「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

ネジバナ と ききょうの花

2012-06-30 22:05:29 | 花・鳥・虫・魚・猫













ネジバナ  
ラン科 スピランテ属
原産地 : アジア、オーストラリア

属名のスピランテスはギリシャ語の Spira ( らせん ) と anthos ( 花 )に由来している。
ちなみに花コトバは、“ もだえる心 ” だそうである。




















ききょう
キキョウ科 プラティコドン属
原産地 : 日本、朝鮮半島、中国東北部

属名のプラティコドンは、ギリシャ語の Platys ( 広い ) と
Kodon ( 鐘 ) に由来し、花の形状による。

ききょうの花コトバは、 “ 清楚な美しさ ” だそうである。











昨日のジャカランダではないが、
ききょうの花の青紫は好きな色である。
そんな 「 ききょうの花 」 といえば、必ず思い出す歌がある。
それは、山崎ハコが唄う 「 ききょうの花 」 である。


彼女の歌に興味を持ったのは、「 望郷 」 からである。
当時、競輪学校に入校中にトランジスタラジオで聴いた「 望郷 」 に
ひどく心を揺れ動かされた。
それは、同じ九州だったことも、
彼女の出身の日田に練習でよく行っていたこともあるが、
何よりも心に強く感じ動かしたのは、望郷の歌詞であった。
彼女の唄を聴きながら自分の頭の中で、
日田の風景と自分の生まれた故郷が重ね合わせたものだった。



沖縄県嘉手納町  「 野国総管 ( のぐにそうかん ) の墓 」

2012-06-30 21:45:38 | 沖縄の文化財








野国総官の墓
The Tomb of Noguni Soukan

( 県指定史跡 )

Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和31 ( 1956 ) 年2月22日 
Designaed Date : February 22,1956
所在地 : 沖縄県中頭郡嘉手納町 兼久下原
Location : Kanekusimobaru,Kadena-cho,Nakagami-gun,Okinawa-ken



 沖縄に初めてさつまいもをもたらした野国総管の墓で、
海岸近くの琉球石灰岩中にある洞穴を利用してつくられている。
最初は洞穴をそのまま利用していたが、
1700年に石壇と石厨子がつくられて遺骸を移したという。
 野国総管は進貢船の総管 ( 天妃を祀る役目 ) として
中国 ( 当時は明 ) の閩 ( 福建省 ) から、
1605年にさつまいもの苗を鉢植えにして持ち帰り、
自分の故郷の北谷間切、野国に植えた。
その後、小録間切、儀間村の儀間真常によって、さつまいもは沖縄中に広められた。

 
The tomb of Noguni-Soukan who introduced sweet potato to Okinawa is in a cave
made of Ryukyuan limestone.
The tomb was remodeled by adding a stone platform and a miniature sanctuary.
Noguni-Soukan ( "Soukan” means a mission of Shinko-sen, a tribute ship to China )
brought sweet potato plants from the
province of Fukken in China ( the Ming at that time ) to Okinawa in 1605.
After that, sweet potato was distributed throughout Okinawa by Shinjyo Gima from Gima, Oroku.



最初に沖縄に芋をもたらした野国総管

2012-06-30 21:31:50 | 沖縄








野国総管は、17世紀初頭,中国から初めて甘藷を琉球にもたらした人物で、
蕃薯大主 ( 大恩人 ) と尊称されている。
野国は出身村 ( 沖縄県中頭郡嘉手納町野国 ) の村名。
総管は中国に向かう貢船の乗組員の一役職名。姓名,経歴は不明。
尚寧17 ( 1605 ) 年,総管は甘藷を鉢植えにして中国から持ち帰り、
儀間真常に請われて甘藷の苗を分け与え、栽培繁殖の方法を伝授した。
その後数年を経て飢饉の発生をみたとき、甘藷が主穀の補いとして大いに役立ち、
やがて甘藷栽培が沖縄全域に普及した。
尚敬39 ( 1751 ) 年総管の墓所 ( 嘉手納町兼久 ) の一隅に
「 総管野国由来記 」 の碑が建立された。







熊本城 「 本丸御殿 」 丸呑み?

2012-06-30 21:13:40 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒

















今日は少し雨に降られたが、
昨日残った型枠を入れて、生コンを打った。
そして今日の仕事は午前中で終了した。
基礎コンだったが、なるべくならば夕方まで雨が降らないでほしかったので助かった。

午後から競馬やオートレース。
それにソフトバンクの試合を観ながらゴロゴロしていたが、
その半分は眠っていた。

今日、 「 本丸御殿 」 という焼酎を飲んだ。
25度の米焼酎だったので、やや物足りなさはあったが、
飲みやい焼酎だった。

熊本城 「 本丸御殿 」 は、熊本県玉名郡和水町西吉地にある
創業明治35年の 「 花の香酒造 」 さんの製造である。







長崎県小浜温泉  ・  青紫の妖精 『 ジャカランダ 』

2012-06-29 22:40:47 | 花・鳥・虫・魚・猫













































バスハイクで行った長崎の小浜温泉に咲いていたジャカランダである。
初めて見た花であったが、それは 「 青紫の妖精 」 を思わせた。
個人的に青紫が好きなのである。

ジャカランダは、ホウオウボクとカエンボクと並んで世界三大花木と呼ばれている。

小浜温泉のジャカランダは、昭和40年代にエチオピアの男性から
「 島原半島全体にジャカランダの花を咲かせて 」 という願いから始まったと言われている。
温泉の湧き立つ地熱の高い場所に植えられているが、
今年はイマイチだったようである。


ジャカランダは、ノウゼンカズラ科ジャカランダ属の総称。
低木または高木で熱帯アメリカに約50種分布する。
J. acutifolia Humb. et Bonpl.はペルー原産で高さ約3メートル。
葉は対生し、シダ状の2回羽状複葉で美しく、
小葉は線状披針(ひしん)形で小羽片に5、6対つく。
枝端に円錐(えんすい)花序をつくり、鐘形の青色花を開く。
花期は、沖縄では5月。
よく混同されるJ. mimosifolia D. Donはアルゼンチン原産で高さ15メートル以上に達し、
早春に落葉。小葉は長楕円(ちょうだえん)状扁菱(へんりょう)形で毛があり、
小羽片に12対以上ある。
熱帯、亜熱帯の庭木または街路樹として広く植えられ、
沖縄では野外で育つが、東京では温室で栽培する。


そういえば、ハンドルネームに 「 jacaranda 」 の名前をつけた方がいる。
花の名前から取ったものだそうである。




熊本県上天草市 「 大道港 ( おおどうこう ) 東防波堤灯台 」

2012-06-29 22:12:31 | 熊本の灯台










































大道港東防波堤灯台は、赤色・塔形のコンクリート造の灯台で、
頂部までの高さが8.46m。平均水面から灯火までの高さが11.69mとなっている。
灯質は等明暗赤光で、明2秒暗2秒の等間隔で点滅している。
光達距離は8.5海里で、現用灯器はLC管制器Ⅱ型を使用している。
灯台の初点は、昭和48年3月27日になっている。


大道港東防波堤灯台へのアクセスは、
天草上島側から国道266号線を北上し、棚底を過ぎてから、
2つ目のトンネルを抜けると左側に脇道があり、
その道を入って行くと大道小学校がある。
その道を港に向って行くと右手の堤防に灯台が立っている。
灯台へは、防波堤の上を歩いて行ける。
駐車は港の空き地に駐車した。

( 熊本県上天草市龍ヶ岳町大道 )




佐賀県相知町  「 見帰りの滝に咲くアジサイ 」

2012-06-28 22:34:54 | 花・鳥・虫・魚・猫








































































見帰りの滝 」 の周辺に咲くアジサイたちであるが、
動画や写真ではなく、実際に自然に抱かれて観ると
もっと感動すると思う。






阿蘇下田城ふれあい温泉駅の 「 縁結びの石 」

2012-06-28 22:00:26 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



阿蘇下田城ふれあい温泉駅








駅の線路わきにある 「 縁結びの石 」
























駅からは、 「 牧歌的な景色 」 が楽しめる






八坂神社の石橋を撮ったあとに、
長陽にある石橋の探訪の途中で立ち寄ったのが、
「 阿蘇下田城ふれあい温泉駅 」 という、
長たらしいベロを噛みそうな名前の駅だが、
お城マニアが見たら泣いて喜びそうな駅である。
そうそう、お城といえば、旧・方城町役場のようなお城の形をしていたな。

おっ!お城の話ではなく、縁結び石の話だった。
この縁結びの石と男性を表している石灯籠は、
平成11年12月に閉館した阿蘇観光ホテルからこちらへ移設されたもので、
同ホテルに古くから伝えられた縁結びの石には、
「 石の両側にあいた穴の中で男女が固く手を結びあうとその二人は必ず結ばれる 」
という言い伝えがあるそうです。

恋が成就するかどうかは解らないが、
二人してこの場所に来ること自体可能性が高いのではないだろうか?
なにより二人で共有した時間と景色は財産だと思うし、
阿蘇外輪山と牧歌的な景色を見ると素直な気持ちになれるのがもっといい!








佐賀県有田町 ・ 焼酎ワンカップ 「 さがんもん 」

2012-06-28 21:33:04 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒















今日は天気が良かったので現場に出たが、
午前中に鉄筋を加工して組んで、3時から生コンを打った。
暑さとキツさでヘロヘロになった。
こんな日はビールが旨い。
そしてビールの後に有田で買った絵柄のついたワンカップを飲んだ。
中味は清酒 ( 日本酒 ) ではなく、麦焼酎 ( のんのこ黒 ) であった。
飲んだ後に色んな用途で使えるので 「 梅 」 の絵柄を買ったが、
ワンカップは清酒のイメージが強くて焼酎を飲んでいるのに、
なんだか清酒を飲んでいるような気持ちになった。

アルコール分15%ということもあり、ストレートでグイ飲みだが、
焼酎はグラスで氷を鳴らして飲むに限るかな?

ちなみに値段は840円くらいだったような気がしたが、
有田焼ならば、安いと思う。




佐賀県唐津市相知町   『 見帰りの滝 』

2012-06-27 22:25:53 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣










あじさいをバックに見る 「 見帰りの滝 」







左 ( 女滝 ) 右 ( 男滝 ) が交わる滝壺








谷に架かる 「 あじさい橋 」
















滝の入り口の店 「 清流荘 」












昨日、バスハイクで佐賀県相知町にある 『 見帰りの滝 』などに行って来た。
日ごろマイカーなのでバスに乗ることはないが、
バスに乗ったといえば、沖縄で那覇から北谷までバスに乗ったくらいである。

バスハイクというのは、自分で運転しないので楽でいいが、
もっと見たい場所とそうでない場所があるので、
その限られた時間とエリアの中で旅を満喫するのも自身の業であろう。
今回のバスハイクは初めてであったが、
最初にしては時間を有意義に使えたと思っている。


昨日、滝の下を谷に沿った遊歩道の最後に川を渡らなければならない。
そのとき画家と詩人の方に出会って、
5分足らずであったが、話しながら山を下りた。
どちらも感じの良い方だった。

今は、絵筆も持たなければ詩も書かないが、
それでもいつかは、お互いの作品をコラボできれば?と思っている。
まぁ、それもボクに創作の意欲があればのことだが・・・


本末転倒になったので、本題に戻って 「 見帰りの滝 」 について書こう。

「 見帰りの滝 」 は国道203号線の旧・相知町役場前から
北西の山の方向に約4キロ行ったところにある。
「 見帰りの滝 」 または 「 見返りの滝 」 と言われており、
落差100mで佐賀県内最大の滝で日本の滝百選に選ばれている名爆である。
水の流れの大きい右側を男滝、水量の少ない左側を女滝と言う。

 この滝の背後には作礼山があり、昔は作礼岳といい修験道の霊山であった。
この滝も山伏修行の道場であり多くの山伏達が修行をしていた場所で、
今も滝のそばに小さな 「 滝の観音 」 があり、子宝や眼病等にご利益が厚いと言われている。
 滝の周辺は吊り橋 ( あじさい橋 ) や遊歩道が整備されており、
川岸には遊歩道があるので、下流まで渓流沿いを散策できる。
滝の周辺には川魚料理を食べさせてくれる店や2軒の旅館もある。

 また、この「見帰りの滝」はあじさいの名所としても有名であり、
6月上旬から7月上旬にかけて色とりどりのあじさいが咲き誇ります。
今年のあじさい祭りの期間 ( 6月9日~7月1日 ) には交通規制がされ、
滝手前約1キロから車の進入は禁止となり、
そこから滝近くまでシャトルバスが発着している。
( 期間中美化協力金として200円徴収される )

「 あじさい 」 については、動画と画像で紹介したいと思っているので、お楽しみに・・・





熊本県天草市 「 与一ヶ浦 ( よいちがうら ) 防波堤灯台 」

2012-06-27 22:10:25 | 熊本の灯台








与一ヶ浦防波堤灯台は、御所浦島の手前に浮かぶ横浦島に立つ灯台で、
白色塔形のコンクリート造である。
頂部までの高さが9.55mで、平均水面から灯火までの高さが13.48mとなっている。
灯質は単明暗緑光で、明3秒暗1秒の間隔で点滅している。
光達距離は8.5海里。現用灯器はLC管制器Ⅰ型を使用。
灯台の初点は、昭和41年3月3日となっている。


与一ヶ浦港防波堤灯台ヘのアクセスは、
灯台が横浦島にあるため、実際に島に渡るのが一番だろうが、
時間的な問題もあって、対岸の唐網代鼻灯台がある場所からの遠望となった。
写真は400mmのレンズで撮ったものだが、機会があれば一度は渡ってみたい島である。

( 熊本県天草市御所浦町横浦島港 )

熊本県南阿蘇村 「 八坂神社前橋 」

2012-06-25 21:58:52 | 熊本の石橋






























小池水源から次に向ったのが、八坂神社前橋である。
この神社を教えてもらったのは、地元のイチゴ農家の方だった。
教えてもらったお礼にイチゴを2パック買った。
小粒だったが、美味しかった。



架橋  /  不明
石工  /  不明
長さ   /  約4.8m   幅   /  約2.4m
拱矢  /   不明  径間  /   不明
単一アーチ



八坂神社前石橋は、参拝者のために架けられた参道橋である。
橋自体は小さな橋だが、きれいな半円を描くアーチは素晴らしく、
神社を取り囲むように立つ鎮守の森に溶け込んでいる。
欄干は新しく設置されたものと推測され、
架橋年や石工は不明だが石橋本体は古く感じた。

( 熊本県阿蘇郡南阿蘇村 祇園 )

熊本県上天草市 「 松ヶ鼻麦瀬 ( まつがはな むぎせ ) 照射灯 」

2012-06-25 21:30:06 | 熊本の灯台

















照射灯の沖に標柱が見える



























照射灯が照らす麦瀬にある標柱







松ヶ鼻由来の碑











松ヶ鼻麦瀬照射灯は、白色塔形のコンクリート造の照射灯で、
頂部までの高さが10.5m、平均水面から灯火までの高さは14.74mとなっている。
灯質は不動白光で照射灯は松ヶ鼻の南方約180mの麦瀬上の標柱 ( 黒色柱形 )
平均水面からの高さ3.9mを照らす。
現用灯器はLMー30を使用。
初点は昭和60年3月18日となっている。


「 松ヶ鼻 」 の由来


 壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人で「蔵人行綱」という武将が、
薩摩から牛深の深海へと落ち延び、
後に、「蔵人神社」として祀られている。
 一方、妙齢で美人の 「 松より姫 」 というお方が、
行綱の後を追ってこの岬にたどり着いた。
時は晩秋も暮れ。南西の方角、愛する人の待つ深海の方に、
まさに沈まんとする深紅の夕陽を見つめ、
姫の想いは募るばかりであった。
しかし、旅の疲れからか姫は病に倒れ無念の死を遂げてしまった。

 しばらく時を経て、一隻の大きな帆船がこの岬に接岸した。
船には男衆に交じり一人の娘が乗っていた。
その娘が古木の根元近くを指差した場所を男たちが掘ってみると、一体の屍が現れた。
 船頭の話によれば、蔵人神社を毎日清めているこの娘の夢枕に行綱が現れ、
「 最愛の人が大道というところに眠っているので、わしと一緒に祀ってくれぬか 」 と頼んだという。
 それで、松より姫の遺骨は、娘たちの手によって深海の蔵人神社に納められたという。

 死してなお二人の想いは絶えることなく、深い絆で結ばれていたのである。
この岬に立ち、夕陽が沈む深海の方角に向って愛する人を想えば、
その願いが叶えられるとも言われている。
松より姫の最期となったこの岬は、その後「松ヶ鼻」と呼ばれ、今に至っている。


松ヶ鼻へのアクセス
国道266号線沿いの大道中学校と上天草総合病院の中間にある峠付近が 「 松ヶ鼻 」 になる。

( 熊本県上天草市龍ヶ岳町松ヶ鼻 )



思い出の宝塚記念  イナリワン

2012-06-24 13:35:11 | 競馬・ボート









『 風雲児 』  イナリワン




ドタドタッと
芝を蹴り上げ
はやる気持ちを抑えつつ
かかるハミも巧くかわして
上手に上手に操作する

気まぐれどころか
荒々しいまでの暴れん坊を
フワリ フワフワと
手の内入れて
120パーセントの
力を引き出す
豊の綱にあやつられ
淀に続き仁川でも
緑に輝く
イナリワン





第30回 宝塚記念 ( 1989年 ) より


第30回の宝塚記念の1番人気はヤエノムテキだった。
イナリワンは、ハイセイコー、カツアールといった歴代の優勝馬と同じ
地方競馬 ( 大井 ) からの上がりの馬だけに
春の天皇賞がフロックではないかと、注目されたレースだった。

この馬の荒々しい気性を御する鞍上の手腕が勝負を左右すると予測されたが、
心配とは裏腹に、それを上手く手の内に入れて勝利へと導いたのは鞍上の武豊であった。

イナリワンのように気性的に燃えやすい馬はスピードがあり、爆発力で勝負する脚質である。
その反対に我慢強い馬はスタミナがあり、粘りで勝負する脚質がある。
これらの馬の長所を最大限に引き出すには、
無駄な脚力や体力を消耗させないために、鞍上鞍下がケンカをしないことである。
そして馬の機嫌を損なわないように 「 なだめ 」 気分よく走らせる。
騎手は馬に話しかけ、馬は騎手の言葉を聞きながら、
お互いの気持ちを理解して走ることだ。

そして勝負どころの4コーナーを回る時に、
どれくらい脚力が残っているか。どのくらい脚力を残させたか。で、
ほぼ勝負が決まって来る。
もちろん馬の持っている潜在能力にもよるが、
同レベルの馬ならば、脚力も体力も在る時に倹約した方に分がある。

レース展開やペースにもよるが、これは僕らのやっていた競輪も同じである。







熊本県南阿蘇村   「 小池水源 」

2012-06-24 13:07:34 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣










































吉田城跡の次に向ったのが小池水源である。

南阿蘇村に10ヵ所ある湧水池のひとつである 「 小池水源 」は、
毎分13トンの水が湧く。
透き通った透明感のある湧水は、心地良さを感じさせ、
「 水割りにしたらおいしいだろうな 」 と思わせた。