中国の記事は毎日沢山書かれている。
つい読んだり聞いたりしてしまう。
時事番組も中国の物は見てしまう。
中国には恩もあるし、生活したこともある。
だから中国に良くなって貰いたい気持ちが強い。
しかし、今朝、中国にとって良いこととは何かを考えてしまった。
20年前の中国は自由闊達で好きだった。
2008年の中国は活気に溢れていた。
この国は経済が発展し、これから民主化が進んでいくのだろうと思った。
しかし、習近平がトップに立ち方向性が変わった。
腐敗を一掃すると言い、政敵を次々に吊し上げた。
それに大衆は喝采を上げた。
腐敗一掃の裏には怖ろしい目論見があったのだが。
大衆はそれに気付かない。
しかし、田舎に住む大半の大衆はそれで良いと思っている。
まず、普通に生活していれば政治とは無関係でいられる。
だから、政治を判定するのは生活が良くなったかどうか。
大衆を踊らすのが上手い習近平は、田舎に少しの金を回す。
おこぼれで少しは生活が潤った大衆は習近平を持ち上げる。
もちろん、習近平の狙いはそこにあるのだが。
ここでふと考えてしまうのだ。
大衆の8割が肯定するのであれば、現在の中国はそれで良いのかもと。
日本も同じだが、ほとんどの人は政治のことを我がこととは受け取らない。
正しいことを言ったとしても、それが正しいと分かる人は少ない。
習近平は大衆を操作する方法を憎いほどに知っている。
しかも、政治については話題に乗せることもタブーの中国。
政治を考えている少数の大衆も何も語れないし、話せない。
やはり、今の中国は大衆が抑圧されている。
だからもっと自由な中国を目指す必要がある。
しかし、教育を受けた人でも習近平を讃える人が居る。
この国に民主化の道は無いのだろうか。
5000年間民主的な生活を知らない中国。
専政政治の中で上手く生き抜く術を遺伝子として学んだ中国人民衆。
100年先も、1000年先も同じなのだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます