遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(466) 小説 いつか来た道 また行く道(26) 他 禅家の言葉

2023-09-24 12:00:22 | つぶやき
            
            禅家の言葉 


 坐禅をして 解脱を求める
 坐禅をやって 心を空にする
 それを専一にして 他に何もしない人は
 愚者である
 そういう者は 論ずるに足りない


 生きている間は坐って(坐禅して)横にならない
 死んでゆけば横になって坐ることがない
 悪臭を放つ一組の骸骨
 下らぬ事に心を労してなんの役にたつ

                   六祖 慧能


 ただ結跏趺坐(坐禅)して
 仏を求めるなら
 仏を殺す事である
 ただ坐って
 そういう状態に入る事をやめない限り
 とうてい 真実に至る道は開けない


 ただ結跏趺坐するだけなら
 瓦を鏡にしようとするようなものだ 

                   南獄懐譲



 坐禅とは
 意識の凝視状態 静観主義
 無に滞って進む事を知らない
 これはエクスタシーかトランス(忘我 恍惚)のようなもの
 禅には転回がなければならない
 平静な状態に停滞するのは禅ではない

 禅とは日常である
 
                   鈴木大拙



     禅とは日々の生活の中にあるもので
     日常を離れてただ坐る 坐禅をするだけなら無意味だ と
     禅家は悉く言う

               (2023.9.24日) 





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             いつか来た道 また行く道(26)
 


 
 
 午後一時過ぎに一度、眼を覚まし、空腹に耐えられずに冷蔵庫を開けた。
 チーズとリンゴを口にして後は歯も磨かずにベッドに入った。
 頭の中が空っぽだった。
 何も考えが浮んで来なかった。
 中沢の事は思い出したくもなかった。
 意識的に避けていた。
 彼に関する事の総てはもう、わたしには関係ない。
 午後七時過ぎにまた眼を覚ました。
 部屋の中は真っ暗だった。きっちりと厚手のカーテンで覆われた窓からは街灯の明かりさえ入って来なかった。
 暗黒の 地の果てに取り残されたかのような感覚だった。
 それが束の間の錯覚でしかない事は、瞬く間に耳に入って来る車のクラクションやエンジンの音ですぐに知れた。
 ベッドに身を横たえたまま、しばらくは動かないでいた。
 ほんの一日前に実家の母の元で同じように布団に横たわっていた自分が思い出された。
 奇妙に懐かしかった。
 母が傍に居てくれるという安心感があの時のわたしを包んでいた。
 だが、今のわたしには誰もいない。
 暗闇だけがわたしを包んでいる。
 一枚の扉を開けて外へ出れば、無数の人間がそこには居るはずだったが、その人達がわたしの心の慰めになってくれる事はない。
 数限りなくいる人間達の誰もがわたしには遠い存在にしか思えなかった。
 田舎の家を取り囲むあの静寂に満ちた広い空間にたった一人で居る母と同じ存在感を抱かせる人間は、この人間の吹き溜まりのような喧騒に満ちた都会の中では何処にもいなかった。みなが皆、わたしに取っては影と同じ存在のようにしか思えなかった。
 わたしはまた、眠った。
 今度、眼を覚ました時には午前二時を過ぎていた。
 眠り疲れて身体が痛くなっていた。
 重い体を起こしてベッドを下りると浴室へ向かった。
 熱いお風呂に浸かって体の芯に残る疲労の残滓を総て洗い流してしまいたかった。
 
 浴槽の縁に頭をもたせ掛けての長いくつろぎの入浴の後、部屋着を纏い冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。
 蓋を開け、そのまま口に押し当てて喉の奥に流し込んだ。
 冷え切ったビールの清涼感が喉を通って体全体に染み渡るような感覚だった。
 生き返ったという気がした。
 生きる事への微かな意欲が身体の芯から湧き上がる思いだった。
 今日は事務所へ出よう、秘かに呟いていた。
 
「どうしたんですか ? その手」
 専務の高木史郎も秘書の浅川すみ子も目敏くわたしの手の変わりようを見て言った。
「ううん、なんでもないの。母の具合いが悪かったものだから少し畑仕事をして来たのよ」
 何も無かった。何もありはしなかったのだ。
 わたしは事務所へ向かう車の中で何度もそう呟いては自分に言い聞かせていた。
 平静を保つ事。どんな事があっても平静を保つ。取り乱したり、言い訳がましい事を言ったりしたりしてはいけないのだ。
 わたしは二人の質問にも何時もと変わらない穏やかな声で応じていた。
「慣れない事はするもんじゃないですね」
 二人はそれぞれに同じような言葉を口にした。
「でも、仕方がなかったのよ。収穫してしまわなければならない物があったものだから」
 仕事はそれだけで何時も通りに順調に動き出していた。
 宮本俊介に依頼されている店舗買収の進捗状況に付いて高木専務に尋ねた。
「今、ちょっと様子をみているんですがね」
 高木は言った。
「値段 ?」
「そうです」
「やっぱり五千万の違い ?」
「そうなんです。予算が三億だって言ってあるんですけど、ちょっと無理かなっていう気がします」
「田崎さんはなんて言ってるんですか」
「少し様子を見た方がいいとは言ってるんですがね」
「とにかく、店舗としては申し分ないと思うので旨くやって下さい」
「それは大丈夫です。いずれにしても新しい状況が分かり次第ご報告致しす」
 その後、机に向かって留守の間に溜まっていた様々な書類に眼を通し、何本もの電話を掛けた。
 表面的には何時もと変わらないわたしだったが、心の中でのわたしは常に揺れ動く気持ちに右往左往していた。
 もう、仕事を止めて中沢が居たアパートへ行ってみようか ?
 行っても、旨く部屋へ入れるかしら ?
 危険を伴う仕事だとは認識していたが、辞めてしまう訳にはゆかないという思いが常に勝っていた。その為にあいつを殺害したのだ !
 結局、その日、仕事を終えた時には午後九時を過ぎていた。溜まっていた仕事がわたしの時間を奪っていた。
 机を離れ、窓辺へ行って外を覗くと、夜の街にはオンサインの様々に入り乱れた光りがまぶしい程に満ちていた。
 もう、中沢の居たアパートへ行くのには遅い、諦めの気持ちが起こった。
 窓のブラインドを降ろして机に戻り、大型の鞄を手にして部屋の出口へ向かった。
 専務も秘書も、帰っていた。事務室にはわたし一人だった。
 静寂が満ちていた。わたしのハイヒールの床を踏む音だけがひと際大きく響いた。
 扉に近付き、いざドアを開けようとしてノブに手を掛けて、瞬間、思い掛けない不安に襲われた。
 この静まり返った建物の廊下、ドアを開けたその向こうに誰か、見知らぬ男達が立っているのではないか・・・・
 自身の身に迫る危機を意識した。
 ノブに手を掛けたままドアの向こう側の気配に耳を澄ました。
 耳に入って来る物音や人の気配はなかった。
 誰も居るはずがない。
 自分に言い聞かせて静かにノブを廻し扉を開けた。
 室内灯に照らし出された長い廊下に人影はなかった。
 当然の事だ、と納得する思いだけが強かった。
 同時に少しの事にも怯えている自分を改めて意識せずにはいられなかった。
 エレベータ―で地下へ降り、駐車場へ向かった時にも同じ緊張感を味わった。
 車の陰に誰か、この間の中沢のように隠れているのではないか ?
 そんな人間のいるはずがない、と分かっていながらなお怯える気持ちをひたすらに抑えていた。
 地下駐車場から地上へ出てネオンサインの華やかな街の混雑に紛れ込んだ時になってようやく、何故か、解放されたような気分になった。
 この洪水のように流れる車の列の中ではわたしの華やかな車も単なる一台の、その他、数多く走る車の中の一台にしか過ぎないのだと思うと心が休まった。初めて得る安堵感だった。気持ちも軽くなっていた。

 翌日、わたしの気持ちは昨日一日とは見違える程の落ち着きを取り戻していた。
 理由のない怯えからも解放されていた。仕事も順調に捗った。




           
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              takeziisan様

               
             様々な懐かしい曲 よく見付けていらっしゃいます
             当時はそれ程 心にも留めず聞き流していたような曲が多いのですが
             今 改めて聴くと当時の思い出と共に懐かしさに捉われます
             懐かしさと言えば 秋海棠の詩 若き日の感情がそれぞれに醸し出されていて
             ロマンティックな雰囲気と共に一瞬 フランスの詩の訳かと思いました
             以前にも書きましたが ロマンティックな方なのだと思います 
             人間 歳を重ねると未来は次第に狭くなり 過去の事ばかりが
             懐かしく蘇ります それも甘い思い出ですが 再び還る事の出来ない寂しさ
             これは歳を重ねてみなければ分からない事です
             雨 秋分 なかなか降らない雨 こちらもここ二 三日雨の匂いに包まれています
             秋分 秋 稲のおだ掛け(はさ掛け) 懐かしい風景です
             かつては何処でも見られた風景ですが 
              ちょっとの仕事が二時間 時間は瞬く間に過ぎてゆきます  
             それだけ人もその瞬間に老い 衰えているのでしょうか
             それにしても何か熱中出来るものがあるという事は           
             幸せな事ではないのでしょうか 何事にも
             人間 意欲を失くしたら終わりですものね
              寄り合い家族 次回 楽しみにしています
              今回も楽しませて戴きました
              有難う御座いました




     
                桂蓮様


             コメント有難う 御座います              
             大きければ大きい程 手間も費用も掛かる
             それでもそこに住める 羨ましい限りです
             それにしてもパートナーの方が良い方でお幸せです
             何時も拝見する度に何かしら幸せな気分に包まれます
             他人(ひと)の事とは言え 悪口は聞きたくないものです
             世の中には自分勝手な人間が多いですから 他人を労わる心を持った人の話しを聞くと 
             聞く方の心も暖かくなります
             日本でもババアレッスン 流行っているそうです
             身体を動かす バレーは最適だと思いますが それにしても
             何故 そんなに という思いです やはり自分の肉体をしなやかに動かす
             自由に体が動く その喜びなのでしょうか
             わたくしなども年々 身体が堅くなって来て一つ一つの動作が
             次第に困難になり 歳を取るという事の実態に今更ながらに驚いています
             新作 拝見しました
             バレーも禅も姿勢が大切
             何事も本質を辿れば行き着く先は同じ地点に辿り着くのではないでしょうか
             心 姿勢 心があっても姿勢が崩れていては目的地に到達出来ません
             姿勢が整っていても心が無ければ空蝉です
             心と姿勢 大事な事ですね 改めて認識しています
             今回 偶然にも禅僧の言葉を取り上げました
             禅でもバレーでも心此処にあらずでは駄目ですね
             心を無にしてしかも空ではない
             いずれにしても難しい事です 一朝一夕には出来ない事です
             様々な身体的不調を抱えてよく頑張っていらっしゃいます
             敬服です
             これからもお体に気を付け 頑張って下さい
             有難う御座いました



         

1 コメント

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Unknown (桂蓮)
2023-09-26 03:12:04
文頭の文は参考になりました。
知っている名前もあって、全く無知なことも無かったので、ほっとしました。

先週はエリックの親戚がうちに泊まっていたので、全くパソコン開けなかったです。
昨日、彼女の友人宅に送ってきてから
疲れが一気にきました。
ところで彼女はすごくリッチな友人を持っていて
コネチカット州でもリッチな地域、しかも海辺に家があって
その親戚は彼女の友人宅にも泊まるので、
送る際に自宅の中まで招いたのでした。
私はそこまでリッチな家に直接入れたことが無かったので
びっくりでした。
全てのものにお金が足りなくてやれなかった痕跡が全くなく、
やりたい放題、好きな放題できた感じがありました。
贅沢極まるインテリアでしたね。

でも不思議なことに
あんなに贅沢な生活を見て
何故か疲れましたね。
そこまで贅沢はしたくないなーとおもったり。


ところで昨日から雨が激しく
空から水がバケツで降っている感じです。
この雨のあとすぐに
秋に入るでしょうね。

季節の変わり目には風邪ひきやすいので
どうぞ体調管理に気をつけてくださいね。

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