「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

ゆいレール 「 奥武山公園駅 ⇒ 小禄駅 」

2012-07-31 19:20:28 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



小禄駅の近くにある琉球新麺 「 通堂 ( とんどう ) 」








通堂の店内






博多ラーメンのようなコクがあって美味しい












小禄駅前にあるジャスコの裏に、沖縄では珍しいラーメン店がある。
フツー沖縄では沖縄すば ( そば ) なのだが、
そんな沖縄に来て博多風ラーメンに出会うことは稀である。
味も博多で食べるものと遜色がなく、おいしいラーメンである。


奥武山公園駅 ⇒ 小禄駅の間で流れる車内メロディーは、
「 小禄豊見城 ( うるくとみぐしく ) 」 である。


   小禄 豊見城 垣花 三村 三村ぬアン小達が
揃とうてぃ布織い話 あやみぐなよ 元かんじゅんどー

上泊 泊 元ぬ泊とぅ 三村 三村ぬ二才達が
揃とうてぃ塩たち話 雨降らすなよ 元かんじゅんどー

辻 仲島とぅ渡地とぅ 三村 三村ぬ女郎小達が
揃とうてぃ客待ち話 美ら二才から はい行逢らなや

潮平 兼城 糸満とぅ 三村 三村ぬアン小達が
揃とうてぃ魚売い話 安売いすなよ 元かんじゅんどー

赤田 鳥堀 崎山とぅ 三村 三村ぬ二才達が
揃とうてぃ酒たり話 麹出来らしよ 元かんじゅんどー


( 略 )

小禄村 豊見城村 垣花村の 三つの村の ねーさん達が
揃って布織りの話 模様を織り間違えるなよ 元がとれないよ

上泊村 泊村 元の泊村の 三つの村の にーさん達が
揃って塩炊きの話 雨降らすなよ 元がとれないよ

辻 仲島 渡地の 三つの村の ねーさん達が
揃って客待ち話 美男子が来ると良いね

潮平村 兼城村 糸満村の 三つの村の ねーさん達が
揃って魚を売る話 安売りしたら 元がとれないよ

赤田 鳥堀 崎山の 三つの村の にーさん達が
揃って酒造りの話 麹を上手くつくろう 元がとれないよ


三村節は、別名 ( 小禄豊見城 ・ うるくとみぐしく ) とも呼ばれ、
昔の三つの村のそれぞれの生業や特色を唄い込んだ童唄である。
また、女の子が二人向き合い、片手を互いに合わせたり、
両手を一緒に合わせたりする遊戯の時にも唄われる。

小禄、豊見城、垣花の三村は、現在小禄と垣花が那覇市になっており、
豊見城も市として発展している。
かつて三つの村は琉球絣の産地であった。
潮平、兼城、糸満の三つの村は、糸満市に統合され、
旧、糸満は漁師のまちとして有名である。

上泊、泊、元の泊は、現在泊港がある国道58号線沿いの村で、
上泊は現在の新都心「おもろまち」あたりであった。
辻(ち~じ)、仲島、渡地(わたんじ)は、
国道58号線をはさんだ那覇のバスターミナル付近の繁華街で、昔の遊郭街であった。
首里、赤田、崎山は酒造りの盛んな場所で、現在も多くの酒造所がある。

※ アン小 ( あんぐゎ ) とは、姉小で、未婚の娘のことを意味する。
二才 ( にせた ) とは、若い男を意味する。




天草市栖本町 「 沖の瀬岩 」

2012-07-31 18:54:29 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣







栖本港の近くに道路から鳥居が立つ小さな岩山が見える。
前日は満潮時に通ったので気付かなかったが、
干潮だったこの日は、鳥居も岩山もきれいに見る事が出来た。
時間の関係から下車して岩山まで歩いて行くことはしなかったが、
今思えば、歩いて行くべきだったと後悔している。









沖縄県南城市  ・  沖縄の文化財 「 垣花樋川 ( シチャンカー ) 」

2012-07-31 18:34:36 | 沖縄の文化財











































連日の30度超えで暑さにウンザリである。
画像だけでも涼しい気持ちになりたいものである。


沖縄にはガーと呼ばれる井泉が多く存在する。
その中でも規模が大きく、有名なのがこの垣花樋川 ( かちぬはなひーじゃー ) である。

垣花樋川は、沖縄県南城市玉城字垣花にある湧水で、
環境省により1985年(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。

湧き水は垣花集落の崖の中腹に湧出する水を
コンクリートの二箇所の水路に引いて流している。
右側から出る水を「男川・(いきががー)」、
上流の左側からに位置する水路を「女川・(いなぐがー)」。

「女川」は下流から見えないように位置が工夫されていて
沐浴のをするための場所であったと伝わっており、
下流の浅い泉は「馬浴・(ウマアミシー)」で、
馬に水を飲ませたり、体を洗ったりしていた。

二つの水路から流れた水は斜面を下り。
その中傾斜の石畳道があり石畳の途中には女達が一息入れた中休み(ナカユクイ)石、
上休み(上ユクイ)石が残っている。
水路には琉球石灰水のため、石灰質の析出物が体積している。




普天間移設代替案 今度は伊江島?

2012-07-30 21:05:58 | 沖縄



普天間移設代替案にあがっている伊江島補助飛行場








空から見た伊江島に3本の滑走路が見える
上から伊江空港・伊江島補助飛行場・米軍が利用する滑走路








島内の米軍施設には鉄条網が張り巡らされている








米軍基地内にある管制塔( 監視塔? )








備瀬から見た伊江島のシンボル 「 伊江島タッチュー ( ぐすくやま ) 」





米軍再編に関する米国防総省第三者機関の報告書には、
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設が実現しない場合について、
二つの県内移設代替案が記されていた。
ひとつは、過剰なまでの離着陸を繰り返す那覇空港の未着工の那覇空港第2滑走路。
二つ目は、伊江島補助飛行場(伊江村)である。
民主党政権誕生後、県外移設を訴えてきた沖縄では、
県内移設に固執する米国への反発の声が改めて上がった。

沖縄本島北部にある本部から約5キロに浮かぶ伊江島。
ここは 「 沖縄戦の縮図 」 と言われるほどの激戦地だった。

 「沖縄戦で壊滅した伊江島に移設するなんて、言葉で表せないほどの怒りを覚える。
沖縄中が反対している県内移設にこだわるのは県民をばかにしている」。
伊江村の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」館長の謝花(じゃはな)悦子さんは声を震わせた。

今回の那覇空港にしても伊江島にしても普天間移設については、
辺野古移設計画を断念させたように思わせるアメリカのトリックだと思う。
鹿児島の徳之島にしても馬毛島にしても然りである。
オスプレイではないが、いくら地域住民が反対しても 「 搬入ありき 」 である。
今度も 「 辺野古ありき 」 だろう。


6月23日、糸満市の摩文仁で行なわれた沖縄全戦没者追悼式で、
野田総理は、「 沖縄県民斯く戦えり 」
「 県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを 」 で締めくくられた電文を引用したにもかかわらず、
オスプレイ搬入や普天間移設の昏迷は、沖縄県民にとって 「 特別の御高配 」 と言えるだろうか!






熊本県宇城市  「 日本古碑・浄水寺跡石碑群 」

2012-07-30 20:32:47 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



灯籠竿石および塔の路盤







浄水寺南大門碑







右から灯籠竿石および塔の路盤・妙法経碑・浄水寺寺領碑







浄水寺四碑補修碑








妙法経碑






浄水寺南大門碑の前に建つ浄水寺四碑補修碑







日本古碑・浄水寺跡石碑群のある浄水寺入り口












日本には古碑と呼ばれるものが24基あるが、
現存するものは17基しか残っていない。
その内の4基が浄水寺跡に残されている。

石碑群は、九州のほぼ中央に位置する熊本県宇城市豊野町小熊野川の
谷間にのぞむ丘陵地の浄水寺にある。

先日、紹介した御手洗水源の上にある浄水寺跡は、
奈良時代末期に建立された古代寺院の跡で、
境内には延暦9年(西暦790年)創建の碑、
延暦20年(西暦801年)に建造された燈楼の竿石、
天長3年(西暦826年)の寺領の碑は、
国内に類例がなく、詳細な寺領に関する碑文は、
極めて貴重な歴史資料である。
石碑はほぼ方柱で、第一面には、寺を建てた由来。
第二面・第三面には、当時の条理呼称法に則り、
浄水寺の料田が細かく記録されている。
第四面 ( 南面 ) には、文字は記されていない。

康平7年(西暦1064年)の如法経塔があり、
また塔の跡と考えられる礎石郡が残っている。

天長5年(西暦828年)には定額寺となり、
奈良時代の終わりから平安時代のはじめにかけての30数年間で
肥後有数の大寺院に発展した貴重な寺院跡である。
昭和34年12月8日に県の重要文化財に指定されている。




沖縄県那覇市  ・  ウエイトリフティング 「 大城みさきの手 」

2012-07-30 19:43:13 | スポーツ








ロンドンオリンピック、ウエイトリフティング48キロ級で銀メダルに輝いた三宅宏実。
スナッチの1回目。差し挙げたのは83キロ。
その重量は、今まで沖縄の大城みさきが持っていた日本記録である。
そして2回目、三宅は85キロを挙げて日本記録を更新し、
3回目はさらに87キロを挙げて日本新記録を伸ばした。
第一回目が一番緊張するという重量をいきなり大城の持つ83キロから臨んだのは、
三宅自身がつけたかった区切りとこれから挙げてゆく重量への自信だったのではなかろうか。
この成功を皮切りに銀メダルへと一気に進んだ。


2008年の北京オリンピックでウエイトリフティング女子48キロ級8位の
大城みさきの手型が那覇の沖映通りにある。
その手形と重ね合わせてみたが、
小さくてとても日本記録保持者とは思えないものだった。
「 こんな小さな手で83キロもの重さを一気に頭上まで差し挙げていたのか 」 と感嘆しまった。

彼女のスナッチは自他共に認める一級品である。
重量挙げはしゃがんだ姿勢で踏ん張るため、
普通はかかとの高さ3センチほどの専用シューズを使う。
だが、大城はスナッチに限り、かかと部分を切除した平らなシューズを履いていた。
シューズも独特ならば、フォームも独特であった。
通常は、垂直に近い軌道でバーベルを挙げるのが基本とされるが、
大城のスナッチは 「 振り回すイメージ 」 で挙げるときに
ピョンと20センチ近く後ろに下がるのである。

このスタイルには理由がある。
沖縄県南部の南風原 ( はえばる ) 高校2年の時、比嘉敏彦監督の勧めで競技を始めたが、
当時から足首が柔らか過ぎて、しゃがむと尻が床につくことがあった。
ルール上は失敗になるため試行錯誤を重ねた結果、
卒業から2年後、独特なフォームとシューズにたどり着いたのである。

 同じ階級で、ジャークとトータルの日本記録を持つ三宅宏実について、
「 雲の上の人。でも、スナッチだけは負けない 」 と大城は云う。
自分だけの得意技に、強い自負があったのだろう。



沖縄県那覇市  「 沖縄セルラースタジアム那覇 」

2012-07-29 12:22:54 | 沖縄



建設中の沖縄セルラースタジアム那覇



































建設中の沖縄セルラースタジアム









沖縄県大会決勝 ( 興南高校 : 沖縄尚学 )の試合前練習






沖縄のモノレールの奥武山公園駅の近くに沖縄セルラースタジアム那覇がある。
最初に沖縄へ行っていたころは普通の運動公園だったのが、
大きな球場に変身してしまった。
その工事の途中と完成して沖縄県大会決勝前の動画を撮っているので、
興味のある方は、参考までに比較してもらいたい。


球場といえば、昨日は北九州市民球場で
高校野球の福岡県大会の決勝があったので飯塚高校を応援した。
効率の悪い攻めで “ あと1本 ” が出ない頼りなさもあったが、
なんとか凌ぎ切って甲子園の切符を手にしてくれた。

相手の福岡第一は、エースの楊が左太腿を故障したため二番手、三番手の投手が投げたが、
決勝戦の大一番では荷が重いというか、緊張で腕が振れてなかった。
それでも途中から登板した張投手は前日に続いて連投となったが、
飯塚打線を0点に抑えて味方の反撃を待った。
4-0から4-2とあと2点まで追い詰めたものの、
飯塚の2番手ピッチャーの西に抑えられ、同点にも及ばなかった。
高校生とはいえ、昨日の36度の気温の中でよく戦ったものである。
どちらの選手も 「 あっぱれ! 」 であった。




千疋屋のジュレとオリンピックの感想

2012-07-29 11:29:15 | スポーツ























昨日は、くまモンサプライズに続き千疋屋のジュレも届いた。
こんなに暑い日が続くと、こういった物はアリガタイものである。
ジュウレを冷やして食べたが、果汁がツルンとしてフルーツフルーツで美味しかった。

昨日はほとんどテレビの前に釘付けだった。
昼間は高校野球の福岡県大会の決勝があったので飯塚高校を応援し、
その後、競馬を観て
夕方から深夜にかけてオリンピック三昧というか、オリンピックの梯子だった。
午前2時まで起きて応援していたが、
なでしこ、福見選手、平岡選手、そして三宅選手の頑張りに興奮して
なかなか寝付かれなかった。
三宅宏実選手はバーベルを挙げるたびに輝いてカッコよくなって行った。
その表情は、自信の顔というかアスリートの顔だった。

福見選手はオリンピックに出れなかった浅見八瑠菜選手の分までと思ったが、
残念ながらメダルまで 「 あと一歩! 」 という結果に終わってしまった。
谷選手に勝ってからこれまで10年間、彼女は彼女なりによく頑張ったと思っている。
だからこそ何色でもいいからメダルを取って欲しかった。
そしてそのメダルを3歳から女手ひとつで育てて来たお母さんの首に架けて欲しかった。





沖縄県南城市  「 ヤハラヅカサ と 浜川御嶽 ( はまがーうたき ) 」

2012-07-29 10:50:46 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所







南城市玉城町百名にある百名(ひゃくな)ビーチの北端の海中に
琉球石灰岩で出来た柱をヤハラヅカサと呼んでいる。
干潮になると露出するが、満潮時には上部しか見えず、
その時は海中にある柱に向って遥拝する。
神名は、 「 ヤハラヅカツノ御イベ 」 と称する。

ヤハラヅカサは、沖縄の開闢の始祖といわれるアマミキヨ族が
ニライカナイ ( 理想郷 ) または、大東 ( うふあがり ) から上陸した場所であり、
船を着けた場所がヤハラヅカサの岩だと伝えられている。
したがってここはニライカナイや大東への遥拝所でもある。
ニライカナイとは理想郷を想定したものであるが、
具体的に久高島を指す人も多い。

ヤハラとは 「 穏やかな 」 とか、 「 和らぎ 」 の意味から
神の心を和らげる願いではないかと思われる。











浜川御嶽の写真は、参拝者が御願 ( うがみ ) を行なっていたので控えたため
写真はないが、御嶽にある説明板だけ撮らせてもらった。

浜川御嶽 ( はまがーうたき ) は、ヤハラヅカサの向かいの海岸にあり、
崖下にコンクリート造りの殿 ( どぅん ) がある。
イビは奥の方で、洞穴があるらしい。
浜川 ( はまがー ) とは、 「 浜辺にある泉 」 という意味で、
湧き水が溢れているといわれている。
神名は、 「 ヤハラヅカサ潮バナツカサノ御イベ 」 という。
潮バナは、潮の端にある拝所という意味か?
それとも潮花 ( 波しぶきが飛び散る様子 ) に神霊を感じて、
そう呼んだのかは定かではない。

アマミキヨはヤハラヅカサに上陸し、ミントングスクに定住するまで、
湧き水のある浜川の洞穴を仮住まいしていたという。
また、この場所は聞得大君 ( きこえおおきみ ) の首里の園比屋武御嶽から、
東御廻り ( あがりうまーい ) の拝所でもあった。
百名・中山の村人は旧暦1月、8月には 「 浜川御願 ( はまがーうがん )」 を行なっている。




熊本県天草市 「 宮田港浜田三号防波堤灯台 」

2012-07-29 10:40:31 | 熊本の灯台




































宮田港浜田三号防波堤灯台は、赤色塔形のプラスチック造の灯台である。
灯台の高さが5.66mで、平均水面から灯火までの高さは9.26mとなっている。
灯質は単閃赤光で、毎5秒に1閃光の割合で照らしている。
光達距離は4.5海里で、実効光度が61カンデラになっている。
現用灯器はLD管制器Ⅰ型を使用している。
初点は、平成8年2月9日と新しい。


宮田港浜田三号防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、
倉岳町の旧道を右側に入ると大えびすへの入り口がある。
そのえびすさんの右手に防波堤があり、そこに灯台が立っている。
灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。

( 熊本県天草市倉岳町宮田 )





オリンピック聖火宿泊の地 ( 沖縄県名護市立嘉陽小学校周辺 )

2012-07-28 12:45:07 | スポーツ




沖縄県名護市立嘉陽小学校の前にある聖火宿泊碑








1964年東京オリンピックの聖火が本土返還前の沖縄で宿泊した記念碑














99年の歴史に幕を閉じた沖縄県名護市立嘉陽小学校











まだ沖縄がアメリカの統治下の時代に
東京で開催されたオリンピックの聖火が回って来たことは
「 同じ日本だぞ! 」 という配慮が込められたものだったと思う。
その聖火が沖縄県北部の小さな集落で宿泊したのだから、
地域住民にとっては、大きな誇りだったと思う。
その表れが 「 記念碑 」 であろう。
記念碑がある嘉陽小学校は児童の減少により、
一昨年に99年の歴史に幕を閉じた。
その時、jimamaさんが在校生と一緒に 「 大丈夫 」 を唄ったのを覚えている。








今日、ロンドンオリンピックが開幕した。
オリンピックパークの水上のボートから渡されたひとつの聖火が
メインスタジアムで7人の若手アスリートに渡され、
7つの聖火が204の国と地域の名が刻まれた花に点火されると、
やがてその聖火がひとつになった。
それはなんとも幻想的で感動的なシーンだった。

上空からの映像はウルトラマンのカラータイマーのように
色とりどりに変化して、メインスタジアムは夢と希望に包まれていた。
そのスタジアムがチカチカと点滅するゲーム機のルーレットに見え、
スタンドの一ヵ所がオレンジ色に変わったとき、懐かしい歌が流れた。

ポール・マッカートニーが唄うヘイ・ジュードは、
ビートルズ世代のボクらにとってサプライスであり、最高のプレゼントだった。

そしてアメリカの統治下にありながら東京で開催されるオリンピックの沖縄での聖火リレーは、
ヤマトンチュからウチナンチュに対してせめてもの思い遣りだったのかもしれない。




くまもと・サプライズ 「 黒小玉 」

2012-07-28 12:12:13 | グルメ

















その名を 「 ひとりじめ BonBon 」 という





くまもとのくまモンからのサプライズ。
思わぬ贈り物は、ポール・マッカートニーのヘイ・ジュードまでないにしても、
かなりの驚きだ。
ダンボールの中から出て来たいろんな熊本パーツの中に、
先日テレビのキラリ九州に出ていた 「 黒小玉 」 という品種のスイカがあった。
「 ひとりじめ 」 というくらいだから、
独り占めしてでも食べたくなる美味しさなのだろう。
届いてスグなのでまだ食べていないが、
今夜でもオリンピックを見ながら食したいと思っている。





沖縄県那覇市  ・  沖縄で見かけた花 ④ 「 月桃 ( げっとう ) 」

2012-07-27 22:08:45 | 花・鳥・虫・魚・猫



首里城で見かけた月桃









粟国小学校の全国金賞に輝いたリコーダーメンバー










学校の正門にある受賞の碑









粟国島にある粟国小学校と中学校














受賞の写真が飾られてある「 粟国村中央公民館 」






国吉なおみさんのアルバム 「 きよら 」





月桃の花を見たのは、首里城だった。
それは、クンダグスクの位置を知ろうと 「 京の内 」 に行ったときのことである。
あれ以来 「 月桃 」 の花を見たことはないが、
九州で流れているNHKの 「 金スタ 」 という番組で、
錦野 旦さんが離島をめぐる 「 そこに島があるかぎり 」 で訪れた粟国島で、
子どもたちがリコーダーで演奏したのが 「 月桃 」 であった。
その粟国小学校のリコーダーは、全国大会で金賞に輝くほどの実力校である。
こんな小さな島からというと、語弊があるかもしれないが、
人口密度からいうと、凄いことをやってのけたと言わざるを得ない快挙である。
その活躍は受け継がれ、現在も沖縄県で屈指のリコーダー実力校である。

そんな粟国島の子どもたちの演奏するメロディーにこころ打たれ、
その場でメモをして、月桃の入ったCDを買ったのが、
国吉なおみさんが唄う月桃であった。
そしてその歌詞に強く衝撃を受け、涙した。


以前、6月23日の沖縄戦終結の日にも紹介したが、
あらためて 月 桃 の唄を紹介したいと思う。

↑の月桃をクリックすると月桃のメロディーが拝聴できます。



熊本県天草市倉岳町  ・  日本一の 「 大えびす 」

2012-07-27 21:40:10 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



台座から上のえびすさんの座高さは7mある







台座3m、えびすさんの座高が7mで高さ10mにもおよぶ
















えびすさんの横にある 「 えびす橋 」








えびすビーチの前にある公園








宮田港西ノ原南防波堤灯台から 「 えびすさん 」 の眺望









倉岳町の入り口に立つ路標













日本一倉岳大えびすは、宮田港西ノ原南防波堤灯台
宮田港浜田三号防波堤灯台の中間に立つ「えびすさま」である。
その大きさは以下の通りである。

台座高:3メートル
えびす座高:7メートル
えびす重量:320トン


日本一の天然鯛釣り場
倉岳町は熊本県天草上島南部部に位置する。
2006年に町村合併し天草市となった。
天然鯛の釣り場、遠方から大勢の釣り人が訪れる。

福の神えびすさん「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす。
縁起物
黄金の鯛
打出の小槌に千両箱大判
七福神の乗った宝船(たからぶね)
えびすさんの台座に縁起物を描いた図、ご利益があります様に・・・




定山渓第一寶帝留の胡麻ドレッシング

2012-07-27 21:27:26 | グルメ









北海道旅行に行った東京の友だちからのオクリモノは、
昨日の六花亭のお菓子の詰め合わせに続いて、
定山渓第一寶亭留オリジナルのドレッシングである。
上質の胡麻をたっぷり使用した風味豊かなドレッシングは、
いろんな料理に合わせることができるらしい。

早速レタスにかけて頂いたが、
いつも使うキューピーの 「 深煎りごまドレッシング 」 に比べて濃厚だったし、
上品な味わいだった。
自分で作るドレッシングも旨いが、それ以上に旨かった。