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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島  「 クバカ城跡 」

2017-10-31 13:21:17 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



城門の石積み








入り口にある説明板







城門






外から見ても石垣が確認できる







累々と積まれた石垣













クバカ城跡の遠望










クバカ城跡は入江の西側入口にあり、
久場嘉按司の居城の跡で 「 雍正旧記 」 ( 1727年 ) には、
「 長さ31間 ( 56.4m ) 横25間 ( 45.5m ) 」 、
門は未方 ( 南西 ) に向かうとある。
その由来は城主クバカ按司は強力無双の人であったと伝えられている。
また、 「 宮古島記事 」 ( 1752年 ) には、
「 宮古島洲鎌村小ばか按司、
八重山島にぎやものと勇力くらべ由来の事 」 という記事が見える。
クバカ城は、宮古で城と呼ばれる遺跡で
野面の石積みをほとんどもとの形で残している。
その他、宮国の好善ミガガマと喜佐真按司にまつわる話等がある。



第11位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 ポケットの多いカバン 」

2017-10-31 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝も冷えた。
東北東の空には北斗七星が、
北にはカシオペアがあり、
その間を流れ星が堕ちた。
始発列車の音が聞こえたので
午前5時くらいだったと思うが、
それはアッという間の出来事だった。
予期しない出来事だったので
願い事を考える間もなかった。

今日はハロウィンだが、それに気を取られて、
今日で10月も終わりだということに気づかずに過ごす人も多いだろう。
そんな今日の順位は11位で、
ラッキーポイントは、
「 ポケットの多いカバン 」 である。

秘密がバレて非難集中?
計算高い態度には要注意だぞ!


    今日のコトバ

 二兎を追う者は一兎も得ず

 ( にとをおうものはいっともえず )

二兎を追う者は一兎をも得ずとは、
欲を出して同時に二つのことをうまくやろうとすると、
結局はどちらも失敗することのたとえ。

二羽の兎を同時に捕まえようとする者は、
結局は一羽も捕まえられないということからいった西洋のことわざ。

二つの物事を欲ばってどちらも失敗したり、
中途半端に終わるものである。
また、一つの物事に集中せずあちらこちらに気を取られることへの
戒めの意味を込めて使うことも多い。
「 を 」 を略した 「 二兎追う者 」 、 「 は 」 を略した
「 二兎を追う者一兎も 」 などの形で使われることもあり、
それらも間違いではない。
さらに、 「 二兎をも 」 を 「 二兎を追っても 」
「 二兎を追えば 」 「 二匹どころか 」 といったり、
「 二兎を追わねば一兎も得ない 」 など
変化をつけたバリエーションも多く使われる。


チョコが仮装した 「 KOKURAハロウィン限定ネジチョコ 」

2017-10-31 00:34:30 | パン ・ ケーキ ・ お菓子







































今日はハロウィン。
今年はKH.KOKURAハロウィン限定チョコ。
ナットもボルトもちゃんとネジが切られていて、
ピッタリと収まる。
もちろん味もパンプキン味でピッタリと収まった。

かぼちゃは 「 三毛門かぼちゃ 」 ではないが、
それくらい大きなかぼちゃを事務所に飾った。

クッキーのハッケージは怖い怖い・・・



北九州市門司区  「 門司第4船だまり防波堤灯台 」

2017-10-30 14:00:01 | 福岡の灯台



高さが5.3mの可愛い灯台である








細長い防波堤が灯台の先まで続く







門司や赤坂富野をバックに灯台が立つ








灯台付近は太公望たちの絶好のポイントになっている








単閃赤光で毎5秒1閃光の灯器








郵便ポストのような雰囲気がするハッチ部分








小森江と門司港の中間にある第四船だまり防波堤






灯台表番号 / 5432
ふりがな / もじだいよんふなだまりぼうはていとうだい
標識名称 / 門司第4船だまり防波堤灯台
所在地 / 北九州市門司区 ( 門司第4船だまり防波堤外端 )
北緯 / 33-55-30
東経 / 130-56-23
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎5秒に1閃光
光度 / 実効光度26カンデラ 
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 5.33m
平均水面上~灯火の高さ / 7.10m 
地上~灯火の高さ / 5.1m
業務開始年月日 / 昭和7年1月10日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型赤 )



門司第4船だまり防波堤灯台は、小森江駅と門司港駅のやや中間に位置し、
風師山のふもとにある細くて長い防波堤の中間に
ポツンと立つ小さな灯台である。
防波堤も灯台もやや頼りなく感じられるが、
小じんまりとして可愛いものである。


門司第4船だまり防波堤灯台へのアクセス
門司第4船だまり防波堤灯台へは、国道199号線を小倉から門司港方面に進み、
小森江駅を過ぎて300mほど行った左側にある。
灯台への入り口となる場所には山九運輸の倉庫とラブホテルが並んである。
駐車は、その入り口の広場の端に邪魔にならないように駐車した。



第2位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 方位磁石 」

2017-10-30 06:00:26 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ








今朝、散歩に出る時は道路も乾いていたし、
雨も降っていなかったが、
1キロほど歩いたところで雨が降り出した。
「 そんなに降ることはないだろう 」 と高をくくっていたら、
その雨が結構な雨で、今も降り続いている。
そんな今日の順位は2位で、
ラッキーポイントは、
「 方位磁石 」 である。

ステップアップのチャンス
工夫次第で充実した1日に・・・


    今日のコトバ

 禍を転じて福と為す

 ( わざわいをてんじてふくとなす )

禍を転じて福と為すとは、
自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、
逆に自分の有利になるよう工夫すること。

『 戦国策 』 には 「 聖人の事を制するや、禍を転じて福と為し、
敗に因りて功を為す 」 とあり、
『 史記 』 蘇秦列伝には 「 臣聞く、
古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、
敗に因りて功を為す 」 とある。
失敗を元に成功を収めるという意味。
「 災いを転じて福となす 」 とも書く。


鹿児島県徳之島 ・ 闘牛資料館 「 横綱之地 」

2017-10-29 15:35:43 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣














































徳之島町南原にある 「 横綱の地 」 。
これは、 「 太陽舘 」 、 「 福田喜和道一号 」 と
二頭の横綱牛を育てた福田喜和道さんが
私財を投げうって建てた立派な個人の
闘牛神社というか資料館である。

牛や記念碑に使われている黒御影石は、
沖縄経由香港から取り寄せたもので、
かなり値打ちのある石だということです。
個人でここまでやるところが凄いと思う。
それ以上に闘牛に掛けるたぎるような情熱を感じた。



第33回 スワンステークス勝ち馬  「 ナルシスノワール 」

2017-10-29 12:05:52 | 競馬・ボート







父 スティールハート
母 セレーゼ

生年月日  / 1986年4月26日
生産地  / 北海道門別
生産者  / 新井峯吉
性別  / 牡
毛色  / 黒鹿毛
調教師  / 田之上勲 ( 栗東 ) ・ 福島信晴 ( 栗東 )
馬主  / 粟田 政
競走成績  / 34戦7勝


第94回 天皇賞の勝ち馬  「 サクラユタカオー 」

2017-10-29 06:19:33 | 競馬・ボート








父 テスコボーイ
母 アンジェリカ

生年月日  / 1982年4月29日
生産地  / 北海道静内
生産者  / 藤原牧場
性別  / 牡
毛色  / 栗毛
調教師  / 境勝太郎 ( 美浦南 )
馬主  / ㈱さくらコマース
競走成績  / 12戦6勝
受賞歴  / 1986年 優駿賞最優秀5歳以上牡馬


第54回 スワンステークスの勝ち馬  「 リディル 」

2017-10-29 00:46:15 | 競馬・ボート





















父 アグネスタキオン
母」エリモピクシー

生年月日  / 2007年5月8日
調教師  / 橋口弘次  ( 栗東 )
馬主  / 前田幸治
生産者  / ノースヒルズマネジメント
産地  / 新冠町  
通算成績  / 12戦5勝  [ 5-2-0-5 ]
主な勝鞍  / 11'スワンS (G2)
近親馬  / クラレント、レッドアリオン


デビューの新馬戦は夏の暑い小倉から、
同じレースにあのリルダヴァルも一緒だった。


鹿児島市  「 鹿児島中央高等学校 」

2017-10-28 14:32:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



円形校舎は学校というよりも百貨店のようである










校門にある銘板








教会のように連続でアーチ窓が並ぶ








道路に面した壁面だけをモダンにした体育館








アーチのひとつひとつの窓枠に縁が付いている







角のない柱が気持ちを落ち着かせる








玄関の明かり取りの壁窓は円形になっている








照明器具もホテルのような物が使用されている







階段上の踊り場の梁は優しいアーチになっている








校庭には、かつて 「 第一高女 」 だった碑が建っている







敷地内にある 「 東郷平八郎の生誕の地 」 碑





所在地  /  鹿児島市加治町
竣工   /  1935年
鹿児島県内 二番目のRC造学校建築
設計者 /  岩下松雄
登録有形文化財



鹿児島中央高等学校の創設に当たって、
県当局の当初の意向では鶴丸高校の分校として
旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校 ( 一中 ) 跡地
( 現・鶴丸高校 ) に開校する予定であったが、
諸方面からの反対があり、当時の新聞にも取り上げられた。
一中や鶴丸関係者側としては、
かつての母校の敷地を取られたくないとの認識があり、
反対する意向が強かった。
結局のところ、鶴丸高校の分校ではなく、
別の高校として ( 鹿児島県立第一高等女学校跡地 ) へ
設置が決まったわけである。

そんな経緯を持つ鹿児島中央高等学校は、
RC造 ( 鉄筋コンクリート造 ) 3階(一部4階)で、
建築面積2866㎡の塔屋を備えた建造物であり、
鹿児島県内で二番目のRC造学校建築でもある。
丸く整えられた玄関や連続するアーチ窓などの外観もさることながら、
内部にも随所に洋風建築へのこだわりを垣間見ることが出来る。



鹿児島中央高等学校へのアクセス
鹿児島中央高等学校へは、
鹿児島中央駅前からナポリ通りを300mほど行くと、
「 維新ふるさと館 」 へ渡る南洲橋がある。
そこを渡って大通りに出たところが鹿児島中央高等学校になる。
現役の高校であるため事前に連絡を必ず入れ、
許可を得て見学すること。
駐車は校内もあるが、出来るならば公共の交通機関か徒歩をお薦めしたい。


第102回 天皇賞の勝ち馬  「 ヤエノムテキ 」

2017-10-28 11:30:10 | 競馬・ボート














    『 感 動 』   ヤエノムテキ



     勝ったヤエノムテキを
    誉めるでもなし
    負けたオグリを
    責めるでもなし
    今はただ
    この馬たちに
    熱い拍手を・・・





 平成2年10月28日 
 第102回 天皇賞より


第1位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 リップクリーム 」

2017-10-28 07:00:30 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日の日中も秋晴れの好天だった。
ガラス越しの運転席は
汗ばむくらいの暑さだった。
そんな好天から台風22号の影響で今日は雨だが、
暴風雨にならないことを願っている。
そんな今日の順位は1位で、
ラッキーポイントは、
「 リップクリーム 」 である。

未来のビジョンが開けて大きく前進!
何かひらめいたらすぐに行動に移そう!


    今日のコトバ

 富は一生の宝、知は万代の宝

 ( とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから )

富は一生の宝、知は万代の宝とは、
財産は一代限りの宝であるが、
すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。


新潟競馬 ・ 岩船特別の勝ち馬 「 サトノシュレン 」

2017-10-28 02:00:27 | 競馬・ボート





















父 ステイゴールド
母 レッドダイヤモンド

生年月日  / 2008年5月17日
調教師  / 村山 明  ( 栗東 )
馬主  / 里見 治
生産者  / 昭和牧場
産地  / 浦河町
通算成績  / 27戦6勝  [ 6-3-3-15 ]
主な勝鞍  / 15'大阪ーハンブルクC (OP)
近親馬  / ギブアンドテイク、リッシンボス


くまモンが踊る山鹿灯籠まつり

2017-10-27 20:17:46 | お題



























くまのキャラクターといえば・・・
熊本市民だったボクにとっては 「 くまモン 」 が一番に思いつく。
そのくまモンが山鹿灯籠踊りを披露した。



鹿児島県与論島  「 按司根津栄 ( あじにっちぇー ) 神社 」

2017-10-27 18:48:33 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣





























鹿児島県ヨロン島のサザンクロスセンターの近くにある 「 按司根津栄神社 」 。

今より800年ほど前ヌルという島の娘が
屋敷の北側の畑で農作業をしておりました。
その時、大雨が降ってきたので畑のそばにある
ほら穴で雨宿りをすることにしました。
疲れてしまったのかそのほら穴で壁によりかかり眠ってしまった。
すると穴の奥に白髪の老人が杖を持って立っていました。
その老人が娘に「まもなく子供が生まれるだろう。
その子を大切に育てなさい」と告げられた。

びっくりして目が覚め夢を見ていたことに気が付いた。
不思議な夢を見たと思って数か月過ごしていると
不思議にも身ごもって大きな男の子を生んだ。

男の子は生まれたばかりだというのに髪の毛は黒く
歯は生えそろっていて、生後二か月程の男の子のようにみえた。
家の人は鬼の子なんじゃないかと思い地面に埋めた。
しかしその夜から埋めたところが毎晩ピカピカと光るようになり
赤子の泣き声が聞こえてきた。
そんなことが一週間続き家の人は
恐る恐る埋めた場所を確認しに向かうと
埋めた所の地面はひび割れていた。
これはただ事ではないと掘り起こすと、男の子は大きく成長していた。
この子を見た家の人は神の授けた子だと大切に育てました。

男の子は追々と成長し、7歳になる頃には15歳位の体格をしていた。
男の子にはキャーラドゥキという名の農業が好きな兄がおり、
また海の好きなインジュルキという名の妹もいた。
インジュルキは弓の名人で島で一番の良弓を引いていた。

男は剣術や弓はもとより全ての武術に長けていた。
26歳の時琉球に渡り琉球国王に謁見できることとなった。
王はその勇敢異様な様を見てその術を試そうと考えた。
城外へ追いやり、兵を集め七重八重にも城を取り囲ませ
「なるべく短い時間で城に忍び込むように」と命じたが、
いつの間に来たのか王の面前に現れた。
これを見た王と家来たちは、その神業ともいえる動作に驚いた。
王は喜び「汝の如き武術に優れた若者を部下に持つことは王として幸福である。
よって与論島より北の地を汝に与える」と言い按司(地頭)の位を与えられた。
その際王に名前を聞かれ
「 名前は無いが根津栄 ( ニッチェー ) という場所で生まれた 」 と伝えた。
王は按司根津栄 ( アジニッチェー ) という名を授けた。

按司根津栄は王の側で仕えていたが、島に帰ることを願い出た。
何度も断られたが「それほど言うなら仕方がない。
そのかわり形見を残していくように」といわれた。
形見というものを持ち合わせていなかったので、
仕方なく妹から借りてきた大切な弓を残すことになった。
島に帰り妹に事の次第を話した。
妹は大切にしていた弓が帰ってこなかったことを大変悲しんだ。
按司根津栄はなんとか妹を慰めようと島中を駆け巡り
丈夫な桑の木を探しあて弓を作って与えた。
それでも妹の気持ちが癒えることは無かった。

按司根津栄は何としても琉球の王から弓を取り戻し
妹を元気づけようと決心し沖縄へ渡った。
しかし王はその弓を大変気に入っており
家宝として居間にに飾り見るのを楽しみにしていた。
按司根津栄は願い出ても弓を返してもらえないと思い、
いろいろ策を練ったが名案は浮かばなかった。
仕方なく城壁をよじ登り屋根から忍び込み弓を取り返して島に帰った。
インジュルキは非常に喜び元気を取り戻した。

その頃琉球王の城内では思いがけない盗難にあい大騒ぎになった。
王は「こんなことができるのは按司根津栄しかいない」と
兵を1000人与論島に差し向けた。

ある日按司根津栄が海で漁をしていると、
急ぎの使いが来て「琉球の軍船が茶花の港に着こうとしている」と報告を受けた。
按司根津栄はびっくりして急いでうちに帰り、
腹が減っては戦はできぬと腹ごしらえをしようと
膳に向うと子供がよってきて箸を一本ご飯の上に突き立てた。
按司根津栄はその意味も考えずに大急ぎでご飯をかき込み
太刀を持ち兜をかぶらずに黒馬にまたがり出陣した。
ピャーヌパンタを駆け下りるとウシミチというところまで敵は攻め上ってきた。
按司根津栄は太刀を抜き右に左に斬りまくり敵を退却させた。
按司根津栄は血の付いた刀を田んぼの水で洗い流した。
按司根津栄は茶花海岸に着き生き残った船番の老兵に
「もう二度とこの島に兵を向けるな。
そのように王に伝えろ」と叫び、帰ろうとし後ろを向いたとき
その老兵が太陽に向かって放った一矢が
偶然にも按司根津栄の頭に突き刺ささり立ったまま死を遂げた。

これを見た船番の老兵は喜び、早くお褒めに預かろうと
急いで琉球に帰り王に事の次第を報告した。
それを聞いた王は「お前のような者が按司根津栄が倒されるわけがない、
もう一度兵を千人差し向けろ」そのように伝えた。
琉球兵は茶花の沖から辺りを伺っていると
丘の上に按司根津栄が武装し仁王立ちしていた。
その勇ましい格好は生米を噛みながら近寄る軍船を睨み付け、
上陸するものは一刀のもとに切り捨てる構えに見えた。

恐れをなした琉球兵は上陸する気力もなく、
そのまま引き返せば王の怒りに触れるということで大混乱となり
海に飛び込むものや自害するものも続出し全滅した。
按司根津栄の戦いぶりは後に「生きて千人、死んで千人」と語り継がれるようになった。
 
その後琉球の王は按司根津栄が死んだことを知り安心したが、
一族を生きて残しておくと仇討しに来るかもしれないと、
さらに精兵1000人差し向けた。
琉球の兵は上陸し一族のいる根津栄の地に攻め上った。
妹のインジュルキは女性ながら武装し勇ましく、強い弓をひき奮戦した。
しかし多勢に無勢ついに斬られてしまった。
不思議なことにインジュルキの首が斬り落とされると、
その首が呪文を歌いながら空高く舞い上がり、右に左に転がった。
その光景を見た琉球兵は気が狂わんばかりに恐れおののき、琉球に引き返した。
しかし途中で大嵐になり船は一隻も残らず沈没してしまい
琉球に帰り着いたものは一人もいなかった。