遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(369) 小説 十三枚の絵(6) 他 言葉は心の鏡

2021-10-31 13:08:50 | つぶやき
          言葉は心の鏡(2021.10.10日作)


 言葉を残そう
 書き留めた言葉を 残そう
 言葉は 人の心 心の中を
 映す鏡 写真 一枚の写真が
 あなたの心の中を 写す事はない
 それは 出来ない 不可能
 言葉 一つの言葉は
 あなたの心 心の内を
 後に残った あなたの子供
 あなたの孫 またその子供 達にも 伝える
 それが 出来る
 人は心 心は人
 言葉だけがあなたの心
 あなたの 人となり それを あなたの
 後を生きる人々に 伝える事が
 出来る
 心を伝える言葉 
 一つの言葉には それが出来る
 書き残された言葉 一つの言葉が
 あなたの心を 後に生きる人々に
 伝える 
 人は心 心は人





          --------------------





          十三枚の絵(6)


「でも、そこに至るまでには、過程を描いた絵があってもいいんじゃないかなあ。それが一枚もない。それにこの " 生活 "という、最後から二番目に描かれた絵を含めて、女と結城さんの二人が描かれている絵にはどれも明るい色調が混じっている」
「これだけ何か、突然変異っていう感じだよなあ」
 わたしも言った。
「あるいはこの絵には、何かの意味が隠されているのかも知れないよ」
 森本が言った。
「うーん。だけど、考えてみると変だよなあ。たった一夜のうちには収まらないだけの内容が、この数々の絵の中にはある。それに、結城さんはいったい、どの時点で病気の発作に見舞われたんだろう。ここに書かれた数々の絵で見る限り、帰る途中でとしか考えられない」
 わたしは言った。
「こりゃあ、事実ば描いたもんではねえだよ」
 辰っあんが言った。
「えっ ?」
 わたしは辰っあんの顔を見た。
「おそらぐ結城さんは、山ん中で体力ば消耗しちゃって、幻覚に見舞われだに違えねえだよ」
 辰っあんは言った。
「幻覚 ?」
 わたしは言った。
「うん」
「どういう訳で ?_」
 森本が聞いた。
「ひでえショックば受けだ人間は、一晩で頭の毛が真っ白になっちまうって言うよ。おそらぐ結城さんは、あにが精神的なショックば受けで、幻覚の中ば彷徨っていだに違えねえだ。そうでなげれば、一晩であんなにも変わるもんではねえよ」
「なる程、そう言われればそうだよなあ」
 わたしは言った。
「ここにあるのは、その幻覚を絵にしたっていう事か」
 森本が言った。
「多分、そういう事だっぺえ」
 辰っあんは言った。
「なる程ね。そう考えれば考えられるよな。いずれにしても結城さんは、肉体的には相当困憊していた事は事実だよな。帰って来た時のあの様子からして」
 森本は言った。
「それは言えべえ。だけっど、一晩であんなふうに変わってしまうなんて事あ、そうあるもんでねえど」
「それはそうだよなあ。あんなふうに変わってしまうなんて」
 わたしも言った。
 結城さんは絵に生涯を懸けた絵描きらしく、絵の中には何一つ言葉を残していなかった。その為、総てをわたし達の勝手な推測に頼る事しか出来なかった。
「この絵の "沼 "っていうのは、あの北山にあるっていう沼の事なのかなあ」
 最後に森本が信じかねるようにポツリと言った。
「そうだっぺえ」
 辰っあんが迷いもなく言った。
「すると結城さんは、あんな所まで行ったという事なのか」
「迷い込んでしまったっていう事じゃないのか」
 わたしは言った。
「そういう事ったぺなあ。事によると元気な頃に行ってたつう事も考げえられるしな」
「どうだい、暖かくなったら一度、その沼へ行ってみないか ?」
 森本が興味深げに言った。
「いいね、行ってみたいね。伝説の沼っていうのが、どんな沼なのか見てみたいよ」
 わたしも大いに乗り気になって言った。
「どうだい、辰っあん ?」
 森本は言った。
「よがっぺえ。ああに、行ぐ気になれば行がれねえ事もねえよ」
 辰っあんは泰然自若だった。
 わたしには大いに興味のあるところだった。その沼が結城さんが描いた絵の通りの沼なのか、あるいは、結城さんの幻覚が描き出した沼なのか。その沼を見る事によって、結城さんが描いた絵の謎も解けて来るような気がするのだった。


          四



 わたしは東京へ帰ると予定を組んでみた。
 三月の彼岸の連休には都合が付けられた。
 森本に電話をすると、いいだろう、という事だった。
 結城さんの遺骨は東京の森本家の墓地に納められた。
 墓参は出来なかったが、結城さんが住んでいた家の玄関先に花と線香だけでも、供えようという事になった。
 三月の連休、わたしは土曜日の午後、東京駅を発った。
 その夜、辰っあんも森本の家へ来た。
 三人で酒を酌み交わした。
 翌朝、わたし達は辰っあんの忠告に従って、雑木や野茨の繁みに入る事の出来る服装に身を固めた。手には厚い手袋をした。
 辰っあんは木刀のような樫の棒を持ち、上着のうちポケットには大きなナイフを入れていた。
「何するの、それ ?」
 わたしは理由が分からなくて聞いた。
「ああに、木の蔓ば搔っ切るのにいいど思ってよ」
 わたし達は結城さんの住んでいた家に寄って線香や花を手向けたあと、十時過ぎに山に入った。
 北山と呼ばれる小高い山が見える所まで行くのに、杉林の中を三十分も歩いた。
 杉林の中にも丈高い芒の繁茂が見られた。それでも此処は、猟場でもあり、勝手知った場所だっただけに、さほどの困難は覚えなかった。
 その杉林を抜けるといったん、芒の一面に生い茂った窪地へ出た。
 そこからは遠く彼方に、なだらかな勾配を見せた北山の姿が望めた。
 その北山を望みながらわたし達はまた、胸元にまで迫る芒の中を歩いた。
「結城さんがキジを撃ったというのは、この平地だったのかなあ」
 わたしは辰っあんに聞いた。
「多分、そうだっぺえ。地理的に見でも」
 辰っあんは先頭に立って歩いていた。
「傷付いたキジを追って、あの山の中へ入って行ったのかなあ」
「そういう事だろうな」
 わたしの前を歩いていた森本が言った。
 わたし達の胸元までも覆う芒は一冬の名残を留めて、まだ黄色かった。
 わたし達は手袋をした手で、その芒を掻き分けて進んだ。





          ----------------


          桂蓮様

          有難う御座います
           新作拝見致しました
          何も考えていない と書かれています
          ちょっと否定的に取られているように伺えますが
          これはとても良い事ではないのですか
          座禅の真髄に達する 最高の境地 無の世界ですよね
          座禅が求める世界がここに有るのではないですか
          無になる
           なーんだ 一つの考えにずっと意識を向けている
          事さえも出来なかったのか 雑念を切るのも 負う
          のも出来なかった ーーそれこそ無の世界ですよ
          座禅の求める世界です 何事にも捉われず
          無になってそこから 新しい自分の人生を見詰める
          死んだように生きられたら 真の生に
          辿り着けるかもしれない 禅の境地です
          貴重な体験ではないでしょうか
           コメント 有難う御座います このコメント
          こんな狭い世界に閉じ込めて置くのは勿体無いです
          とても面白く拝見しています 是非 このような御文章
          をブログに載せて下さい 肩の力が抜けてコミカルで
          とても楽しく拝見出来ます わたくし以外 他の方々に  
          も読んで戴きたく思いますし 受けるのでは
          ないでしょうか 桂蓮様の日常が垣間見え アメリカで
          生活する という事の実態が透けて見えて来ます
          是非 このような御文章を発信して下さい
           何時も有難う御座います



          takeziisan様

          有難う御座います
          今回も素晴らしいお写真の数々 堪能させて
          戴きました それにしても よく旅行をなさっています
          引退後 これらの美しい写真のアルバム 眺めるのも
          人生の良い思い出になるのではないでしょうか
           君子欄 わが家では放りっぱなしです それでも
          毎年 見事な花を咲かせて それが実となり落ちて
          今では無数の芽が出て 育っています
           わが家でも餅を搗きますが 正月だけです 兄妹
          みんなが集まりひと時を過ごします ただ今年の正月は
          例のコロナで出来ませんでした 餅だけは搗きましたが
          もう五十年近くの習慣で 餅つき器は今も健在です 
           秋の歌 昨夜 就寝前の一時 軽くウイスキーを口に 
          しながらフランスの詩集を開いていて ヴェルレーヌや
          ボードレーヌなど眼にしていました 偶然にちょっと
          驚いていますが 外国の詩は訳す人に寄って違いますの       
          で原文で読めたらとしみじみ思います
           この並木道の写真 去年 拝見した記憶があります
          確か 奈良光枝の 白いランプの灯る道 という歌を
          思い浮かべる と書いたと思います
           すずらん 実になるのですね
           柚子 毎年 田舎の実家へ取りに行った事を
          思い出します 今ではその土地も太陽光発電の
          施設になっています 兄妹 みな歳を取り 行く事も
          面倒になりましたので
           雪国に帰る 良い御文章ですね 文にして残して
          置いたからこそ こうして当時を偲ぶ事が出来ます
          今回 冒頭に文にして残そうという短文を載せましたが
          これもまた 偶然です
           妹さんの死 確か以前にも伺っていましたが
          こうしてお写真で見ると 一層 胸に迫るものが
          あります 肉親にしてみればなお更の事で 何時までも
          忘れる事は出来ないと思い出います それが幼い
          子供であっただけになお更の事と思います 
          幸い わたくしの兄妹は六人ですが皆 今のところは
          元気にしております
           大雪山の景色 三 四日前にNHKの番組で見て 
          なんて素晴らしい景色だと感動したばかりでした
          このような景色を実際に眼に出来るなんて 実に
          幸せな事だと思います それにしても 何度も言うよう
          ですが この国の国土は宝石のような国土だと思います
           その他 いろいろ楽しませて戴きましたが 余り
          長くなりますので
           何時も有難う御座います

 






         
 

遺す言葉(368) 小説 十三枚の絵(5) 他 最終幕を生きる ほか

2021-10-24 12:43:18 | つぶやき
         最終幕を生きる(2021.10.20日作)


 人生の最終幕を生きる人間には
 現実の世界の遠い未来に思いを馳せ
 そこに 夢を描く事は出来ない
 もはや 自身に取っては現実ではない
 自身のいない後の世界に 今この時点で
 どのように係わってゆけるのか
 そこに思いを致し 残り少ない
 最終幕の時間の中で 
 最善 最良の努力をする事こそが
 賢明 最良の道だ

 人生の最終幕を生きる人間には
 過ぎ去った時間の中にこそ
 真の人生が宿る
 過去の人生を耕し 育み
 その中で育てた芽を 
 世の中 社会に植え付ける
 人生の最終幕を生きる意義も
 安らぎも そこに生まれる





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          十三枚の絵(5)


 初めて見る結城さんの八畳の部屋は、無数の絵で埋もれていた。
 立てられた画架には、筆の跡のない白い画布が張り付けられたままになっていて、それが、奇妙に鮮烈にわたしの眼を射た。
「通夜は今夜という事か ?」
 わたしは森本に聞いた。
「うん。さっきまで、妹さんの御主人がいたんだけど、車で帰って、御両親や家族を連れて来るって言ってた」
 辰っあんが地元の慣習に馴れた者らしく、近所の二、三の主婦と一緒に、てきぱきと動き廻っていた。
 通夜は内輪で、ごく簡素に行われた。
 結城さんの御両親も妹さん夫婦も、結城さんを深く心に掛けていた事がそれぞれ、一つ一つの動作からはっきりと読み取れた。
 わたしは、そんな人達の姿を見ていて、なんという事もなく、救われるような安堵にも似た気持ちを覚えていた。



               三



 結城さんの肉体は、肝硬変と胃潰瘍によって激しく蝕まれていた。直接の死因は窒息死ではあったが、放って置けば遠からず死に至った、と解剖に当った医師は言った。
 結城さんは、森本の再三の勧めにも係わらず、医師の診断を受ける事がなかった。
「何度も勧めたんだけどなあ」
 森本は如何にも心残りな様子で言った。
「結城さん自身、自覚していたのかも知れないよ」
 わたしは言った。
「うん」
 森本は言葉少なに呟くだけだった。
 結城さんの亡くなった後の身辺は妹さんが整理をし、遺品を持ち帰った。
 おびただしい絵のうちから何点かが森本の所に残された。
 年が明けた二月の初め、森本から電話があった。
 結城さんが残した絵を見に来い、と言うのだった。
「実に不思議な絵なんだ。結城さんが絵の中で何か言ってるような気がする」
 わたしは時間を遣り繰りして一週間後に行った。
 辰っあんも来ていた。
 森本の所に残された絵は二十点あった。
 七点が風景や花を描いた絵だったが、あとの十三点はまるで異なる奇妙な絵だった。
「結城さんが死の間際に描いた絵だよ」
 森本は絵の具の跡も生々しい絵を示して言った。
「妹さんが好きな絵を取ってくれって言うので、貰っておいたんだが」
 森本が座敷に並べた十三枚の絵は、思わず見る者の心を引き摺り込まずにはおかないような、暗く重い色調の絵だった。
「何が描いてあるんだ ?」
 わたしはその絵に描かれている情景がよく分からずに森本に聞いた。
「分からない」
 森本も憮然とした様子で言った。
 風景や花を描いた絵は、素人目にもきれいに正確に描かれていた。
 辰っあんなどは、此処はあそこだ、これは此処だ、と、いちいち指摘出来るほど精密、詳細に描かれていた。
「よぐ、まあ、こうやって一本一本、そっくりそのままに描げるもんだなあ」
 辰っあんは感心して言った。
「それに比べてこっちの絵は、まるで違う。絵に付いては素人でよく分からないけど、それでも、こっちの絵には結城さんが込た気迫のようなものが見た瞬間に伝わって来る」
 森本は座敷に並べられた十三枚の絵を見渡して言った。
「おい、見てみろよ ! これはキジだよ。キジが撃たれて血を流しながら飛んでゆくところだよ !」
 わたしは、灰色の渦巻きが描かれた一枚の絵を見て初めて気付き、指差して言った。
 絵の左上には暗緑色と赤の入り混じった塊りのようなものが、鳥状に描かれていた。
 森本がわたしの指差した画面を覗き込んだ。
「ああ、そうだ。で、これが銃を持った結城さんっていう事か ?」
 画面の右下、人の上半身とも見えれるような黒い陰を指して森本は言った。
「うん、そうじゃないかなあ」
「あんだが、よぐ分がんねえけっど、そう言われれば、そうみでえだなあ」
 辰っあんも覗き込んで言った。
「そうだよ。そうに間違いないよ」
 森本は確信に満ちた声で力強く言った。
「ほら、ここに  "キジを撃つ" って書いてあるよ。" 63 11 13。これは絵を書き上げた時の日付だ」
 わたしは手に取った絵の裏を見てその数字を発見した。
 わたしが差し出した絵を手にした森本も、
「本当だ」
 と言った。
 わたし達は次々と一枚一枚の絵を裏返し、数字を確かめていった。
 絵には数字と一緒に題名も添えられていた。
「 "沼 " これは沼の近ぐに家がある絵だなあ。" 63 11 16」
 辰っあんが言った。
 わたし達はそれぞれが手にした絵の題名を読み上げていった。
「美しい女」「二人」 「小舟」「魚を獲る」「闇」「迷う」「追跡」 「灯」 「生活」 「途方にくれる」
 そのあと、改めて三人で一枚一枚の絵を仔細に眺めていった。
 するとそこには、自ずと一つの筋道が見えて来るように思えて来た。そして、わたし達三人が導き出した筋道は次のようなものだった。
 結城さんは夕暮れの草原でキジを撃ち、そのキジを追っているうちに山の中で方角を見失い、道に迷ってしまった。
 途方にくれて歩いているうちに、明かりを見付け、近付いてみると家があった。
 その家には女が住んでいた。
 女はどうやら、一人で住んでいるらしかった。
 何故なら、絵には結城さんと女の他には描かれていないからだ。
 その女の家は沼のほとりにあった。
 女はそこで漁をしながら生活している。
 結城さんはその家で一夜を過ごし、翌日には沼の上に小舟を浮かべて漁をした。
「大体、こんな所じゃないのかなあ」
 わたし達は結論に達した。
 そしてわたしは、そう結論を下しながらも、ふと、一つの事が気になって、思わず言っていた。
「だけど、この " 小舟 "っていう最後に描かれた絵は何を表わしているんだろう。沼の上に空っぽの白い小舟がポツンと浮かんでいるだけだ。他の絵とはまるで雰囲気が違うし、それに筋道からもはみ出ている」
「うん、そうだな。言われてみればそうだ。女の姿も描かれていないしな」
 森本も言った。
 「女が死んだっつうこっではねえのが ?」
 辰っあんが言った。
「結城さんが殺したのかい ?」
 わたしは賛成しかねる口調で言った。
「いや、そんな事はないよ。この" 二人 "っていう絵を見てみろよ。暗い絵肌のの中で、この二人はだけはバラ色に描かれている」
 森本が即座に否定した。
「感情の行き違えっつう事もあっべえ」
 辰っあんが言った。





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          takeziisan様

          有難う御座います
          今回も楽しませて戴きました
          セイタカアワダチソウ 昭和四十年
          現在地に家を建てた時には周囲は丈高い
          アワダチソウで一杯でした 今は何処にも
          見られません 今更ながらに時の経過と
          世の中の移り変わりが実感されます
           サギですか 寒そう
          季節の移り変わりの速さ 慌しさ
           随分 難しい字の並んだ校歌ですね それにしても
          何から何まで わたくしの居た学校とは格段の差が
          あります 無論 良い意味での差です 進んでいます
          わたくしの居た学校などは ほとんど 野放しの状態
          でした それだけに生徒達ものびのびしていた記憶は
          ありますが
           十三夜 わたくしも見ました 見事でした
          十三夜というと自然に榎本美佐江を思い出します
          「十三夜」を唄っていますね 元々は戦前の唄で 
          リバイバル曲ですが 小笠原美都子としいう歌手が
          唄っていました
           山の写真 じっくり拝見させて戴きました
          このような美しい自然に包まれる 
          至福の時ですね 豊富な体験 羨ましい限りです 
          わたくしなどは当時 街中をほっつき歩くのが
          せいぜいでした
           弥彦神社の事故 覚えています 無論
          映像を見るのは初めてですが 当時 大事件として
          報道されましたね
           お若い頃 随分 ロマンテックだったのですね
          勿論 今もお気持ちにお変わりはない事と思いますが
          それにしても数多くの詩 詩集が編めるのでは
          このコーナーでも是非 一つに御纏めに
          なって下さい
           何時もお眼お通し戴き 感謝しております
          有難う御座います

          

          桂蓮様

          有難う御座います
          桂蓮様のブログを拝見していて
          論理的に組み立てられた御文章 
          安易に書いているとは思えません
          御謙遜とは思いますが どうぞ自信を持って
          これからも良い文章をお書き下さい
           一人だけのレッスン ちよっと淋しいですね
          仲間が居て ワイワイやりながらの練習なら
          楽しいでしょうがーープロを目差すのでないなら
          やはり 楽しさに包まれたレッスンの方がいいですよね
          写真付き記事 期待しています 百八十度 ちょっと
          無理 と門外漢は思います でも実際 バレリーナーは
          行っていますものね
           またかよおー 思わず笑いました
          どうぞ うっぷん晴らし 存分にやって下さい
          悪意の無い悪口 うっぷん晴らし 歓迎です
          楽しいです
           ブログでも何でも 必ず 中だるみ と
          いう状態が訪れます でも その時期を乗り切れば
          大した苦労も無く 自然のままに物事が進む時期が
          来るのではないでしょうか どうぞ 焦らず 
          これからも良い文章を書き続けて下さい 桂蓮様の
          ブログが消えてしまいますと寂しくなりますのでーー 
          アメリカ便りが楽しいです              
           言語の無意識化 分かり易く 明快な御文章
          いちいち 頷けます 良い御文章です
           英語 やっぱり御苦労がお有りだったのでしょうか 
          アメリカで生活なさる程ですから そんな御苦労は
          ないものとばかり思っていました 
          習うより馴れろ という事でしょうか
           何時も 有難う御座います これからも どうぞ
          辛口の御批評 宜しくお願い致します

          


 
 

 

遺す言葉(367) 小説 十三枚の絵(4) 他 寡黙な人

2021-10-17 12:25:31 | つぶやき
          寡黙な人(2021.10.12日作)


 物事の本質を知る者は
 言葉を失い
 寡黙になるものだ
 安易 安直に
 言葉を口にする人間には
 得てして「夜郎の本箱」ー物知り顔でいても 本質を理解していない人間ー的
 人間が多い


 世の中は 愚者の絡まり合い で
 成立している その中で 自己は
 どのようにして 真摯に 誠実に
 この世を生きられるか
 そこが 問題だ

 
 大木(いぼく)は デンと構えて
 蚊帳の外

 山百合の 香り懐かし 奥信濃

 榛名湖の 湖畔に一人 秋深く

 陽炎の 燃え立つ海辺 夏の村

 コスモスの 揺れるその中
 君の顔 あれは幻
 還らぬ日





          ----------------




          十三枚の絵(4)


 わたし達はしばらく、夜の中にものの動きを探るように黙っていた。
 二頭の猟犬の吠える声は激しさを増しこそすれ、鎮まる気配はなかった。
 森本は不審気な顔で席を立った。
 ガラス戸を開けて縁側に出ると、一枚の雨戸を繰った。
「誰だ !」
 外の闇に向かって怒鳴った。
 森本の声の鎮まった夜の闇の中に返事はなかった。
 猟犬たちは森本の声を聞いて吠え立てるのをやめた。
「あじょうした ?」
 森本の不審気な様子の背中を見て辰っあんが声を掛けた。
「誰かいる」
 森本は言った。
「結城さんじゃないのか ?」
 一呼吸置いてからわたしは言った。
 辰つあんが腰を上げた。
 わたしも辰っあんに続いた。
 わたし達は縁側から踏み石に降りると下駄を突っ掛け外へ出た。
 闇の中を庭を抜け、門の近くへ来ると御影石の門柱に因り掛かるようにして、蹲っている人の黒い影が見えた。
 傍へ行ってみると、やはり結城さんだった。結城さんが衰弱し切った体でそこに崩折れていた。
「結城さん ! 結城さん !」
 森本は抱え起こして声を掛けた。
 結城さんは森本の声に反応したが、答えるだけの力はなかった。
 猟銃は持っていなかった。
 森本は結城さんを背負うと座敷へ運んだ。
 頭髪が半分以上も白くなっていた。
 顔中に深い皴が刻まれ、一夜のうちに歳を取ってしまった、としか思えなかった。
 結城さんの意識は朦朧としていた。
 森本は好江さんを呼ぶと、床を取らせた。
 わたし達が居た座敷に結城さんを寝かせた。
「最上医院に電話をして、すぐに来て貰った方がいいかも知れないな」
 結城さんの血の気の失せた顔を見て森本が言った。 
「最上は年寄りだがら、こんな夜中には来ねがっぺえ」
 辰っあんが言った。
「今、何時 ?」
 森本が好江さんに聞いた。
「もう、十時過ぎよ」
 好江さんが言った。
「一応、電話をしてみてくれないか。急病人だから、なんとかして来てくれって。車で迎えに行くからって」
 " 医師(せんせい)は寝てしまったから、明日にして欲しい "
 電話に出た医院の者は言った。
 森本は電話を代わると、強引に頼み込んで医師の来る事を承諾させた。
 森本が車で迎えに行き、二十分程すると最上医師が来た。
 品の良い、穏やかな感じの老人だった。パジャマの上に白衣を着ていた。
 夜中にも係わらず、薄くなった銀髪をきれいに七三に分けていた。
「応急処置として、注射ば一本打っておぐけっど、こりぁ、大きな病院でよぐ検査ばして貰わねえど駄目だ」
 医師は老人のせいか、まだるっこい程、落ち着いていた。
 眼鏡の上側からわたし達を見て話しをした。
 注射の後、血の気の失せた結城さんの顔に幾分かの生気が戻った。
「何かあったんですかね。たった一晩のうちに、十歳も歳を取ったみたいになってしまった」 
 森本が言った。
「内臓が大分、傷んでる。胃も悪いし、肝臓もいげねえ」
 最上医師は、洗面器の水で手を洗いながら言った。
「明日もまた、来て貰えますか」
 森本は言った。
「うん、来てんべえ」
 翌日、十時頃、医師は来た。
「このまま、そっと寝かせでおいで、体力の回復ば待づこったね。消化のいい、栄養になるもんば食べさせでな。そっで、体力が回復したら、町の病院さ入れで精密検査ばして貰わねえど駄目だ」
 わたしはその日の午後、東京へ帰った。
 結城さんは暫くは森本の所で世話をする事になった。
 結城さんが死んだ、という森本からの電話が入ったのは、五十二日目の事だった。胃に穴が開き、吐血した血を喉に詰まらせての窒息死だった。
 自分の家での事だった。
 結城さんは五日目に、まだ、体力の回復もないままに自分の家へ帰った。森本が 引き止めるのも聞かなかった。
 その後、結城さんはなんとか体力を回復したが、なぜか、山で起こった事に付いては詳しい話しをしなかった。日没近くにキジを撃って、そのキジを追っているうちに方角を見失い、迫り来る闇の中で何も分からなくなるのと共に、気を失っていたという事だった。
 森本は結城さんが自分の家へ帰ってからも、一日に一度は結城さんを見舞った。
「最上医師(せんせい)が、精密検査を受けなければ駄目だって言ってましたよ」
 何度勧めても結城さんは、
「なあに、もう、大丈夫ですよ」
 と言って、森本の言葉を受け入れようとはしなかった。
 そんな結城さんだったが、森本が何時行ってもカンバスに向かい、絵を描いていた。写生に出る事はなくて、家にこもったきりだった。森本はその姿を見て、自分が思っている以上に結城さんは体力を回復しているのかも知れない、と思った。事実、カンバスに向かっている時の結城さんの気迫には圧倒されるものがあって、何度も声を掛けるのをためらった事があった、と森本は言った。
「やせ細ってはいたが、カンバスを見詰める眼だけはギラギラしていて、怖いぐらいだったよ」
 森本の知らせを受けて、仕事も放り出してわたしが掛け付けた時には午後四時を過ぎていた。辰っあんも来ていた。
 結城さんの妹だという、四十歳がらみの、細面のきれいな女性がいた。眼を真っ赤に泣き腫らしていたが、取り乱たところはなくて、しっかりした人のように見えた。
 わたしは結城さんの死が喀血による窒息死だと聞かされて、凄惨な遺体の状態を想像していたが、森本が白い布を取って見せてくれた結城さんの死顔は、穏やかで綺麗なものだった。
「明日、遺体を町の病院へ運んで解剖する」
 森本はわたしの耳元で言った。





          ----------------





          桂蓮差様

          何時も応援 有難う御座います
          新作がなく 過去の作品を逍遥してるうちに
          グランビーの初秋 写真 出会いました
          一度 拝見した記憶がありますが 改めて
          この環境 羨ましく思います 人嫌いの傾向のある
          わたくしには憧憬の環境です
           自意識の強弱
          寒い時に熱くなる事を願わず
          熱い時に寒くなる事を願わない
          季節が移ってゆく 気流にのって
          ただ その気流を眺め 
          その気流に乗ってゆくだけの事
           いい言葉です ここに人の生きる道の
          基本があります また これは禅の世界
          あるがままに受け容れる 
          有って良し 無くて良し 悟る
          そういう事です 坐禅の世界
           それにしてもグランビーの人口
          なんとまあ わたくしに取っては
          夢見る世界です 羨ましい世界です
           何時も有難う御座います
           感謝致します


         takeziisan様


         何時も詰まらない文章にお眼をお通し戴き
         有難う御座います
          今回もブログ拝見 楽しい時間を過ごさせて
         戴きました
          ブログ歴 やる事があるのは良い事ですね
        それにしても毎回 充実した内容を創るのは
        大変な御苦労だと想像致します
         野菜畑が羨ましい 好みのままに作れる野菜
        いいですね 収穫時が楽しいのではないでしょうか
         名人 栃錦 懐かしい名前
        時の過ぎ行くままに MJQ これも懐かしい
        MJQ アートブレイキー モンク ソニーロリンズ
        いろいろ レコード持ってます
         随分 詩を書いてますね お若い頃 何か
        文芸誌などに係わりましたか ?
         曽野綾子 クリスチャンですね
        神の教えは禅の教えと似た部分があります
        いずれにしても 人間は何かに頼らなければ  
        生きてゆけない存在でしょうか でも その神が
        人間を縛る どう考えたら良いのでしょう
         人間 結局は孤独な存在 無の世界を人は
        それぞれに生きてゆく それが
        わたくしの立場です
         不具合ありとの事 わたくしは幸い 不具合は
        有りません 血圧の低いのだけが難点です でも 医師は
        百歳まで生きられますよ と言ってます
         いずれにしても お互い 体に気を付け 何時までも
        こうして 元気な御様子が拝見出来たら と思っています 
         有難う御座います
        
  

        
 
 



 
 
  
 

遺す言葉(366) 小説 十三枚の絵(3) 他 歌謡詞 夜のブランコ 他

2021-10-10 12:38:27 | 小説
          夜のブランコ(2021.10.4日作)


 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ
 わたしの恋の 哀しみのせて
 あの人は 遠い街
 愛は短い 幻でした
 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ

 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ
 消えない胸の 傷あとのせて
 口づけに ふるえた日
 あれもはかない 幻でした
 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ

 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ
 流れる時の 過ぎ行く中に
 今はもう 帰らない 
 夏の短い 幸せでした
 揺れろ 揺れろ 夜のブランコ



     人の世は 
     片道切符の旅衣
     いつの日にかと
     夢を追いつつ幾歳月

     では またと
     誓いし人の今日逝きて
     愁いは深し 彼岸花





         -----------------ー





         十三枚の絵(3)


 一日の働きを終えた猟犬達が、空腹を訴えるように忙しく庭先を動き廻っていた。
「メリーはどうした ?」
 森本が聞いた。
「帰(けえ)ってるよ」
 辰っあんが言った。
「メリーが帰っていて、結城さんはどうしたんだろう ?」
 森本が初めて心配気な表情をみせた。
「メリー、結城さんはどうした ?」
 森本は結城さんが飼っているセッター種のメリーを掴まえ、首に手を掛けて聞いた。
 メリーはいかにもバツが悪そうに首をすくめると、森本の手をすり抜けていった。
「おかしいな。まさか、家に帰ったわけじゃないだろうな」
 森本は手をすり抜けていったメリーを呆然と見つめたまま不安気に言った。
「家に帰ったのなら、メリーだって一緒に行くだろう」
 わたしは言った。
「そうだよなあ」
 森本は言った。
「ああに、風呂さ入(へえ)ってるうじには帰って来べえよ」
 辰っあんは、たいして気にもしていない様子だった。
 わたし達は縁先に腰を掛け靴を脱いだ。
 森本の奥さんが四頭の猟犬に大きなボールに入った食事を与えた。
 わたし達が風呂から上がっても、結城さんは帰らなかった。
「好江。誰か、結城さんの所へやって、帰っているかどうか見て来て貰ってくれないか」
 森本が言った。
 使いは戻って来ると、結城さんは帰っていない、と言った。
 夜の食事は、何時もなら酒を酌み交わし、それぞれの自慢話しに夜の更けるのも忘れるのが常だったが、その夜は、結城さんの帰らない事への気懸かりを抱えたまま、酒も進まなかった。
「何か、あったのかなあ」
 森本はしきりに気にした。
「ああに、土地勘のねえ者(もん)ではねえし、戻りそびれて、山ん中(なが)で一晩、過ごす気になる事もあっべえよ」
 辰っあんは、あくまでも大らかだった。
「明日の朝になれば,、帰って来るかも知れないな」
 わたしも辰っあんの言葉に同意するように言った。
「でも、メリーが戻って来てるっていうのが、おかしいじゃないか」
 森本はなお、気懸かりを拭い切れないように言った。
「結城さんとはぐれてしまったんじゃないのか ?」
 わたしは言った。
「そういう事なんだろうけど、猟犬が主人とはぐれてしまうなんて、考えられるだろうかね。まして、利口なメリーの事だ」
 森本が辰っあんに問い掛けた。
「そういう事(こど)も、あっがも知んねえよ」
 辰っあんは、大きな箸で鍋の中のものを小皿に取り分けながら言った。
 その夜、辰っあんは十時過ぎに,自分の家へ帰った。
 わたしは森本の所に宿を取っていた。翌日の午後、東京へ帰る予定だった。
 結城さんは翌日も、午前中一杯待っても帰らなかった。
 その朝、メリーの姿が見えないので、わたしと森本は結城さんが帰っているかと思い、住まいに行ってみた。
 結城さんの家は雨戸が閉ざされたままだった。
 メリーが玄関先に、しょんぼりとした様子でうずくまっていた。
 メリーはわたし達の姿を見るといかにも心細気な様子で傍へ寄って来た。
「やっぱり、帰っていないよ」
 森本がわたしの顔を見て言った。
 わたし達が森本旅館に戻ると辰っあんが来ていた。
「あじょうだった。結城さんは帰ってだがい ?」
 辰っあんは言った。
「いや、帰っていない」
 森本は重い口調で呟くように言った。
「昼前(めえ)まで待ってんべえよ。そっで帰らねがったら、探しに行ってんべえ」 
「そうだなあ。ーー午後、帰るのか ?」
 森本がわたしを返り見て言った。
「ああに、俺と公ちゃんだけで、いいでねえがよお」
 辰っあんが言った。
「いや、大丈夫だ。一日二日帰るのが遅れたって電話で連絡しておけばいいんだから」
 その日の午後、わたし達は三頭の猟犬を連れて山へ入った。猟銃は持たなかった。
 わたし達はメリーを先頭に立てて、おおよその見当が付けられる場所という場所を探した。
 手掛かりは何一つ得られなかった。
 日没と共に森本旅館に戻った。
「この辺に危険な場所っていうのは、あるのかね」
 わたしは辰っあんに聞いた。
「いや、危険な場所っつうのはねえな」
 辰っあんは地形に思いを巡らす風にして言った。
「北山の奥に、伝説みたいに語り継がれている沼があるっていう事は聞いているけど」
 森本が言った。
「だけっど、あんな所(とご)さは行ぎやしねえよ。ちょっくらちょんと行げるもんでねえ。俺(お)らあ、何回が近ぐまで行った事があっけど、いろんな木が絡み合ってで、ながなが入(へえ)れるもんでねえ」
「どんな沼なんだい ?」
 わたしは聞いた。
「ああに、村の者(もん)だって、よぐは知りゃしねえだよお。ただ、沼みでえな物(もん)があるっつう事(こど)は、昔(むがし)がら言われでっだあ」
 わたし達は昨夜の雉鍋の残り物を突きながら酒を酌み交わした。
「それにしても一体、結城さんはどうしてしまったんだろう ? 全く手掛かりが掴めないなんて・・・・。明日、その沼の辺りまで行ってみようか ?」
 森本がわたしと辰っあん二人に問い掛けた。
「うん。でも誰れか、消防団にでも、助太刀を頼んだ方がいいんじゃないか ?」
 わたしは言った。
「そんな大袈裟な事(こど)なんがする事あねえよ。きっと、帰ってくるよ」
 幼い頃からこの地に根を張って生きて来た辰っあんには、山も自分の家の庭先程にしか思えないらしかった。そしてこの場合、山と言っても険しい高山などとはまるで違っていた。平地に続くなだらかな丘陵としか呼べないような山で、杉の巨木や様々な雑木が生い繁っていて暗さは深かったが、直接的に生命の危険を感じさせるような山ではなかった。
「ただ、考えられるのは、転んで足でも折って、動けないでいるんじゃないかっていう事だよな」
 森本が言った。
「それぐれえは、あっがも知んねえ」
 辰っあんが言ったその時だった。森本の二頭の猟犬が突然、けたたましく吠え立て始めた。その異常さは、普段、二頭の猟犬を知り尽くしているわたし達にも明らかに何かの異変を感じさせる異様さだった。
 わたし達は無言のまま、ただ、その吠え声に耳をそばだてていた。
「あんだべえ ?」
 最初に口を開いたのは辰っあんだった。山の中での危険に精通している者らしい敏感さだった。
「どうしたんだろう ?」
 続いて森本も言った。
 二頭の猟犬が何かに怯え、その怯えさせるものに向かって必死に立ち向かってゆく、という、そんな気配が感じ取れた。





          ----------------



          桂蓮様

          お忙しい中 何時もお眼をお通し戴き
          有難う御座います
           新作 拝見させて戴きました
          自分の姿は自分では分からないものですね
          千分の一ミリも狂いのない体 多分 それは
          無理だと思います 思いますが そこに向かって
          努力をする その姿勢が貴重なんですね 人間
          努力を失くしたら死んだも同然です 努力する
          その姿勢が 結局 肉体的には多少の歪みを
          持っていようが 人を美しく見せるのでは・・・
           行き着くところは結局 心では
          ないのでしょうか それにしても 桂蓮様の
          何事に対しても真摯に向き合う姿 感服致します
          その姿こそが人を美しく見せ 尊敬を集める素に
          なるのではないでしょうか 
           人に頼らない孤独の世界 それは純粋な世界かも
          知れませんが 人は結局 他人なしでは生きては
          行けない 他人なしでは生きては行けない が 
          人は畢竟 孤独な存在 最終的には誰にも頼れない
           難しい問題ですね 
          どんなに深い愛情で結ばれていてもやがて人間は
          一人の世界に還ってゆく 淋しい存在です 故に
          人は人を愛せる環境にある時こそ それを大切にして
          生きてゆきたいものです その点 桂蓮様は今現在
          最高の世界に生きていらっしゃるのでは と
          お思い致します 御主人様との御幸せそうなお姿
          羨ましく思います どうぞ 何時も言うようですが
          この時を大切にしていって下さい
          人生の良い時は決して長くはないものです
           韓国でのお写真 期待してお待ちしております
           コロナ この厄介な疫病神 いつになったら
          終わる事やら 普段 マスクをしないわたくしでさえも
          今はマスクをしています 他人に白い眼で見られる事も
          嫌ですが 自身の防衛のためにと思って一生懸命 努力      
          して マスク着用に励んでいます



         takeziisan様


         何時も詰まらない文章に
         お眼をお通し戴き 有難う御座います
          今回もブログ 楽しく拝見させて戴きました
          思い出の紅葉山旅 自然がこんなに懐かしく感じられる  
         のは 九年間とはいえ 一番物事に敏感な時代に地方の
         自然の中で暮らした その事のせいでしょうか
         自然の美しさは 何時見ても飽きませんし 心打たれます
          このコロナ下 何処へも出られず 兄妹などで電話の
         折りには また みんなで旅行に行きたいねなんて
         話しています
          うずくまる白鷺 見事な写真 
         栴檀は九年間を過ごした我が家の門の傍に二本あった
         懐かしい木です 黄色いあの実が懐かしいです
          停電 ローソク アカギレ シモヤケ 懐かしく
         思い出します それにしても 日頃 北陸の山暮らし
         と謙遜していらっしゃいますが わたくしの居た地方より
         学校など はるかに進んでいたように思います
          ジャンケン娘 わたくしは東京で観ました 日劇で
         二葉あき子や淡谷のり子 灰田勝彦などのショウと
         合わせて上映されました
          踊り子の唄声 文学青年だったのですね
         いろいろ お持ちのようですが是非 ブログに遺す事を
         お勧めします 貴重な記録です
          京都 永遠の都であり続けて欲しいものです
          歩く事はいい運動 この間 嵐模様の日に 近くに
         行かなければならない事があって 長靴を履き
         外出 歩いて行きました 普段 朝 土曜を除く毎日
         一時間半程 柔軟体操や 筋肉体操をしていますが
         歩く事は余りないので ほんの短い距離でしたが
         ああ 歩くのはこんなにいい運動になるのだ と
         改めて 認識しました わが家のすぐ傍にある 大きな  
         公園でも歩く人の姿を数多く見かけます
          川柳 含み笑いの中 楽しませて戴きました
         次回 期待は 御負担でしょうか・・・・
          何時も有難う御座います


         
           
 
 
 

遺す言葉(365) 小説 十三枚の絵(2) 他 NHKの不見識

2021-10-03 12:11:18 | つぶやき
          NHKの不見識(2021.9.30日作)


 日本放送協会 NHK
 国民からの受信料により 成り立つ組織
 その組織が 個人の名を喧伝する 
 許されるか ?
 日本放送協会 NHK 総ての国民
 一人 一人のもの 特定人物 個人のもの
 ではない そのNHKが 最近 と言っても 
 かなり以前から 個人の名を冠した番組を
 しきりに 放送している
 如何なものか ?
 個人の人気への肩入れーー 等しい 行為
 ではないか ?
 同じ業種に属する 同業者は
 受信料を払い 競争相手を
 国民の前に披瀝 応援する その行為と
 同じ結果に なりはしないか ?
 以前 一昔前のNHKには 
 なかった事だ 以前のNHK 
 一昔前のNHKは
 特定個人に偏る番組など
 厳しく規制していた 番組名に
 特定個人の名を冠する事など
 皆無だった だが 最近のNHK まるで
 商業放送 民間放送局
 何時から こうなってしまったのか ?
 民法番組と変わらぬ番組構成 放送内容
 かつてのNHKの見識 品性 品位 品格 
 無い
 おそらく現在のNHK
 番組制作者達は 幼い頃 四六時中 放送される
 民放番組 その画面を観て 育った人間達に違いない
 無意識裡に 植え付けられた常識 それが
 NHK 日本放送協会の番組制作 その
 制作現場で露出してしまうーー 多分
 そうに違いない 民放局と
 同類番組を制作しても恥じない 人間達を
 造って来たに違いない
 NHK 日本放送協会 番組制作者達よ 
 民放番組と同類番組を制作するのなら 
 あなた達が存在する意義はない
 料金を徴収する資格はない 料金徴収 
 民放放送では無い事だ NHK 番組制作者達よ 
 その 民放放送と同類番組を作っていて 恥ずかしくはないか
 心は痛まないか ? NHK 日本放送協会番組制作者達よ 
 あなた達は民間放送には求め得ない 公正 平等 誇張 の
 無い 真実の姿を伝える その事にこそ 
 存在意義がある
 NHK 日本放送協会 国民の放送 その番組内容は
 他国から見た時 その国の民度を測る 尺度 ともなる
 どうか 軽々しい 軽薄な 視聴率狙いの番組制作だけは しないで
 欲しい





          ----------------





          十三枚の絵(2)



 結城さんの心の裡には常に、自分の生活が仮のものだ、という意識があった。本当の生活は、ルドンの絵が象徴するように、深い精神性に根を下ろしている。その世界を見つめ、表現してゆく事が自分にとっては、生きる上での欠かせない基本だと考えていた。
 その世界に比べ、現実の世界は余りに雑駁、醜悪に思えた。常に他者の存在を頭の隅に置き、気遣い、配慮して、何事もない平穏無事をひたすら願う。時には、自己の欲望さえも抑制して、不満を抱えたままに妥協の世界を生きる。     
 常に利益が優先される商いの世界は、結城さんに取っては対極の地にあった。結城さんの溶け込んでゆける世界ではなかった。結果として、結城さんは何時も両親の期待を裏切り続けた。
 家業や結婚だけではなかった。絵に於いてもそうだった。何時までも芽の出ない結城さんに両親は、格別、批難の眼を向ける事もなかった。それでも結城さん本人にしてみれば、日々、年老いてゆく両親の姿を見るのは、商家の長男としては、気の休まらない思いだった。
 絵の道さえ開ければ・・・・、焦りは日毎に深まったが、現実は如何にも動かし難かった。
 両親も既に八十歳に近い年齢になっていた。体力の衰えは隠しようもなかった。壮健な頃には、千里先を読む、と言われた父も年齢と共に次第に、目配りの利かない場面が目立つようになって来ていた。店には、九人の店員が居たとはいえ、絵を描く合い間に父の手伝いをするような立場の結城さんではあっても、長男としての結城さんの肩には父の衰えの分だけ、その比重が掛かって来た。その上、悪い事には、家事の一切を切り盛りしていた母の上に、思い掛けない物忘れの症状が現われるようになっていた。結城さんの焦りは一層、深まった。
 このままでは、家業も自分の絵も、行き詰まりになってしまう。
 結城さんは、恐怖にも似た強い感情の中で不安に突き動かされ、最終の決断を下さなければならない場面の近付いている事を実感した。
 絵を取るか、家業を取るか ?
 結局、結城さんの下した判断は、自分の絵を選ぶ事だった。
 一切の家督を妹夫婦に譲り、自分は絵の道を選ぶ。
 強い決意の下に結城さんはそう決めた。
 妹夫婦は結城さんの判断に、敢えて、反対はしなかった。もともとが、妹の夫は計理士として株式会社「結い」の経理担当をしていた。妹が社長になる事に、なんの不都合の生じる事もなかった。
 結城さんはそうした事の一切と共に、東京の地を捨てて、かつて、何度も足を運んだ事のある房総の地を自分の新しい旅立ちの地として、選択したのだった。



          二



 結城良介さんと房総の地の繋がりは、もう、十年以上にもなる。この地へ来る度に結城さんは、森本旅館を宿にして、常連になっていた。
 わたしはある年、上京した森本から、森本自身の房総の地での生活ぶりを聞かされた。
 森本は幸福そうで、如何にも人生を楽しんでいる風に見えた。
「殊に、秋から冬にかけての季節の中での狩猟の醍醐味は、何ものにも代え難いね」
 森本は如何にも楽しげに言った。
 わたしはそんな森本に誘導されたように、
「一度、連れて行ってくれよ」
 と、言っていた。
「今年の秋、来いよ」
 と、森本は言った。
 わたしは東京でスーパーマーケットを経営していた。趣味と言えば、下手な ゴルフを除いて、他には何もなかった。それでも、戦時中、群馬の田舎に疎開していた事があって、その時、近所の人達がするのを見ていて、狩猟には憧れに近い気持ちを持っていた。それだけに、森本の一度の案内でわたしはすっかり、その虜になっていた。翌年には早速、狩猟免許の取得に励んでいた。
 結城さんとの出会いは、七年前の秋だった。
 その時、結城さんは猟には行かなかった。夜、森本旅館で、獲物を肴にわたし達と酒を酌み交わした。
 翌年、結城さんもわたし達と山へ入った。
 その翌年に結城さんは、辰っあんの土地を借りて移り住んだ。
 結城さんは、そこで絵を描いて暮らした。
 無論、金の入る手立てはなかったので、食べるだけの野菜などは自分で作った。
 外にも、鶏や山羊などを飼ったりして、卵や山羊の乳などを自給した。
 米だけは作る事が出来なかったので、辰つあんの仕事を手伝い、分けて貰ったり、手間賃として得た金で、絵の具を買い、必要な物などを揃えたりなどしていた。
 そうして、結城さんが房総の地で絵を描いて暮らす生活は、一応の安定をみせた。無論、東京の実家に頼る事もなかった。東京へ行く事さえ、ほとんどなかった。
 結城さんには、二十年かけても、絵の道を全うする事が出来なかったーー。常に、その思いがあって、自分を人生の敗北者だと見なしていた。
 そんな結城さんだっただけに、何時ごろから体調を崩していたのか、仲間内の誰も知らなかった。日頃から寡黙な結城さんは、自分の事など話題にする事はなくて、ひどく疲れたように見える時でもみんなは、結城さんが昨夜も夜明かしで絵を描いていたに違いない、などと推測していたりなどしていた。

 その日、わたし達は例年通り、朝、暗いうちに森本旅館を出た。
 三十分程かけて山へ入った。
 山へ入るとわたし達は、成果を競い合うために、それぞれが各自の穴場を目差して別々の行動を取った。
 わたし達は一日中、山の中を歩き廻った。
 その日のわたしの成果は、自慢出来るものではなかった。
 山鳩三羽と鶉二羽だった。
 一日中歩いてこれだけだった。
 わたしは些かの疲労感に辟易しながら、森本旅館へ戻った。
 辺りは既に暗くなっていた。
 森本も辰っあんも帰っていた。
 結城さんはまだだった。
 わたし達は、結城さんもその内、帰って来るだろうと思い、庭先でそれぞれの収穫成果を披露し合った。
 森本はカルガモ二羽、山鳥二羽、山鳩五羽、鶉一羽の成果だった。
 辰っあんはが一番の成果で、雉子一羽、山鳥五羽、山鳩七羽、鶉三羽だった。
 わたし達は、座敷からの明かりが洩れる庭先でそれぞれの獲物を籠に入れると、とにかく、一風呂浴びよう、という事になった。
「それにしても、結城さんは遅いなあ」
 森本が改めて、結城さんのまだ,戻らない事に気付いて心配気に言った。
「そうだなあ。まさか、道に迷ったんじゃないだろうな」
 わたしも心配になって言った。
「しょっちゅう絵を描きに山の中へ入ってる結城さんだ。そんな事はないよ」
 森本は問題にもしないように言った。





          -----------------

      

          takeziisan様

          コメント 有難う御座います
           どうか あれだけの数のブログを
          こなしていらっしゃる時間の中 お気遣い
          なさらないで下さるよう お願いします わたくしの
          方が楽しませて戴いているような訳ですので
           今回もいろいろ 楽しませて戴きました
          稲刈り 懐かしい風景です 今では大型機械が
          一気に仕事を進めてしまいますが 子供の頃の
          全く 似たような体験です
           農作業 至福の時間ですね ですが あっちが痛い
          こっちが痛い いずこも同じ秋の空 ご同感です
           那須 姥が原の景色 良き思い出ですね わたくしも
          東北に旅した折り 紅葉 黄葉の林の中を車で
          走りぬけた その時の感動が今でも鮮明に
          思い出されます それにしても この国は 
          狭いながらに 美しさを持った国土だと思います
          また 尾瀬の景色 わたくしは尾瀬へ行った事は  
          無いのですが なぜか 尾瀬には「夏の思い出」の
          歌と共にあの景色を見ると郷愁を誘われます
           郷愁と言えば「石廊崎の少女」 御自身 今
          読み返してみても 懐かしいのではありませんか
          情景が見事に浮かびあがります いい詩です
           ペレス プラード 「ピーナツ ベンダー」 
          これも懐かしいですね 前にも書きましたが
          この時代には いい楽団が揃っていました
           その他 花々 野鳥 景色 いろいろ 楽しく
          懐かしい時間を過ごさせて戴きました
          余り 時間の取れない身には 貴重なひと時です
           有難う 御座いました




          桂蓮様

          有難う御座います
          アマデウス わたくしも観ました
          ちょっと昔なので 詳しくは覚えていませんが
          確か モーツアルトが悪戯小僧のように
          描かれていた気がします
           モーツアルトにしてみれば 凡人の愚鈍さを
          笑わずにはいられなかったのではないかと思ったり
          しています でも あるいは わたくしの記憶違い
          かも知れません
           わたくしは日本で言えば 美空ひばりは
          紛れも無く 天才だったと思います
           映画 東京キッド の中で歌うひばりの歌を聴き
          観て 実感しました 十歳かそこいらの子供が
          完全に大人の歌を唄っています メルボルン交響楽団や   
          NHK交響楽団などの指揮者を勤めた 
          故 岩城宏之さんも天才の一人に数えています
          その他 画家のピカソ ダリに天才を感じます
          古い時代のミケランジェロなど 天才は数多くいますが
           波乱の一年 読ませて戴きました
          桂蓮様の大筋が書かれていて とても参考になりました
          簡潔に書かれていて 読み易かったです
           それにしても 頭脳の優れた 良い方と
          巡り合いましたね どうぞ これからも御幸せに
           ブログ開設 1000日も拝見しました
          常に御自分の内面に心を向けている 御立派です
          自省のない所に 人格の進歩なんて ありませんものね
          日本の政治家達にも欲しいものです
           結婚式写真でしょうか ? なぜ 純日本風に?
          ブログ開設 の冒頭写真も良い写真ですね 
          広々とした風景 アメリカ映画などでよく見る
          広々とした風景には つい 憧れてしまいます
           いつも 御丁寧なコメント 有難う御座います