水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

隠れたユーモア短編集-14- エアー食

2017年08月02日 00時00分00秒 | #小説

 エアーギターを弾(ひ)くように、食べる動作だけで食事をするのがエアー食だ。想像力一つで、隠れた思考が美味(うま)そうに食事をさせてくれる訳である。これだと、お金はまったく必要ないから、貧乏人には助かる。ただ、気分は満たされるが、じっさいに食べていないのだから、空腹は満たされない。それどころか、余計に食べたくなるから困りものだ。
 ようやく残暑も蔭(かげ)りを見せ始めていた。空に鰯雲(いわしぐも)が浮かぶようになると、俄(にわ)かに食欲も増す。櫛川(くしかわ)もそんな一人だった。櫛川は退職後、日課にしている散歩を終えると、犬のようにハァ~ハァ~と息を切らせて帰宅した。俺は丸で犬だな…と無言で苦笑しながら、櫛川はふと、空腹感を感じた。グツグツ煮える湯豆腐を連想し、エアーで食べながら熱燗(あつかん)で一杯やってみたが、どうもしっくりとしない。それもそのはずで、まだ寒い季節ではなかった。櫛川は、違うな…と、すぐ否定した。次に思いついたエアー食は鱧(ハモ)の湯引きを泥酢[甘酢+味噌]で食べながら、キュッ! と一杯、冷酒を・・という趣向(しゅこう)だ。こりゃ美味(うま)いぜっ! とは思えたが、いやぁ~もう、秋だな…と思え、これもすぐ否定した。その後もなかなか、コレ! というエアー食が浮かばない。するとそのとき、どこからともなくプゥ~ンといい匂いが漂(ただよ)ってきた。それはエアーではなく、紛(まぎ)れもないスキ焼きのいい匂いだった。
「今夜はスキ焼にしたわ…」
 キッチンから妻の声がした。櫛川はエアー食より、やはり現実食がいい…と思った。

                              


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする