遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(393) 小説 引き金(2) 他 仏心

2022-04-24 12:28:18 | つぶやき
          仏心(2022.4.2日作)


 仏心は 誰の心の中にも ある 
 それを信じる 信じない は 
 その人次第 個人の問題
 仏は 人が信じようが 信じまいが
 誰の心の中にも居て 人の 
 喜び 悲しみ 善行 愚行
 怒りも 憎しみも 無言のうちに受け止め
 見守り 形に表す事は ない
 誰の心の中にも存在する仏 仏心
 それに気付くか 気付かないか
 仏心 仏を心に抱いての善幸
 仏心 仏に背を向けての悪業 愚行
 総ては各自 その人 次第 個人の問題 心の問題 
 誰の心の中にも 常に変わりなく存在する仏
 仏心



          ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



          引き金(2) 


 多美代と寝室を別にするようになったのは、いつの頃からであったのか、確かな記憶はなかった。
 酒気を帯びて帰る事も稀ではなくなった多美代が望んでの事であったのか ? 
 あるいは、心を閉ざした三杉自身が望んでの結果だったのか ?
 三杉は健康であった頃から帰宅が遅くなる事も考慮して、自分の部屋にベッドを置いていた。夫婦がそれぞれに自分の部屋で過ごす夜もありふれた、日常の習慣になっていた。
 それでもまだ、その頃には夫婦間の接点があった。夫婦共通の寝室は健全さを保っていた。
 三杉は今、多美代が空洞と化した夫婦の寝室でひとり、夜を過ごす事があるのかどうか、それさえも知らなかった。知ろうともしなかった。夫婦と名の付く総ての事柄がただ、虚しい抜け殻に思えていて、そこに係わろうとする気力さえも湧いて来なかった。 
 朝、七時に三杉は家を出た。
 何時の頃からか、多美代が三杉を見送る事もなくなっていた。
 三杉は二十五キロ程の道程をゆっくりと車を走らせながら、銀座にある本社へ向かった。今でも三杉を診ている担当医は、出来る事ならハンドルを握らないように、と言っが、思いもしなかった病の為に日常を奪われてしまった三杉にしてみれば、車の中に一人居るこの孤独な時間こそが、誰の時間とも隔絶された自分自身の貴重な時間であった。何処へ行こうと、どのように走ろうと、思いのままだった。ただ、孤独だけが感じられる時間の中で、会社経営者という立場も、家庭での夫、父親、という立場も忘れる事が出来た。出来ればこの時間が永遠に続いてくれればいい、としばしば思った。このまま、果てし無く続く道を何処までも、何処までも、走って行きたいーー。
 それにしても、と三杉は思った。
 光枝がお手伝いとしていてくれる事が救いだった。
 光枝は多美代の遠縁の娘で秋田育ちだった。三杉の入院中に来た。
 光枝の両親は世間並みに高校へ進む事を勧めたが、当の光枝自身にその気がなかった。中学での義務教育が終わると、そのまま地元のスーパーマーケットに就職した。
 三杉の家へ来る事になったのは、ふとした、人の口利きだった。
 学業を嫌うほどだけに、格別に利発とは言えなかったが、性格的には素直で気持ちの優しい娘だった。家事に於ける細かい事にもよく気が付いた。
「まだ、来たばかりだけど、あの子なら安心して任さられるわ」
 三杉の入院中、病院にいる事の多かった多美代は言った。
 娘の奈緒子とも光枝は気が合うらしかった。色白で大柄な光枝が奈緒子と姉妹のようにさえ見えた。奇妙に大人びた口利きをする奈緒子にやり込められても光枝は大らかだった。自分達夫婦の生活を詮索する様子をまったく見せない事にも三杉は気に入っていた。
 そんな光枝の唯一の関心事と言えば、アイドルタレント達の消息だった。だが、それさえも自分の仕事を忘れてまでという程ではなかった。時折り、その時もっとも関心を寄せているタレントの公演がある時などには、多美代の許可を得て会場に足を運んだりした。
 三杉は多美代の帰宅が今までになく遅くなり始めた頃に光枝に聞いた。
「奥様は最近、帰りが遅いけど、何か聞いてないかい ?」 
 それを聞くと光枝は意外だという顔をして、
「あら、旦那様は聞いてらっしゃらないなですか。奥様はカルチャーセンターへ行って、ジャズダンスを勉強してるんですよ。知らなかったんですかあ」
 と、夫婦でいながら如何にも迂闊だと、三杉を責めるかのように明るく言った。
 三杉は今ではもう、店舗の営業時間が終わる夜九時まで事務所に居る事はなくなった。現役の頃には、閉店時間後に各店舗から送られて来る一日の売上高に眼を通し、それぞれの商品の販売実績などに細かく注意を払って明日の営業に備えたものだったが、今では、自分の体への配慮が先に立った。事実、肉体は少しの無理にも耐えられなくなっていた。六時の就業時間が来ると、残業で残る事務職員達や、まだ何かと忙しい役員達に声を掛けて事務所を後にした。
 帰宅への車の中での時間は何故か、朝の本社へ向かう時間とは異なって心が晴れなかった。病気をする以前の帰宅時間は何時も午前零時を過ぎていた。肉体は一日の休む間もないような労働に疲れ切っていたが、それでも心は弾んでいた。総ての時間が明日へと繫がる時間だった。心は希望と野心に燃えていた。全身を包む疲労感さえが心地良く感じられた。
 三杉が多美代の背後に男の影を感じ取るようになったのは、確たる証拠を得た後、という事ではなかった。
 その頃、三杉は多美代を包む雰囲気の中になんとはない、華やぎの色を感じ取るようになっいた。初め、三杉はそれを多美代がカルチャーセンターへ通うようになった事の結果だと理解していた。そして、その事に対して三杉はむしろ、好ましい感慨をさえ抱いていた。自分の人生への喪失感に悩みながら苛立ち、剣呑さを募らせ、他者に対して心を閉ざしてゆくような赴きのある自分自身を顧みながら、心の底の何処かでは、多美代が明るい昔のような雰囲気を取り戻してくれている事に救われるような思いをさえ抱いていた。
 三杉はその頃、自分自身に絶望しながらも、まだ、多美代への愛情や思い遣りを無くしてしまっていた訳ではなかった。むしろ、多美代への愛情を素直に表現する事の出来なくなっている自分を嫌悪していた。多美代自身もそんな三杉に感化されたかのように、次第に何処となく、晴れない気分の暗い雰囲気を漂わすようになっていて三杉はまた、なお一層の、自己嫌悪と暗さの中にのめり込んでいった。
 三杉には、多美代が自分に何も言わずにカルチャーセンターへ行くようになった事にも、拘りを抱く気持ちはなかった。むしろ、陰険な自分に相談して、楽しみを奪われる事を恐れる多美代の気持ちをおもんばかる心の方が強かった。それだけに、華やぎを取り戻したかのように見える多美代を眼にして三杉は、むしろ、自分自身の救われるような思いさえ抱いていた。自分の責任の軽減されるような喜びと安堵感だった。
 しかし、そんな思いも結局は長くは続かなかった。三杉は日毎、月毎に華やかな雰囲気を身に纏うようになって来る多美代の変化に、なんとはない不安を感じ取るようになっていた。肌の輝きにさえ、若い昔の多美代が蘇ったかのような潤いが感じられるようになっていた。その輝きに三杉は嫉妬した。
 事実、多美代は生き返ったかのようだった。爪の先や、髪の細部までに細かい気を配るようになっていた。世帯臭を払拭した女の輝きのようなものさえが感じ取れた。三杉は恋人時代の多美代を見る思いがした。そして、そんな多美代は今では、三杉の遠い所にいた。三杉の知らない存在のようでさえあった。


  


          ーーーーーーーーーーーーーーー




          takeziisan様

         有難う御座います
          今回もブログ 堪能させて戴きました
         一年前 一カ月前 変化の実感 全く同感です
         それに寒暖差に合わせる事の難しさ 何事にも
         柔軟に対応する事の出来なくなっている身を日毎
         認識しています これが歳を取る という事でしょうか
         以前 三歳年上の方に 三歳違ったら大変ですよ と
         言われた事があり 当時は何を三歳ばかりの差を大げさに
         と思ったものですが 最近はその違いの大きさを如実に
         実感しています
          足腰痛む 御同様 わたくしは毎朝 ほぼ一時間四十分
         の自己流体操をしています ラジオのコマーシャルで
         筋を伸ばせば痛みはきえる とその方面の専門医が言っていた事を思い出し
         脚を伸ばし 腰の筋肉を伸ばし 他にもいろいろしていますが
         確かに 筋を伸ばす事は効果があるようです 一度 試してみてはいかがですか
          結局 老齢と共に血管が衰え 血行が悪くなる 
         この事が関連しているのではないかと思い 一生懸命に
         毎朝 励んでいます 暖かくなって来たせいか 最近は
         冬場より 腰の痛くなる感覚も楽になったように思います
          それにしても キュウリ ナス トマト 作業の大変な事が窺えますが  
         何処となく楽しそうな雰囲気 羨ましいです
          千曲川 風景 堪能させて戴きました 姪が長野県に
         嫁いでいますので その結婚式の時に訪れて見た山々の光景や 
         宿を取った諏訪湖畔の情景などを懐かしく思い出しました
         それにしても 何故か このような景色には
         以前にも書きましたが 郷愁を誘われます
          その他 数々の美しい花々の写真 楽しませて戴きました
         アケビが 「山女」 とは 眼から鱗 びっくり仰天
         面白いですね
          アケビは何故か わたくしの地方にはなくて 名前だけ親しかった
         憧れの植物でした 木から直にその実を採って食べてみたい 
         木の実の一つです
          何時も 拙文にお眼をお通し戴き 有難う御座います
         
            

 
 
 

 

 
 
  

遺す言葉(392) 小説 引き金(1) 時は還らず 他Ⅰ篇

2022-04-17 18:11:29 | つぶやき
          時は還らず(2019,6.20日作)

 人が生きる上に於いて
 現実ほど 惨酷 非情なものはない
 どんな喜び 幸せに満ちた時間でも 
 やがては過ぎ去り 
 どんなに後悔 苦悩に彩られた出来事でも
 時を巻き戻し 
 やり直す事は出来ない
 時は還らず ただ 刻々 無常に
 過ぎ逝くのみ


          人生の時(2019.1.13日作)

 人の一生
 人生に於ける 時 ほど 
 惨酷 過酷 なものはない
 それが
 どんなに 幸福な時間であろうとも
 それが
 どんなに苦渋 苦悩に 彩られた
 悲惨 後悔に満ちた時間であろうとも
 再び 巻き戻し やり直す事は出来ない
 時は ただ 刻々 無慈悲 無常に
 過ぎて逝く 人は
 流れ逝く時の中に浮かぶ
 それだけの存在 





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             引き金(1)


 
「奥様からお電話で、お帰りが十一時過ぎになるという事でした」
 お手伝いの光枝が三杉の部屋のドアをノックして開け、言った。
 三杉は愛用のブローニングの猟銃をケースに収めたところだった。
「そう」
 三杉は返事をした。
 光枝は十八歳だった。
「ほかに何か御用はありませんか」
 光枝は開けたドアを手で押さえたままで言った。
「うん、もう無い。有難う。寝(やす)んでくれていいよ」 
 明日、三杉は午前四時に起きて房総の館山へ狩猟に行く予定だった。
 光枝はつい一時間程前まで、三杉のその支度を手伝ってくれていた。
「奈緒子はもう寝たかね」
 八歳になる一人娘が気になって三杉は聞いた。
「はい。お寝みになりました」
 光枝がドアを閉めて行くと三杉の表情に苦悩の影が走った。
 妻の多美代の帰りが遅くなる理由が三杉には分っていた。
 週二回出席している、カルチャーセンターの男性講師と会っているのだ。
 二人の関係が実際に何処まで進展しているのかは、三杉には分からなかった。
 三杉は多美代を問い詰める事はしなかった。
 今年三十九歳の多美代が三十代半ばと思われる男性講師と一緒に居る現場を、三杉は二度までも眼にしていた。
 三杉はそれでも多美代を詰(なじ)る事はしなかった。
 二年近くも前のある夜の事、三杉は布団の中で多美代が泣いているのを知っていた。
 その時、三杉は多美代に背中を向けたままでいて、気付かない振りをしていた。
 多美代のすすり泣く声が錐(きり)で揉みこむような痛みを伴って三杉の心に突き刺さって来た。
 三杉は好んで多美代を遠ざけていた訳ではなかった。ある恐怖感が、三杉の意識の中には植え付けられてしまっていた。
 それを拭い去る事が出来なくなっていた。
 三年半程前の事だった。銀座にあるクラブのホステスとホテルへ入り、三杉は心蔵発作を起こしていた。幸い、一命だけは取り留めたが、以来、心臓薬は片時も手離す事が出来なくなっていた。
 当時、三杉は都内の十五か所に紳士婦人服専門店を持っていた。その社長業に復帰するまでには、半年程の病院生活と治療を余儀なくされた。
 だが、病気は完治した訳ではなかった。医師は「気長に時間を掛けて治療に励むより仕方がありませんね。糖尿の上に心筋梗塞が重なって、ちょっと、厄介な状況です」と言った。
 食事に気を配り、睡眠時間は充分取ってくれぐれも無理をして、体に負担を掛ける事のないように、とも念を押された。
「もう、今までのような生活に戻る事は出来ませんかね」
 三杉が聞くと医師は
「まあ、ちよっと、これまでのような生活をお勧めする事は出来ませんね」
 三杉のスケジュール表に視線を落としたままで苦笑いをしながら言った。
 三杉は十二年前にそれまで勤めていたデパートを辞めて、上野に紳士服の一号店を開業した。
 幸い事業は当たって、それからは一年に一店舗というような割合で都内繁華街に出店をしていった。四、五年前からは、それまでの格安販売に加えて、ブランド商品の販売にも力を入れるようになっていた。
 だが、事はそう簡単に運んだ訳ではなかった。それまでにするには、それなりの苦労も重なった。ただ、まだ若かった三杉には、寝ずの徹夜作業が一日二日続いても、それを苦にしないだけの活力があった。その活力に任せて立ち上げた事業を成功させる事への面白さに取り付かれ、突っ走って来たというのが実情だった。
 三杉は退院をした後も、医師の勧めてくれた栄養士の指示に従って食事をし、体に負担の掛かる仕事はなるべく避け、言わば、治療一筋と言うような生活を送って来た。
 しかし、半年が過ぎても心臓疾患の回復には思わしい成果は得られなかった。ちょっとした事で息切れがして、激しい動悸が胸を打った。その度に三杉は舌下錠を口に含みながら、強烈な絶望感へと突き落とされた。
 もう、昔の自分に戻る事は出来ない
 銀座六丁目にあるビル五階の本社の窓から華やかな通りを見下ろしながら、呟かずにはいられなかった。
 ただ、虚しさだけが込み上げて来た。
 事業への意欲も失われていった。
 自分を廃人のように三杉は思った。と同時に、せっかく今日まで築き上げて来た店舗への思いを意識すると愛着も沸いた。このままでは,駄目になってしまう。
 判断は冷静に働いた。三杉は社長の座を退く事を決意した。
 幸い後任には創業当時から片腕とも言える存在で、何くれとなく力になってくれた、三杉よりは十歳も年上の桂木次男が居て、彼に任せる事が出来た。
 会社の事情に詳しい桂木はほとんど三杉と変わらぬ経営手法で事無く事業を継承してくれていた。 
 今日現在まで、会社経営に於ける三杉の悩みは皆無とも言えた。その点で会長としての三杉が心を煩わす事はなかった。
 三杉の生活は規則正しい日々が続いた。多美代との間も剣呑な空気の漲る事はなかった。
 多美代は三杉の病の発端とも言えるクラブのホステスとの不貞にも眼をつぶったかのように、入院中にも一言の皮肉を口にする事もなく、甲斐甲斐しく看病を続けてくれた。
 退院後にも何くれとなく三杉の身辺に気を配ってくれていて、三杉してみれば多美代に対しては感謝の気持ち以外の何ものもなかった。
 三杉はある時、体調の軽快さと共にふと、その気になって多美代を求めた事があった。
 しかし、結果は惨めなものに終わっていた。
「大丈夫よ、慌てなくていいから」
 多美代は三杉の気持ちを思って優しい慰めの言葉さえ掛けてくれた。          
 だが、それ以降、三杉には恐怖だけが先に立った。再び、惨めな失敗に終わる事への恐怖、はかばかしい回復を見せない心臓疾患に対する恐怖、三杉の胸の中には、一人、心を閉ざしてゆく、いじましい自分の姿だけが浮かび上がって来て自分を苦しめた。多美代に対しても何処となく素直な気持ちになれない自分を感じていて、不愛想になっていた。
 多美代が外へ出るようになったのは、そんな頃からの事だった。自分への卑屈な思いを抱いた三杉は、そんな多美代に気付いても、何も口にする事が出来なかった。
 そして、多美代が泣いていたのはもそんな頃の事だった。


          二


 三杉の生活は朝、六時の起床から始まった。






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           桂蓮様

           お忙しい日常の中 いつも有難う御座います
           新作 お休みとの事 今回 想い出を捨てる作業
           拝見致しました
            以前にも拝見した記憶がありますが 英文との
           合わせ読み 飽きません 想い出 これは多分
           人間独特の感情なんでしょうね 動物も記憶は持っている
           のでしょうが、想い出の感情となると 多分 無いと思うんですが 
           でも 以前 テレビで見た事なのですが 象などは仲間が死ぬと
           それを悼むかのようにしきりに鼻でいじくりり回したりしていますね
           あの時 象の頭の中 心の中ではどんな思いが湧き上がっているのだろう
           と思いながら見ていた事があります
            嫌な想い出 楽しい想い出 悲しい 嬉しい 様々で
           想い出なんか忘れてしまいたいと思う事もありますが やはり
           無ければ人が生きるという事も無味乾燥のものになってしまうかも 
           知れません
            タープを一気にひっくり返して想い出も一緒に捨てる
           時には必要な作業ですね いろいろ考えさせられる
           良い御文章でした
            バレー 打ち込めるものがあって いいです
           短い言葉の中に何かしら弾んだような響きが感じ取れて
           読みながらも楽し気なお姿が想像出来ます
            いつか そのお姿を拝見させて下さい
           前回 完結の物語 多分 お読み戴く方は いったい 
           こいつ なに書いてんだよ とお思いになると思います
           何しろストーリーが支離滅裂ですから 言わば
           絵画に於いての抽象絵画です ですから お読み戴く方の
           思いのままに理解して戴ければと思っています
            広いお庭の御様子 羨ましい限りです
            有難う御座いました



           takeziisan様


            雉の季節 ケーン ケーン
           こんな声が身近に聞こえる環境の良さ 羨ましい限りです
           わたくしの家の近く二百メートル足らず行くと
           江戸川があり 大きな堤と広大な広場が開けています
           休日などにはそこで野球をやったり いろいろ運動などする
           姿も見られますが このような自然の豊かさを感じとる事は 
           出来ません あくまでも都会の河の河川敷といった趣です 
           ただし 八月には盛大な花火大会が開かれます
           江戸川花火大会ですが わが家の屋上に降り掛かってくるような感じで
           幾つもの雄大な花火の輪が展開します でもそれも
           コロナで中止されています
            それにしても御当地の自然の豊かさ 花々の豊富な事 羨望です
           ふたりしずか 納得 こういう花もあったのですね
           初めてです
            豊かな花の数々の御写真 ああ 良い季節になったと 
           様々な花の色の豊かさ 美しさに見惚れながら季節を
           実感しています
            小さな花々もこうして仔細に見れば限りない美しさを秘めている事が理解出来ます
           毎週 季節の移ろいと共に楽しく 拝見させて戴いております
            ニール セダカ 当時は子供っぽいと軽い気持ちで
           見たり 聞いたりしていましたが 改めて今聞くと
           懐かしさが先に立ちます それにしても お互い
           隋分 遠い所へ来てしまいましたね
            これからもどうぞ お気を付けて良い記事をお乗せ下さいませ
           いつも眼を通し戴き 有難う御座います 
      
       


遺す言葉(391) 小説 再び 故郷に帰れず(完) 他 雑感 3題

2022-04-10 13:13:16 | つぶやき
          雑感三題(2021.10.8~9日作)


 Ⅰ 大衆は群盲だ・・・たとえ 一人一人は智者であっても・・・
   群盲であるがゆえに 
   大衆をおろそかにしてはいけない
   群盲はヌーの大群のように
   雪崩を打って 一気に
   その方向に進む

 2 人間が人間として生きようとする時
   極楽浄土(エデンの園)は 人間の住む所ではない
   何人も 自己の意のままになる所では
   人間として生きる事は不可能だ
   そこでは人間は虚(バカ)になるより外にない
   善と悪 その判断の出来ない限り 人間は
   人間として完成し得ない
   極楽浄土では何も考えず 総てが 手に入り
   人は空虚な動物と化す 

 3 祈るだけでは平和 幸福は 訪れない
    行為 行動する事 基本
   バチカン 世界の膨大な祈りを集めて
   それから ?
   世界には 眼を覆いたくなる程の困難が溢れ 多くの人達が
   飢えや 暴力に苦しんでいる
   金銀財宝に飾られ 覆われたバチカン その奥で
   主達はいったい 何を ?
   実際的 現実的 救済行為は行われて いるのか ?
   金銀財宝 その宝物の一部でも その
   救済に当てられて いるのか ?
   当てられないもの なのか ?
   飾り立てるだけが
   権威では ない 



          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

          再び 故郷には帰れず(完)



 最初の医師の門を叩いた時には十時になっていた。 
「親父とお袋が死んでしまったんです。診てやって下さい」
 わたしは懸命に自転車を漕いだ後の疲労感と共に、息せき切って言った。
 応対に出た四十代後半と思われる医師はだが、わたしの言葉を聞くと極めて素っ気なく、
「何 ? 死んだ ? 死んだんなら死んだんだよ」
 と言って、わたしの必死な様子にも係わらず、取り合おうともしなかった。
「ええ。でも、まだ、誰にもお医者さんには診て貰ってないんです。一度、診てやって下さい」
 わたしは再び、懇願するように言った。
「死んでしまったものは死んでしまったんだよ。無駄な事だね」
 医師はまた言った。
 わたしは、あまりに素っ気ないその医師の態度に業を煮やすと、そのまま背中を向けて自転車に戻ると、飛び乗った。
 再び、懸命な思いで漕いで、大きな屋敷を持つ家の前に来ると、突然、子牛程もあるような大きな犬が飛び出し追い掛けて来た。わたしは不意の出来事にびっくりするのと共に、犬に追い付かれないようにして必死の思いで逃げた。
 犬は屋敷を離れ、田圃の中の一本道まで来ると諦めたように帰って行った。
 腕時計を見ると時刻は午前十一時半を過ぎていた。日陰のない田圃の中の一本道では、五月の太陽の日差しがまともに頭上に降り掛かって来て、わたしは汗みどろになっていた。
 正午を少し過ぎた頃になって二軒目の医院に辿り着いた。
「親父とお袋が死んでしまったんです。診て下さい」
 わたしは、また言った。
「死んでしまった ? それで俺の所へ来たって言うのか ? いったい、おまえは幾つになったんだ ? 自分の事も自分で始末出来ないで、まだ他人に頼ろうって言うのか ? このバカ者めが !」
 七、八十代と思われる白髪の医師はわたしの言葉を聞くと、途端に、怒りを滲ませて怒鳴り返して来た。
「でも、ちよっと手を貸して戴きたいと思いまして。何しろ、命に係わる事なので・・・。親父とお袋は本当に死んでしまったのかどうか」
 わたしは言った。
「自分でよく見て、よく考えろ。まったく、手の掛かる愚か者めが !」
 白髪の医師には取り付く島もなかった。
 わたしはその場で即座に諦めると、頭を下げる事もせずに背中を見せて医師の前を去った。
 わたしは三たび自転車を漕いでいた。
 頭の中は空っぽだった。
 朝から何も口にしていなかった。
 自転車を漕ぐのさえ、空腹感と疲労感で大義になっていた。
 それでもなお、わたしは諦めてはいなかった。
  真実を知りたい、真実は何処にあるのか ?
 親父とお袋は本当に死んでしまったのか ?
 わたしは夢遊病者のように自転車を漕いでいた。
 三軒目に辿り着いた医院の医師は、わたしの言葉を聞いた途端に、
「無駄な事だ !」
 と一言、短く言った。
 その医師の鋭く光る眼がまるでわたしの心の中に突き刺さって来るような感じを受けてわたしは、無駄な言葉を口にしないままに黙ってその医師の前から退いた。
 わたしは泣いていた。ただ、無暗に涙が溢れ出て来て止まらなかった。
 親父とお袋は死んだーー。もう、誰も助けてくれそうな人はいなかった。
 わたしは泣きながら自転車を漕いだ。
 家へ帰ろうと思った。
 家へ帰って親父やお袋をもう一度、よく見てみようと思った。
 すでに辺りには黄昏の気配が漂っていた。ただ徒労にしか思われなかった一日が終わろうとしていた。広い田畑の中のあちらこちらに点在する屋敷林の中の家々からはちらほら明かりが見えていた。
 暖かい家族の団欒を思わせた。
「さよなら、三角、また明日」
 叫びながら、子供達がそれぞれの家に向かってちりぢりに走って行った。
 わたしだけが薄闇の迫って来た道の中に一人、残された。

 わたしが家へ帰った時には既に、大勢の通夜の客達が姿を見せていた。
 わたしは昨日、そこに親父やお袋の姿を見た座敷に上がると居並ぶ通夜客達に向い、畳に両手をついて頭を下げた。
「本日はお忙しい中を有難う御座います」
 と言って、お礼の言葉を口にした。
「あじょうだった、医者達はあんて言ってた ?」
 兄貴がそばへ来てわたしに聞いた。その口調には、わたしを批難する響きが込められていた。
「腹が減った。すまないが何か食わせてくれないか。朝から何も口にしてなくて腹べこだ」
 と、わたしは言った。
「贅沢を言うなバカ者 !」
 突然、誰かの怒鳴り声がした。余りの突然の出来事に驚いて声のした方を見ると、年配の貫録を備えた一人の男がわたしを見て睨み付けていた。と同時にわたしの肝を冷やしたのは、その傍に親父とお袋が小さな体を丸めてバツの悪そうな感じで座っていた事だった。
 いったいこれは、どうしたと言う事なんだ ?
 わたしには訳が分からなかった。
 親父とお袋は自分達がそこに居る事が、いかにも肩身が狭いというような感じを見せていた。
 わたしにはまるで、何かの作られた芝居のような感じしかなかった。
 だが、わたしを指弾した男は容赦がなかった。
「おまえはよくもまあ、親父やお袋を殺して置いて、そうやってのこのこ帰って来られたもんだ。いいから、さっさと此処から出て行け、此処はおまえのいる場所ではない」
 男は言った。
 わたしはその男の言葉を聞いて思わずカッとした。
「おれが親父とお袋を殺した ? バカな事を言うにも程がある。親父とお袋はそこにそうやって、ちゃんと居るじゃないか。それでいて、何故、おれが親父やお袋を殺したと言うんだ。バカも休み休み言え」
 わたしは怒鳴っていた。と同時に、親父とお袋がその場にいる事に思わず胸の底から湧き出るような安堵感をも覚えていた。
 だが男は、
「これはおまえの親父でもお袋でもない。おまえがそう思うのは勝手だが、おまえの親父とお袋はとうの昔に死んでいる。嘘だと思うなら、この親父とお袋に聞いてみろ」
 と言った。
 わたしには男の言う事の意味が分からなかった。
「何故なんだ。何故、親父とお袋はそこに居るのに、死んだって言うんだ。何故、そんな嘘っばちを言わなければならないんだ」
 わたしは言い返していた。
「おまえの胸に聞いてみろ。自分の胸に聞いてみれば分かる事だ。おまえも長く人生を生きて来た人間なんだから、それぐらいの事は分かるだろう」
 男は言った。
「そんな事、おれに分かるはずがないだろう。すると、おれがこうして、今日まで生きて来た事が罪だとでも言うのか。生きて来た事が悪いとでも言うのか ?」 
 わたしは言った。
「つべこべ、理屈を並べるな。おまえにはもう、親父もお袋もいないし、昔、おまえがいた故郷もないんだ。おまえはおまえの足で今日までの、おまえの人生を歩んで来た。それだけの事だ。それだけの事なんだから、おまえはさっさと、おまえの人生を歩んで行けばいいんだ。後を振り返ったって、昔を懐かしんだって、もう二度と、同じ故郷や昔に帰る事なんて出来やしない。出来っこないんだ。だから今日限り、今すぐ、此処から出て行け。此処はおまえの居る所でもないし、帰れる場所でもないんだ。ここはおれ達にとってとの生きる場所だし、おれ達が住む場所だ。おまえには、おまえの生きてゆく場所があり、おまえの住む場所があるはずだ。おまえが此処で生きてゆくには生まれ変わる必要があるんだ。此処はもう、今のおまえが住む場所でもない。生きてゆく場所でもない。だから、おまえはさっさとこの村から出て行け。おれ達は、お前をこの村から追放する」
 男は言った。
 
             完





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          :桂蓮様
          
          有難う御座います
          新作 拝見しました
          それにしてもなんとまあ 欲張りな事
          余り欲張り 無理をするのもかえって逆効果
          という事もあります 御無理をなさらずに
          いずれにしても 何事に於いても 努力なしには成し得ない
          という事ではないでしょうか 苦労の水は苦くしょっぱいですが
          成功の果実 水は甘い 
           スミス問題 昨日のこちらの報道でも
          スミスが十年間 うんぬんという事が伝えられました
           一週間ほど前か NHKでスミスの件に関して
          アメリカでは批難派が多いという事 それに比して
          日本では擁護派が多いという事を伝えていました 
          わたくしも擁護派です それにしても面白いと思ったのは 日常
          暴力事件が絶えず 映画などでも必ずと言っていい程に
          取っ組み合いなどの暴力場面を散りばめているアメリカ 
          とい国に於いて スミスのあの暴力を批難する人が多い  
          という事に何かしら 違和感と皮肉なものを覚えます
          一方 スミスの奥さんへの言葉の暴力 これは無視されているようです
          日本でもしばしばイジメが問題になる事があります
          SNSなどの中傷的な書き込みに耐えられなくなり 自殺した人もいます
          そんな事で日本では心への暴力行為を問題視する事が多いですが
          アメリカではどうなのでしょう わたくしは見た眼の暴力より
          心への暴力の方がはるかに陰湿 悪質だと思っています
          その点 司会者にお咎めなし スミスに罰 やはり一方的処置だと
          思わざるを得ません 桂連様の旦那様がどのような記事を
          お書きになったのかは分かりませんが 桂連様はうるさいだけの事 
          だとお書きになっています また スミスはバカだとも
          このバカには二通りの意味が読み取れます 一つは単純に
          自制の出来ない人間としての愚かさ 愚か者 バカ者だと言う事 あと一つは
          眼の前の事 目前の事に気を取られている事に対する
          バカ という事・・・この事は禅の世界に通じる事です
          桂連様がわたしにはうるさいだけの事 と書いておりますが
          これは明らかに禅の立場に立った見方です 禅では
          日日是好日(にちにちこれこうにち)と言います 世間の事 
          世事には惑わされず 自分自身を生きる 世間は世間
          わたしはわたし この態度 スミスはバカだという事は
          下らない一介のコメディアンの言葉に反応しているその反応する事自体が
          バカだ という事になります
          ですが スミスが禅の悟りを得ているとは思い兼ねます
          思わずカッとなるのも 人間として無理のない事ではないのかと思います    
           いずれにしても今度のスミス事件はわたくしには気分の良い 
          判断だったとは思えません 司会者も同罪です
          司会者は突発事故に冷静に対処した などと言っている人が
          いるという事ですが 何をか言わんや という気持ちです
          言葉の暴力で傷付いた心はどうなるのか 
          表面的には笑っていても 心の痛みはあるはずです
          人はしばしば 自分の弱みを見せまいとして反対の行動を 
          取るものです スミスの奥さんも笑っていたという事ですが
          その表面の顔とは裏腹に心の内では深く傷付いていたのかも 
          知れません いずれにしても外の人間には当人の心の内は 
          分からないものです
           桂連様の場合も想像してみて下さい もし 桂連様が
          何かで悩んでいる時 その悩み事を公衆の面前で笑い事にされたら
          桂連様を愛する旦那様は傍で黙って笑っている事が出来るでしょうか
          思わずカッとなるのと共に、愛する桂連様を守る為に
          何らかの行動に走る事でしょう スミスの場合も同じだと思います 
          スミスがどれ程 奥さんを愛していたのかはわたくしには分からない事ですが
          なんであれ 下らないジョークにただ笑い 
          人の心に思いを馳せる事の出来ない人間は愚かです

          
          

          takeziisan様

           有難う御座います
          相変わらずお元気な御様子 畑の広さ かなり   
          広いようで 家庭菜園の規模どころじゃない これでは
          脚 腰 痛くなるのも当然 納得しました それにしても
          年々 体が枯れ木のように固くなって来るのを実感している  
          昨今です
           庭の花々 手入れも大変なのではと 豊富な事に余計な心配までしました
           「マサチューセッツ」「四季の新潟」
          知りませんでした 「マサチューセッツ」 過去への
          郷愁を唄う歌ですね なんだか眼がしらに染みてくる
          感覚を覚えました また「四季の新潟」この歌が校歌 ?
          粋な学校もあるものだとなんだか嬉しくなります
          レコード 古びた響きも懐かしくて良いですが 小林幸子を聞きながら 
          景色を見ていると何故が懐かしさをーー知らない土地なのに
          抱いていました 新潟 万代橋 美川憲一の歌と共に親しみを抱いていた橋なので
          懐かしさを覚えるのかも知れません
           新潟の綺麗どころ 踊りもこうして見ると 上手 まだまだ が直ぐ見えて来て
          ちよっと 辛いなというところもありますね
           二番目に踊った人が上手いと思いました
           東北美人 新潟美人 村上幸子も美人歌手の一人でしたが
          これからという時に亡くなってしまいました
           美人薄明という事でしょうか
           今回も美しい花々 堪能致しました
            有難う御座いました            
    
    
 
 
 
 
  

       

   

   
        

遺す言葉(390) 再び 故郷に帰れず(8) 他 頬の痛みと心の痛み(アカデミー賞とウィル スミス)

2022-04-03 13:02:31 | つぶやき
          頬の痛みと心の痛み(アカデミー賞とウイル スミス) 
                     (2022.4.1日作)

 米国 映画アカデミー賞 その会場 舞台上で 
 前代未聞の事が起こった
 ウイル スミスの暴力行為
 殴られた本人も あまりに突然の出来事に 一瞬
 戸惑ったに違いない 暴力行為 確かに
 許される行為ではない ウクライナへのロシア侵攻
 これも紛れもない暴力行為だ しかし 米アカデミー賞
 その会場に於ける 一人の俳優の行為 これを
 ロシアのウクライナ侵攻行為と同一の暴力行為と見てもよいのか ?
 様々な報道で見る限り 暴力行為に及んだ俳優を非難する声が
 圧倒的に多いようだ その行為に走った本人自身も 深い反省の気持ちを
 表明している だが 待てよ それで良い それで
 暴力行為に走った当人には重い罰を科して一件落着 それで良いのか ?
 事の発端は 司会者 殴られたボードビリアンだかコメディアンだか
 その男が発した言葉にある 病気で苦しむ人への「からかい」
 正常な神経を持つ人間なら 誰でも我慢の出来ない事だろう 
 ウイル スミス 本人に取ってはその「からかい」の対象者が自分の愛する
 妻でもある 怒りの湧き上がるのは当然 正常な神経を持つ人間なら   
 当たり前の事だ しかも年に一度の大舞台 その壇上で 病に苦しむ妻が
 公衆の面前 世界各地に放映されるに違いない大舞台の上で恰好の笑い者に
 される 絶対に許せる事ではないーーウイル スミスに取ってはその行為は
 妻を守る為の正当な行為 正常な人間として批難されるべき行為ではない
 人間としての正しい行動なのだ 本当に批難されなければならないのは
 どちらか ? 批難されるべき人間はどちらなのか ? ウイル スミス 彼の
 立場に立てばそういう事だろう そう思うだろう しかし 世の中 世論は 
 一斉にスミスを批難して 司会者の暴言には頬かむり 無きが如しだ    
 暴力 確かにその行為は 批難されるべき行為 打たれた頬は痛むだろう 
 だが その痛みは眼にする事の出来る痛み 推し量る事の出来る痛み その  
 痛みが頬に傷跡を残す事は今度の場合 多分 ないだろう それに反して
 スミスの妻 笑いものにされた人の痛みは心に突き刺さり 深い傷として 
 病の癒えない限り 続いてゆくだろう 打たれた頬の痛み 病に苦しむ心を
 笑いものにされ 搔き廻された痛み どちらがより大きく深いものか ?
 考えなくても分かる事だ 「ブラック ライブズ マター」黒人の命も大切
 人の「心」もまた 人が生きる上に於いては何よりも大切なものの一つだ 
 その心を蔑(ないがし)ろにする 許される行為ではない
 今度の出来事 その因を作った司会者 その者の罪の方が殴った者の罪より
 はるかに大きなものだ   
 打たれた頬の痛み より 傷付けられた心の痛み より一層 大きなものだ




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          再び 故郷に帰れず(8)




 まるで竹藪の中から生まれ出るかのように白い朝靄が流れ出ていて、辺り一面を覆っていた。
 竹薮の傍にある井戸が朝靄の中で溶けるような輪郭を見せていた。数多くの雀たちがしきりに、その傍で鳴き交わしていた。
 わたしはその井戸の傍へ行くとすぐに上半身裸になり、それから身に着けていた物を総て脱ぎ去り、素裸になると井戸の釣る瓶に手を掛けてそれを下ろしていった。
 重い石を片側に括り付けた釣る瓶は深い底まで押し下げるのには力を要したが、引き上げる時は楽だった。引き上げた釣る瓶をいったん、井戸の縁に降ろして両手で抱え込むと眼をつぶり、息を止めて気合を込めると釣る瓶の中の水を一気に頭から被った。
 五月の朝の事とはいえ、深い底にある井戸の水は冷たかった。思わず体が震えた。
 わたしはハッと大きく息を吐いて再び気合を込めると、また、釣る瓶を下ろす作業に取り掛かった。
 都合、五回、そうして冷たい水を頭から被り、全身を清めた。
 冷たい水を浴びた後の爽快感はなんとも言えない気分の良さだった。乾いたタオルで体を拭きながら、自分が再生したような感覚を覚えていた。鼻歌でも歌いたいような気分だった。朝の心地良い空気と共に、今ならこの世の総てを受け入れられるような気がした。
 そんな心地良い感覚に大きな幸福感を抱きながらわたしは、座敷へ戻ろうとして足を踏み出した時、思わずその足を止めていた。何処からか金槌で釘を打つような音が聞こえて来た。
 なんだろう ? と思った。こんな朝、早くから・・・・。
 不思議な思いを抱きながら裏庭に廻ってみるとそこでは兄貴が、芝生の上に茣蓙を広げてその上で何かを作っていた。傍には何枚もの真新しい大きな板が並べられてあった。
「いったい、こんな朝早くから何を作ってるんだい ?」
 わたしは兄貴の丸めた背中に向かって言った。
「棺桶を作ってんだよ」
 兄貴はわたしの問い掛けを不思議がる事もなく、後ろを向いたままで言った。
「棺桶 ?」
 わたしは訳が分からずに聞き返した。
「うん、棺桶だ」
 兄貴はなんの戸惑いもなく言った。
「そんな物を作ってどうするんだい ?」
 わたしは意味が理解出来ずに聞いた。
「親父とお袋が死んだんだ」
 兄貴はなんの衒(てら)いもなく言った。
「親父とお袋が死んだ ?」
 わたしは思わず、驚いて聞いた。
「ああ」
 兄貴は感情も見せない声で返事を返して来た。
「何時 ?」
 わたしは息を呑んで言った。
「ゆんべだ」
 と、兄貴は言った。
「ゆうべ ?」
 信じ兼ねる思いで問い返した。
「ああ、ゆんべ」
 兄貴は相変わらず、なんの感情もない声で言って、しきりに金槌の音を響かせていた。
 ーーいったい、どういう事なんだ !
 わたしには訳が分からなかった。
「昨日、夕方見た時には、二人ともあんなに元気だったじゃないか。いったい、親父とお袋はなんで死んだんだ ?」
 わたしは思わず兄貴を責めるように言っていた。
「あんにもかんにもねえよ、死んだものは死んだんだ。どうしようもねえべ」
 兄貴は言った。
「どうしょうもねえって、医者には診せなかったのか ?」
「医者に診せるもあにも、死んじまったもんは仕方がねえべよ」
 兄貴は平然とした様子で言った。
「いったい・・・・。親父とお袋は何処に居るんだ ?」
 わたしは思わず兄貴に食ってかかるように言っていた。
「奥の座敷に居る。行ってみろ」
 兄貴は言った。
「行ってみろも何もないだろう。すぐに医者に来て貰って、よく見て貰わなければ駄目だよ」
 わたしは言った。
「死んじまったもんは、死んじまったんだよ」
 兄貴は達観したように言って、わたしの言葉などには取り合わなかった。
「何をバカな事を言ってるんだよう。すぐに医者に来て貰うから電話番号を教えてくれ」
「電話番号 ? わがんねえ」
 兄貴は落ち着き払って言った。
「分からない ? じゃあ、自転車を貸してくれよ。すぐに医者に行って来るら」
「自転車なら、物置にある」
 兄貴は相変わらず動じる様子もなく、棺桶の釘を打ち続けながら言った。
 わたしは駆け足で表へ戻ると庭の隅にある物置に向かった。
 自転車を引っ張り出してそのまま、親父とお袋の容態を確かめもせずに自転車に飛び乗った。

 太陽は既に昇っていた。
 朝の濃い靄はその中で溶けていた。
 わたしは懸命に自転車を漕いだ。 
 朝の清々しい空気の中、草に覆われた土の道を自転車で通るのは何年振りの事なのかは分からなかったが、子供の頃の自分に戻ったようで、心楽しい走行だった。しかし、気分は極度に沈んでいた。わたしの頭の中では常に親父とお袋の死が意識されていた。わたしは、「親父とお袋が死んだんだ。親父とお袋が死んだんだ」と呟きながら、ただ、溢れる悲しみを懸命に堪えながら自転車を漕いでいた。





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          桂蓮様

          有難う御座います
           新作 拝見しました
          冒頭の写真 コメントの中にある植物でしょうか
          それにしても 窓から窺える庭 広々とした感じで
          羨ましいです 気持ちの良い写真です
           ストレス 人間に取っては無くてはならないものの
          一つですね ただ それが過剰になる これは困った事です
          適度なストレスがあってこそ 物みな総ては成長出来るのでしょうね
          面白く拝見致しました
           バレーの評価 そう御自分を卑下なさらないで下さい
          わたくしも悪口を言う必要がある時は はっきり言います
          ですが その欠点が誰かを傷付けるような欠点 どうしても
          見過ごせないような欠点でない以上 あえて取り上げ
          暴く必要はないと思っています
          わたくしがこれまで書いて来た文章の中にも悪口を
          言っている文章はあります
          ですが無駄な悪口を言うより その人の良い面を見て
          評価する その方が相手の方に取っても有意義だろうし       
          自分としても嫌な気分に陥らなくて済みます 
          悪口を言う 批難する 決して気持ちの良いものでは
          ありません 他人を貶めて快感に浸っている そんな
          性格の人間なら別ですが そんな人間にはなりたくない
          と心がけています それでなくても人は知らず知らず
          他人を傷付けている事が多々あるものです 余計な
          他人への批難 なるべく避けるようにしたいと
          思っています
           バレーの先生との遣り取り 微笑ましく読ませて
          貰いました なんのかんのと言いながら 楽しそうな
          御様子が文面から伝わって来ます お幸せそうな
          お姿が想像出来ます 気取りのない自然な姿が浮んで
          来る文章だと思いながら 毎回 楽しく読ませて戴いて
          おります
           故郷は自分の心の中にそっと秘め しまって置いて 
          その思い出だけを育んでゆくのが一番ではないでしょうか
          常に変わらないものは心の中の故郷 現実の故郷は
          良くも悪くも日に日に変わってゆく そんなものではな
          でしょうか
          毎回楽しい御文章とコメント 有難う御座います
                             


          takeziisan様

           有難う御座います
          ノラボウ菜 採れ過ぎ困惑 羨ましい限りです
          自家栽培でこその恵み 贅沢 何よりも新鮮さが魅力 
          NHK BS3チャンネルで毎週火曜日七時半から
          「晴れ ときどきファーム」という番組を放送していて
          ニュース以外は特殊な番組を除いてあまりテレビは
          見ないのですが この番組は数少ない楽しみにしている
          番組です なんのことはない 三人の出演者が古民家を
          借りて野菜を作ったり そこで採れたものを材料に
          いろいろな料理などを作ったりする なんの変哲もない
          単純な番組ですが わたくしに取ってはこれが限りなく
          楽しい番組の一つになっています 多分 農作業をして
          自ら収穫 料理する その面白さに惹かれるのだと思います
          その点で 自家栽培のお写真など 羨ましく拝見しております
          今回も様々な珍しい花 興味を引かれました
          白いスミレ ナツトウダイ カタクリいろいろ特に
          白いカタクリ 眼を引かれました
           自動車運転 わたくしは免許がなくて もっぱら
          人の車に乗せて貰うだけですので この記事 面白く
          読ませて戴きまし
           フランシーヌの場合 当時 流行りましたね
          こんな理由があったとは知りませんでした
           水泳 自己流で覚えたわたくしなどに取っては
          何もこんなにやかましく言わなくても 泳げればそれで
          いいじゃないか という思いの方が強いです でも 教室
          何かと理由付けが欲しいのでしょうね
           今回も様々な記事 楽しく拝見させて戴きました
          何時も楽しみにしております が くれぐれも
          御無理のないように
           何時も有難う御座います