「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県芦屋町 「 柏原港西防波堤灯台 」

2015-03-31 04:50:41 | 福岡の灯台







































































灯台表番号 / 5804
ふりがな / かしはらこうにしぼうはていとうだい
標識名称 / 柏原港西防波堤灯台
所在地 / 福岡県北九州市若松区  ( 柏原港西防波堤外端 )
北緯 / 33-54-36 ( 36.1 )
東経 / 130-39-39 ( 38.6 )
塗色 / 赤色
灯質 / 群閃赤光 毎6秒に2閃光
光度 / 実効光度26カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 9.32m
平均水面上~灯火の高さ / 11.70m 
地上~灯火の高さ / 9.1m
業務開始年月日 / 昭和40年2月6日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型赤 )


柏原港西防波堤灯台は、芦屋から若松に向かう途中の
柏原港の防波堤に立つ灯台である。
灯台の入り口には 「 あしやんイカ 」 としてブランドで
地元のイカを売り出している海の駅や
三百数十もの石仏や五輪塔などの石塔群が出土した 「 堂山 」 がある。
石塔については、壇ノ浦の合戦後、平家の落人が追悼の意味で祀ったという説と、
山鹿水軍の遺族が供養のため造立したという二つの説があるが、
どちらがどうかは定かではない。
そんな場所の近くに立つ灯台には北九州弁で書かれた救命用のペットボトルの
「 浮くっちゃボトル 」 が備え付けられている。


柏原港西防波堤灯台へのアクセス
柏原港西防波堤灯台へは、芦屋の街中から若松方面に向かって
国道495号線を5分ほど行くと、
柏原集落の左側に「海の駅」の看板がある。
そこから左に入った突き当りが堂山になる。
また、海の駅の入り口の反対側には「芦屋町歴史民俗資料館」なるものがある。
駐車は、堂山入り口に邪魔にならないようにすれば駐車できる。



一枚の絵 「 陽 春 」 マルブツブロンド

2015-03-31 04:49:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...







日曜日に行われたGⅠ 「 高松宮記念 」
その中京競馬場で
かつて
ゴール寸前に止まった心臓で
ゴール板を駆け抜けた馬がいる

昭和63年3月13日 
中京競馬場の長良川特別で
ゴール後もんどり打って倒れ
急性心不全のため死亡した
マルブツブロンド




沖縄県粟国島 「 筆ん埼と港に続く道 」

2015-03-29 00:00:41 | 離島めぐり



軍艦の部埼のような形をした 「 筆ん埼 」








「 筆ん埼 」 の遠望




























粟国村役場







粟国村中央公民館







粟国郵便局







JAおきなわ 粟国店





















那覇(泊港)を結ぶ 「 フェリーあぐに 」










筆ん埼は、粟国島の一番西側にあり、
一帯の広場を、最も端という意味で『マハナ』と言う。
筆ん崎付近の地層は白色凝灰岩が広く分布し、
この白色凝灰岩が作る海食崖は他に例がなくとても貴重なもので
現在も崩れ続けている。



夢の話 「 競輪選手 ・ 吉岡の夢 」

2015-03-27 04:30:41 | 競輪・オートレース



引退パーティーにて







日本選手権競輪の祝勝会にて





今日のブログのテーマである 「 夢 」 は、将来の夢ではなく、
眠っている時に見る 「 夢 」 を題材にしたものである。

22日の日曜日に行われた日本選手権競輪の優勝戦。
そのレースは日曜出勤でリアルタイムで見ることが出来なかったので、
一昨日の夜、仕事から帰ってから録画観戦した。
そのインパクトが強かったのか?
その夜、夢の中に吉岡稔真が出て来た。

以前は、競輪選手時代の夢を頻繁に見ていたが、
最近はあまり見なくなった。
そんな競輪選手時代の夢を久し振りに見た。

毎年この時期になると、新年度からの出走が可能かどうかの
可否を決める身体検査が行われる。
俗にいう 「 人間ドック 」 みたいなものというより、まさに人間ドックそのものだが、
その身体検査の再検査に吉岡と仲の良い中井大介が揃ってやって来たのだ。
「 おう!吉岡どうしたんか? 」 って訊くと、
「 再検査ですよ。 」 って、いつもの口調で返って来た。
そんなやりとりの、なんかとってもリアルな夢だった。



沖縄県恩納村 / 沖縄の文化財 「 仲泊遺跡 」

2015-03-25 04:29:41 | 沖縄の文化財







仲泊遺跡
Nakadomari Ruins
( 国指定史跡 )
National Historical Monument


指定年月日 : 昭和 50 ( 1975 ) 年4月7日 
Designaed Date April :7,1975
所在地 : 沖縄県中頭郡恩納村字仲泊比屋根原
Location : Nakadomari,Onna-son,Nakagami-gun,Okinawa-ken


仲泊遺跡は標高20m~30mの琉球石灰岩丘陵の
東側崖下に形成された遺跡群である。
史跡内には4つの貝塚と近世の石畳道があり、
このうち第4貝塚と呼ばれている所からは、
沖縄貝塚時代前期 ( 約3500年前~2500年前 ) の
岩陰礫床居址にともなって仲泊式土器が発見されている。
近世の石畳道は別名、比屋根坂とも呼ばれ、
首里城を起点として国頭へ向かう西海道の一部であった。
現存する石畳道の総延長は約174mで、
昭和48年に国道58号線の改良工事で壊されそうになったが、
保存運動により保護された遺跡である。


 The ruins are under the east cliff of a Ryukyuan limestone which is 20~30m.
above sea level.
There are four shell mounds and a stone pavement in the sites.
In one of the shell mounds, called the Fourth Shell Mound,
Nakadomari pottery are discovered along with remains of a rock shelter residence
with gravel bedding for the coffin which belong to the early Okinawan Shell Mound Age.



「 修理に出したカメラが帰って来た 」

2015-03-25 04:28:41 | 日記 ・ イベント







以前、「 ほこたて 」 という番組で紹介されたカシオのカメラ。
1秒間に25枚の高速で撮ってくれることで気に入って買ったカメラだ。
それが粉塵が原因なのか?レンズエラーが出て使えなくなった。
それで15日にムサシのトリミングに連れて行ったついでに修理に出していたものが、
昨日、 「 修理が出来上がりました。 」 と昼休みに電話が入ったので、
仕事が終わって帰りにエディオンに取りに行ったものである。

強烈な斜面に遮水シートを張って疲れてクタクタになっていたが、
「 カメラを取りに行かなければ 」 という目的があったので、
キツくてもそれなりに順応するものである。

やはり使い慣れた愛着ある物が手元に帰って来るのは嬉しいものである。



熊本県美里町 「 日本一の石段とハートの看板 」

2015-03-24 04:37:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



その数が3333段の日本一の階段が釈迦院に続く








美里町小筵にある石段のモニュメント










熊本県美里町 ( 旧中央町 ) 小筵の交差点に石段のモニュメントと
恋人の聖地 ( ハートの看板 ) がある。
釈迦院に通じる3333段の石段は日本一の階段で、
ボクが熊本にいる頃、先輩の佐藤良富さんと一緒に昇った時は、
たしか1700段くらいしか出来てなかった気がする。
それでも降りる時に膝がカクカクなってかなり堪えたことを憶えている。

石段が3333段になってから昇っていないので解らないが、
制覇するとなると、かなり脚に来ると思う。




疲れを癒やす今宵の酒 「 麦焼酎 ・ 百助 」

2015-03-24 04:36:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







一昨日の夜はキツくて眠くてブログを作成する気力がないまま寝てしまった。
工期に追われる作業が続いて、筋肉を稼働させるにも
持久力を含めた体力的にも一杯一杯の状態で仕事に出ている。

まぁ、競輪選手時代の魂を削って走るような精神的に追い込んだキツさはないが、
それでも工期に追われているので急かされての作業は気分的にコタエル。

そんな疲れを癒してくれるのが 「 今宵の酒 」 である。
勝っても負けても飲んでいた選手時代の喜怒哀楽の水と違って、
疲れを半分にしてくれる。いや3分の1にでもいい。
そんな魔法の水は必要不可欠である。




うちなー料理 「 ドゥルワカシーと 咲元 」

2015-03-22 04:51:41 | 沖縄



マッシュポテトのような 「 ドゥルワカシー 」と琉球泡盛 「 咲元 」





「 ドゥルワカシー 」 とは、沖縄名産の 「 田芋 ( ターウム ) 」 を使用した料理です。
変わった名前のこの料理は 「 泥沸かし 」 という意味です。
田芋を煮ると、まるで泥を煮ているかのように見えることから、
このような名前が付いたそうです。
こんな名前ですが、食べてみると、とっても美味しいのです。
さまざまな素材から出汁が出て、泡盛との相性もとても良い一品です。

沖縄の田芋は、内地の里芋のようなものだと思ってもらえればいいだろう。
そんな田芋の特徴として、小芋が親芋の周辺にたくさん付くので、
“子孫繁栄”を象徴するおめでたい食材として、
祝い事にドゥルワカシーが出されます。


作り方は、田芋と水にさらしてアクを取った芋茎を、
豚肉や椎茸などの具材と炒め合わせて、
だしを加えてねばりが出てくるまで煮て、田芋をつぶしながら練ります。

家庭によって違ってくるのは、使用する油とだし、そして味付けです。
炒めるときは、サラダ油やラードを使用し、
だしはかつおだしや豚の煮汁を使い、味付けはしょうゆや塩など、
それぞれの家庭によって味が違ってきます。
また、田芋の代わりに、里芋でも作ることができます。

さらに 「 ドゥル天 」 という、油でドゥルワカシーを揚げたものは、
おやつやおつまみにおすすめです


沖縄県宜野湾市 「 大山御嶽 ( おおやまうたき ) 」

2015-03-22 04:50:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所







宜野湾市にある大山御嶽は、
大山貝塚からさらに坂を上りがり、普天間基地のフェンス沿いの小路を行くと、
そこは伊波ヌ御願小と呼ばれ、伊波門中の発祥地である。
左側に1761年建立の石碑がある。

「 昔、ウスクガー(南風原町宮城)に天女が降りて子孫が繁栄し、
宮城ノロも始まった。姓が分かれていき、
伊波子という者が200年ほど前に当地に来て地形を見分けた。
平野に丘が続いて清水がある。
近くに海があり、豊かな土地である。
喜んでこの村に家を構え、大山と号して御嶽を建立し、
美松を植えて崇拝した。

子孫も繁栄し、特に謝名真徳は強力な武勇で諸人に貴ばれ親しまれた。
毎年3月3日には兼久で馬遊びをしたので、
願立ての際はそこから堀切川の先祖墓に向かって拝礼する由、言い伝えられている 」 とある。

石碑の裏には、桃原親雲上、宮城掟親雲上、宮城にやなどが記名されている。
伊波門中はウチマーや旧暦9月9日に大山御嶽を拝んでいる。


※ 9月9日 クングヮチクニチは、菊酒・重陽 ( ちょうよう ) とも言い、
  菊花を酒杯に入れて飲み、健康長寿を祝う。
 

「 一枚の絵 」 木炭画 ・ グレートタイタン

2015-03-21 06:05:41 | 絵画と個展








今回の中津の個展で
展示しなかった
一枚の絵

その絵は
我が家の玄関に
飾られている






沖縄風景 「 那 覇 」

2015-03-21 04:43:41 | 沖縄



那覇空港







ゆいレール 「 県庁前駅 」 付近






那覇港と御物グスク




今の仕事のめどが付いたら
沖縄へ行こう
うりずんの沖縄へ
暖かい沖縄へ



「 ふんわり鏡月 ・ しそレモン 」

2015-03-21 04:42:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







昨日は4時過ぎから生コンを打った。
それで生コンを打ち終わって金ゴテで仕上げて帰ったのが7時過ぎだった。
雨で休み明けからいきなりの残業は疲れる。
オマケに日曜出勤も確定的で、やれやれだな。

この前の 「 アセロラ 」 に続いての鏡月であるが、
実はこの前買った鏡月は 「 しそレモン 」 と思って買ったもので、
オマケのグラスの箱が 「 しそレモン 」 の箱だったので、
てっきり 「 しそレモン 」 と信じ込んで購入したものであった。

個人的には 「 アセロラ 」 の甘酸っぱいのが飲みたいと思っていたから
別にスッと受け入れられたが、
一度は飲んでみたいと思っていた 「 しそレモン 」 だったから、
今回は 「 しそレモン 」 を買ったわけである。
想像できる味だったが、
どっちかというと梅酒系だった。



石橋の宝庫 / 熊本県美里町 「 二俣橋と年祢橋 」

2015-03-20 04:44:41 | 熊本の石橋



二俣五橋と呼ばれる ( 年袮橋・新年袮橋・二俣渡・二俣福良渡・新二俣福良渡 ) で構成されている。








二俣渡橋から二俣福良渡橋を望む







二俣渡橋から年袮橋と新年袮橋を望む







二俣渡橋から二俣福良渡橋を望む







二俣渡橋に建つ路標







「 機織橋 ・ はたおりばし 」( 上流側 )







「 機織橋 ・ はたおりばし 」( 下流側 )







妙見橋






椿橋 ( つばきばし )







小筵橋 ( こむしろばし )











熊本県美里町 ( 旧中央町 ) 佐俣界隈は石橋の宝庫である。
二俣渡橋や二俣福良渡橋から年袮橋。
年袮橋のすぐ上には小筵橋が架かり、
佐俣から国道443号線に沿って流れる釈迦院川に機織橋や椿橋。
その支流にも石橋が架かる。

石橋の探訪を始めたい方はここからスタートすると
多くの石橋をめぐる事ができるので、お薦めしたいコースである。


「 3月サヨナラ別れの季節 」

2015-03-20 04:43:41 | 競馬・ボート

このところテレビで卒業式のシーンをよく目にする。
3月という月は去り。
そして人は、それぞれの巣から旅立つ。
そんな別れや引退をテーマにしたエッセイを紹介したい。


以下、自身のエッセイ・熊本日日新聞 「 走馬とう 」 より。

毎年この時期になると、あちこちで別れのシーンを目にする。
新たなる出発(たびだち)を別れで飾る若者たちにとって、
「 一大決心 」なる心の選択は確かなものだと思う。

 別れの日、駅のホームで涙ぐむ恋人たち。
あるいは単身赴任で旅立つ夫もまた、ひとときの別れである。

 三月サヨナラ別れの季節。明日があるから別れがある、
別れがあるからまた、出会いもある。
人生は出会い、そして別れの繰り返しである。

 卒業の季節、三月。
私たちが所属する日本競輪選手会にも「 代謝制度 」があり、
一期間 ( 四ヵ月 )ごとに得点の下位から順に
35人の選手が辞めて行くシステムになっている。
たまたま、その最後のレースに居合わせると、
なんとも感慨深い思いが込み上げ、涙があふれてくる。
競輪選手としての最終レースをゴールインし、
無事、敢闘門へ引き上げて来た選手に花束が贈られる。
その光景に胸がキュンと詰まって感動でいっぱいになる。

労をねぎらう拍手のなか顔じゅう涙でクシャクシャにした選手を見て、
思わずもらい泣きをする。
言葉は、ただ「 お疲れさん」としか言えない。
多くを語れば声をあげて泣き出すのが怖くて拍手を送るだけだ。 

 私たち選手は、競輪開催中は4日間缶詰状態だから、
この4日間の共同生活が「 別れ 」に対する思いをことのほか大きくしているように思える。

 一方、馬の場合はどうだろう。
競馬の引退式はハイセイコー、タケホープから始まり、今では一流馬の証(あかし)であり、
種牡馬へのパスポートになっている。

 ターフビジョンに思い出のレースが流れるなか、
ゆかりのゼッケン番号をつけた馬が単走で駆けて来る。
『 ワーッ 』 という歓声の中、泣いている人、馬の名前を連呼する人・・・。
東京競馬場で、そぼ降る雨のなか、
傘も差さずに女の人が引退する馬を見送ったのは有名な話である。

 引退式をしてもらえる馬は最高にしあわせだと思う。
名も売れていない未勝利の馬などは、いつ走って、いつ去っていったのか分からない。
競走馬の末路は寂しく、あわれなものだと思う。
無事引退できれば善しとせねばなるまい。

 ターフでこの世を去って行った馬たち。
いつもこの馬たちの別れのシーンを思い出す。
遠い昔は、ハマノパレード、キシュウローレル、テンポイント ・・・。

 ふと、歌の一節を思い出した。
『 さよならは別れの言葉じゃなくて、ふたたび会うための遠い約束 』 と  ・・・