タイタンがニュースになっている。
沈んでいるタイタニックを見学に行く深海艇だ。
この冒険に参加する費用は三千万円。
この深海艇が行方不明となった。
酸素供給可能時間は四日間。
その期限が日本時間の午後六時頃。
もしこの時間、海中に在れば五名の生存は見込めない。
この事件がほぼどのニュース番組でも取り上げられた。
少なくとも三日間は。
確かに特殊な事件には違いない。
一般人の興味も惹くだろう。
しかし、私にとってはどうでもよいニュースだ。
金持が莫大な金を使い興味を満たしている。
その行為は、その五人以外に何も残さない。
私なら八年間暮らせるその金を、八日間で使い切るわけだ。
もし事件にならなかったら、五人の興味を満たしただけで終わっただろう。
こんな浪費も経済には多少役立っている。
ところが事件になったがためにとんでもない無駄が発生した。
軍が動くのは、救出するための手段が他にないからだ。
数日前、地中海では五百人を越す命が失われる事故が起きた。
難民が小さな漁船に満杯に乗り欧州に渡ろうとした。
その漁船が沈没した。
この五百人にはそれぞれ夢があったに違いない。
このニュースはいとも軽く扱われ、五人の金持の゙ニュースの゙扱いは重い。
人の価値に差は無いはずなのに。
五人を探すために何億、何十億の金が費やされ、五百人のほとんどは探査すらされなかった。
運が良かったとか、悪かったとかの問題だろうか。
産まれた時から運の良い悪いはある。
紛争地に産まれた子供は安心を知らない。
独裁国家に産まれた子供は自由を知らない。
最貧国に産まれた子供は満足を知らない。
タイタンに乗っていた五人は、運が良かったのだろうかそれとも悪かったのか。
格差はますます拡がっていく。