「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県香春町 ・ 万葉歌碑 「 万葉集 巻三 419 手持女王が作る歌 」

2021-07-02 16:04:36 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河内王(かわちのおおきみ)を豊前国(とよのみちのくち)の

鏡の山に葬る時に、手持女王(たもちのみめみこ)が作る歌。

 

石戸(いわと)破(わ)る 手力(たぢから)もがも 手弱(たよわ)き

   女(をみな)にしあれば 術(すべ)の知らなく

 

お墓の石の戸を破り河内王を呼び戻したいが、

か弱い女であるので、その術がありません。

 


福岡県香春町 ・ 万葉歌碑 「 万葉集 巻三 418 手持女王が作る歌 」

2021-06-17 16:36:55 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河内王(かわちのおおきみ)を豊前国(とよのみちのくち)の

鏡の山に葬る時に、手持女王(たもちのみめみこ)が作る歌。

 

豊国の 鏡の山の 石戸(いわと)立て

   隠(こも)りにけらし 待てど来まさず

 

河内王は豊国のお墓に石戸を立ててこもってしまわれた。

いくら待っても、もう帰って来られない。

 


福岡県香春町 ・ 万葉歌碑 「 万葉集 巻三 417 」

2021-05-25 15:25:11 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌碑がある場所から 道の駅・かわら「 わぎへの里 」が見える

 

 

 

 

 

 

万葉歌碑がある場所にはかつて伽藍松があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河内王(かわちのおおきみ)を豊前国(とよのみちのくち)の

鏡の山に葬る時に、手持女王(たもちのみめみこ)が作る歌。

 

王(おおきみ)の親魄逢(むつたまあ)へや 豊国(とよくに)の

   鏡の山を 宮と定むる

 

なつかしいあなたの御心によほど叶ったのだろうか。

あの遠い豊国の鏡の山を墓所と定めなさったのは。

 


福岡県香春町 ・ 万葉歌碑 「 万葉集 巻九 1767 」

2021-05-23 13:28:26 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌碑が境内にある 「 須佐神社 」

 

 

 

 

 

歌碑の道路を隔てた反対側に 「 香春中学校 」 がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抜気大首 (ぬけのおおびと)、筑紫 (つくし)に任(ま)けらえし時に、

豊前の国(とよのみのくち)の娘子紐児(をとめひもこ)を娶(ま)ぎて作る歌。

 

 

豊国(とよくに)の 香春(かはる)は我家(わぎへ)紐の児に

     いつがり居(を)れば 香春(かはる)は我家(わぎへ)

 

愛する紐児が側にいると心が和み、旅の疲労も忘れ、

まるで我家に居るような心地がします。

 


福岡県香春町 ・ 万葉歌碑と呉川眼鏡橋 「 万葉集 巻九 1769 恋の歌 」

2021-05-17 17:15:37 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この万葉歌碑は有形登録文化財になっている石橋

 「 呉川眼鏡橋 」 の横に立っている。

 

抜気大首 (ぬけのおおびと)、筑紫 (つくし)に任(ま)けらえし時に、

豊前の国(とよのみのくち)の娘子紐児(をとめひもこ)を娶(ま)ぎて作る歌。

 

 

斯(か)くのみし恋ひし渡れば たまきはる

     命もわれは惜しけくもなし

 

これだけ恋しく思い続けているので、苦しくてならない。

こんな苦しい想いをするくらいなら私は命も惜しくありません

 


福岡県香春町 ・ 万葉歌碑 「 万葉集 巻九 1768 恋の歌 」

2021-05-08 08:28:41 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抜気大首 (ぬけのおおびと)、筑紫 (つくし)に任(ま)けらえし時に、

豊前の国(とよのみのくち)の娘子紐児(をとめひもこ)を娶(ま)ぎて作る歌。

 

 

石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂にはいでず

     心のうちに 恋ふるこの頃

 

石上神宮の近くにある布留の里の早稲田(神田)ではないが、

穂にも出さず、あなたへの想いは顔色に表さないが、

心の内ではずっと恋焦がれているこの頃です。

 


福岡県香春町 ・ 鏡山 「 万葉歌碑 ・ 詠み人 按作村主益人 」

2021-04-15 06:00:00 | 万葉歌碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梓弓 引き豊国の 鏡山

   見ず久ならば 恋しけむかも

                  按作村主益人

 

毎日見ている豊国の鏡山も久しく見ないでいたら

恋しくなることであろう。

 


福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 志賀の浦にいざりする ・・・ 」

2017-04-28 10:26:41 | 万葉歌碑































   「 志賀の浦にいざりする海人
       家人の待ちこふらむに明しつる魚 」
 
 (巻15・3653)


この8号歌碑は志賀島小学校内に建てられている。
 
天平8年(736)の遣新羅使一行が、途中筑紫に滞在しているときに、
故郷のことを思い悲しんで詠んだもので、
志賀の浦で漁をしている海人は、家族が待っているであろうに、
夜通し漁を行っている。という意味である。

海人は漁が終われば家に帰れるが、
新羅に行かなければならない自分が、
家族に会えるのはいつのことであろうかという嘆きが伝わってくる。



福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 志賀の白水郎 ( あま ) の釣りし ・・・ 」

2017-04-21 10:17:05 | 万葉歌碑
















「 志賀の白水郎 ( あま ) の釣りし燭せるいさり火乃
                 ほのかに妹を見無よしもか裳 」
 (巻12・3170)



この歌碑は志賀島南側の志賀島漁港西側に建てられている。

「 志賀の海人が漁に灯している漁火のように、
ほのかにでも妻を見たい 」 といった意味で、
博多湾内に灯る漁火を見て、耐え難い郷愁の念を詠んだ歌である。
万葉集にはこのほかにも志賀島に暮らす人々の生活を直接・間接に描いた歌がいくつか見られる。



福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 志賀の山いたく・・・ 」 山上憶良

2017-03-28 16:11:56 | 万葉歌碑





























 「 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らが
          よすがの山と見つつ偲はむ 」
 
 (巻16・3862)



この歌碑は、志賀島の北端国民休暇村の南側に広がる
玄界灘を望む丘の上に建てられている。
 
奈良時代に、大宰府が対馬に食料を送る船の舵取りとなった
宗形部津麻呂に代わって出航し、
途中の暴風雨により帰らぬ人となった志賀の荒雄にまつわる歌であり、
荒雄を失った妻子の心の痛みを山上憶良が詠んだとも伝えられる。

志賀の山の木をひどく切ってくれるな。
荒雄ゆかりの山と、見ながら思い出しましょうとの解釈や、
荒雄はきっとかえって来るだろう。
志賀の山の木が切られて様子が変わっていたら、
荒雄は戸惑うに違いないから、ひどく木を伐らないでください、との解釈もある。



福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 志賀の海人は ・・・ 」

2017-02-26 08:26:41 | 万葉歌碑

















 「 志賀の海人は藻刈り塩焼きいとまなみ
            髪梳の小櫛取りも見なくに 」
 
( 巻3・278)


この歌碑は国民休暇村向かい側の海水浴場(下馬ノ浜)に建てられている。
大宰少弐にも任じられた石川少郎の作とされる。

歌意は、志賀の海人は海藻を刈ったり、塩を焼いたりして暇がなく、
髪をすく櫛を手にとって見ることもない。という意味で、
毎日の重労働のために、身なりを整える暇もない志賀の海女を想い、詠んだ歌である。



福岡県朝倉市杷木町 ・ 後撰和歌集 「 秋の田のかりほの・・・ 」  天智天皇

2017-02-24 13:13:13 | 万葉歌碑















秋といえば山や野や田んぼから、野菜や果物がたくさん収穫される。
中でも収穫の秋を最も象徴するものは、金色にたなびく稲穂である。
  
日本の豊穣のイメージは米であった。
マルコポーロの 「 東方見聞録 」 に書かれているように、
たなびく黄金色の稲穂を見て、
” 黄金の国 ZIPANG ” と表現したのである。

一面に稲穂が揺れる秋の田圃の風景は牧歌的で、
フォスターの曲を連想させ、ある種の郷愁をそそるものである。
今回は、そんな秋の風景を思索的に描いた天智天皇の一首を紹介したい。











 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
       我が衣手は露にぬれつつ



秋の田の 仮庵 ( かりほ ) の庵 ( いほ ) の 
                    苫 ( とま ) をあらみ 
    わが衣手 ( ころもで ) は 露にぬれつつ

           天智天皇 ( 1番 )  『 後撰集 』 秋中 ・ 302
  


秋の田圃のほとりにある仮小屋の、
屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、
私の衣の袖は露に濡れていくばかりだ。
 
「 仮庵 ( かりほ ) の庵 ( いお ) 」 とは、
「 かりほ 」 は 「 かりいお 」 が訛まったもので、
農作業のための粗末な仮小屋のことで、
今で言う、 「 見張り小屋 」 みたいな物であろう。

秋の稲の刈り入れの時期には臨時に小屋を立てて、
稲がケモノに荒らされないよう泊まって番をしたりするもので、
「 仮庵の庵 」 は同じ言葉を重ねて語調を整える用法である。

「 苫 ( とま ) をあらみ 」 とは、
「 苫 ( とま ) 」 はスゲやカヤで編んだ菰 ( こも=むしろ ) のことで、
ここの意味は 「 苫の編み目が粗いので 」 となる。

「 衣手 ( ころもで ) 」 とは、
和歌にだけ使われる 「 歌語 ( かご ) 」 で、衣の袖のことで、
「 ぬれつつ 」 とは、
「 つつ 」 は反復・継続の意味の接続助詞で、
ここでは、袖が次第に濡れていくことへの思いを表現している。
 


  天智天皇 ( てんじてんのう 。 626 ~ 671 )
舒明 ( じょめい ) 天皇の皇子で、
即位前の名前は中大兄皇子 ( なかのおおえのおうじ ) 。
藤原鎌足とともに蘇我氏を撃ち、大化改新を成し遂げ、天皇に即位した。

その後、飛鳥から近江に都を移した。
天智天皇は平安時代には、歴代天皇の祖として非常に尊敬されていた。
この歌は元々、万葉集の詠み人知らずの歌であったが、
天智天皇のそういうイメージから、口伝で伝えられるうちに、
天智天皇作とされるようになったと思われる。

この歌碑は 「 恵蘇八幡宮・木の丸公園内 」 に建立されている







恵蘇八幡宮社殿

天智天皇が斉明天皇の喪に服された 「 木の丸殿 」 は、
現社殿付近に営まれたといわれる。


恵蘇八幡宮の由来

昔、郡中33ヵ所 ( 上座郡 ) の総社として栄え、
現在は朝倉町の総社となっている。
応神天皇、斉明天皇、天智天皇を祭神として祀り、
毎年10月15日に御神幸が行われている。

由諸によると、斉明天皇は661年、
百済国救援のため筑紫の朝倉橘広庭宮 ( 朝倉町大字須川 ) に下られた。
この時随行の中大兄皇子 ( 後の天智天皇 ) は国家安泰と戦勝祈願のため、
宇佐神宮 ( 大分県 ) に奉幣使を遣わされた。
使の一行が恵蘇山麓に達した時、天上から白幡が降り、
幡に八幡大神の文字が浮かび出たことから、天孫八幡なる宮社が創建された。
その後、天武天皇白凰元年 ( 673 ) に斉明天皇・天智天皇を合祀し、
この頃社名を恵蘇八幡宮に定めたといわれている。
現在の本殿は安永元年秋9月 ( 1772 ) の改築である。


≪ 恵蘇八幡宮・木の丸公園説明より ≫

福岡市東区志賀島 ・ 万葉歌碑 「 志賀のあまの塩やく ・・・ 」

2017-02-17 13:45:11 | 万葉歌碑
















 「 志賀のあまの塩やく煙風をいたみ
         立ちは昇らず山にたなびく 」
  
(巻7・1246)


この第6号歌碑は、志賀島西部叶の浜、蒙古塚より道路を隔てた海側に建てられている。

歌意は、 「 志賀の海人の藻塩を焼く煙は、風が強いので
立ち昇らずに山にたなびいている。 」 という意味である。
当時の製塩作業の一部を詠んだもので、生活の一端が活写されている。




福岡市東区 ・ 万葉歌碑と荒雄の碑 「 大船に小舟ひきそへ・・・ 」

2017-02-08 12:57:14 | 万葉歌碑






















大船に小舟 ( をぶね )
   引き添へ潜 ( かづ ) くとも
     志賀の荒雄に潜き逢はめやも



この碑は休暇村の正面玄関の昇り口に向かって
左手の小高い所にある五号碑と荒雄の碑です。


歌意は、「 大船に小舟をそえて、海中に潜って捜しても
志賀の荒雄に逢えようか、もう逢えないのだろうな 」 というような、
半ば諦めた失意の歌である。



福岡県筑前町 ・ 万葉歌碑 「 君がため・・・ 」  大伴旅人

2017-01-08 15:38:05 | 万葉歌碑














 君がため 醸みし待酒 
    安の野に 
      ひとりや 飲まむ 
          友なしにして



万葉の歌人・大伴旅人がこの地 ( 安野 ) で詠んだという歌で、
当時大宰府の長官であった旅人が、
友人の丹比県守 ( たぢひのあがたもり ) への餞別として歌ったもので、
丹比県守は、太宰大弐 ( だざいのだいに ) で天平元 ( 729 ) 年に
民部卿 ( たみぶのきょう ) として帰って行ったので、
この時に歌ったものだと言われている。

歌意は、 「 あなたとともに酌み交わそうと思って造った酒を、
わたしは夜須野でひとりぼっちで飲んでいる。友もいなくて・・・ 」



住所  / 福岡県筑前町篠隈339-1