狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

言葉さえあれば人生の全ての用は足りるという過信が行き渡り、人は一般に口達者になった。

2015年09月07日 19時11分12秒 | VSの日記




 本日9月7日は、ティトゥス率いるローマ帝国軍がエルサレムを完全に制圧した日で、藤原不比等の娘・光明子が聖武天皇の妃となった日で、アルスフの戦いでリチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退した日で、フランス王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をローマ近郊のアナーニで捕縛した日で、兵学者・由井正雪らの幕府顛覆計画が発覚した日で、近藤重蔵らが択捉島の最北端に「大日本惠登呂府」の標識を建立した日で、ペドロ1世がブラジルのポルトガルからの独立を宣言した日で、義和団の乱で清朝と諸外国との間で最終議定書(北京議定書)の調印がおこなわれた日で、ロチュース号事件をめぐる国際裁判で常設国際司法裁判所はトルコの違法性を否定する旨の判断を下した日で、ナチス・ドイツがイギリスへの大規模な空襲を開始した日で、日本軍沖縄守備隊がアメリカ軍に降伏調印した日で、ニキータ・フルシチョフがソ連共産党第一書記に就任した日で、アメリカとパナマが1999年末にパナマ運河と運河地帯をアメリカからパナマに返還する条約に調印した日で、ブルガリアの作家ゲオルギー・マルコフが亡命先のロンドンでブルガリア内務省のエージェントにより毒入りの弾丸を打ち込まれた(9月11日に死亡)日で、東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長が分断後初めて西ドイツを訪問した日で、ポーランドで非共産党系のタデウシュ・マゾヴィエツキ内閣が成立した日で、沖縄県・尖閣諸島近くの日本領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりをして公務執行妨害の疑いで漁船の中国人船長が逮捕された日です。

 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は二十六度。最低気温は二十一度でありました。
 明日も予報では倉敷は曇りとなっております。





 私は鉄仮面の二つ名を持つ自他ともに認める無表情人間です。
 そしてかつては無表情のまま前フリ無しで本能の命ずるままTPOをわきまえずつまらない駄洒落をひたすらのべつまくなしに連発する愚か者でありました。
 無表情でつまらない駄洒落を連発する姿は血中莫迦濃度の高い私の友人達には喜ばれました。
 しかしTPOをわきまえなかったので真面目なお方にはよくお叱りを受けたものでありました。

 真面目なお方のお叱りの甲斐あって今では駄洒落は一切言わない真人間に私・狐は更生しております。
 しか~し。そうなると今度は「君は硬いね。かっちかちに頭が固いね」等と言われてしまっています。
 「もっとやわらか頭にしなくてはいかんよ。君」などと言われたりします。
 どないしろというのだ? 


 いやこれは中庸と言う言葉をお空の彼方に綺麗な放物線で放り投げて極端から極端に突き進んでしまう私の習性が全て悪いのでしょう。
 ほどほどの加減を知らねばならぬなぁ。と思っているところなのであります。


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『罪とか罰とか』

2015年09月07日 14時43分45秒 | 映画・ドラマに関する日記



 昨日の夜は、映画『罪とか罰とか』のDVDを観ていました。

 円城寺アヤメは鳴かず飛ばずのアイドル。
 久々に登場した雑誌には天地逆さまで印刷されていた。
 その雑誌をコンビニで立ち読みをしてショックを受けたアヤメは、その雑誌を手にしてレジに並ぶ。
 しかし財布を持ってきていなくて動揺していたアヤメは思わずその雑誌を万引きしてしまう。
 あっけなく捕まり警察官を呼ばれたアヤメは、「一日警察署長」を引き受けることになる。
 のだけれども、「一日警察署長」を引き受けた警察署で「(一日とはいえ)署長ですから指示をお願いします」と警察署員に言われて……。

 監督は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ。
 出演者は、成海璃子、永山絢斗、段田安則、犬山イヌコ、安藤サクラ、奥菜恵、山崎一、大倉孝二、大河内浩、原金太郎、六角精児、串田和美、みのすけ、石田卓也、山本剛史、島田曜蔵、坂口淳、廻飛雄、廣川三憲、林和義、喜安浩平、日比大介、池谷のぶえ、緋田康人、佐藤江梨子、高橋ひとみ、田中要次。村上航、森田ガンツ、入江雅人、赤堀雅秋、常盤響、植木夏十、行定勲、森若香織、玉置孝匡、野間口徹、徳井優、市川由衣、広岡由里子、長田奈麻、モモタロウ、大鷹明良、麻生久美子、など。

 
 一日警察署長を引き受けたアイドルが警察署の署長の権限を渡されるという不条理劇でコメディ映画です。


 アイドルが警察署の署長の権限を渡される、という場面があっさり。
 気にならない人は気にならないだろうけれども、気になる人は気になると思います。
 あそこで観る側をもっと戸惑わせてもよかったような気がします。

 好みの問題かもしれませんが、署長室に至る廊下の描写とか署長室の描写はまともな或いは豪華な感じを出したほうが面白かったかもしれません。

 少女の成長という裏テーマがあって、「まともに頑張れば売れる」という言葉があるのですが、主人公はまともに頑張ったのですかね?
 その部分は疑問です。

 ブラックな笑いが満載。
 不条理でもあります。

 不条理であるのは構わないのですが、粗いです。
 不条理であるからこそもっと丁寧に物語を笑いを作って欲しかったです。

 粗さが目立った作品でありました。

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たとえ記憶が幻の同義語であったとしても人は記憶によって生きるものだ。

2015年09月07日 11時34分34秒 | その他の日記




 3歳の頃、川で溺れて死にかけたことがあります。
 偶然、川底に沈んでいた私を見つけてくれて助けてくださったお方がいて生還することができました。
 そのお方が気が付いてくださらなかったら私はその時死んでいて今は存在していなかったでしょう。

 時々、救助された時のことを思い出します。
 気絶から目が覚めた私を覗きこむ誰か。
 その後、再び気絶して暗闇に堕ちる感覚。
 病院で目が覚めて最初に見たもの。

 川に落ちた瞬間の記憶もあります。
 でもその記憶はここには書けません。
 記憶と事実が反するからです。
 あの時の記憶は明らかにおかしい。
 ありえない記憶。
 でも覚えている。
 しかし事実とは合致しない。

 私が川に落ちた瞬間は誰も見ていない。客観的な観察者がいない。
 だからあの時何が起こったのかは分からない。今から調べようにも調べることは出来ない。
 そして私の記憶はありえない記憶。その時の状況から考えると大きな矛盾点が発生する。

 おそらく私自身が無意識のうちに捏造した記憶なのでしょう。
 あの時に何故私が川に落ちたのかは合理的な説明はできます。
 記憶とは違うけど。そちらのほうが正しいのでしょう。



 あの時のことを思い出すと奇妙な感覚に囚われてしまいます。
 もしかすると私はもう死んでいて死後に長い夢を見ているのではないか? とか。
 ありえない記憶なのに生々しく覚えている(おそらく偽の)記憶の薄気味悪さとか。



 できればこんな記憶は上書きしたいなぁ、と思っているところなのであります。


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