理数科教師二年目のある日、私は生徒たちに提案をした。
「ブンダ山に登らないか?!」
ブンダ山とはミトゥンドゥセカンダリスクールからほど近い所にある岩山だ。
標高1300m余、とはいっても学校が標高1200mだから、せいぜい100mほどの高さの山だ。
日曜日、呼びかけに集まったのは男子生徒だけ10名ほど。
楽しみで山に登るという感覚は、当時のアフリカにほとんどなかった。
だから、集まった生徒達は先進的感覚を持っていたといってよい。
ブンダ山は、その後首都になる『リロングェ』に出かける時、右手に望む山だ。
どうしてこんな山があるのか、地質学者が興味を持ちそうな岩山なのだ。
多分一つの岩だけでできている、世界中でも大きいほうの山ではないだろうか。
かねてより一度上りたいと思っていた。
私たちは1時間ほど、茶色い砂道の国道を歩き、ブンダ山の正面に来た。
私は、この形がとても気に入っている。
ここからは植林された林や竹藪が続いていた。
ヒヒの群れが私たちを訝しがり、時々吼えた。
そんなことも気にせず、私は生徒たちとバカ話をしながら、ハイキング気分で山肌に取り付いた。
登り始めは何のことのないハイキングで、歌う者、叫ぶ者、いろいろだ。
踊る者もいた。
だんだん山肌は急になる。
いよいよ四ッ足で登ることになったが、それでもみんな陽気だった。
ところが、最後の5mほどになった時、一歩も動けなくなってしまった。
私は全員に休憩の指示を出した。
座って休むことさえできない。
中には岩肌に四つん這いでへばりついている生徒もいた。
少し私は焦っていた。
ここまではそれぞれが自由に登ってきたが、ここからはルート設定をしないと危険だ。
先頭にいた私は全員に、「ここからは私の道を登るように」と指示を出した。
まさにロッククライミングだが、私も素人だ。
指導者として、私は責任を持って、皆を安全に導かなくてはならない。
試み、失敗し、別ルートを探す。
最後の5mを1時間かけて登り切り、山頂に立った私たちは大興奮だった。
私は皆に日本式の万歳を教えて、一列に並び、不慣れな万歳三唱をした。
頂上は意外と広々としており、彼らは広場をアフリカ人のリズムで跳び回った。
「昼飯だぞ~」私は用意した握り飯を一人一人に渡した。
不思議な食べ物を彼らは騒ぎながら食べた。
腹が充分満たされることはなかったが、大いなる満足感を味わっていた。
恐怖後の解放感。
そして、かすかなる満腹感。
私は皆が騒ぎ跳び回り、踊っている間に帰りのルートを探していた。
西側のルートはずいぶん遠回りになるが、なだらかで安全だ。
学校に到着した時、既に生徒たちの晩飯の準備が始まっていた。
学生たちはアフリカンリズムで宿舎に食器を取りに向かった。
私は、一人草原に座り、地平線の向こうに沈みゆく太陽をずっと眺めていた。
「ブンダ山に登らないか?!」
ブンダ山とはミトゥンドゥセカンダリスクールからほど近い所にある岩山だ。
標高1300m余、とはいっても学校が標高1200mだから、せいぜい100mほどの高さの山だ。
日曜日、呼びかけに集まったのは男子生徒だけ10名ほど。
楽しみで山に登るという感覚は、当時のアフリカにほとんどなかった。
だから、集まった生徒達は先進的感覚を持っていたといってよい。
ブンダ山は、その後首都になる『リロングェ』に出かける時、右手に望む山だ。
どうしてこんな山があるのか、地質学者が興味を持ちそうな岩山なのだ。
多分一つの岩だけでできている、世界中でも大きいほうの山ではないだろうか。
かねてより一度上りたいと思っていた。
私たちは1時間ほど、茶色い砂道の国道を歩き、ブンダ山の正面に来た。
私は、この形がとても気に入っている。
ここからは植林された林や竹藪が続いていた。
ヒヒの群れが私たちを訝しがり、時々吼えた。
そんなことも気にせず、私は生徒たちとバカ話をしながら、ハイキング気分で山肌に取り付いた。
登り始めは何のことのないハイキングで、歌う者、叫ぶ者、いろいろだ。
踊る者もいた。
だんだん山肌は急になる。
いよいよ四ッ足で登ることになったが、それでもみんな陽気だった。
ところが、最後の5mほどになった時、一歩も動けなくなってしまった。
私は全員に休憩の指示を出した。
座って休むことさえできない。
中には岩肌に四つん這いでへばりついている生徒もいた。
少し私は焦っていた。
ここまではそれぞれが自由に登ってきたが、ここからはルート設定をしないと危険だ。
先頭にいた私は全員に、「ここからは私の道を登るように」と指示を出した。
まさにロッククライミングだが、私も素人だ。
指導者として、私は責任を持って、皆を安全に導かなくてはならない。
試み、失敗し、別ルートを探す。
最後の5mを1時間かけて登り切り、山頂に立った私たちは大興奮だった。
私は皆に日本式の万歳を教えて、一列に並び、不慣れな万歳三唱をした。
頂上は意外と広々としており、彼らは広場をアフリカ人のリズムで跳び回った。
「昼飯だぞ~」私は用意した握り飯を一人一人に渡した。
不思議な食べ物を彼らは騒ぎながら食べた。
腹が充分満たされることはなかったが、大いなる満足感を味わっていた。
恐怖後の解放感。
そして、かすかなる満腹感。
私は皆が騒ぎ跳び回り、踊っている間に帰りのルートを探していた。
西側のルートはずいぶん遠回りになるが、なだらかで安全だ。
学校に到着した時、既に生徒たちの晩飯の準備が始まっていた。
学生たちはアフリカンリズムで宿舎に食器を取りに向かった。
私は、一人草原に座り、地平線の向こうに沈みゆく太陽をずっと眺めていた。