昨日、まさか?と思うニュースが飛び込んできた。
これまで ” 対岸の火事 ” だと思っていたコロナ感染者が我が町から出た。
小さな小さな田舎町からである。
緊急事態宣言の解除で気の緩みが出たわけではないだろうが、
北九州市を始め第二波が起こっている。
人々を苦しめるコロナという名の疫病をアマビエと渋うちわで祓ってもらおう。
昨日、まさか?と思うニュースが飛び込んできた。
これまで ” 対岸の火事 ” だと思っていたコロナ感染者が我が町から出た。
小さな小さな田舎町からである。
緊急事態宣言の解除で気の緩みが出たわけではないだろうが、
北九州市を始め第二波が起こっている。
人々を苦しめるコロナという名の疫病をアマビエと渋うちわで祓ってもらおう。
博多港の船上から見た博多ポートタワー
五島行きフェリー 「 太古 」 からの眺望
夜の博多ポートタワー
昨日の午後3時すぎ、福岡市博多区築港本町の
博多ポートタワー ( 高さ100メートル ) から煙が出ていると119番があった。
福岡市消防局などによると、ポートタワーは2019年6月から改修工事中で、
作業に当たっている業者や、展望室の上階にある市の無線局の職員は避難し、
3人が病院に搬送された。
約2時間後に鎮火し、消防局が原因を調べている。
当時最上階にいたという女性は、消防からの確認電話で焦げ臭さに気付いたといい、
非常階段を使って逃げたという別の男性は
「 市から 『 逃げてください 』 と連絡を受けて避難した。驚いている 」 と、
困惑した様子だった。
現場周辺は緊急車両や煙を見上げる人たちで一時騒然とした。
博多港のシンボルとして親しまれている博多ポートタワーは、
東京タワーや通天閣を設計したことで知られる建築構造家の内藤多仲氏が設計し、
昭和39年 ( 1964年 ) 10月に完成した。
昨夜の 「 国民祭典 」 の嵐の歌に涙が出るほど感動したが、
今日の 「 祝賀 即位パレード 」 もキラキラ輝いて感動した。
まさに、 ” 天皇陛下万歳! ” である。
ミホノブルボンの ” たてがみ ”
最近、衝撃的なニュースが流れて来た。
一瞬、耳を疑ったが、テレビを点けてみると
ダービー馬 、ウイニングチケットのたてがみを切られたという。
それがネットで販売されているというから驚きである。
以前にも書いたと思うが、
ボクの手元にはミホノブルボンとニッポースワロー。
そして大好きなミスターボーイのたてがみが保管されている。
もちろんそれは、厩舎を管理している管理者から頂いたものであるが、
このような事件を鑑みて、
そのたてがみを題材にして、
かつてボクが連載していた熊本日日新聞社のエッセイを紹介したいと思います。
「 ブルボンのたてがみ 」
九州では大雨が降っていた6月の末、北海道の早来にいた。
かねてから牧場を回ってみたいと思っていたので、
函館記念競輪の参加は何よりのプレゼントだった。
競輪が終わった次の日、この春教員を辞めて北海道に移り住んだ、
熊本市出身の桜木半治さんと新千歳空港の到着ロビーで待ち合わせた。
桜木さんは済々黌高校卒業し、福岡教育大学を経て熊大へ、そして横浜で教員をやっていた。
桜木さんと知り合ったのは競馬を通じてのものだったが、実際こうして会うのは初めてであった。
新千歳で会ってから、そのままテンポイントで有名な吉田牧場に直行した。
吉田牧場に着くと早速馬房へ行き、天皇賞馬のプリティキャストを見せてもらった。
そのあとテンポイントのお墓参りをして、ミホノブルボンのいる吉田晴雄さんの家へ急いだ。
牧場から牧場までの移動は全て車になる。隣同士の牧場でもかなりの距離があるからだ。
ブルボンのいる馬房に行くと、カイバ桶に顔を突っ込んだままバリバリと青草を食(は)んでいた。
故障している右後肢に巻かれたバンテージが痛々しく目に映った。
「 あまり具合がよくないから、もう80日ちかく馬房から出してないんだ。
だからストレスがたまってイライラしているんだ 」 と吉田晴雄さんは言う。
この日はノーザンホースパークと橋本聖子の実家である橋本牧場を見学して桜木さんの家へ泊まった。
ちょうど、作家の吉川 良さんもここに来ていて、
一晩中馬の話や競馬、そして文学の話などをしながら飲み明かした。
翌日、岩見沢まで競馬を見に行こうと盛り上がって眠ってしまった。
あれだけ飲んだのになんのその、
ケロッとして朝早くから午後の種付けに間に合うように岩見沢まで行き、
3レースまでして吉田牧場まで戻って来た。
ワカオライデンとラッキーキャストの種付けを見せてもらったあと、
新千歳まで桜木さんの車で吉川さんと一緒に送ってもらった。
その夜、札幌で騎手の南井さんと食事の約束をしていたので街へ出た。
結局この日も遅くまで飲んでしまった。
少々疲れたが、いろんな思い出を持って家へ帰って来た。
それから、すぐにお世話になった人たちにお礼の手紙を書き、
九州のラーメンを送ったら返事が届いた。
前略御免下さいませ。
一昨日より久し振りに晴れましたが、相変わらずストーブを焚いております。
昨日は御地名産のラーメンと御丁寧なお手紙ありがとうございました。
牧場の見学だけで喜んで頂け、何よりでございました。
ブルボンのたてがみですが、これまで戸山調教師の棺以外には、
どなたにも差し上げた事がございませんが、◯◯さんにだけですのでお納め下さいませ。
また機会がございましたら、お立ち寄り下さいませ。
乱筆ながらこれにて。
皐月賞、ダービーを制したミホノブルボンの栗色のたてがみは、
私の机の中に大事に大事に仕舞ってある。
金子原二郎候補の応援演説に来た北村誠吾衆議院議員 ( 宇久島 平港にて・・・ )
今朝の新聞に思い入れのある名前が載っていた。
地方創生担当相、北村誠吾 ・・・
あれは宇久島に行ったときのこと、
太古丸を降りて宇久観光案内所でバイクを借りようと待っていたら、
黄緑色のジャンバーを着た人が二階から降りてきたので、
てっきり観光案内所の人だと思って声をかけると、
「 私は北村誠吾といい、衆議院議員をやっている 」 と言う。
しばらく時間があったので、灯台めぐりで宇久島に来たことや、
佐世保競輪を最後に競輪選手を引退したこと。
そして 町議会議員を2期務めたことなどの話をしたが、
先生の知識の豊富さや、記憶力の良さに驚いてしまった。
秘書も同行させず、カバンひとつで自らパンフレットを配り、 忙しく動き回る素軽さにも驚かされた。
そんな先生がメモ紙に鉛筆で力強く書いた名前と 携帯番号を見ながらブログを書いている。
ホントは、その凄まじさを見せたくて動画を撮ったけれど、
You TubeをアップするPCが壊れていて残念ながらその状況がアップ出来なかった。
それで画像だけの投稿になったが、やはり画像だと迫力は半減するが仕方ない。
今日、九州北部 ・ 四国 ・ 近畿 ・ 北陸の各地域において
平年よりも5日おそい梅雨明け宣言が出された。
雨は嫌だが、それ以上に蒸し暑さは大嫌いだし、苦手である。
これから暑くなるだろうが、大嫌いな夏が過ぎる秋までガマンしよう!
新上五島町の津和崎灯台
津和崎から望む小値賀島と野崎島
小値賀島にある 「 おぢか空港 」
テレビの画面に見覚えのある場所が映っている。
以前、教会や灯台をめぐるために、
五島列島の福江島、奈留島、久賀島、椛島、黄島、嵯峨ノ島。
新上五島町の中通島、若松島。
さらには、小値賀島、野崎島、寺島、宇久島、西海市の江島と平島など、
1年に7度、これらの島に足を運んだことがある。
それだけに見覚えのある場所が被害があると心配である。
被害が出ないことを願い、一刻も早く雨雲に去ってもらいたい。
気象庁は、6月26日、九州北部と
四国、中国、近畿が 「 梅雨入りしたとみられる 」 と発表した。
九州北部は平年より21日遅く ( 昨年より21日遅く ) 、
統計が残る1951年以降で最も遅い記録になった。
これまで、一番遅い梅雨入りは、1967年6月22日だった。
四国は平年より21日遅い ( 昨年より21日遅い ) 発表で、
梅雨入りを特定しなかった1963年 ( 東京オリンピック前年 ) を除いて、最も遅い記録であり、
中国地方も平年より19日遅い ( 昨年より21日遅い ) 発表で、最も遅い記録であった。
これまで、一番遅い梅雨入りは、1968年6月24日だったがそれを更新し、
近畿は平年より19日遅い ( 昨年より21日遅い ) 発表で、
梅雨入りを特定しなかった1963年 ( 東京オリンピック前年 ) を除いて、最も遅い記録となった。