「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県竹田市 「 音無井路十二号分水 ( 円形分水 ) 」

2013-02-28 06:16:49 | 近代化産業遺産・土木遺産














所在地  /  大分県竹田市大字九重野百木
竣工   /  1934年 ( 昭和9年 )
■  Cランク近代土木遺産


 ゆるやかな傾斜地の頂上部に水を引くことで、
この地を豊かな水田にすることは江戸時代初期から計画されていた。
しかし、急峻な山地に隧道を掘ることは容易ではなく、
1715年に始まった井路工事では工事中断の憂き目に遭い、
岡藩の家臣・須賀勘助は責任を負って切腹している。

 明治9年に藩士であった井上藤蔵と宮砥村に住んでいた熊谷桃三郎は勘助の意志を引き継ぎ、
計画を練り直して開削工事に着手する。
しかし工事は困難を極め、藤蔵は破産してこの地を追われる。
残った桃三郎と地元の力で遂に完成したのが音無井路である。
しかし通水すると同時に今度は新たな悩みが生じた。
それは幹線水路への導水量をめぐって争いが絶えず、お互いに反目する日々が続いた。
そこで水を平等に分配するための施設として円形分水が作られたということである。

昭和9年に完成し、昭和59年の改修を経て今も地元の人々に貢献している。


音無井路十二号分水へのアクセス
音無井路十二号分水へは、白水堰堤の宮砥集落を過ぎて、
そのまま10分ほど走り、田原交差点を右折して約1キロほど行って橋を渡って
すぐに左へ入った上りの突き当たりの右下にある。
駐車場は突き当たりの広場に駐車場(無料)がある。



沖縄県宮古島   「 大川 ( ウプカー ) 」

2013-02-28 06:15:05 | 離島めぐり



キレイな円形をした井泉( ガー )








道路に面した場所に建つ大川の碑













家畜が飲みやすいように井泉までスロープになっている







水は一番奥に少しだけ溜まっていた





川のない宮古島では雨は地下水として海へ流れ出すが、
天然の湧き水として湧き出ているところが何カ所かあり、
それらは「ガー」と呼ばれて、古くから地域住民の生活に溶け込んでいた。
これらのガーは島民用として使用されていたものであるが、
大川(ウプガー)は他のガーと違い、家畜用の井泉である。






大和井は1720年頃に作られたといわれ、宮古島の井戸の中で最も手を凝らしたものです。
薩摩藩の役人などが使用し庶民は使えなかったことからこの名がついたと言われています。







大和井の手前左側にあるプトゥラガー






山口県下関市  「 アベノミックス饅頭 ( 晋ちゃんまんじゅう ) 」

2013-02-28 06:12:56 | パン ・ ケーキ ・ お菓子













「 アベノミックス 」 今、流行語になりつつあるコトバである。
そのロゴが入った晋ちゃんまんじゅう。
サスガというか、商品にする速さに驚きである。

これは、日曜日に山口に行っていた息子が買って帰ったもので、
息子は晋之介なので、晋ちゃんまんじゅうは、“ 同じ晋ちゃん ” である。

以前、麻生太郎が総理大臣になった時に、
出身地の飯塚で 「 太郎まんじゅう 」 が売られてあったが、
最近は飯塚オートに行っていないので、
その太郎まんじゅうが今もあるかどうかは分からない。

何はともあれ、この晋ちゃんまんじゅうが姿を消さないように
短期で総理が代わる事がないようにシッカリとやってもらいたい。




沖縄県多良間島 ・ 平敷屋朝敏とその一族の 「 里之子墓 」

2013-02-27 06:14:13 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



平敷屋朝敏とその一族の 「 里之子墓 」

































里之子墓は、平敷屋朝敏とその子孫の墓で、朝敏の長男、朝良が建立したという。

朝敏は、1700年首里に生まれた和文学者で、
尚 真王の嫡子・尚 維衡 ( 浦添王子朝満 ) の子孫である。
組踊りの「手水の縁」などの作者として知られるが、
尚敬王の時、三司官、察温(具志頭親方文若)一派を批判した文書を
琉球政務の監督者であった薩摩藩吏、川西平左衛門の館に投書したため、
1734年(亨保19年)6月26日、友寄安乗ら15名とともに安謝港で磔の刑に処された。
この多良間島に墓があるのは、朝敏が捕らえられてから処刑されるまで、
この島に流刑になっていたからという。

多良間島は、宮古島と石垣島のほぼ中間に位置し同島と水納島からなる。
同島は東西約八キロメートルで、南北約六キロメートルのほぼだ円形をなし、
標高三三メートルの最高地が島の北側にあり、南にゆるく傾斜する低平な島である。
多良間村誌によると、平敷屋朝敏が安謝港で死刑された事件は、史上有名であるが、
この時、妻と娘は宮城島に流され、
長男の朝良は宮古の水納島に、次男の朝助は多良間島に流刑された。
多良間に流された次男は幼少であったので親戚に養育され、
後に多良間島に流刑された。
その後、水納島から多良間島に移った長男が引き取って共に暮らすようになったが、
朝良は31歳で妻子もないまま死去した。

一方、次男の朝助は、ナカット(嵩原家)の女を嫁にとって一家を立て、
その長男のまからーはマクルヤー(饒平名家)の元祖となった。
次男のじらーはヤマトヤー(平安名家)を立て、長女はウルカヤー(石原家)に嫁いだ。
マクルヤーの分家にはマイッヤー(謝敷屋)、アガリダト(垣花家)がある。
この一門は墓も朝良を葬ったという「里之子墓」を使用している。
この墓には昭和十年に、朝敏夫妻他五人の遺骨も納められた。
遺骨の護送は、沖縄の門中のひとり大宜味氏とマクルヤーの饒平名長建氏によってなされたという。

多良間島と平敷屋では、やや歴史的に違う所もあるが、
その時代に生きた者がいないだけに、どちらの説が正論なのか解らないので、
この経歴は参考までに留めておいてもらいたい。



熊本県山江村  ・  九州自動車道 「 山江SA 」 の大きな急須

2013-02-27 06:12:31 | 探訪 ・ ドライブ



大きな急須が目印になる九州自動車道 「 山江SA 」
















下りのサービスエリアから見た上りの急須











山江サービスエリアは、熊本県球磨郡山江村の九州自動車道上にあるサービスエリアで、
サービスエリアではあるがインフォメーションコーナーは設けられておらず、
一般的な売店付きパーキングエリアと給油所(上り線のみで24時間営業ではない)で構成されている。
2007年に施設を改築し、上下線共に食堂付きのコンビニエンスストアに営業内容を変更した。


山江のお茶は、温暖な気候と茶に適した土壌、球磨川を水源とする豊かな水、
また球磨地方特有の朝晩の寒暖の差や朝霧。
そしてなにより茶生産者のおいしいお茶作りへのこだわり。
その環境の中でゆっくりと育つ新芽には、
うま味成分であるアミノ酸や健康成分であるカテキンがたっぷり含まれている。
また、茶生産者のお茶作りの技術も高く、
全国茶品評会でも、1等最高位(農林水産大臣賞)を輩出した地域でもある。
そんなお茶を自慢した大きな急須が山江サービスエリア ( 上り ) にある。



北九州市小倉南区 ・ 福岡県みやこ町 「 平尾台からの眺望 」

2013-02-27 06:11:13 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



平尾台からの眺望

















鬼の唐手岩からの展望は抜群で、東側は真下に白川地区が見下ろせ、
行橋から豊前に続く周防灘沿岸が一望できる。
天気のいい時には国東半島や由布岳・鶴見山群も見ることができる。
西側には広谷湿原から四方台への雄大な草原の山並みが広がり主峰貫山へ続いている。




NHK 「 ひるブラ 」 築上町 ・ 綱敷天満宮 ( 渡部豪太 ・ 後藤 理 )

2013-02-26 06:33:09 | 日記 ・ イベント



25日のNHK 「 ひるブラ 」 築上町・綱敷天満宮から放送







菅原道真を祭った綱敷天満宮







海に向かって立つ鳥居








境内にある梅の木





























いきなりだが、綱敷天満宮は “ 我が町 ” にある。

昨日、NHKの 「 ひるブラ 」 で放送された福岡県築上町にある綱敷天満宮。
ここは我が家から5分くらいの場所にあるため、仕事の昼休みにちょっと覗いてみたら、
なんと駐車場に車が停められないほど賑わっていた。


綱敷天満宮は、築上町の浜の宮海水浴場の近くにある綱敷天満宮は菅原道真ゆかりの天満宮である。
昌秦四年(901)左遷された菅原道真が大宰府に赴く途中暴風にあいこの浜にたどり着かれた。
その時に漁船の網の綱を敷いて休んでもらった。
そして村人はこの地に黒木の休所を造り、菅公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれた。
その後天暦九年(955)神託があり国府の命により社壇が造営され、
船の綱を敷いて迎えた故事により 『 綱敷天満宮 』 と称された。

その後寛永十四年(1634)に豊前主小笠原忠真、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営された。
この綱敷天満宮は梅を愛した菅原道真が主祭神となっており、
社殿の周辺には約1000本の梅の木が植えてある。
2月中旬~3月上旬にかけて見頃となり例年2月25日は梅祭大祭が催される。

現地の説明板によると、この神社には多くの知名人も参拝しているようである。
元禄七年(1694)には貝原益軒が訪れ 「 豊国紀行 」 の5月6日の記録に
「 椎田の西四丁ばかり東の浜に松原あり。其内に綱敷天満宮の社有海辺佳景なり・・・・ 」 と。
また芭蕉の門人十哲の一人である各務支考の旅日記 「 西華坊笈日記 」 には、
「 昼がほよ 今宵はここに はまの宮 」 という句が記されているそうです。
そのほか、伊能忠敬や野田成亮なども、ここを訪れて記録に残しているようです。
綱敷天満宮前の海岸は、昔から美しい砂浜であったようですが、
今は整備された宮の浜海水浴場となっています。

■ 拝観無料 (無料駐車場約200台分あり)



長崎県長崎市  「 2013・長崎ランタンの花嫁 」

2013-02-26 06:30:35 | 日記 ・ イベント



2013.長崎ランタンフェスティバル中華大婚礼での結婚式




















新中華街会場で行なわれた中華大婚礼での結婚式。
式のあとステージ下で龍踊りを楽しまれたことだろう。
新婦さんは長崎出身だけに、ランタンが良く似合う花嫁であり、
これから結婚を夢見る女性にとって憧れのブライダルになったに違いない。





久米仙の古酒 「 奴樽蔵 」

2013-02-26 06:29:19 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒














夕べ久米仙から出ている古酒 「 奴樽蔵 」。
奴樽蔵は、琥珀色に熟成された泡盛古酒で、
香り、色、味を調え、樽独特の香り高く甘くまろやかな風味の古酒である。
泡盛というよりもブランデーのような上品な柔らかさがあって美味しい。
そして、なにより “ やったるぞ! ” って元気が出そうな名前がいい。



西舘果里 ( みさと ) の 「 特別な一日 」

2013-02-25 07:04:38 | 競馬・ボート



実業団でソフトボールをしていた頃の西舘選手 ( 中央の24番 )





















九州沖縄のNHKで金曜夜8時から放送される 「 きん ☆ すた 」 。
その 「 きん☆すた 」 で、九州・沖縄の地域に生きる魅力的な人々の “ 特別な一日 ” を軸に描く
ショート・ドキュメンタリー 「 私の特別な一日 」 という番組がある。

新シリーズ初回は、熊本・福岡・長崎からの3話オムニバス。
その中のひとつである福岡県柳川市にある 「 やまと学校 ( ボートレーサー養成学校 ) 」 に潜入し、
ソフトボールの選手からボートレーサーという新たな夢をかけた挑戦があった。
進級試験に不合格になれば、次の訓練課程に進むことが出来ず、
その時点で即退学という厳しい訓練に密着したものである。
そんな養成学校の進級試験に臨む西舘果里 ( みさと ) 訓練生。
ソフトボールでは上野由岐子と同じチームに所属し、トップクラスの選手として活躍しただけあって、
どの世界に入っても上位で頑張る力はあるのだろうが、
軽い体重の選手が有利なボートレーサーにとって、
やや大柄な体格がネックになるのではないかと心配している。
常に体重を気にして減量して行かなければならなのなら苦しいだろう。

で、進級試験の結果だが、最初は1マークも2マークも順調に旋回したが、
最終周回の最終2マークで艇が踊った。
だが、なんとか訓練生70人中下から3番目の結果で合格した。

彼女が晴れてプロのボートレーサーとしてデビューした時は、
応援に行きたいと思っている。


ボートレーサーの応募資格は以下の通りである。

1.年齢:15歳以上30歳未満(昭和58年10月2日~平成10年4月1日生まれ)
2.学歴:入学日において中学校を卒業していること
3.身長:172cm以下
4.体重:男子47kg以上55kg以下、女子42kg以上50kg以下
5.視力:両眼とも裸眼で0.8以上(コンタクト・フェイキックIOL「有水晶体内レンズ」手術は不可)
6.弁色力:強度の色弱でないこと
7.聴力その他の健康状態:選手養成訓練を行うのに支障のない者
8.その他:禁錮以上の刑に処せられた者及びモーターボート競走法に違反して
罰金以上の刑に処せられた者、
成年被後見又は被保佐人、選手養成訓練中に成績不良又は
素行不良により養成を取りやめられた者のいずれにも該当しない者

※一般試験受験生のうち、ボートレース場が応募者数に応じて決定する
『スポーツ 推薦試験制度』が新設されました。
受験申請書のスポーツ運動歴の記録内容を ボートレース場毎に確認し、該当の有無を判断します。
詳しくは、最寄りの支局・ 支部までお問い合わせください。

以上の条件に該当し、(1)~(8)の条件を満たしていることが必要です。
●平成22年10月2日以降に中学・高校・大学等におけるスポーツ活動において
優れた実績を収めた者(対象競技は不問)。



寿屋の 「 塩かるかん 」

2013-02-25 07:03:21 | パン ・ ケーキ ・ お菓子












土曜日、宮崎に行った帰りに熊本の山江村にある山江SA ( 上り ) で、
鹿児島の 「 かるかん 」 を買った。

かるかんは、野山に自生する山芋とうるち米の荒びき粉と砂糖で作られます。
その由来は薩摩の名主・島津斉彬が江戸在府中に
播州明石の八島六兵衛という菓子職人を召し抱え、
六兵衛は薩摩の山芋が良質なことに着目して、軽羹 ( かるかん ) を作り出し、
殿様菓子として献上したことに始まっている。

羹の中で最も軽いので軽羹と名づけられたもので、
昔ながらの軽羹に笠沙の自然海塩を加えて、
ほんのり塩味に仕上げている。

日頃あまり 「 かるかん 」 を食べるという習慣がないので、
久し振りに「かるかん」を食べたら、
この「塩かるかん」の旨いのなんのって、
一気に6個全部食べるくらいの美味しさだった。
6個入りで735円だったが、これだけ美味しければ安いと思う。




沖縄県宮古島 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 荷川取村番所跡 」

2013-02-25 07:01:32 | 離島めぐり








平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


荷川取村番所跡 ( にかどり むらばんしょあと ) は、
古琉球から近代初期にかけての荷川取村番所の所在地。
番所敷地内には機織場、染め場なども設けられていた。


所在地 : 宮古島市平良 荷川取




宮崎県宮崎市 ・ 生目の杜球場  「 ソフトバンクと西武のオープン戦 」

2013-02-24 00:15:41 | 野球



メンバー表を交す、西武の渡辺監督とソフトバンクの秋山監督






生目の杜・アイビースタジアム



昨日と言っても、ほんの数時間前に
宮崎の生目の杜運動公園にあるアイビースタジアムから帰って来たばかりである。
天気も良かったのでオープン戦を観戦に行ったが、
ソフトバンクは松田や内川などの主力がWBCの方に行っているので手薄になり、
西武相手に目を塞ぎたくなるほどの完敗だった。

これがオープン戦だったから修正は利くが、
開幕まで時間が少ないので急務である。
まだ、画像や映像を全て取り込んでいないので、
詳しいことはこれからボチボチ紹介していきたいと思っている。

とりあえず今日のところはこの辺まで・・・




熊本県山鹿市 ・ 近代文化遺産  「 八千代座 」

2013-02-24 00:14:24 | 近代化産業遺産・土木遺産



町並みに溶け込む八千代座








八千代座の外観







入り口にある 「 もぎり ( 切符売り場 ) 」







スポンサーの天井広告と二階席







二階から見た一階の升席






広告絵に映える真鍮のシャンデリア






舞台の袖などに通じる奈落の通路







回り舞台を動かす滑車とレール






1910年の刻印がついたドイツ式のレール






廻り舞台を回す奈落にある支柱






役者を奈落から舞台へと押し上げるスッポン





所在地  /  熊本県山鹿市山鹿
竣工   /  1911年 ( 明治44年 )
設計者 /  木村亀太郎
■  国指定重要文化財


 八千代座は江戸時代の風情が残り、明治末期の浪漫が漂う芝居小屋である。
規則正しく区切られた升席、高い天井に描かれた広告絵や真鍮づくりの優雅な
シャンデリアに目を奪われる。傾斜のついた二階桟敷席や花道など、
計算された粋な仕掛けに驚くばかりである。
奈落には役者を舞台に担ぎ上げるスッポンや、廻り舞台の支柱や舞台を回すための
レールを見ることが出来る。レールはドイツ・クルップ社の1910年の刻印があり、
日本的なつくりの中に西洋の匂いを漂わせる逸品だといえよう。


八千代座へのアクセス
八千代座へは、九州自動車道菊水ICより、県道16号線を山鹿方面に向かい、
山鹿中心街の中央通り交差点を直進して国道325号線に入り、二つ目の信号機を
左折した先にある。
JRでは、各駅から山鹿温泉行きバスに乗り、温泉プラザ前下車。徒歩約5分。
駐車は、八千代座近くの有料駐車場を利用することになる。



沖縄県宮古島  「 長山水路第三号灯浮標 」

2013-02-24 00:12:21 | 宮古の灯台




























灯台表番号 / 7186.23
ふりがな / ながやますいろだいさんごうとうふひょう
標識名称 / 長山水路第三号灯浮標
所在地 / 西浜埼(沖縄県宮古島市)の西北西方約5.5km
北緯  / 24-47-20 
東経  / 125-12-41 
頭標 / 緑色円筒形頭標1個付
塗色 / 緑色
灯質 / 単閃緑光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 49カンデラ
光達距離 / 4.0海里
水面上~灯火の高さ / 4.7m
業務開始年月日 / 平成4年11月1日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)