どうもこんにちは、最近、旧約聖書ヨブ記にハマっている中山達樹 で
す。
何回か読んで、その音律というかリズムというか、その美しさが印象的な
May the name of the Lord be praised.主の名は賞め讃えられよ。
ヨブ1:21。
横田早紀江さんをクリスチャンにせしめた1:20「主は奪う」(The Lord has taken away)の直後。
理不尽に、財産、家、自分のたくさんの子どもまでも、一瞬にして奪われた直後の、セリフ。
旧約聖書で一番「ワケワカンナイ」ところ。イミフなところ。不条理すぎて。
自分の子供や家をぜぇーんぶ喪って、直後に、「主の名は誉め讃えられよ」と。
ドМか。
ドМです。ヨブはドМです。
どんな不条理、不幸、理不尽があっても、May the name of the Lord be praised と言って、痩せ我慢して、運命を笑殺して、Grin and bear itして、前に、突き進んでいく。
この2000年、こうして、何十万、ひょっとして何億の人が、このヨブ記に影響を受け、理不尽に耐え忍び、雄々しく戦ってきた。
だからヨブ記は「世界最大の文学書」だと内村鑑三が言っている。 こちら
西洋文学の多くはヨブ記の影響を受けている。
最近になって、戦後になって、不条理がいろいろ解消されて、このヨブ的なイミフな特攻的な無茶振り的な底抜けの楽観さは、理解されることは少なくなった。
でも、このヨブ的なイミフな前向き感こそ、健全な無常観なのでは。
ニーチェ的な、健康的なペシミズムであり、楽観的なニヒリズムなのでは。
「神は死んだ」と言ったニーチエも、ヨブ記を高く評価したはずだ。
ChatGPTに訊いてもそう教えてくれる。以下引用。
1. 神と人間の対立:
ニーチェは、ヨブ記における神の行為を一種の「道徳的な試練」と見なしました。神はヨブに対して無慈悲に試練を与え、神の計画に疑問を呈することが許されないという状況に置かれます。
ヨブ記の中で神が絶対的な力を持っていることを見て、ニーチェは神の権威が人間の自己決定や自由を抑圧するものとして捉えました。ヨブが神に立ち向かい、反抗する姿を通じて、ニーチェは「力への意志」や「超人」の思想と関連させて解釈します。
2. ヨブの反抗とニーチェの思想:
ヨブが自分の苦しみを正当化しようとする中で、最終的に神の答えを得ることになりますが、その答えは「なぜ?」という問いに対する満足のいくものではなく、むしろ神の権威と力を前面に押し出したものであるとニーチェは考えました。
この無力さや不満に対してヨブが持つ「自己解放的な反抗」という態度に、ニーチェは自らの哲学的立場を重ねました。ニーチェにとって、ヨブが神に反抗し、無限の苦しみに耐えたことこそが、彼の「超人」の姿に近いものとして捉えられます。
3. 神の「無償の愛」と人間の「力への意志」:
ヨブ記で神が最終的にヨブに報いるのは、神の「無償の愛」や「恩寵」とされていますが、ニーチェはこの考え方に疑問を呈しました。ニーチェは「無償の愛」や「赦し」という概念を否定し、むしろ人間の力を強調しました。
ヨブが耐え忍び、最終的に報いを受ける姿を見て、ニーチェはそれを一種の「人間の道徳的な屈辱」または「弱さの象徴」として捉え、自己を超越する力を持つべきだと考えました。ヨブの話を通じて、ニーチェは「神の意志に従うこと」を否定し、人間が自己の力を行使し、自己の道を切り開くべきだとする思想を強調します。
ニーチェのヨブ記における核心
ヨブ記における「神の無慈悲な試練」を通じて、ニーチェは「苦しみ」と「力」に関する独自の解釈をしました。ヨブの苦しみは無意味ではなく、自己を乗り越えるための過程であると捉え、最終的に神の力に依存しない人間の「自由」と「力」を追求すべきだという思想へとつながります。
このように、ヨブ記を通じてニーチェは宗教的、道徳的な枠組みを超え、人間の力と自己超越の重要性を訴えかけています。
結論として、ニーチェはヨブ記を従来の神中心的な価値観に対する批判的な視点から読み解き、そこに表れる人間の苦しみや試練を「自己の力を見出すための過程」として評価しました。
神に対する従順や「無償の愛」の考え方を疑問視し、むしろ人間が自己の力を信じて生きるべきだとする立場に立っています。
~~~引用終わり~~~
なるほど。ひらめいた。
ヨブ記+ニーチェ=フランクル
という方程式が成り立つんですね。
『夜と霧』V.E.フランクルの「態度価値」も、ヨブ記とニーチェの超人思想のブレンドと言えますね。
天才フランクルは、ニーチェを踏まえて「態度価値」を編み出したに違いない。
ってひらめきをChatGPTと壁打ちしたら、以下を教えてもらった。
フランクルは確かにニーチェに影響を受けており、特にニーチェの名言「人生における意味を見つけた人は、どんな困難にも耐えられる(He who has a why to live can bear almost any how)」は、フランクルが自らのロゴセラピー(存在分析)で重要な位置を占めています。
だそうです。
ニーチェの
人生における意味を見つけた人は、どんな困難にも耐えられる
(He who has a why to live can bear almost any how)
はとても深いですね。メチャ宗教的。
人生観が確立している人、死生観を持っている人、哲学とか信念がある人、ブレない人は、強い。何にも堪えられる。
このニーチェの箴言は暗唱して覚えないといけない。
暗唱しないと血肉にならない。
暗唱して初めて言葉が肉体化する。
先日の祝勝会カレーでも、弁護士徳永信一先生が「パッときれいに暗誦できないとダメ」っておっしゃってました。