なかでも絶対本命視されている馬がスタートと同時に騎手を振り落としてしまうし、
ふだん起きないようなアクシデントが続いた。
そして何よりも頭に来たのは、自分がトイレに忘れた予想紙が、
この後のレースからすべて的中させていたことが翌日わかったからだ。

 『 よーし、今日は絶対に勝ってやるぞ! 』 と、日曜日もこの予想紙を持って競馬場に行った。
この日は勝った。ムービースターにシスタートウショウで中山記念を。
そして、メジロパーマーとタケノベルベットで阪神大賞典を当てて、前日の負けを取り戻した。

 月曜日は小倉の労災病院に行った帰りにちょっと魔が差して若松ボートに行った。
そして最終3レースを勝負した。
10レースを4号艇から流し、4-1、4-3、4-6と3点買ったら、
6-4が入り、5千円台の配当がついた。 『 そろそろ当たりが来ているぞ! 』と思い、
次のレースは1=5の裏表を買ったら、5-1で入り当たった。
そして、持ち金すべてを最終レースにつぎ込んだ。4から1と5に流して万全で臨んだ。
スタートして1マーク回ったところで、④⑤①で来たので 『 やったーっ! 』 と思った瞬間、
4号艇がエンストしてしまった。これで万事休す。
前日の競馬の儲けも、前レースの儲けもフッ飛んでしまい、
儲けどころか若戸大橋の通行料も無く、家まで残りのガソリンを心配しいしい帰った。
 
 火曜日は 『 今日こそ治療に専念しよう 』 と、柿下温泉に行ったところ閉まっていた。
『 うそやろー 』 と言いながら仕方なく帰っていたら、
飯塚オートの開催を知らせる看板が目に入ったので、そのまま飯塚オートに直行した。
温泉のつもりだったので、わずか5千円しか持ってなかったので、
1レースに4番人気を1点だけ千円買おうと決めていた。
そうすれば最低5レースは遊べると思っていたのに、
先輩の野木雅幸さんとバッタリ会って勝負してしまった。
もちろん結果は負けである。
そして、何よりも悔やまれたのは、4番人気が入ったのに買っていなかったことである。
まぁ、ツキのない時はこんなものなのかもしれないな。


この当時は、「ツキがない!」で済ませていたが、
数年前から馬券や舟券を買わなくなって自分の 「 博才 」 の無さに気付いた。



北九州市若松区 ・ 戸畑区 「 若戸大橋 」 開通50年

2012-09-27 21:02:19 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



「 若戸大橋 」 開通50年















北九州市の若松区と戸畑区の間に入り込む洞海湾の上を結ぶ若戸大橋が開通して
今日で50年を迎える。
毎日のように暴力団の事件が報道される北九州市にとって、
希望の光が見えるニュースである。


若戸大橋がきっかけで、日本の長大橋建設の扉が開いた。
架橋当時は、東洋一の吊り橋と言われて、人気を博していた。

若戸大橋は開通当初2車線で、
戸畑橋台から若松橋台までの区間の車道外側には歩道が設置されており、
歩行者のほか自転車と原動機付き自転車が利用できた。
橋台内部に設置された客用エレベータにより昇降し、車と反対の右側を一方通行した。

橋台上の歩道始点と終点には西鉄バスと
北九州市営バスのバス停(若松橋台バス停、戸畑橋台バス停)が設置され、
若戸大橋を渡る路線バスが停車した。
また、橋台最上部に展望台が設けられ、歩道から階段で登ることができた。

開通当初はすべて有料(原動機付き自転車は車道利用の料金と同額)であったが、
1971年2月1日から歩行者のみ無料となった。
(このとき海門橋、銚子大橋、尾道大橋、音戸大橋、
関門トンネル、天草五橋でも人が無料になった。)。

渋滞対策のため歩道を車道にして4車線化することになり、
1987年5月に歩道は廃止され、客用エレベータと展望台も撤去された。
なお、取り付け道路部分の拡張については、
若松側、戸畑側とも現道の北側に平行して道路を建設し、
4車線化後は現道が下り車線、新道が上り車線となった。

若戸大橋は、子どものころに歩いて渡った記憶があるが、
それ以外は、若松ボートに行くときに頻繁に利用していた。
その様子を書いたエッセイがあるので次ページで紹介したい。




9月27日、今日の 「 ムサシ 」

2012-09-27 20:21:33 | 柴犬 ムサシとピース






最近ムサシは、ボクが仕事に出て行くときに柵に面した網戸から外を見ている。
ピースのときもそうだったが、 “ 後ろ髪を引かれる思い ” である。
仕事から帰って手を洗ってからムサシのところに行くが、
気配を知ると、柵にバンバン飛びついて意思表示をする。
これが可愛くてたまらない。

明日は我が家で宴会をするので忙しいが、
あとの3日はムサシと過ごす時間が増えそうである。





「 日向夏&カルピス 」 のチカラ

2012-09-27 19:58:36 | 日記 ・ イベント







午前中は、側溝を2本入れ替えて、
午後から剥ぎ取りしたアスファルトをユンボでダンプに積み込んで最終処分場まで運んだ。
今日もよく働いた。
朝は 「 今日も仕事か 」 と思うと億劫になったが、
いざ仕事に出ると、バリバリ頑張る。
そして労働の後は 「 今日も仕事をして良かった 」 と思う。
働くことは実に気持ちいいものである。

それにしても暑い日が続く。
真夏ほどのイヤらしい暑さはないものの、
今日も暑くて10時と3時に飲むジュースがおいしかった。

そのとき飲んだのが 「 日向夏&カルピス 」 である。
ドギツクなく、さわやかな喉ごしは労働の疲れを癒してくれる。

初めて飲んでおいしかったので仕事帰りに買って帰ったが、
段取りの都合で明日から月曜まで休みになったので、
“ 労働の後の一本 ” とは行かなくなったが、
毎月一日は御参りなどで忙しいのでボクにとっては好都合だった。







安倍晋三・新総裁

2012-09-26 21:15:03 | ニュース



安倍一族のふるさと山口県。その蓋井島にある神事の看板





今日、自民党の総裁選挙が行なわれ、
元安倍晋三総理が新総裁に選ばれた。
下の詩は、この安倍さんが総理を辞任した時に作った詩である。




『 裏切りと野望 』


国政を舵取りする者の決断である
思案に揺れるのも無理もなかろう

辞めるのはいつでも辞められる
しかし 続けることは困難である
苦しい政局に立たされ
進むも地獄 退くも地獄
政党という大きな流れに乗ってしまえば
その流れに逆行することは許されない

一筋縄では行かないのが政治の世界
あの手この手の策士たち
そこには魔術師もいれば風見鶏もいる
したたかで腹黒い
裏切りと野望の渦巻く世界

二階に上げられハシゴを外された
若き総理の突如の辞任は
全国民をも巻き込んだ
テンヤワンヤの仕舞い劇






熊本県宇城市 ・ 絶品焼肉 『 草 野 』

2012-09-26 19:54:57 | グルメ










店に入ると現役時代勝負をともにしたレーサーが置かれている







オーナーの草野信一さん


































腹いっぱい食べた。旨かった~。また来っけん!





日奈久温泉からの帰り、雨の中を八代の敷川内眼鏡橋を探したが見つけることが出来なかったので、
石橋の探訪を諦めて宿のある松橋に向った。
今回、わざわざ松橋に宿を取ったのには理由がある。
それは前回、天草の灯台を探訪した帰りに 「 草 野 」 に寄ったが、
車の運転があったので、アルコールなしの食事となった。
それで今回は何も気にせず “ トコトン飲みたい ” と思っていたから
草野の近くに宿を取ったわけである。


焼肉 「 草 野 」 のオーナーの草野信一さんは元競輪選手で、
ボクが熊本時代に選手会の幹事とプロを目指す訓練生の主任指導員をしていた時の教え子である。
あの時は、自分も一緒に練習をし、その後にバイクに乗って訓練生たちを誘導したものである。
バイク誘導、1000メートルタイムトライアル、500mフライング、
250mスタンディングなど、とにかく鍛えに鍛えた。
そして学科試験に対応したプリントも配り、次の訓練までに採点をし、
解らないところがあれば訓練後に教えた。

そして家に帰ってからも三人の弟子たちと一緒に8時まで練習をして、
それから風呂に入っていた。
あの当時?、いやいや今でもかもしれないが、
全国の競輪場の中で、一つの競輪場からプロ合格者を10人出したのは初めての快挙だった。
みんなよく付いて来たし、本当に頑張ったと思っている。
指導員はいくら口で良いことを言っても行動がともなわなければダメである。
暑さ、寒さ、雨、雪、風などの自然を自らも訓練生と同じ時間と同じ条件を共有しなければ、
付いて来ないと思っている。
そんな訓練生の中に彼がいたから思わず深い話しになったが、
こうして選手を引退した後も元気で頑張っている姿を見るとうれしいものである。


本末転倒になったが、焼肉 「 草 野 」 は、なんでも美味しい。
絶品焼肉で飲むビールや焼酎は格別だぞ!


熊本県宇城市不知火町御領88-75
0964-32-2914
定休日 : 火曜日