狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

小米桜(コゴメザクラ)その5。

2017年02月26日 21時11分31秒 | お花に関する日記




 本日2月26日は、行基が大僧正になった日で、江戸城大奥の絵島が生島新五郎と密会した日で、ナポレオンがエルバ島を脱出した日で、プランス・ドイツ間でヴェルサイユ仮講和条約が締結されて普仏戦争が終結した日で、ベルリン協定が締結されて列強によるアフリカ分割の原則が決定された日で、日本陸軍の青年将校らがクーデターをおこして内大臣齋藤實・大蔵大臣高橋是清らを殺害した二・二六事件がおきた日で、ベトナム戦争で南ベトナムビンディン省タイソン県ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団・猛虎部隊が住民380人を集めて一時間のうちに一人残らず虐殺したゴダイの虐殺があった日(首都師団はゴダイの虐殺と並行してビンアン村の近隣にあるタイヴィン村で1200人を虐殺するタイヴィン虐殺を行っている)で、パリでベトナム和平保障国際会議が開催された日で、飛鳥時代の迎賓館跡とされる奈良県明日香村の石神遺跡から元嘉暦に基づく具注暦を記した木簡が発見された日です。

 本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は十度。最低気温はマイナス一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。




 上の写真に写っているお花は、「小米桜(コゴメザクラ)」です。

 小米桜のお花に関しては、2016年2月25日の記事2015年3月8日の記事2014年3月10日の記事2013年3月17日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2016年と2015年と2014年と2013年の小米桜のお花の記事です。


 小米桜のお花の花言葉は、「愛嬌」です。

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『横道世之介』

2017年02月26日 13時46分04秒 | 映画・ドラマに関する日記




 昨日の夜は、映画『横道世之介』のDVDを観ていました。

 1987年。
 長崎県の港町で生まれ育った横道世之介は、大学進学で東京にやってくる。
 空気が読めないところはあるけれども誰とでも仲良くなり頼まれたことは何でも引き受けてしまう世之介は、サンバサークルに入ってサンバを満喫したり、バイトに精を出したり、同郷の友人の伝手で知り合った魅力的な年上の女性にめろめろになったり、お嬢様育ちの祥子から一方的に好かれて懐かれたり……。

 監督は、沖田修一。
 出演者は、高良健吾、吉高由里子、池松壮亮、伊藤歩、綾野剛、朝倉あき、黒川芽以、柄本佑、黒田大輔、佐津川愛美、堀内敬子、國村隼、井浦新、きたろう、余貴美子、大水洋介、田中こなつ、江口のりこ、眞島秀和、ムロツヨシ、など。
 原作は、吉田修一の同名の小説です。



 
 横道世之介の友人達が、大学時代の横道世之介をふと思い出して、横道世之介を懐かしく思う。そんなお話です。
 映画の中盤の終わり頃にさらっと現在の横道世之介の事が示されます。
 友人達のほとんどはその事実を知らないまま、思い出すと笑顔になってしまう横道世之介を懐かしみます。
 160分の映画なのですが、仕掛けを考えると120分でおさめるのは難しかったかな?
 情報のカードを切る順番が生命線となっているお話ですね。テンポをよくして120分におさめたら抒情がでなかったかもしんない。

 面白かったですよ。
 楽しめました。

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メディアの連中が傲慢なんじゃありませんよ。メディアそのものが、そもそも傲慢なんです。

2017年02月26日 11時46分18秒 | その他の日記




 「少数派の意見を取り入れろ」とか「地元の人間の思いを聞け」とか言っているメディアが、少数派の意見を無視し地元の人間の思いを踏みにじる。
 そんなメディアは都合が良ければ少数派を利用し地方の人間を利用する。都合が悪ければ無視をする。ただそれだけでしかない。
 そして、都合が悪くなればそれまで利用していた人間を切り捨てる。
 善と悪とに勝手に分けて自分達を善とし正義の側と勝手に置いて、自分達が勝手に考えている正義を主張して反対側の人間を悪として糾弾する。
 その為ならば事実さえ捻じ曲げる。自分達に都合の悪い事は報道しない。
 そして問題解決の為の方策は一切示さない。相手を攻撃するだけで後は野となれ山となれ。
 そんなメディアがもとで大問題が発生しても一切責任を取らない。反省もしない。
 一つのものを善と悪の二つに分けて片方を一方的に攻撃して対立を煽り人々の間に分断をもたらす。

 そんなメディアが「民主主義とは何か?」と言い出したり「資本主義とは何か?」と言い出したところで、お笑いでしかない。
 自分達の意見を100%丸のみしろと主張し議論する気が全くない新聞社に「民主主義とは何か?」とか「資本主義とは何か?」とか言われても、都合が悪ければ少数派の意見を切り捨てて罵倒するようなメディアとまともに議論ができるとは思えない。
 そして、「民主主義とは何か?」とか「資本主義とは何か?」とかの議論は本来はかなり高度なレベルでお話が進む可能性があるけれども、某新聞社が述べているのは小学生が習うようなレベルでしかない。
 私達は小学生が習うようなことを改めて議論する気はないのだ。レベルが低すぎる。

 信用ができないしレベルが低い。
 そうなるとそんな新聞社は存在する価値があるのだろうか?

 疑問に思っているところなのでございます。


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