遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(389) 再び 故郷に帰れず(7) 他 神は何処に ?

2022-03-27 13:10:09 | つぶやき
          神は何処に ? (2022.3.20日作)


 ウクライナ ロシアに於ける理不尽な侵攻
 ウクライナ国民の 見るも気の毒な現在の状況
 ロシア大統領を名乗るプーチン おまえには 日毎
 世界の多くの人々が眼にする ウクライナ国民の悲惨な姿 その
 状況が眼に入らないのか ?
 眼に入らない訳はないだろう ウクライナ国民に限らず
 ロシア おまえの国 自国でも 無謀な侵攻に駆り出された
 数多くの兵士達が死亡 この世を去っている おまえ一人の
 勝手な思い込み 無謀な行為のために 命を落とさなくてもいい 
 数多くの人々が死んでいる この世を去っている 
 なぜ 彼等は死ななければならないのか ? 
 なぜ プーチン おまえの為にたった一つの命を
 捨てなければならないのか ? おまえはおまえの浅はかな自己顕示欲 
 権力欲 野望の為に 取り返しの付かない過ちを今現在 犯している
 その為に たった一つの大切な命が日毎 ウクライナのあちこちで
 奪われてゆく 一度失われた命の再び 戻る事はない その事の
 自覚の出来ない人間の愚かしさ そんな人間が国を治める資格はない
 そんな指導者を持った国の国民の不幸は計り知れない
  それにしても バチカン ロシア正教会 そこに坐(ましま)す" 神 "たちは
 一体 何をしているのか ? 日頃 いとも安易に神の恵みを口にする人々は
 いったい この事態をどのように受け止めているのか 一言も言葉が漏れ
 伝わって来ない 神は一体 何処へ行ってしまったのか 何処に居るのか ?
 この見るも無残な状況を見ても神は心を動かされないのか ? 人々の苦境の     
 中でその実態を見る事も出来ないのなら そんな神など必要ない 日頃 口 
 にする神の恵みは口先だけのまやかし 体のいい詐欺なのか バチカン ロ   
  シア正教会 今 この時こそ 神の力を発揮 人々に示して見せる時だ  
 その力 神の力を見せて欲しいものだ 愚図愚図している暇はない 一刻の
 猶予 もないのだ




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          再び 故郷に帰れず(7)



 竹藪を抜けると赤い花と黄色い花の咲き乱れる花壇に足を踏み入れ、その小さな花を踏み潰さないように気を付けながら庭に出た。そこから家の正面に向かい、十畳の間の前に立つと座敷では今、家族みんなが集まって明るい電燈の下、大きな食卓を囲んで食事をしていた。
 父と母がこちらに顔を向け、兄が父の隣りに座っていた。兄嫁がその横にいて、子供達の差し出す茶碗に飯を盛ったりしていた。わたしはその一家の団欒に限りない懐かしさを覚えると思わず、
「今晩は」と言っていた。
 その声で兄が顔を上げて庭の暗闇を透かすようにしてこちらを見た。それからすぐにわたしを見付けて、
「おお、悟か」
 と、茶碗と箸を手にしたまま、その手を止めて言った。
「うん。今、帰った」
 わたしは庭先に立ったままで言った。
「誰だ ?」
 父が兄に尋ねた。
「悟だよ」
 と、兄は言った。
「悟 ?」
 父は訝し気に兄に問い返した。
「うん。悟だ」
 と、兄は言った。
「おめえ、悟がね。悟なら、そんなとごろさ立ってねえで、早ぐこっちさ来う」
 母が言った。
 兄嫁が席を立って来た。廊下に出るとわたしを見て、
「早く上がって来なさいよ。今、ちょうど夕飯を食べてたところだから、一緒に食べるといいわ」
 と言った。
「うん、今日一日歩いて、歩き疲れちゃった」
 わたしの口からは思わず本音が漏れ出した。
「なに ? 裸足なの ?」
 兄嫁はわたしの足元を見て言った。
「うん」
 わたしは言った。
「じゃあ、そこの井戸端で洗って来なさいよ。すぐに御飯の用意をするから」
 兄嫁は言った。
 わたしは昔のままの井戸端の傍へ行くと、子供の頃、毎日、遊び疲れて帰って来ては、砂にまみれて真っ黒になった手や足を洗い流した事を思い出した。
 井戸水は昔のままに冷たかった。夏になると子供達が近くの川遊びへの行き帰りに必ずこの井戸端へ来ては、「水、くっだい(下さい)」と言っては汲み上げ、そのまま釣る瓶に口を押し当ててゴクゴク呑みながら口々に、
「うんめえ(うまい)水だなあ」
 と言っていた風景が蘇った。
 足を洗い、体の汚れも拭って玄関から土間に入ると上がり框に腰を下ろした。
 一度にどっと、今日一日の疲れが吹き出す感じを覚えて思わず、
「ああ、あ」と溜息を漏らしていた。
「これで拭くといいわ」
 兄嫁が洗面タオルを出してくれた。
 わたしは丁寧に濡れた首筋や足を拭って、板の間から座敷に上がった。
 食卓を囲んでいたみんながわたしを見た。
「おめえ、悟が ?」
 父が言った。
「うん、そうだ」
 わたしは言った。
「父ちゃんも母ちゃんもすっかり年ば取ってしまって、眼が悪ぐなって、おめえがよぐめえねえ(見えない)だよ」
 と、母が愚痴のように言った。
「うん、でも、見た目は昔とそんな変わってないよ」
 わたしは口調のすっかり年寄じみてしまった母に向かって言った。
「おめえの顔がよぐめえねえ」
 父が言った。
「俺もすっかり、年を取ってしまったよ」
 わたしは言った。
「悟が ?」
 父はまた兄に聞いた。
「うん。悟だよ。多分、悟に違げえねえ」
 兄は言った。
「ところで、あんでまだ、突然に ?」
 兄は不審気な眼差しをわたしに向けて言った。
「うん、それが、俺にもよく分からないんだけど、ある日、突然、俺は自分が刑務所に入れられている事に気が付いたんだ。それで、毎日毎日そこで、自分の墓穴を掘っていた。それに気付くと急に苦しくなって来て、呼吸も出来なくなってしまったんだ。このままでは自分が駄目になってしまう。なんとかここを抜け出さなければと考えると居ても立ってもいられなくなって、ある日、決心すると思い切って鉄の重い扉を突き破って、柵の外へ飛び出したんだ。そして夢中で歩いているうちにいつの間にか、ここに帰って来ていたってゆうわけなんだよ。ここは俺に取っちゃあ故郷だし、心の故郷でもあるんだ。だから、この心の故郷からもう一度、新しい自分を見つめ直して生きてみようかと考えているんだ」
 わたしは言った。
「そうが。そういう事が」
 兄は言った。
「俺にはよぐ分かんねえけっど、でも、無駄な事だっぺえ。無駄だよ、無駄」
 達観したように兄は言った。
「そんな事はないよ」
 わたしはムキになって言った。
「故郷ってあんだ ?」
 兄は言った。
「自分の生まれ故郷さ。心の原点さ」
「そごへ戻ればむがし(昔)の自分にけえ(帰)れるのが ?」
「帰れると思うよ。少なくとも俺に取っては現実の自分を離れてもう一度、心の原点、子供の心に戻って自分というものを見つめ直してみたいと考えているんだ」
「現実の自分を離れるって、どういう事ったあ」
「今、生きている生活の場を離れるっていう事さ」
「そうすっど俺あには、故郷はねえって事が ? 現実に生きてる場所が故郷だもんな。現実も故郷も一緒くただ」
「つまり、兄貴は故郷の中で現実を生きているのさ。現実が故郷なのさ」
「そんな事あねえよ。現実なんてもんは、常々、毎日変わるもんだ。いぐら故郷、故郷って言っても、昔の故郷なんてもんはありゃしねえだよ。毎日、違った日々ば生きてる、これが現実ってもんさ。故郷なんてものは自分の頭のなかにしかねえもんだよ。ここにだって、昔の故郷なんてありゃしねえだよ」
「でも、兄貴はこの故郷の土地に生き、現実の日々に満足しているんだろう。それなら幸せさ」
「幸せもあにも、呼吸してる以上、毎日、生きるしかあんめえ。あにも難しぐ考げえる事なんてねえだよ。毎日毎日、一生懸命生きる、そっでいいだ。人が生ぎるなんてそんなもんさ。あに(何)不自由のねえ生活なんてありゃしねえよ」
「でも、俺にはそれが達観出来ないんだよ。もっといい人生が何処かにある。自分自身の道がある、そんな気がしてならないんだ」
「そんなもんあっても無くてもいいがら、早く飯ば食って寝ろ。疲れでっだっぺえ」
 兄は言った。



          四



 眼が覚めると朝だった。
 太陽はまだ昇っていなかった。わたしは奥座敷の八畳の部屋の雨戸を開けて外へ出ると、井戸のある庭の片隅に行った。





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          takeziisan様

           コメント 有難う御座います
          どうか わたくしの書くこの欄に付いては   
          お気になさらないで下さい わたくしの詰まらない
          文章に何時も 暖かい応援をしていて下さる  
          桂蓮様と共に お二方に感謝の気持ちを込めて
          御礼を申し上げているものですので 気楽に
          お受け止め戴けたらと思っています この欄に
          充てる時間をどうぞ週に何通も発信する御自身の
          ブログにお当て下さい 長い歳月 一位 二位を保つ
          その努力と力に敬服しております わたくしなどは
          週一のこの欄でさえ 四苦八苦です
           今週も美しい写真の数々 楽しませて戴きました
          すみれの花 子供の頃に野山を駆け回った記憶が
          甦りました 本当に春を告げる花ですね
           御当地に越して四十年 わが家も昭和四十年に
          ここに来ましたが当地も変わらず 畑と田圃
          庭にはガマガエルが顔を出した事もありました それが
          今では立派な都市の顔を見せています 道路を一つ
          隔てた向こうに ある会社の大きな工場があった
          のですがそれも今では市の防災公園に変わっていて 
          春などは桜の花などが咲き誇っています 周囲に
          田圃や畑の影を見る事も出来なくなりました
           砂に消えた涙 弘田三枝子もピーナツの一人の方も 
          安西マリヤも亡くなりましたね この人たちが唄って
          いたのもついこの間のような感覚ですが 歳月は
          確実に過ぎているのですね 
           何時まで続く事やらーー実感です
           白い花の咲く頃 ラジオ歌謡ですね
          この歌には思い出があるのです 当時は空襲で
          家を無くして祖母の家に身を寄せていて 父一人が
          仕事の関係上 東京に居ました 当然ながら生活は
          苦しく ラジオを買う余裕もなくて 東京にいた母の   
          弟 叔父に中古のラジオを送って貰いました 近 くの
          畑などにいる時 そのラジオの放送が聞こえて来ると
          夢のような気がしたものでした そしてラジオで聞いた
          最初のラジオ歌謡が 白い花の咲く頃 でした 
          ラジオの聞ける嬉しさで 一所懸命に覚えた事を
          思い出します でも 岡本敦郎も亡くなり 総てが遠い
          昔の思い出です
           出来るところまでーー 実感です
          どうぞ お体を大切にこのブログを一日も長く
          お続け下さいますよう
           再び 故郷に帰れず 多分 お読み戴く方には
          訳の分からない物語だと思われると思います
          主人公の頭の中に浮かんだ思いを現実の世界に
          仮託して書いていますので ストーリーはあっちへ飛ん
          だり こっちへ飛んだり 滅茶苦茶になります
          総ては主人公の頭の中に浮かんだ世界で実世界では
          ないのです ですから これから先 わたくし自身にも
          どうなるかは分かりません その時々を写し取って行く    
          だけですので 実際にその場に向き合ってみないと
          分かりません
           何時も こんな詰まらない文章にお眼をお通し戴き
          感謝 御礼申し上げます
           有難う御座いました
           

           
           
  
          桂蓮様

          コメント お忙しい中 何時も有難う御座います
           今回 新作がなく 旧作を拝見しました 
          バレーに付いての作品です
          考えないようになるには知識や学識がいる
          やるべき事をやれば結果は付いて来る
          余計な雑念を切り落とす
          良い言葉が並んでいます 本当にその通りだと
          思います 禅の世界です 坐禅の気持ちで
          バレーに向き合う 良いですね 何事にも
          雑念を差し挟む事は良い結果に結びつく事はないですし
           バレーで得たものは総て実生活の上にも反映される
          事ではないでしょうか
           NHKバレー放送見まし た二時間半が瞬く間に
          過ぎました 久しぶりの放送で堪能しました
           三団体の出演でジゼル アルルの女 それにバッハの
          題名は見落としてしまったのですが作品でした
           時間の関係でそれぞれ作品の一部を切り取った
          ものでしたがそれぞれに舞台構成も良かったです
           それにしてもテレビなどでこうして 大きく
          映し出されると小さな欠点が如実に見えてしまいます
          恐ろしい事だと思いました ポワントの時の僅かな
          体の揺れも見えてしまいます 群舞の時の手先や
          体の線の並びなども美しさに関係して来ますし
          その団体の実力が明瞭に映し出されます
          踊る人達は本当にたいへんだなあ とつくづく
          感じ入りました 日本舞踊などもそうです
          生の舞台などでは見逃されがちな体の線の小さな動きが
          はっきりと映し出されます 本当に上手な人は踊りを
          踊っているようには見せないものです 自然に体が動い
          ている「踊りを踊っている」ようではまだ駄目だ と
          いう事ですね「踊らないで踊る」そこに至るまでが
          また大変な努力を要する事だとは思いますが 
          それにしてもバレーダンサーのあの体のしなやかさ 
          並みの努力では出来るものではないと思います
           桂連様もどうぞ あまり御無理をなさらないようにし 
          て下さい バレーダンサーを目差すのならともかく 
          趣味や体 健康のためなら 無理をした結果 
          何処かを痛めてしまったというのでは 元も子も
          ありません お気を付け下さい
           今回もコメント楽しく読ませて戴きました
           有難う御座いました
        
                     
         









 
 




  
 


遺す言葉(388) 小説 再び 故郷に帰れず(6) 他 極楽

2022-03-20 12:58:03 | つぶやき
          極楽(2021、10、27日)



 極楽 という桃源郷は ない
 しかし 極楽は存在する
 極楽...桃源郷を求めて 日々
 懸命に生きる ようやく手に入れた
 辿り着いた と思った時 極楽は
 その先 一歩 先に逃げている それが
 極楽 桃源郷では ない
 極楽が手に入った 辿り着いた これが求めていたもの
 自分の目差した世界 これで満足 極楽 極楽 あとは
 安逸 安穏 安易 放逸 気まま そう 思った時 その世界は すでに
 死んでいる 死の世界 その中 人は
 ただ 朽ちて逝く それだけ 永遠 不滅
 安心 安寧 安逸 法楽無限の世界など 
 あり得ない 極楽 今現在 自身の一歩 先
 その先にある 高み 一つの高み その
 高みを求め 見つめ 日々 生きる 今を 生きる
 自身の足元 その一歩 先 その世界を求めて
 今を生きる 生きられ  その時 その 時間こそが
 人に取っての 最高 最善 最良 最上 幸せ溢れる
 極楽 桃源郷 明日を求め 今日も生きる 生きられる
 今を生きられる この時間こそが
 極楽 その世界



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           再び 故郷に帰れず(6)



 太陽は中天にかかったまま、まだ衰えない輝きを放っていた。
 わたしはまた、汗だくになっていた。ただ、無性に涙が溢れて来て仕方がなかった。
 わたしは泣きながら歩いた。かくれんぼをしていて鬼になり、ふと気付いて眼を開けた時にはもう、みんなが家に帰ってしまっていた。辺りには薄紫色の黄昏だけが忍びやかに立ち込めていて、ひんやりとした孤独の冷たさが肌に触れて来る、そんに思いだけが心の底にこびり付いていた。 
 家へ帰るのだ ! 家へ帰るのだ !
 わたしは涙にくれて思った。
 ふと、わたしは眼を上げた。
 一群の子供達が向こうに見える林の中の道から口々に、「ガーン、ガーン、帯になあれ、たすきになあれ」と歌いながら、野の花を持って走って来た。
 ガンの群れが隊列を組んで空を渡っていた。空にはすでに夕焼けがあった。
 はるかに遠く小高い山なみが赤い空に薄墨を滲ませたように浮かんでいた。
 近くの林の中にも田圃や畑の上にも、黄昏が灰青色の霞を棚引かせていた。
 子供達はわたしの存在などには眼もくれなかった。ただ、夕焼けの空を渡ってゆくガンの群れを追う事に気を奪われ、夢中になっていた。怒涛のようにわたしを取り囲むとそのまま左右に分かれ、やがて通り過ぎて行った。
 わたしはただただ、その勢いに圧倒され、立ち竦んでいた。
 わたしはふと、振り返った。
 わたしを通り過ぎて行った子供達はわたしの視線の中で次第に遠くなり、やがて薄もやの中にまぎれて見えなくなった。
  "君たちは何処へ行くの ? "
 わたしは胸の中で呟いた。
  " 家へ帰るんだよ "
 無邪気に答える子供達の声が聞こえるように思った。
 多分、彼らの家には、既に電燈が灯っていて、夕餉の匂が立ち込めているだろう。
 掃き清められた清潔な畳敷きの大広間には、広げられた大きなテーブルの上に数々の食器類が並べられていて、家族みんなが夕餉の膳に着くのを待っているに違いない。
 庭ではまだ、野良仕事から帰ったばかりの父や兄達が牛を牛舎に運んだり、農機具の手入れをしたりしているのだろう。
 竈(かまど)の前にいるのは母だろうか、祖母だろうか ?
 それとも一番年上の姉だろうか ?
 前方に子供の頃から馴れ親しんだこんもりとした森が見えて来た。
 それを見た途端、わたしはふっと、気持ちの和むのを覚えていた。
 やっと、戻って来たーー 。
 全身の筋肉が緩んでゆく思いだった。
 あれこそが自分の世界だ。ようやく、故郷へ戻って来た !
  森は両側を雑草で覆われた砂の道を囲むようにして、わたしが帰る部落へと続いていた。昼でも少し薄暗いその森には様々な生き物達が棲息していた。山鳩、雉、メジロやホオジロ、カラスにトビ、狸もいた。イタチもいた。モグラもいた。ある年、その森で殺人事件の被害者の、まだ若い女性が発見された。
 犯人はすぐに捕らえられた。男女の間のもつれが事件の発端だった。
 幼いわたしには何かしら他人事のように思えた出来事だった。
 わたしは今、その道を歩いていた。
 蘇えるのは 総てが懐かしい、昔の出来事のように思えたが、今現在、この、少し薄暗い道を歩いているのは紛れもない現実のわたしだった。わたしは今ここに生きている。
 この森を抜ければもう、わたしの家が見えて来る。わたしが生まれて育った家だ。父や母、それに既に一家を構えた兄達が居る。


             三


 森はわたしに取っての門だった。
 その森を抜けた時、わたしの眼前に広がったのは、わが家を取り囲む昔ながらの変わらない風景だった。そして、気が付いた時、わたしは何時の間にか肩に担いでいた大きな袋が無くなっている事を知った。道々、わたしは無意識の内に袋の中身を捨て、歩いていたに違いなかった。わたし自身、意識していた事ではなかったが。
 わたしは身軽な、改めて、新たな自分をそこに発見した。もう一度、生きられる。新たな気持ちで生きられる。今、眼の前に見えている、かつての自分を育んでくれたあの家、あの屋敷、そして、この土地と共に。ーーわたしは自分自身に言っていた。
 森を抜け、延々と続く畑の中の道を歩いて、大きな竹林に囲まれたわが家の屋敷に辿り着くとわたしは、足音を忍ばせながら、そっと竹林の中へ入って行った。足の下で踏みしめられる竹の葉がカサコソ鳴った。
 竹林を抜け、広大な庭の際まで来るとわたしは、家の正面に向かってなおも庭に沿った竹林の中を移動していった。
 正面へ来ると、大きな藁屋根の家の障子の開けられた家の中では、今まさに、家族揃っての夕食の最中だった。みんなが電燈の下に集まり、お膳を囲んでそれぞれに箸を動かしていた。
 わたしは昔を思い出させるその光景をなお良く見ようとして庭に一歩踏み出した。すると突然、背後で誰かの声がした。
「そごに居るのは悟さんでねえが。そんなとごろで、あにばしてっだ。早ぐこっちさ来う」
 声の主は言った。
 わたしはギョッとして振り返った。
 だが、竹林の暗闇の中では何も見えなかった。
「誰だ ! あんたは」
 わたしは言った。
 声の主は答えなかった。辺りを窺っても人の気配はなかった。
 わたしはこの暗闇の中で誰かに見られているかも知れないと思うと、気持ちが落ち着かなくなった。その誰かを確かめる為に再び竹林の中へ戻ろうとした時、突然、父の声がした。
「悟 !  悟 ! 出て来う。今更、そんなとごろにかぐれでいでも、しょうがあんめえ」
 父は怒っていた。
 わたしはその声で一気に緊張感がゆるんで、素直な自分になっていた。





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          桂蓮様

           有難う御座います
          新作 拝見しました とても興味深く 面白く
          拝見させて戴きました 幾つもの言語を駆使する方
          だからこその御意見が見られて とても面白く
          読ませて戴きました それにしても 何事によらず
          意識過剰というのは良い結果を生まないようですね
          無意識に出来るようになる それでこそ 真に
          身に付いた という事なのでしょうね とても面白く
          拝見しました
           コメント文 相変わらず思わず笑い出しながらの
          拝見 実に楽しい御文章です 先生は確かロシア人
          でしたよね 良いお方のようで つくづく 
          どの国の人間でも心の在り様に変わりはないものだと
          思います 善い人 悪い人間  一人一人が持つその
          個性が結局 その国全体にも影響する それが国家に係
          わる仕事をする人間であればなおの事 その点 
          ロシアの善良な人々は気の毒に思います
           コロナではなかった 何よりです
          ですが どうぞ これからもお気を付けて 楽しい
          御文章をお寄せ下さい
           バレー成果の御報告 お待ちしています
          今夜(20日) NHKでバレーの放送があります 楽しみに
          しているところです
           東京大空襲 類まれな経験ですが 現在 
          ウクライナの人々はその渦中に居るのですね 祈る
          ような気持ちで一刻も早い停戦を願っています
           東京大空襲では ウクライナ程度の惨状では
          ありませんでした 軒並み 広い東京が焼け跡 廃墟と
          化していました でも わたくしには そんな状況を  
          わたくし達にもたらした米軍を恨む気持ちはありません
          元はと言えば 我が国の愚かな指導者達が引き起こした
          災禍なのですから その愚かな人間達を恨み 蔑む
          気持ちの方がはるかに強いのです 彼等は日本国内と
          言わず(無論 お国の韓国をも含め)世界中に災いを 
          もたらし 迷惑をかけたのですから 何時の時代でも
          愚かな指導者を抱えた国は不幸なものです
           何時も お気に掛けて戴いて有難う御座います
            御礼申し上げます



          takeziisan様

           有難う御座います
          農業も楽しいばかりではない 苦労も多い
          実感出来ます 植物も生き物 手を抜けばたちまち
          見透かされる もっと楽に出来るといいのですが でも
          愚痴を言いいい 腰を上げる 嫌なら辞めてしまえば
          いいだけの話しで それが出来ないという事は 結構
          楽しんでいる という事なのでしょうか
           何事に於いてもそんなところがありますね
           今回も数々の美しい写真 楽しみながら拝見させて
          戴きました 君子欄 見事です 庭に出しっぱなしの
          わが家 まだ蕾もないようです
           キサス キサス キサス 
           トリオ ロス パンチョス ナット キングコール
          懐かしいですね わたしは特にパンチョスが好きでした
          無論 ナット キングコールも あの甘い歌声の魅力
          好きです キサス キサス キサス・・・キサス 
          ラテン語で多分 という意味だと聞いた記憶があります 
          ラテン語が分からないので何とも言えませんが 男の
          甘い囁きと誘惑に 多分ね と言いながら適当に
          はぐらかしている魅力的な女性の姿を想像しています
           中学生日記 楽しい記事でした思い当たる事
          ばかりです
           学生寮の思い出 良い思い出ではないのですか
          わたくしはダンスは苦手ですが
           雑草という草はない わたくしはこの言葉が好きです
          その天皇が戦争を引き起こした 天皇は当初は反対の
          立場だったようですが 軍部が暴走した
           何時の時代でも愚かな人間 愚かな指導者という
          人種は存在するもので 困ったものです これも
          人間と言う生き物が持つ特徴なのでしょうか
           楽しい記事と共に 何時も応援して戴いている事に
          感謝致します
           有難う御座います
 
       
           
 
       





 



 



 
 

遺す言葉(387) 記憶 東京大空襲

2022-03-13 12:22:39 | つぶやき
          記憶 東京大空襲(2009.7.21日作)
              (この文章は2015年3月8日 №36に
               掲載したものですが 今現在 遠い国
               ウクライナに於いて 同じような状況が
               展開されていますので 抗議の意味を込め
               改めて掲載します)

          なお この文章が少し長いため 今回 
             「再び 故郷に帰れず」は休みます
              次回より 改めて掲載したいと思います


 わたしと弟 妹と母は ラジオの空襲警報と共に
 四畳半の部屋の床下に掘られた防空壕に入った
 東京深川 福住町での事だ
 隣り組の班長をしていた父は 町内の様子を見るため外に出ていた
 昭和二十年 千九百四十五年 三月十日未明
 わたしが国民学校に入学するその年 東京本所 深川方面は
 アメリカ軍 B二十九による空襲で 火の海と化した
 母は父が戻るまでの間 わたしたち三人を抱え
 防空壕を出る事が出来ずにいた
 ようやく父が戻って来た
 じりじりとあせる心が焼き尽くされるような 長い時間だった
「近所の人たちはどうしたの ?」
 母は急き込んで父に聞いた
「みんな避難した」
 近所の人たちを誘導していた父は言った
「それじゃあ わたしたちもこんな所に居ないで 早く逃げようよ」
 母に促されて わたしたち三人は防空壕を出た
 急いで寝巻の上に服を着て 外へ出た
 その時すでに 火の勢いは三 四軒先の隣りまで来ていた・・・・
「あのまま防空壕を出ないでいたら わたしたちは今頃 丸焦げになっていたよ」
 母はあの時を思い出すたびに言った
 わたしたち一家は 火の手が迫って来るのとは反対側の大通りへ逃げた
 母が妹を背負い 父がわたしと弟の手を引いていた
 すでに 家を焼かれた大勢の人たちが まだ燃えていない
 倉庫群の建ち並ぶ川岸の方へ走っていた
 無数の焼夷弾(しょういだん)がその間にも わたしたちの背後で
 暗黒の夜空を明るく照らし出しながら火の海と化した街の上に落下していた 
 川に架かった橋を渡ると 暗い大きな倉庫に逃げ込んだ
 中は大勢の人たちでいっぱいだった 
 後にして来た街の燃える様子が暗い川の水面に赤く映えて揺れていた
 程なくして誰かが
「ここも危ない」
 と言い出した
「学校へ逃げたらどうかしら ?」
 他の誰かが言った
「あっちへは大勢の人が逃げていて 学校へは入れない」
 その方面から逃げて来た人が言った
 火の手はわたしたちが逃げて来た 対岸の街を焼き尽くそうとしていた
 みんなが新たな避難所を求めて倉庫を出た
 直後に 倉庫は火の海に包まれた
「もう 燃えてしまった跡へ逃げれば狙われない」
 誰かが言った
 みんなが追い掛けて来る火の中を逃げ惑いながら
 安全な場所を求めて右往左往していた
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ようやく空襲警報解除の知らせを聞いた時には 何処かの街の
 焼け残った映画館の暗闇の中に 大勢の人たちと一緒に立って居た
 外へ出た時には まだ太陽の昇らない朝になっていた
 街は一面の焼け野原に変わっていた
 黒焦げになった家々の残骸が まだ 煙りを立ち昇らせながら散乱していた
 わたしたち一家は大勢の人たちに混じって
 コンクリートの破片だけが残る一隅に身を寄せた
 隣り組の親しくしていた三軒の家の人たちとも そこで顔を合わせた
 父や母は その人たちと一緒にわが家の様子を見に行った
 家は跡形もなく焼き尽くされていた
 日ごろ 弟が乗っていた赤い三輪車だけがポツンと一台
 共同水道のそばの焼け跡に残っていた
「まったく不思議だねえ 何もかもが灰になってしまった中で あの三輪車だけが焦げ跡一つなく 無事に残っていたんだからねえ」
 後年 母はそんな驚きの言葉を何度も口にした
 わが家の焼け跡から戻った母たちは 何かの容器に入れた幾つものお握りを手にしていた
「ゆうべ お米を研いで釜に入れて置いたら こんなにふっくらと炊けていたのよ」
 そのお握りを口にした母たちはだが すぐに吐き出してしまった
「焦げ臭くて食べられないわ」
 残った幾つものお握りを捨てようとした時
「それ 戴けませんか」
 と 近くにいた知らない人たちが疲れ切った顔で言って来た
 母たちは全部を何人もの知らない人たちにあげてしまった
 焼け跡に朝日が昇った
「すぐそこの道路に 黒焦げになった人の死骸がある」
 そんな話しが広がった
 母たちは見に行った
 子供たちは行くのを止められた
 次第次第に昨夜の情報が入って来た
「学校へ逃げた人たちは全員が焼け死んだ 屋上には大勢の人たちが折り重なって死んでいる」
「わたしたちは学校に入れなくて良かったんだねえ」
 母たちは安堵の思いを滲ませながら話し合った
 その日のうちにわたしたち一家は 三軒の家の人たちと一緒に焼け跡に奇跡のように残っていた 一軒の二階家を見付けて移り住んだ
 父たちは当面の生活道具を揃えるために 焼け跡の倉庫街に足を運んだ
 食器類(今でもわたしは その食器の一つを使っている)炊事道具 布団 大きな袋に入った米などを 焼け跡を掘り返して探し出して来た
 それでも そのまま 焼け跡での生活が続けられるわけではなかった
 街の機能は消滅していた
 それぞれの家族が故郷や親戚を頼って その家を出て行った
 わたしたち一家が最後に残された
 母の実家へ帰るための汽車が不通になっていた
 父の実家はその先だった
 一週間が過ぎてようやく わたしたちも九十九里の海に近い 祖母が一人で住んでいる 母の実家へ帰る事が出来た

 戦争はその年の八月十五日に終わった
 わたしは四月に匝瑳郡白浜村国民学校に入学した
 空襲がなければ 東京の深川で入学式を迎えたはずだった
 三月九日 わたしはその日まで祖母と二人で 白浜村に暮らしていた
 学校へ入学する準備のために母は 親しくしていた三軒の家の人たちを伴って わざわざわたしを迎えに来たのだった
 空襲はそうして わたしが東京へ戻ったその日の夜 明け方に起こった
 わたしは母が入学のために買い揃えて置いた真新しい靴を履かずに 父の手造りの粗末な下駄を履いて逃げた
「入学式のためにと思って買い揃えて置いた新しい靴を履かないで 選りによって手造りの粗末な下駄を履いて逃げたんだからねえ」
 母は後年 その夜の自分たちの慌てふためきぶりを自嘲してよく言った
「わざわざ迎えに行って その夜のうちに空襲に会うなんて 運が悪いというかなんていうか」
 母たちはその日 東京では物資も乏しいだろうからと言って 祖母が持たしてくれた 祖母が蓄えて置いた食料品のあらかたを持って来てしまっていた
「焼くために おばあさんが大事に取って置いた物を わざわざ持って来たようなもんだよ」
 母の嘆きは後年 長く続いた
 そんな祖母は 一週間が過ぎてもなんの連絡もないわたしたち一家の無事を諦めかけていた
「こんなに日にちが経っても あんの連絡もねえところばみるど はあ 死んでしまったんでしょうよ」
 近所の人たちから 本所 深川方面の空襲の様子を聞かされていた祖母は そう言っていたという
 
 わたしたち一家が帰った日 祖母は門を出た家の横の槙塀に沿った小道で 近所の人と話していた
 わたしが父や母より先に  走って
「ばあちゃん !」
 と叫びながら近付いて行くと 祖母は驚きの表情で私を見て 息を呑んだ  それからようやく
「おお けえって来たが」
 と言って 走り寄るわたしを抱き寄せた
 それはわたしの脳裡に深く刻まれて消える事のない光景となった

 昭和二十年 千九百四十五年三月十日未明 東京大空襲
 死者おおよそ十万
 そんな状況下 誰一人怪我をする事もなく無事に生き延びる事の出来たわたしたち一家にはいったい 何があったのだろう ? どんな力が働いたのだろう?
 一夜のうちに人の生死を分け 隔てたものはなんであったのか ?
 人の力では計り得ないもの もし それが神の力によるものだとしたら 神は何処で 人の幸不幸 運不運 を 選別するのだろう ?
 
 神など存在しない
 全知全能の神など 何処にもいない
 人それぞれが持つ運命 それだけが人の命を左右するもの
 それのみが真実 それのみが真理 多分 人はそう信じ 人それぞれが持つ
 運命 その運命を精一杯生きるより外に 出来る事はないのではないか
 人それぞれが持つ運命 命こそが この世では
 最も貴重なものであり 至上のものであるのに違いないのだから
 
 
  
        人の心が負う傷というものはなかなか
        抜けないものです わたしは あの戦災体験から
        ほぼ二十年間 ちょっとした火事の現場を見ると
        無意識の内に膝がガクガくとふるえてしまって
        抑える事が出来ませんでした あの空襲の中を
        必死に逃げた時の恐怖の体験が 脳裡に深く染み付き
        消えなくなっていたのだと思います





         ーーーーーーーーーーーーーーーーー



         桂蓮様

         有難う御座います
         御主人様のコロナは良くなりましたでしょうか
         アメリカでは大分 状況が良くなっているような
         報道がありますが どうぞ お大事にして下さいませ
          本当に一人の人間の愚行の為 ロシアの人々に限らず
         世界中の人が苦労します 愚かな人間の存在を許す
         そんな体制ーーその味を知った人間はなかなか
         それを手放さないのでしょうね 困ったものです この
         愚かな人間の存在には 世界中が迷惑します
          自身と自惚れ 以前にも拝見した記憶がありますが
         改めて拝見して とても面白く読ませて戴きました
         何事にも消極的では何も出来ないし 自信過剰もまた
         困りものですが でも 何時かは出来る 必ず出来る
         そんな前向きな自信はやはり 何事に於いても
         必要なものだと思います 
          自信と自惚れ 紙一重だと思います
         自信過剰 自惚れの怖いのは 正しく 宝の持ち腐れに
         なってしまう事ですね 面白く 拝見せて戴きました
          何時も有難う御座います コメント 飾りがなく日常が  
         そのまま伺われてとても楽しく読ませて戴いております




                                 takeziisan様

          有難う御座います
         花はどこへ行った
         懐かしい曲ですね
         コメント感銘を受けました
          ボケ=モッケ なるほど 了解
         学生寮の話し わたくしは経験がありませんが
         御文章もとても良く 郷愁を誘われます
         バンカラ 豪気 懐かしい響きです 今では
         消えてしまっているようですね
          ヨゴレネコノメソウ 初めて知りました
         ネコと入れるとネコノメソウと出ました
          カワウとサギ 面白い構図
          鈴懸の径 鈴木章冶とリズムエース
         懐かしいですね 優しい響きが想い出されます 
          ドペッタ 面白い すべった という意味でしょうか
          オマンタ この言葉ずっと以前 三波春夫の歌で
         聞いた覚えがあり 面白い表現もあるものだなあ と
         思った記憶があります お住まいの地方の言葉
         だったのですね
          それにしても地方それぞれの方言には それぞれに
         特徴があって楽しく 優しい気持ちにさせられます
          赤ふんどしも懐かしい 物語も楽しい
          ハナイカダ こんな花があったのですね
         水の上を流れる桜の花びら あの光景の事だとばかり
         思っていました 珍しいものを見せて戴きました
          当地ではフキノトウはとっくに終わりました
         ジャガイモ タマネギ 普段は安いこんな野菜が今年は
         高いです 畑仕事をする特権 自分の好みの物を作れる
         羨ましいです
          今回もいろいろ 楽しませて戴きました
         有難う御座います
          
 
 
 
 
 




遺す言葉(386) 小説 再び 故郷に帰れず(5) 他 愚か者 プーチン

2022-03-06 12:04:31 | つぶやき
          愚か者 プーチン(2022.2.28日作)


 プーチン
 この愚かな ロシアという国の大統領によって
 今日もまたーー2022年2月28日 一つの命が
 しかも 幼い子供の 無垢な命が失われた
 プーチン この愚かなロシア大統領よ
 もし おまえの息子や娘 そしてまた その
 息子や娘の息子や娘 その子供達の命が失われた時
 おまえは 嘆き 悲しみ 涙を流す事はないのか ?
 失われた命 一度 失われた命の 再び
 戻る事はない 永遠に
 戻る事はないのだ
 永遠に戻る事のない命の喪失 何処の国の
 どの人間 どの人に取っても 正常
 真っ当な感覚を持った人間 人なら その
 命の喪失を嘆き 悲しむ事に
 変わりはない 変わる事はないのだ
 何処の国の どの人間 どの人に取っても
 一つの命の失われた事への悲しみ 苦痛に
 変わりはない 変わる事はないのだ
 プーチン この ロシアという国を治める大統領
 自身の権力維持 拡大の為に 一人の人間 一人の人の命
 日々 日常を誠実 真摯に生きる人々の一度失われたら
 二度と戻る事のない命を奪ってもおまえの心は
 痛まないのか ?
 如何にも訳あり顔で 言い訳 テレビの画面に その
 鉄面皮を全世界に晒す ロシアという国の大統領プーチン
 たとえ どんな事があっても 人一人 一人の人間の命を奪う事は
 許されない 許される行為では ないのだ 
 それを自覚出来ない 理解出来ないおまえのその
 バカ面 厚顔無恥 鉄面皮 その面を見るのは
 もう沢山だ ロシア大統領 プーチン
 おまえこそは おまえ自身こそは一刻も早く 自ら進んで
 この世界の何処か 遠い国の 
 正常な感覚を持った人間の住む事の出来ない
 異質な世界 異質な国へと消えて行ってくれ !


    プーチンは恐らく
    最終的には ヒトラーのような立場に追い込まれるだろう
    その死はともかくとして





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          再び 故郷に帰れず(5)


 彼はわたしを下へも置かなかった。わたしを奥の座敷へ案内すると、早速、中居らしい二人の女性に料理を運ばせた。
 わたしと孫太郎の間には一つの小卓があった。
 孫太郎は金ぴかの飾りの付いた上着姿で腰にはサーベルを着けたまま、わたしと向き合うと胡坐を組んで座った。
 二人の女性達によって運ばれた料理は、正に贅を尽くした料理だった。大きなガラスの鉢には鯛やヒラメ、エビなどの刺身があって、他には、松露や茸、ワラビなどの山の物があり、クラゲやサメのヒレなどの訳の分からない珍味などが添えられていた。
「おう、どうだ。年代物だぞ」
 と言って、孫太郎は如何にも自慢気に、手元にあった一本のウイスキーの瓶の蓋を開けた。
 その他にビールや日本酒が開けられた。 
 孫太郎は酔いを知らないようだった。「どうだ、どうだ」と言いながら、しきりにそれらの酒をわたしに勧め、自分も手を休める事なく口に運んだ。彼に取っては、昔馴染みのわたしにそうして、自分の今の境遇を自慢出来るのが嬉しいらしかった。わたしも初めは「うん。旨い、旨い」と言いながら相槌を打っていたが、次第に彼の歓待ぶりが鬱陶しくなってきて来て、うんざりした。
「今、あに(何)ばやってっだあ」
 彼は箸を口に運び、左手で酒のグラスを口に運びながらわたしに聞いた。
「何もやってない」
 わたしは憮然とした思いで答えた。
「あにもやってねえ ? あんで ?」
 彼は不思議そうな顔で聞いた。
「いや、ある日、ふと気が付いたら俺は、自分の墓穴ばかりを掘っていたんだ。それでうんざりして、あらゆる物を投げ出してこうして自分の生まれ故郷へ帰って来たっていう訳だよ」
「そうが。そう言う事が。そっで、これがらあにばすっだ ? ーーそごいぐど俺なんかやる事がみんな旨ぐいってよ、田畑も昔の二倍にして、牛も八十七ばっかり飼ってっだあ。牛乳ば搾って毎日出荷してよう、豚や鶏なども百だ、二百だっつう風に増やしてっだあ。要するに今の時代は多角経営っつう訳だよ。多角経営。いいあんべえ(塩梅)に今は後継者不足で金さえ積めば、田畑の一町歩や二町歩なんがすぐに手にへえ(入)るもんな。金なんか持ってるだけじゃ、面白ぐもあんともあんめえ。稼げばいぐらでもへえって来るしよう、金なんか。だがら俺あ、ちっとでも余分な金がへえるど、みんな村さ寄付してよ、公園も造ったし、この村さ幼稚園も造っただ。幼稚園さ行ってみろ、ちゃんと俺の名前が書いであって、名誉総裁になってっがら。他にも公園には石が建ってで俺が寄付したって書いであるし、要するに今、俺あ、この村の有名人ってわげだ」
 孫太郎は如何にも自慢気に言ってからふと、隣りの部屋の様子に耳を澄ました 。
 隣りの部屋とは襖一つで区切られていて、その部屋からはしきりに三味線や小太鼓の音が聞こえて来ていた。
「俺、ちょっと行って、ひと踊りして来っがらな」
 孫太郎はそう言うと、如何にも嬉し気にその巨大な太鼓腹にも関わらずひょいと身軽に立ち上がり、襖の傍へ行って開けた。
 隣りの部屋では一目では数えきれない程の人々が集まり、今、宴会の真っ最中だった。
 正面には舞台らしきものが設えられていて、そこでは何人もの芸者姿の女達が三味線を弾いたり、小太鼓を打ったり、歌を唄ったりしていた。如何にも華やぎに満ちた、賑やかな光景だった。
 孫太郎が入って行くとそこに居た者達の全部が一斉に囃し立て、手を打って立ち上がり、踊り始めた。
 孫太郎はそれが当然な事であるかのように、何のためらいも気負いもなく、輪の中に入って行った。
「あじょうだ、おめえ。おめえもこん中さへえって踊ってみねえが。面白えど」
 孫太郎はわたしに向かって言った。
 わたしは無論、そんな気にはなれなかった。ただ、その場の雰囲気に圧倒されていた。
 踊りの輪に加わらない者達は座敷に座ったまま、しきりに顔を寄せ合って商談か何かの話しに熱中していた。明らかに銀行のお偉方とも思えるような男達が数多くいた。
「おう、おめえ、こっちさ来うよ。一緒に踊るべえよ」
 孫太郎は手招きをしながら熱心にわたしを誘った。
「いや、俺はいいよ」
 わたしは尻込みをしたまま気弱な声で断った。
「あーに、初めてだがらって、遠慮する事たあねえよ」
 孫太郎はそう言いながら一層、踊りにのめり込んで行って汗をかき、上着を脱ぎ捨てた。
 周りにいた者達がそれを見て一斉に囃し立てた。
 孫太郎はますます得意になってゆくようで、やがて舞台の方へ進んで行くとその上に上がり、ひょっとこ踊りやおかめの踊りを踊り始めた。周囲からの喝采は一段と激しくなり、孫太郎はますます興に乗ってゆくようだった。
 わたしはそんな孫太郎の姿を見ている事が次第に苦痛になり、そっとその場をを離れた。孫太郎に気付かれないように部屋を出ると玄関へ向かった。
 わたしはその時、泣いていた。
 あの小さな生き物を細かく切り刻んで、次々と空に放り上げては、「ほら、あにもねぐなっちゃった」と言った時の孫太郎の純粋、質朴な顔が思い出されて一層、激しく嗚咽した。
 わたしは孫太郎の家を出ると、また歩き始めた。





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          桂蓮様
          有難う御座います
          新作 面白く拝見致しました
          料理と人の感情 面白い比較だと思いました
          料理はセンサーで分析出来ても人の感情は複雑で
          よほど専門的な能力と知識がないと おいそれとは
          ゆかないのではないでしょかね 多分 人の感情は
          料理よりは複雑なものではないでしょうか
           人は変えられなくても 自分は変えられる
          良い言葉です「悟り」の境地です 何事に於いても
          そう ありたいものです
           それにしても バカな大統領のおかげで 
          ロシアの善良な人々は気の毒です みんな
          白い目で見られる バレー団のアメリカ公演
          こちらの昨日の新聞にも出ていました 日本人の
          団員もいるようです
           バレーの先生も立場が辛いのではないのでしょうか
          ロシア国内でも反対を叫ぶ人がいるようですが 
          強権国家では思うようにはゆかないようですね
           脳を持ってない 奇抜な発想 思わず吹き出しました
          遅まきながら脳のある事に気付いて何よりです
           筋肉って怖いですね ほんの二 三日でてきめんに
          衰えがわかります 日ごろ実感している事です
          それにしても バレーを語る時の口調は楽しそうです
          良い御趣味を見つけられましたね
           三回接種 ただの風邪であればいいのですが 
          お気を付け下さい 
           何時も有難う御座います



          takeziisan様

          何時も有難う御座います
           ブログ 今回も楽しく拝見させて戴きました
          北越雪譜 読みたい読みたいと思いながら なかなか
          眼を通せない本の一つです 本そのものはあるのですが    
          北越雪譜 この言葉を聞いただけで懐かしさと
          郷愁に誘われるのです
          なぜなのか 自分にも分かりません 雪国 山村育ち
          でないにも係わらず 郷愁を誘われる 元々
          日本人が持っている心情なのでしょうか
           数々の写真 今回も楽しませて戴きました
          河津桜の透明感 見事です キンセンカ 初めて
          しみじみ見ました 女優 山本富士子の歌った唄に
           小道たどれば 日はまた暮れて 甘い香りの
           キンセンカ 泣きに来た 山の静かな湖に
           春の小ぬかの 雨が降る 
           という歌があります
          日ごろ 何故かこの歌が自然に口を付いて出るのですが
          今では題名も 歌詞も覚えていません ただ この
          フレーズだけが何かの拍子にふっと口を付いて出ます
           山本富士子 綺麗な女優さんでした 御本人を眼に
          した事がありますが 美人とはこの人の事を言うのか
          と言うほどの完璧さを備えていて そばにいる女優さん
          がかすんで見えました
           イチゴの葉 痛々しく見ます 我が家の庭の植物も   
          この通りの葉の色になってしまっています こちらは  
          比較的 暖かいので油断していた結果です
           川柳 相変わらずいいですね クスリと笑いながら
          楽しく読ませて戴きました 次回を期待 楽しみに
          しております
           いろいろ珍しい花の数々 よく眼をお留になります
          細心の観察眼が必要ですね
           水泳 足が攣る わたくしも度々 経験します
          なぜこの頃 こんなに足が攣るのかなあ と思っている
          ところですが やはり 歳のせいでしょうか
           何時も楽しいブログ 有難う御座います