人は働(はたら)いて楽しみ、そしてまた楽しむために働く。その楽しみは、いろいろとあるが、家族の安らぎ、趣味の楽しみなど、さまざまだ。それらを楽しむことで、人はホッコリとした気分になり、メンタル[心理]面で寛(くつろ)げる時間を得(う)る。要は、癒(いや)される訳だ。そして満足な気分を満タンにして明日(あす)の殺伐(さつばつ)とした社会へと向う訳である。このホッコリ感で癒されないと、人はトラウマに陥(おちい)ったり、フラストレーション、ストレスの類(たぐい)を鬱積(うっせき)することになりかねない。その点でも、ホッコリ感を得るのは暮らしの中で重要となる。
早朝の公園である。ラジオ体操が終わり、いつもの話好きのご老人二人が、いつもの石段に腰をかけ、ペチャクチャと語り出した。座る石段の位置も同じ、語るタイミングも同じ・・といった具合で、周囲の老人達に迷惑をかけている訳でもないから、取り分けて苦情も出ない。というか、苦情はあったとしても、話すのをやめて下さい! とも言えないから、他の老人達は見て見ぬ振りを決め込んでいる感がなくもなかった。だが、二人にとってはホッコリ感を得る至福(しふく)の、ひとときだったのである。
「そうそう、最近は頓(とみ)に悪質化してますなっ!」
「ですなっ! 私らの頃は、まだいい方でした…」
「今日は、こんな情報が入りました…」
一人の老人は、もう一人の老人に、なにやら書かれたメモ書きを手渡した。
「どれどれ…。ほう! なるほど! これは、いけません、いけませんぞぉ~~っ!!」
二人が座る周囲の老人達は、警報のサイレンが鳴ったときのように迷惑顔で二人から離れ出した。老人の声が大きくなり始めたからである。二人にとってはホッコリ感を得るいい時間だったが、他の老人達にはホッコリ感を失う悪い時間だったというお話である。この二人のご老人、元制服組でエリートの警視監だった。
ホッコリ感は、密(ひそ)やかに味わう方がいいようだ。^^
完