遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(483) 小説 希望(7)  他 飾り人形

2024-01-28 12:48:51 | 小説
            飾り人形(2024.1.17日作)



 大仰な言葉を口にし
 見映えのいい場所で
 見映えのいい事だけに身を委ねる人間に
 眼を奪われるな この世界 世の中は
 普段 眼に見えない場所 隠れた場所で
 日々 地道に 自身の仕事に励む
 多くの人々によって 支えられている
 見映えのいい場所 陽の当たる場所で 日々
 華やぎ踊る人間達は 地道に自身の仕事に励む
 陰の人達が差し出す手の上で 浮かれ騒ぐ
 飾りの人形にしか過ぎない
 大地が無ければ花の咲く樹木は育たない




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               希望(7)


 
 
 その日、二つのチームが走るという情報はしかし、警察には筒抜けだった。双方がぶつかり合うインターチェンジには、二十数台のパトロールカーや白バイが待機していた。
 北川が率いる<ファイヤードラゴン>と<ブラックキャッツ>は警察を中にして、それぞれの領域に車を並べて向き合う形になった。
「すぐに解散しなさい。この道路を走る事は出来ません。直ちに解散しなさい」
 警察官はパトロールカーの中から何度も呼び掛けた。
 双方の車が今にも飛び出しかねない勢いでエンジンを吹かし続けていた。
 辺りには異様な雰囲気と騒音が立ち込めた。
 時折り、乗用車や大型トラックがその間を通り抜けて行った。
 双方の睨み合いは二時間近くに及んだ。
 時々、どちらからともなく二、三台の車が飛び出して相手を挑発する様に派手な走りを展開したが、それもすぐに白バイに制止された。
 最初に引いたのは<ブラックキャッツ>だった。
 百台近くの四輪や二輪が<頭>に続いて次ぎ次ぎに中央に飛び出しUターンをしては、自分達のエリアへ帰って行った。
「あのまま、まともにぶつかっていたら、明らかにこっちの分が悪かったですよ」
 北川は言った。
 走りの夜、北川は修二のナイフを借りには来なかった。
「じゃあ、警察の車に助けられたようなもんじゃねえか」
 マスターが言った。
「まあ、そう言えるかも知んねえですね」
 北川も素直に認めたが、
「とにかくあい奴等、一度、さんざん傷め付けてやんねえと、いい様にのさばって来やがっからね。こっで済んだと思ったら大間違いさ」
 如何にも腹立たし気に言った。
「誰か、警察に垂れ込んだ奴がいるのか ?」
「それは分かんねえけっど、警察も俺達の動きには眼を光らせてるんで、派手な行動はすぐに読まれちゃうんですよ」
「まあ、ぶち込まれねえようにした方がいいさ」
 マスターは言った。
「俺達はピュアに走りを楽しんでるっていうのに、奴らが突っ掛かって来やがんでどうしょうもねえですよ」
「舐められたもんだなあ」
 マスターは笑った。
「まったく、すっかり舐められちゃったですよ」
 北川は腹立たし気に言った。


            3



「マスター、また二階を貸して下さいよ。集会をやろうと思うんで」 
 北川が言った。
「使っても構わねえけど、修二に聞いてみな。今は修二の部屋になってんだから」
 マスターが修二をかえり見て言った。
 北川はマスターの言葉に修二を見て、
「今度の土曜日に部屋を貸してくれよ」
 と言った。
「うん」
 修二は気のない返事をしたが、北川達が何をするのかは分からなかった。
 マスターが別段、反対する様子も見せなかったのでそう答えるより仕方がなかった。
 ただ、修二に取って気がかりなのが部屋に貼ってある高木ナナのポスター写真だった。
 その写真を誰にも見られたくなかった。
 高木ナナは修二が唯一、心を寄せる憧れの人だった。
 また、秘かな恋人でもあった。
 その秘密を知られるのが恥ずかしかった。
 もし、北川達が部屋に来るのなら、あの写真は外さなければ、と思った。
 修二が小学校六年の時で、父が倒れる少し前の事だった。当時、歌手になったばかりの高木ナナが駅前のレコード店にキャンペーンで来た。その時、高木ナナはCDを買った人にサイン入り色紙とポスター写真をくれて、握手もしてくれた。
「名前はなんて言うの ?」 
 高木ナナはそう聞いてから色紙に、

   高木ナナ
 
  山形修二君へ
   これからもよろしく
    応援してね !

 と書いてくれた。
 その時握手をした白いきれいな手の柔らかな感触が今でも鮮明に脳裡に残っていて、ふと思い出しては夢のような世界に浸っていた。
 現在、高木ナナはポップス界のトップスターだった。
 テレビで見る彼女の美貌には一段と磨きが掛かっていて、押しも押されもしないスター歌手の雰囲気が備わっていた。
 あの高木ナナが色紙に俺の名前を書いて握手をしてくれたんだ、テレビの画面に高木ナナを見る度に得意な気分に包まれて言い様のない幸福感で満たされた。
 店が終わってマスターとおかみさんが車で帰ると修二はすぐに鎧戸を降ろして鍵を掛け、二階の自分の部屋へ上がった。
 一日中、閉め切りになっていた部屋は扉を開けると正面の壁に高木ナナのポスター写真が貼ってあって、修二を笑顔で迎えてくれた。
" 今日も一日、御苦労様 "
 何故か、ポスター写真は何時もそう語り掛けて来てくれるような気がしていて、修二自身も思わず笑顔になっていた。
 それからの時間は修二にとって一日のうちで最も至福に満ちた時間だった。この時間の為にのみ一日があるような気がした。高木ナナとたった二人だけの時間・・・・
「二階を使うのはいいけど、あんまりでっけえバイクや車を通りに並べて置くなよ。一応、ここは堅気の店になってんだから、変な事で警察に嗅ぎまわれたくねえからなあ」
 マスターは言った。
「それは大丈夫ですよ。来るのはサブ(副)だけですから。せいぜい六、七人ってとこですよ。車もみんな分散して置くように言っておきますから」
「クロも来んのか ?」
「ええ、おふくろさんも退院したみてえで、奴も工場へ出てますよ」
 土曜日の夜、零時過ぎに北川を始め、六人の男達が修二の部屋へ集まった。




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              桂蓮様


               勉強のストレス
              拝見しました 見落としていたのでしょうか
              初見の気がします とても面白く拝見しました
              学生時代に還った様に机に向かって参考書類のページをめくる姿が
              自ずと文面から浮かび上がって来ます これも普段 退屈に思われる日常の中の
              ちょっとした変化で面白かったのではないですか     
              いずれにしてもアメリカ市民 その新しい視点でまた
              ブログに日常をお書き下さい 
              この一年 アメリカはちょっと騒がしいですね
              日本でも連日 あの大統領候補を目差す嫌な男の顔がテレビ画面に
              映し出されますが その光景を見ていますと アメリカという国の品格も
              大分落ちたのかなあ などと思ってしまいます
              いずれにしても これからはアメリカ市民としての自覚が必要になりますね
              とても興味深く拝見しました
               有難う御座いました



              takeziisan様
 
              
               いやあ 今回のブログ 特別の懐かしさと共に
               たっぷり楽しませて戴きました
               藤本二三吉 梅は咲いたか かっぽれ
               幼い頃 よく耳にしたものです ラジオからこれ等の歌が流れていた当時が蘇ります
               江戸情緒たっぷり 懐かしいですね 取り分け
               かっぽれ まだテレビが出て間もない頃だったと思いますが
               かっぽれ で当時の 雷門助六 この人が踊った踊りが今でも
               眼に焼き付いています
               踊りの名手と言われた人ですが それこそ
               踊りを踊らずに踊る その言葉通りの踊りで
               後にも先にもあのような芸は見た事がありません 
               ですから今の若い人たちの踊りを踊る踊り など全く見ていられません
               何事に付けても昔の修行の方が厳しかったような気がします
               今ではちょっと見栄えが良ければすぐに売り出してしまう
               芸はそっちのけで人気取りだけの芸です
               また レコードのかすれた音が殊更 郷愁を誘います
                冬の木立の景色 水仙 見ているだけで気持ちが洗われます
               今のわたくしどもの環境では再び あのような自然の中に身を置く事は
               出来ないでしょう 懐かしさばかりです
                ブラザーズ・フォー 七つの水仙 知りませんでした
               初めてです 遥かなるアラモ グリーン・フィールドなど
               よく耳にしていたものですが          
                背伸ばし 伸脚 屈伸 分かります
               わたくしは腰の痛みはないのですが 右膝がチクチク痛みます
               軟骨のすり減りによるものなのか 昔あった神経痛の名残りなのか
               ちょっと判断が付き兼ねています 大した痛みではないのですが
               夜 寝ている時などにも突然 襲って来ます
               なんで 何もしてないのにと不思議な気がします
               それだけに多分 神経痛の名残りなのだと思ったりしています
               いずれにしても 足腰の痛み これ以上悪化させないよう
               お気を付け下さい
                今回も楽しいひと時を過ごさせて戴きました
               有難う御座いました










遺す言葉(482) 小説 希望(6) 他 人は心 心は人 ほか

2024-01-27 14:43:59 | 小説
            人は心 心は人(2024.1.10日作)


 野生動物 一般的動物に 高度の感情 心は無い
 高度の感情 心を持つのは 人間のみ その人間 
 人が人としての心を持つ人間こそが 最高の人間
 学識 権力 財力 如何に優れていようとも
 人が人としての心を持ち得ない人間は 最低 最悪
 動物的人間 人は心 心は人 



 人の命を損ねる行為は
 人間の種(しゅ)を断ち切る行為
 人の世界を滅びに導く行為
 悪の最たるもの
 人の命を断ち切る事なく
 悪の行為を断ち切る
 悪の行為を断ち切る事で人は
 何時の時代にも生きてゆける
 生き続ける事が出来る
 命 人の命はそれぞれ一つ 唯一つの物
 唯一つの物が世界 この世界の
 多様性を生み出し 形作る
 多様性の失われた世界は
 衰退の世界




            ーーーーーーーーーーーーーーーーー





             希望(6)


 
 
 母親はそれでも怯まなかった。
「おまえがそう言ったって、わたしは父ちゃんの連れ合いなんだからこの家ば貰う権利があんだよ」
 と、ふてぶてしく言い返した。
「有ったって無くたって、手前えなんかには渡さねえ」
 修二は言った。
「バカを言うんじゃないよ ! おまえがそう言ったって、法律は法律なんだからね」
 母親は修二の抵抗に苛立って紙袋から煙草を取り出すと、一本を抜き取って口に咥え、ライターを取り出した。
 乱暴に煙草に火を点けてそのまま立ち上がり、仏壇のマッチの燃えがらの入った灰皿を手に戻ってきた。
 修二には法律などは分からなかった。母親への敵愾心だけに捉われていた。
 その敵愾心のままに修二は母親に向って、
「手前えなんか、さっさと男の所さ帰えりやがれ !」
 と言い放つと荒々しく背を向けて次の間へ行き、服のまま敷きっ放しの布団にもぐり込んだ。
 母親が初めて見せた煙草を吹かす商売女の仕草が一層、修二を苛立たせた。
「帰ろうと帰るまいと、わたしの勝手だろう。ここはわたしの家なんだよ。わたしがここに居てどうしていけないんだいよう!」
 母親は修二に背中を向けたまま、立て続けに煙草の煙りを吐き出していた。
 苛立っている事が明らかだった。
 修二はそんな母親を無視して頭から布団を被ったまま動かなかった。
 それからの母親に付いては全く分からなかった。何かを呟きながらしきりにごそごそやっている音だけを耳にしていた。
 どれだけかの時間が経っていた。ふと気が付いた時には、静かになった母親の鼾の声だけが聞こえて来た。
 修二は布団からそっと頭を出して覗いて見た。
 母親は腕枕をして横になっていた。
 傍には祖母の葬儀に届いた酒の 一升ビンが半分ほどの中身を残して置いてあった。
 足元には煙草の吸い殻で一杯になった灰皿があり、ライターが転がっていた。
 瞬間、修二の頭に閃くものがった。
 鮮やかに一つの情景が浮かび上がった。
 あいつを焼き殺してやる !
  母親への憎悪と怒りの感情だけが沸き立っていた。
 後先への 思いは全く浮かんで来なかった。
 修二はそっと布団を抜け出すと、足音を忍ばせて母親の傍に近付いてライターを手にした。
 迷いは微塵もなかった。酒に酔い、寝込んでしまった母親の煙草の火の不始末が出火の原因だと言い通せる自信があった。
 母親の傍には自身が持って来た書類に混じって、家の戸棚から探し出したらしい書類も散らばっていた。
 火を点けるには絶好の条件だ !
 古い木造家屋なんてたちまち火に包まれてしまうだろう。
 その時になって気が付いた。
 自分はすぐに逃げ出せるように必要な物を揃えて置かなければ・・・・
 さして手間の掛かる事ではなかった。
 アイドル歌手、高木ナナのサイン入り色紙とポスター写真、デビュー曲のCD、それに祖母が死んだ時に貰った香典などの大事な物は総て、中学生時代に使っていた布製の肩掛け鞄に入れて、小さな木机の上に置いてあった。
 生活に必要な現金は何時もジャンパーの内ポケットに入れて持ち歩いていた。
 この二つを持ってすぐに飛び出すのだ !
 準備が整うとそっと母親の傍へ近付いた。
 息を殺して母親の寝息を窺った。
 母親はほんのりと赤くなった酔いの廻った顔で眼を閉じ、相変わらず深い寝息を立てていた。
 修二は母親の寝顔に眼を向けたまま、そっと手を延ばしてライターを取り上げた。
 続いて散らばっている書類を集めて灰皿の傍に寄せた。
 初めに火を点けたのは灰皿の中の吸殻だった。続けて寄せ集めた書類にも点けた。
 火はたちまち炎を上げ、瞬く間に燃え広がった。
 その火を見詰めたまま修二はじっと動かなかった。
 炎が畳に燃え移るのを確認してから、急いで次の間へ行って布団の中にもぐり込んだ。
 布団の中から畳に燃え移った火が更に広がるのを見詰めていた。
 母親は足元にある書類が炎を上げ、畳に燃え広がっているのにはまだ気付かなかった。
 何時、母親が気付くのか、修二は息を詰めて見守っていた。
 母親が気付いてから飛び出すんだ !
 それまでの我慢だと思った。
 それでも更に広がる火の勢いに圧倒される思いで不安は増した。
 じりじりする思いでその時を待っていた。
 突然、母親が飛び起きた。
 母親は一瞬、何が起こったのか分からない様子でキョロキョロしていたが、すぐに畳みを焦がして燃え広がる火には気付いて立ち上がった。
「火事だ ! 火事だあ ! 火事だよお」
 形相を変えて叫び出した。
「修二 ! 火事だよう、火事だよう」
 修二はその声と共に布団を飛び出した。
 後は段取りのままに行動すればよかった。
   鞄とジャンパーを手にするとそのまま玄関へ走った。
 玄関の鍵は掛かっていなかった。引き戸を押し開いて外へ飛び出した。
 母親がどうしたのかは分からなかった。
 火は既に家の中の障子などにも燃え移っている様子が外からでも確認出来た。
 間もなく母親が飛び出して来た。
 母親のスカートの後ろが半分燃えて無くなっていた。
 母親が必死になってその火を振り払っている様子が想像出来た。
 それでも母親には大きな火傷などは無いようだった。大きな声で、
「火事だあ、火事だあ」 
 と叫んでいた。
 まず、隣りの家のお父つぁんが来てくれた。
 近所の人達も次々に来てくれた。
 それでも消防団の人達が来た時には家の半分以上が燃えてしまっていた。
 消火作業が終わった時には、黒く焼け焦げた家の骨組みだけを残して、総てが灰になっていた。
 祖母の遺骨は骨壺が壊れ、焼け跡では見分けが付かなくなっていた。
 父の遺影も祖母の遺影も燃え尽きていた。
 翌日、修二と母親は警察の取り調べを受けた。
 放火の疑いは掛けられなかった。
 修二の思惑通り、タバコの火の不始末が出火の原因と認定された。
 酔って寝入ってしまった母親には、その決定に反論が出来なかった。
 修二に取っての唯一の誤算は、母親を焼き殺す事が出来なかった事と、父親と祖母の遺影、遺骨を持ち出すのを忘れていた事だった。
 小さな火傷を負った母親は医者の手当てを受け、その日のうちに修二を伴って自宅の焼け跡へ帰り、形ばかりの後始末をした。
 その日はそれで終わった。
「今夜は丸山さんのところで寝させて貰いな」
 母親は家を失った修二に、自分が同棲している男の名前を言って勧めた。
 修二は返事をしなかった。
 夕闇の迫る中、母親の眼を盗んでバスの停留所へ行くと最終に乗って駅へ向かった。
 ジーゼルカーの終点駅にある享栄市は修二がいた町から二時間十分程の距離にあった。
 修二が到着した時には既に夜の九時を過ぎていた。
 それでも街はまだ、都会の夜の華やぎを見せていた。

 北川は修二がマスターの店で働くようになってから二度目の土曜日、午前零時過ぎに八十七台の車を連ねて中央通りを下って行った。
 相手のチーム、<ブラックキャッツ>が自分達のエリア、領域に侵入するのを防ぐ為だった。




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               桂蓮様     

                
                英文だけの文章 英語の素養のない者には
               やはり ちよっと難解ですが 前回 和文を拝見していますので
               大方の事は分かります
                市民権を得て 今年は早速の大きな選挙 大統領選
               まだ始まったばかりですすが 連日 注目して見ています
               何しろ世界に対しての影響力の大きい国 注目せざるを得ません
               再び あの品性も素養も素質もない人間が大統領に着く事だけは
               他国にいる者としても どうしても避けて貰いたいものだと思っています
               世界中に影響して来ます
                いつも冒頭のお写真で拝見する豊かな自然
               身の周りにこのような環境があるという事は羨ましい限りです          
               国土の三分の二を山々で埋め尽くされた日本にも無論
               豊かな環境は有ります それでも都会に生きる者達の周りに
               そのような環境を日常的に見い出すのはなかなか難しい事です 
               お住まいの所がどのような場所なのかは分かりませんが
               身近に広がる豊かな自然の中で自身の人生を生きる事の出来る境遇を
               羨ましく思います
                御忙しい中 何時も御眼をお通し戴き 有難う御座います
               御礼申し上げます




                 
                 takeziisan様


                  今年も始まった新しい年
                 今更 改まった感慨 抱負もありませんが とにかく
                 無事に 元気で と自身願うばかりです
                  今年も楽しい記事 拝見 楽しみにしております  
                 どうぞ 御無理のない所で御続き戴ける事を願っております
                  水泳 帰って来ての一杯の梅酒 心の満足感          
                 日常のこの喜び 人生 最上の喜びですね
                 わたくし自身も日々 習慣にしている事を怠ると
                 何か忘れ物をしたような気持ちで心が落ち着きません            
                 それだけに自分に課している水泳のあとの梅酒の一杯の満足感
                 気持ちに染み渡って来ます それにしても
                 この地球上には こんな小さな喜びを享受する事の出来ない人々が
                 如何に多く居る事か・・・
                 連日のテレビ ラジオ 新聞での悲惨な報道        
                 いい加減にしてくれと言いたくなります
                 毎日毎日 愚かな人間どもの傲慢な姿を見せつけられる事には
                 うんざりです
                  寒山寺 良い思い出てすね 渡辺はま子 山口淑子 北原謙二 
                 みんな若く 懐かしさばかり 昭和は遠くなりにけり です
                  お鉢 焼きおにぎり 大根っぱ 菜めし             
                 わたくしの方では大根の葉を干してふりかけにしていました
                 これも懐かしい昭和の思い出です
                  まあ 読んだ事 ! これだけの読書に
                 視力が耐えられるとは御立派です
                  何時も有難う御座います
                  御礼申し上げます。











遺す言葉(481) 小説 希望(5) 他 昭和は遠くなりにけり

2024-01-14 12:10:23 | 小説
             昭和は遠くなりにけり(2023.1.12日作) 



 間もなく昭和百年 
 連日 眼に 耳に届いて来るのは
 その時代 昭和の一時期 名を馳せた人達が
 次ぎ次ぎと この世を去って逝く 訃報
 嘗て 昭和を生きた人達は            
 明治は遠くなりにけり と
 口にした そして今 昭和百年      
 令和の時代を生きる者達 我々は
 計らずも 同じ言葉を口にしたくなる
 昭和は遠くなりにけり
 記憶に残り 思い出に浮かぶ
 あの顔 この顔 その人達 その姿が今
 現実 この世界から日々 次ぎ次ぎと消えてゆく           
 後に残るのは 何処か馴染の薄い
 異質な世界 異質な雰囲気 
 昭和の雰囲気 面影は 次第に薄れ
 消えてゆく
 移り逝く時の中
 日々 生まれる命と世界の華やぎ
 昭和の時代は消えてゆき
 昭和は遠くなりにけり
 昭和を生き 今 令和を生きる者達 我々は
 ふと 呟く






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            希望(5)




 ナイフを盗んだ事自体には罪の意識はなかったが、店の人に顔を見られる事を怖れていた。
 母親の顔を思い浮かべたのは一週間程が過ぎて、気持ちにゆとりが出来てからだった。
「クソ婆、死んでしまえば良かったんだ !」
 母親には恋しさも懐かしさも覚えなかった。
 敵意と憎悪だけが激しかった。
 病気の父親も省みず、働いていた飲み屋の客と同棲した母親がどのように考えても許せなかった。
 卑怯で卑劣で無責任で薄汚かった。
「あんな女は死んでしまえばいいんだ !」
 修二が中学校一年の時だった。十一月のある夜から母親はぱったり帰らなくなった。
 父親が脳梗塞で倒れ、半身不随になり、言葉も不自由になって半年程後の事だった。
 飲み屋へ電話をした修二の祖母に母親は、
「うるさいね。わたしがどうしようと、わたしの勝手だろう !」
 と怒鳴り返して電話を切った。
 母親は駅のある町の飲み屋で働いていた。
 父親の治療費を稼ぐためだった。
 母親が三十八歳の時で、七十二歳の祖母は母親が帰らなくなってからは、家の仕事の何もかもを独りでしなければならなくなった。
 役場からは一日二回、看護婦が来て父親の様子を診てくれた。
 それでも夜昼のない四十五歳の息子の世話は祖母には重荷だった。
 祖母は農作業も出来なくなり、農地を他人に委ねた。
 収入のない家計の中での僅かな農地の賃貸料だったが、父親の治療費を賄うにはそれでも足りなくて、結局、その農地を切り売りする羽目になった。
 ほぼ四年に渡る父親の病床生活で農地の大半が売り尽くされた。
 修二は中学校を卒業すると近くの製材所で働いた。
 高校へ進学する為の金銭的余裕もなく、中学校でも欠席しがちだった修二には学力もなかった。
 製材所での仕事は大人に交っての重労働だった。
 周りの人達は気を使ってくれたが、与えられた仕事は一人前にこなさなければならなかった。
 仕事が終わって自転車で帰る道では高校へ通う同級生達としばしば一緒になった。
 修二は慌てて近くの松林や藪の中に逃げ込んだ。
 中学生時代、半身不随の父親を「よいよいの父ちゃん」と言われたり、母親を「おめえの母ちゃん、男と逃げた」などと揶揄われた事などが頭から離れなかった。
 時には、猛然と立ち向かっていって、取っ組み合いの喧嘩になる事もあったが、その度に何人もの相手に足蹴にされたり、痛め付けられたりした心の傷は癒える事がなかった。
「強情っ張り、強情っ張り」と言って揶揄われた修二が同級生達に抱く感情は憎悪と嫌悪だけだった。
 父親はそんな生活の中でも確実に衰弱の度合いを深めていった。
 祖母も次第に体力の衰えに苦しむようになっていた。
 父親が亡くなる一年程前には祖母自身が腰を痛めて、家の中を這って歩くような状態になっていた。
 それでも祖母は息子の介護をしなければならなかった。
 修二は祖母に替わって夜中の父親の介護をした。
「修二よう、起きてくんねえが。父ちゃんのしょんべん(小便)がびん(尿瓶)さいっぺえになっちまっただよう」
 夜中にしばしば起こされた。
 眠い目をこすって仕方なく起きたが、それでも修二は祖母や父親を恨む気にはなれなかった。
 次第に衰えを増してゆく二人の姿にかえって憐れみと不安を覚えて心が痛んだ。
 父親が死んだのは、修二が働き始めた年の十二月だった。
 お粥を喉に詰まらせての窒息死だった。
 あくる年の二月には父親の後を追うように祖母が死んだ。
 傍に寝ていた修二に気付かれる事もなく布団の中で死んでいた。
 朝になって修二は気付いた。
 葬儀は父の時と同じく、隣りのえ(家)のお父っつぁんが仕切ってくれた。
 母親は父親が死んだ時には来なかった。
 祖母が死ぬと初七日の翌日に姿を見せた。
 夜八時過ぎに土間の戸を叩く音がして、修二が引き戸を開けると母親が立っていた。
「父ちゃんと婆ちゃんが死んだんだって ?」
 母親は修二の顔を見て言った。
 修二は母親を見た途端に怒りに捉われた。
「あに(何)しに来やがっただあ。けえ(帰)りやがれ !」
 思い切っり母親の胸を突き飛ばして言った。
 母親はよろけて倒れそうになったが、漸く持ち堪えて、
「何すんだよお、親に向って !」
 と、怒りの表情で言い返した。
「てめえが親かよう、このスベタ !」
 修二はなお罵倒すると乱暴に引き戸を閉めた。
「戸を開けなよう。話したい事があるんだよう」
 母親は戸を揺すりながら喚いていたが、修二に開ける気はなかった。
「なんで、父ちゃんが死んでも、婆ちゃんが死んでも知らせなかったんだよう」
 母親は引き戸を揺すりながら喚き続けていた。
 修二は引き戸が外れないように内側からしっかりと押さえていた。
 母親はどれ程かの時間、喚いていたが、そのうち、
「いいかい、親を家に入れないなんて、この罰当たり !」
 と、捨てぜりふを残して帰って行った。
 母親が家の相続で何度も役場へ足を運んでいると知ったのは、十日程が過ぎてからだった。隣りの家のお父っつあんが教えてくれた。
 修二はそれを知ると、誰があの女なんかにこの家ば遣るもんか ! と怒りだけを募らせた。
 母親はひと月以上が過ぎて、再び姿を見せた。
 修二の仕事からの帰りを待って、庭先にあった古びた木箱に腰掛けていた。
 修二の顔を見ると、
「お帰り」
 と猫撫で声で言って、立ち上がって来た。
 修二は返事もせずに玄関へ向かった。。
 母親は修二の後を付いて来た。
「父ちゃんも婆ちゃんも死んでしまって、この家ば放って置く訳にもいかないと思って相談に来たんだよ」
 母親は言った。
 自分が居ない間に母親が家に入らないようにと、付け替えて置いた鍵を開けて土間へ入った。
 母親も修二の後に続いて入った。
 修二は拒まなかった。
 母親を無視したまま座敷へ上がった。
 母親も続いた。
 修二には母親が今度は何を言い出すのかと興味もあった。
 修二が電燈の明かりを点けると母親は座敷に座り込んで、抱えていた紙袋の中から何通もの書類を取り出した。
「役場で聞いてみたんだけどね、おめえがこのうち(家)の財産ば相続するには、まだ未成年だもんで代理人だなんだって、厄介な手続きがいっぺえ要るんだってさ。だもんで、その手続きば母ちゃんに任せて貰おうと思って相談に来たんだよ」
 母親は家を飛び出した事などはおくびにも出さずに、自分一人で納得したように喋っていた。
 修二は母親に背を向けてジャンパーを脱いでいたが、その言葉を聞くと同時に振り返って、
「やだ !」
 と、怒鳴っていた。
 何処までいけ図々しい女なんだ ! 
 腹の底からの怒りと敵意に捉われていた。
 母親は修二の思わぬ激怒に瞬間、怯えた様に身を引いたが回復は速かった。たちまち居直ると不機嫌な表情で、
「やだって言ったって、この家ばこのままにして置く訳にはいかねえよ。父ちゃんも婆ちゃんも死んじまって居ねえんだから」
 と言い返した。
 修二も負けてはいなかった。
「父ちゃんも婆ちゃんも居なくたって、手前なんかにはこの家はやんねえ」
 と怒鳴り返した。




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               takeziisan様


                有難う御座います
               今回のブログ いろいろ昔を思い出しました              
               学校への弁当 記憶に残るのは日の丸弁当ですね
               海辺に近い村だったのですが多くの生徒が皆
               日の丸弁当にタクアンだったような気がします そのせいかどうか
               弁当の時間にはみんなが人に見られるのを恥ずかしがるように
               前に蓋を立てて隠すようにして食べていたものでした
               懐かしい記憶です それに四年生の時 いっ時
               アメリカ進駐軍から贈られたものだという事で
               チョコレートが弁当の時間に配られた事があります
               それが大きなチョコレートでクラス全員に配るには
               切り分けなければならなかったのですが そのチョコレートの堅さと言ったらなくて
               みんなが骨を折って切り分けた事を今でも鮮明に覚えています
               貧しかった時代の懐かしい記憶です
                それにもう一つ 写真の中の木々の小枝にとまる小鳥たち
               背後の風景と共に子供の頃に見た情景を思い浮かべました
               これも懐かしい記憶です
                グザル わたし共の方では一般的にグズルと言っていました
               やはり地域的に微妙に異なる違いなのですね
               中には同じ表現もあるのですが
                八代亜紀 今回 偶然にも冒頭に同じような思いを込めた文章を
               掲載しました
               後に続くように亡くなった冠二郎 その前には大橋純子 谷村新司 また
               篠山紀信 中村メイコ 等々・・・・                           
                 時代の移り変わりが偲ばれます           
               せめて自身は日々の生活に気を付け 少しでも長く健康でいられるようにと
               心掛けています
                ポイント 何がなんだか分からなくて見ていません
               スマホも持っていませんので
               今の時代 スマホが無ければ何も出来ません
               でも わたくしは今 世間とは距離を置いて自分自身の生を
               生きる事だけを最重要に考えています まだまだ  
               やりたい事も残っていますし これからだと思っています 
                何時もページ 楽しく拝見させて戴いております
               有難う御座います
 


























遺す言葉(480) 小説 希望(4) 他 実践者

2024-01-07 12:41:17 | 小説
             今年 初めての投稿となります        
            スタッフの皆様
            何時も駄文に御眼をお通し下さる皆様
            どうぞ 宜しくお願い致します


             実践者(2023.11.10日作)


 
 理論 理屈屋になるな
 実践者であれ
 実践者 実行者の言葉として
 物事の本質 真実 核心を語る
 理論 理屈屋の実践の場に於ける 
 惨めな敗北者としての姿は
 政治 経済 現実の場に於いて
 しばしば眼にする事であり
 証明されている


 感覚で捉える事のない知識
 感覚の伴わない知識は
 本物の知識とは言えない
 借り物の知識
 支柱のない橋と同じ事




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              希望(4)





「うん、お袋の様子が良くねえらしいんだ」
「クロちゃんの奴、本当かよう。参ったなあ」
 北川は真実、困った様子で言った。
「向こうは幾つぐれえ走るんだ」
「二輪と四輪合わせて二百ぐれえ走るって噂ですよ」
「随分走るんだなあ」
「まあ、数なんかどうでもいいけど、問題は相手の頭(あたま)なんですよ。こいつが凄え奴で、並みの相手じゃあ十人、二十人が束になって掛かっていっても、アッという間に跳ね飛ばされちゃうんですよ」
「この前、おまえの車がやられたって奴か ?」
「そうなんですよ。そいつがハーレーのでっけえのでバリバリ突っ込んで来るんですよ。だもんで、今度はとにかくお返しをしねえ事には、いい笑いものになっちまうからね」
「向こうは、こっちの走りを知ってんのか」
「いや、相手が走るっていうんで、こっちがぶっつけていくんですよ。奴らの好きなようにコースを荒らされたんじゃあ立つ瀬がねえからね」
 北川は敵意を顕わに言った。
「クロちゃんが情報を入れたんで、走るもんだとばっかり思ってたんだけどなあ。実際の話し、クロちゃんが居ねえとこっちの力はがた落ちなんですよ。そっでなくても、数の上で分が悪いって言うのにさあ」
「おふくろの具えが悪いんじゃあ、しょうがねえだろうよ。クロはおふくろと二人暮らしなんだから」
「そうなんだよね。クロちゃんはおふくろ思いだしね」
「そうだよ。おまえみたいな八百屋のばっち(ばっし―末っ子)のぼんぼんとは訳が違うよ」
「それはないよ。俺だって真面目に鉄工所で働いているサラリーマンなんだから」
「まあ、どうだか」
 マスターは皮肉っぽい笑顔で言った。
「これだから !」
 北川は腹を立てる様子もなかった。
「坊やはバイクはやらねえのかい」
 マスターが修二に聞いた。
「はい」
「あんなものはやらねえ方がいい」
 北川への当てこすりのようにマスターは言った。


             2



「まだ、名前を聞いてなかったな。なんて言うんだ ?」
 マスターが修二に聞いた。
「山形修二です」
「修二か。じゃあ、これからは名前を呼ぶからな」
「はい」
「この部屋にある物はなんでも、好きなように使っていいんだからね。あんたの部屋になるんだから」
 おかみさんが六畳の部屋をひと渡り見廻して言った。
 先ほど調理場で後ろ姿を見せていた年上の方の女性だった。
 細面が整った目元の綺麗な、修二がこれまで見た事のない美貌の人だった。
 化粧はしていなかった。
 若いもう一人の女性は店員だった。仕事が終わると自宅へ帰った。
「はい」
 修二はおかみさんの言葉に素直に答えた。
 店の二階にある部屋だった。
 六畳一間に小さな台所が付いていて小型冷蔵庫や電子レンジ、洗濯機なども揃っていた。
 座敷には小さなテレビ、目覚まし時計が置いてあった。
 修二が生活してゆくのに足りない物はないようだった。
「ここから五十メートル程行くと銭湯があるから、お風呂はそこに行きなさい。夜一時までやっているので、お店が終わってからでもゆっくり間に合うから」
「はい」 
「じゃあ、これでいいかな」
 マスターが言った。
「そうね」
 おかみさんが頷いた。
 マスターとおかみさんは階段を降りて行った。
 間もなくして店のシャッターの降りる音がした。
 続いて車のエンジンの音が聞こえて来て、それが一段と大きくなり、やがて車の遠ざかる音が耳に届いて消えていった。
 小さな箪笥の上の置時計に眼をやると午前一時を過ぎていた。
 北川が帰ると修二はこの部屋に案内された。
  午後六時過ぎだった。
 それから修二は、店が終わる午前零時までの時間を身を堅くしてこの部屋で待っていた。
 ひと月前までは別の若者がこの部屋に住んでいた。
 その若者は自分の店を持つ為に栃木の実家へ帰って行った。
 マスターは後釜を探していた。
 それが修二になった。
「俺たちも朝九時までには来るから、それまでに店を開けて掃除をしておいてくれればいい」
 マスターが言った。
「真面目に働けば店を持つぐれえの事はさせてやるよ。前に居た奴も地元で店をやりてえって言うんで帰(けえ)したんだ」
 翌日から修二の店員生活が始まった。
 店には正午過ぎと夜八時過ぎの二度、客の立て込む忙しい時間帯があった。
 店員生活の初日、修二は勝手が分からずただ、うろうろしていた。
 それでも一週間が過ぎる頃には自分から気を利かせて動けるようになっていた。
 修二の他に女店員の鈴ちゃんが居るだけの小さな店だったが、修二に取ってはここでの生活は思いも掛けず得られた幸運だった。
 母親の下を逃げ出して行き当たればったりにこの街に着いていた。
 明日という日を心配せずに生きてゆけるだけで天国だった。
 ここでの生活を大切にしたいと思った。
 修二は真面目に働いた。
 マスターに怒鳴られる事もなかった。
 おかみさんや鈴ちゃんからは好意を持って迎えられた。
 一日の仕事が終わって二階へ上がると疲れ切っていた。
 風呂へも行かずにテレビを点けたまま眠ってしまう事もしばしばだった。
 それでも、そんな生活が少しも厭ではなかった。
 働き初めて五日目、水曜日の休日に散髪をした。
 長く、ボサボサだった髪を短く刈り込む事で自分も一端の大人になった気がした。
 その後、駅前のデパートへ行って数枚の下着を買い、ジャンパーと革靴を買った。
 マスターは給料の前払いとして二万円をくれた。
 鞄の中の三万円余りと合わせると、買い物に困る事はなかった。
 おかみさんは仕事が終わった後で何度か、様子を見に来てくれた。
「困った事があったらなんでも言いなさいよ」
 おかみさんは言った。
「修ちゃん、おかみさん、修ちゃんの所へ行かない ?」
 ある日、鈴ちゃんが言った。
「うん、何回か来てくれた」
「すぐ帰った ?」
「帰ったよ」
 鈴ちゃんは納得した様子で頷いた。
 ナイフを盗んだ店の方へは足を向けなかった。




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             takeziisan様


              コメント有難う御座いました
             拙文にも関わらずNO1ブログ内に貼り付けて下さっているとの事
             感謝致します 有難う御座います
              二週間分の記事 拝見しました 楽しい時間でした
             ジィチャ バアチャ わたくし共の方では多少呼び方は違いましたが
             懐かしい風景です わたくし自身の境遇と余りに共通点の多い事に
             驚きながら拝見しました 疎開の事など そっくりの境遇です
             うちの祖母は藁草履を作っていました 近所でも評判の草履で
             村で一番大きな店から是非 売らせて欲しいと言う依頼があった程です          
             下駄作りの話しから懐かしく思い出しました
              川柳 面白く拝見しました でもちょっとテンポの速いのが玉に瑕
             ネジが余った キラキラネーム 奥方描写 軽い笑いと共に楽しく拝見しました
             次回 楽しみにしております
              浪曲の話し 春の海 幼い頃に馴染んだ風景です
             あの頃の穏やかさが欲しいものです 元日早々の大災害 しかも二日続けて
             世の中 何があるか分かりません その上「イマジン」変わらぬ人間の愚かさが
             一つの歌などたちまち吹き飛ばしてしまいます
             世の中 あっちでもこっちでも 日毎 たった一しかない人の命が
             無造作に失われてゆきます 絶望的気分だけが満ちて来る新年早々です
              湯吞み茶碗 わたくしは東京大空襲の時 何もない中で
             日々の生活の為 焼け跡から拾って来て一時を凌いだ小さな丼型の茶碗を  
              今も持っています 日常でも使っていたのですが  
             ある日 落として二つに割ってしまい それからは接着剤で張り合わせ
             今では戸棚の奥に大事に仕舞ってあります  
             餅つき機は今年もわが家では大活躍でした
             もう何十年にもなるので 年の瀬が来る度に今年は無事に動くかな などと
             確かめてからの使用です
              今年も一年 楽しい記事をお寄せ下さいませ
             その為にはお体を大切に御無理をなさらぬようお気を付け下さい
              有難う御座いました
             大災害 なければ心晴れやかな気分でいられたのではと思うと辛いです
             被災他の方々の気持ちを思うと単純に新年を喜んでばかりもいられません
             一日も早い復興を願うばかりです


             


               桂連様


            有難う御座います
           国籍取得との事 晴れて米国人になるのですね
           頑張って下さい アメリカで暮らす以上 アリカという国家に
           関わってゆきたい 当然の事だと思います それが 出来なければ                          
           何時まで経っても腰掛け生活で気持ちが落ち着きませんものね 
           良い結果をお待ちしています
            記憶力 ある部分 持って生まれたようなところもあるような気がします
           生まれつき記憶力の良い人 そうでない人 頭の良し悪しには
           直接 関係していないような気もしています
            老齢と共に記憶力も落ちる 仕方のない事だと思います
           でも不思議な事に つい最近の事はすぐに忘れてしまっても
           昔の事 幼い子供の頃の出来事などは鮮明に覚えています
           子供の頃の柔軟な脳に刻まれた出来事と 老齢の固くなった脳に刻まれる出来事の       
           違いのせいでしょうか  
            わたくし自身 記憶力は良い方だと自負していましたが
           最近は身近な事をすぐに忘れてしまいます
           脳の老化現象だなあ と自身思っていますが 依然
           昔の事はあれこれ鮮明に覚えています そして
           余り記憶力の良い事も楽ではない と思ったりしています
           人間 良い思い出ばかりではなく 忘れてしまいたい思い出も多いですから
           今から考えると何故 あんな事を・・・と言うような出来事は
           早く忘れてしまいたいものですが ふと思い出して
           居たたまれない気持ちになる事もしばしばです
            いずれにしても人間社会 喜怒哀楽 複雑な世界です
            御忙しい中 何時も有難う御座います
             国籍取得 お身体に気を付け 是非 頑張って下さい