きまぐれブログ

ボケ防止の日記です。(*^^*)

【鬼の城】 ・・吉備津神社・御釜殿

2012-10-08 | 鬼の城


吉備津神社本殿の鬼門に「御釜殿」があります。

ここでは、「鳴釜神事」という神事が、今も行なわれています。

このお釜の地下八尺に温羅の頭が埋められているそうです。

現在、内部の写真撮影は禁止になっていますが、

20年程前までは撮影することができました。



20年ほど前までは、ここの巫女さんも、

代々温羅の妻, 阿曽姫の出身である、

阿曾郷出身の女性の役目でした。

現在は違うそうです。

この御釜殿は1612年、今からちょうど400年前、

石見銀山の経営者、安原伝兵衛の寄進によって再建されたそうです。



鳴釜神事の由来

ある夜、命の夢に温羅の霊が現れて、
『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をして命の釜殿の神饌を炊がしめよ、若し世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸あれば裕かに鳴り、禍あれば荒らかに鳴ろう。命は世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』
と告げた。



吉備津神社本殿の中にある祭神の中には、「温羅」の名があるそうです。

吉備津命も、温羅も、お互いに相手の才能を認め、

尊敬の念をもっていたのではないでしょうか。

お互い、「あわれ」の心で通じていたのでは・・・と思います。



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【鬼の城】 ・・吉備津神社 

2012-09-30 | 鬼の城


吉備津神社へ行ってきました。

吉備津神社がいつ創建されたかは分からないそうです

ここは 鬼の城のリーダー温羅を退治したという、吉備津彦命を祀る神社です。

それに、退治された温羅も祀られています。

敵と味方が一緒に祀られているという、不思議な神社です。

入母屋造りを二つ並べた造りは、吉備津神社以外ほとんど見られないのだそうです。



北随神門です。

随神門も、北と南に二つあります。

この神社の特徴は、なんといっても400mの廻廊です。

長い廻廊を進むと、50mほどで南随神門 があります。

 

南隋神門です。

南隋神門は、吉備津神社で最古の建物だそうです。

ここからしばらく行くと、途中、「御釜殿」の案内板があり、



そこから右折して20mほどで、温羅の祀られている 「御釜殿」 に到着します。

  

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【鬼の城】 ・・は北門から攻められた!?

2012-09-20 | 鬼の城


北門を見て、この城が攻め入られたのであれば、ここしかないと思いました。

ほかの門は絶壁ですが、ここだと尾根伝いでもいいし、血吸川を上っても来れます。

血吸川は今でも沢登りができます。

夏であれば寒くはないし、夜でも迷わずに上れ、物音は川の音で消されます。



北門復元工事のi案内板です。

緑色は元の位置のままの石、

黄色は積み直しした石、

水色は新たに補った石だそうです。

西門、南門、東門の敷石は、ほとんどがきれいに残っています。

しかし、これで見ると、北門で残っている敷石はおよそ半分です。

どうしてでしょう

それはここで激しい攻防があったから!?。。。



復元前の北門の写真です。

斜面にはごろごろとたくさんの岩があります。

攻められた時に上から落としたのでは!?。。。。

にわか鬼の城フアンの勝手な想像です。 ^^;


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【鬼の城】 ・・と・・【岩屋寺】

2012-09-12 | 鬼の城



鬼ノ城の北門から峰続きで約3km離れたところに岩屋寺があります。

ここには、沢山の花崗岩の大きな岩があり、

それぞれに名前が付けられています。

鬼の餅つき岩、鯉岩、屏風岩、など・・





その代表が、「鬼の岩屋」とよばれる岩です。

「鬼の差し上げ岩」という巨岩は、陰陽石となっているそうです。




少し離れたところに「皇の墓」がありました。

百済式の墓の形式を持っているので、

鬼ノ城の首領(温羅)の胴体を埋めた墓ではないかと

伝えられているそうです。

鬼ノ城に比べるとまったく人が訪れないようなところです。

男性でも一人で歩くのは心細いと思います。

私は一人で行きました。。。。


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鬼の城の石

2012-09-08 | 鬼の城




集めているような・・・







一蹴りで落ちそうな・・・







一押しで落ちそうな・・・




鬼の城の石は、やっぱり武器!!



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古代山城と武器

2012-09-05 | 鬼の城


鬼の城のビジターセンターに、「古代山城と戦争を考える」 のパンフレットがあり、それに 一般参加歓迎とあったので行ってきました。

最初は専門用語などが解らずチンプンカンプン。

キュウシャが何度も出てきたのに、弓射と理解できたのは弓矢の話が終わる頃でした。

古代では、弓矢、ヤリ、刀、が主な武器だったようです。

(オリンピック競技のヤリ投げは正確にはホコ投げだとか)

刀は、短剣・短刀から少しづつ長くなっていったそうです。

吉備津神社には全国で29ある国宝の刀剣(刀長90cm以上)のうち2点が

あと、岡山・編明院にも1点があるそうです。

長船物でしょうか?

弓の飛距離は90mほどで、60mだと確実に当たったと史記にあるそうです。

それと、縦列にならんで登って攻める、高いところから石を落とす、

なども書いてあるそうで、

鬼の城に石が多いのは、武器としても用意していたのかもしれません。



その他、色々のことを学びましたが、右から左へ抜けていきます。

でも、学校の授業ではあまり興味がなかった歴史が、今頃になって面白くなりました。


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鬼の城で出会ったトンボ

2012-08-29 | 鬼の城


鬼の城でオニヤンマに会いました。

北門から屏風折れの石垣へ行く途中です。

道路は狭く、あまり人が来ないようなところです。

近づいても逃げないので撮れました。



なつかしいシオカラトンボ。



上手く撮れていないのでわかりにくいですが、

キイトトンボです、はじめて見ました。

頭部、胸部は緑色で、止まっている笹の色にそっくりです。

日本および朝鮮半島から中国中部にかけて分布しているそうです。



サラサヤンマ、日本固有種だそうです。

鬼の城が築かれる前からの子孫かも知れません^^


                  


コメント (2)
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【鬼の城】 ・・北門と屏風折れの石垣

2012-08-26 | 鬼の城
昨日、鬼の城を2時間ばかり歩きましたが、ちょうど1万歩でした。

北門と屏風折れの石垣を見て、中央の道を横断して戻るコースです。



北門を見てビックリです。

他の門と違って周りが絶壁ではない上に、

無用心にも山の下まで続く通路がついています。



門を出て階段を4,5段降りると平坦な道路です。

おまけに敷石まで敷き詰められています。

この道は岩屋まで続くようです。

わたしの勝手な考え・・鬼の城はここから攻められた!?



北門から屏風折れの石垣までは650メートル

道が細くて石はごろごろ、おまけにアップダウンのくり返しです。

こんな所までわざわざ来なくても、の心境ですが、



屏風折れの石垣から、遥か下を流れる渓流の音を聞いたら、

これまでの疲れも吹きとびました。

コメント (2)
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【鬼の城】 ・・礎石建物跡

2012-08-24 | 鬼の城


東部突出部から、屏風折れの石垣を見たあとは

眺めの良いところを200mほど城壁にそって歩き



鬼の城の中央部にある、礎石建物郡のある道路へ入りました。

林のなかを500mほど歩くと、



案内板があります。



礎石建物郡の5棟のなかの一つがありました。

食料や、武器を備蓄していた倉庫と考えられているそうです。



それにしても、鬼の城ではあちこちに巨石が目につきます。



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【鬼の城】 ・・屏風折れの石垣

2012-08-21 | 鬼の城


西門から逆時計回りに行って、1キロほどで東部の突出部です。

ここから、(屏風折れの石垣) が見えました。



機械のない古代、どうやって大きな石を垂直にできたのでしょうか・・

屏風折れの石垣は、はじめて来たとき最も感銘を受けた場所でした。

石垣の上からの、ずっと下を流れる血吸川の滝のような音や、

眼下の森や、遠くの海や山の眺めは神秘的でスリル満点でした。

今回は200m離れたところから眺めるだけでしたが、それでも感動です。

鬼の城は誰が何のために建てたのでしょう・・・

戻りは、行ったことがない真ん中の道を通ることにしました。


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