地球の命運をかけたチキンレースが両者の間で繰り広げられていた。その両者は、現実には存在しない二つの壮大な意識だった。両者の競い合いは、有史以前から始まり、恐らくは未来も続くだろうと思えた。両者とは、人間が対立を意識して対峙させる黒と白というのではなく、天と地という意識でもなかった。人智の及ばない壮大なチキンレースの一つは今朝も、咲川家でさっそく始まっていた。
「ここに置いたジュース、知らないか?」
「なに言ってるのよ。昨日(きのう)、飲んじゃったじゃない!」
「…そうだったか? おかしいな?」
咲川は妻の美奈にそう言って、首を傾(かし)げた。普通に考えれば、物忘れによる単純な勘違い・・である。だがその裏には、壮大な地球規模の意識と意識がぶつかり合うチキンレースが秘められていたのである。
意識αは意識βの目論見(もくろみ)を阻止させるべく、咲川に物忘れをさせる・・という新手(あらて)に打って出た。意識βもお馬鹿ではない。そんな思惑はすでに読み切っていて、しまった! 先を越されたか…と、悔(くや)しがった。そして次の返し技のチャンスを必死に探(さぐ)った。
その両者のレースを厳粛(げんしゅく)に見定める目に見えない力がもうひとつ存在した。意識を超越した崇高(すうこう)な真理∞である。その真理∞により宇宙は動かされている・・といっても過言ではなかった。それは、壮大とかの尺度(しゃくど)を超越する絶対的な無限の力だった。真理∞は、冷めた目で意識αと意識βのチキンレースを眺(なが)めておられた。真理∞は、咲川の物忘れを哀れにお思いになり、ここはひとつ、なんとかしてやろうか…とお考えになった。よくよく考えれば、チキンレースに値(あたい)しない馬鹿馬鹿しいレースである…とも思われた。
咲川家の居間に一陣の風が吹き抜けた。
「ああ、そうだそうだ! そうだったな!」
急に思い出したのか、咲川が叫ぶように言った。
「そうでしょ!」
美奈がすぐに返した。
『…』『…』
意識αと意識βによる咲川家でのチキンレースは、この瞬間、頓挫(とんざ)した。両者は、なんだ、やめようか…と咲川家からソソクサと撤収(てっしゅう)した。
THE END