狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

石蕗(ツワブキ)その6。

2017年10月16日 22時38分58秒 | お花に関する日記





 本日10月16日は、マリー・アントワネットが断頭台で処刑された日で、ウィリアム・T・G・モートンが世界で初めてエーテル麻酔を使用した手術を行った日で、岩手県釜石にて洋式高炉での出銑に成功し釜石鉱山田中製鉄所が設立された日で、第3次近衛内閣が総辞職した日で、後の独裁者・李承晩が日本の降伏と朝鮮解放に伴い在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島にアメリカから帰還した日で、ソビエトが北朝鮮の行政権を北朝鮮指導者に移管した日で、ニュルンベルク裁判で死刑判決を受けたリッベントロップ元外相ら10名の被告への刑が執行された日で、昭和天皇・皇后が戦後初めて靖国神社に参拝した日で、中華人民共和国がタクラマカン砂漠で原爆実験を行った日で、阪神タイガースが21年ぶりにセントラル・リーグで優勝して歓喜したタイガースファンがカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込んだ日です。
 年末まであと76日。

 本日も倉敷は雨が降ったりやんだりしていましたよ。
 最高気温は十六度。最低気温は十五度でありました。
 明日は予報では倉敷は曇りとなっております。



 上の写真に写っているお花は、「石蕗(ツワブキ)」です。
 石蕗のお花に関しては、2016年10月22日の記事2015年10月25日の記事2014年11月8日の記事2013年11月9日の記事2011年11月15日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2016年と2015年と2014年と2013年と2011年の石蕗のお花の記事です。

 石蕗のお花の花言葉は、「困難に負けない」だそうです。

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『夏目友人帳』第13巻/緑川ゆき

2017年10月16日 16時20分51秒 | 漫画・ゲームに関する日記





 昨日の夜は、緑川ゆきの漫画『夏目友人帳』の第13巻を読んでいました。
 ゆるゆると読んでいます。


 夏目貴志は幼い頃に両親を失い、親戚に盥回しにされてきた。
 幼い頃から妖が見える体質。だけど気味悪がられるので周囲にはそのことを隠している。
 今は遠縁の藤原夫妻に引き取られて暮らしている。

 彼は妖が見える彼は祖母の遺品の友人帳を持っている。
 その友人帳は強力な妖力を持っていた祖母が妖怪達をいじめ負かして妖怪達の名前を奪ってその名前を書き留めた妖怪達との契約書だった。
 名前を奪われた妖怪達は友人帳を持つ者に従わなければならない。
 夏目は名前を取り返そうとする妖怪達に付きまとわれ、友人帳を奪って強大な力を得ようとする妖怪達から付け狙われて……。



 異質な者とどのように関わるか、というお話。
 妖は人の常識や倫理観とは全く違う常識や倫理観で動いている。
 でも理解できる部分や共感できる部分もある……。
 異質な者を拒絶するのかそれとも受け入れるのか? 
 二者択一ではない。
 保留という選択肢もあるし住み分けという選択肢もある。
 妥協もあるし容赦ない選択肢を取らなければならない時もある……。


 さらに人との距離感の模索のお話でもあります。
 自分を受け入れてくれる人と自分を受け入れてくれない人。
 どのように人と関わっていくのか?
 他者を理解するということはどういったことなのか?
 他者と関わっていくということはどういったことなのか?
 分かりあえそうな人。分かりあえそうにない人。
 それぞれにどのように付き合っていったらよいのか?
 そんなお話です。


 繊細でゆったりとしたお話。
 描き方が優しいです。

 今巻も面白かったですよ。
 ゆるゆると続きを読んでいこうと思っております。

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知識に於いての真理は直ちに実践上の真理であり、実践上の真理は直ちに知識に於いての真理でなければならぬ。

2017年10月16日 12時20分38秒 | その他の日記







 戦争のことを知らなければ戦争を防ぐことはできない。という言葉は真なのだろうけれども、戦争のことを知ろうとすると何故か軍国主義者とか右翼とか呼ばれてしまう。
 戦争の悲惨さはメディアは繰り返し報道するけれども、では、戦争とは何かという定義や軍隊とは何かという定義や戦争が起こる過程や軍隊が動くシステムについてや文民統制を如何にして行うかという話や外交と戦争の境界線についての話は一切しない。
 侵略が如何にして起こるのか様々な戦争を例にしてその方法論を知っておけば、他国からの侵略を防げるかもしれないのだけれども、そのようなことを調べたり語ったりすると軍国主義者とか右翼とか呼ばれてしまう。
 ただひたすら祈っているだけで戦争が避けれれるのならば今頃は全世界の人がただひたすら神様にお祈りをしてはず。
 だだひたすら祈っているだけでは戦争を避けられないから多くの人が懸命に駆け回って動いているけれども何故か我が国のメディアではそれらの人々は無視されている。
 そもそも「戦争とは何か?」という定義は様々な答えがあるのだけれども、何故か我が国では戦争とは太平洋戦争型の総力戦のみとされているケースが多い。
 実際には様々な戦争が存在していて、定義次第では我が国は太平洋戦争後も何度も何度も日本は戦争を行っていたと述べることができるはず。でも何故かそのことは我が国のメディアでは無視されている。
 先人の経験は大事ではあるのだけれども、次に我が国が経験するかもしれない戦争は太平洋戦争型の戦争とは全く違う可能性が高い。
 軍事についての知識をつけることは、軍事を制御することについての知識を得ることになるし政治や外交や経済についての知識を得ることになるし組織がどのようにして動くことになるのかという知識を得ることになるのだけれども、何故か軍国主義者とか右翼とか呼ばれてしまう。
 怖いものに目を瞑っていれば怖いことが起こらないならば人生はどんなに楽だろう。
 平和を唱えながら理想を唱えながら戦争を起こした人達は数多く存在する。
 戦争のメカニズムを知らない人達が戦争のメカニズムを知らないまま自分勝手に平和だけを唱えて戦争を呼び寄せたケースは歴史上いくらでも存在する。
 軍隊を持たなかった集団が戦争を回避し得たことは歴史上で(私の知る限りでは)存在しない。
 相手が軍事力を使ってきた時に、それでも軍事衝突を避ける方法を探る為には軍事の知識が必要なはず。
 そうであるにもかかわらず、何故か軍事について調べたり述べたりすると軍国主義者とか右翼とか呼ばれてしまう。
 状況を無視して唯々平和を唱えよ。さすれば救われん。と何が起こっているのか知ろうともせず過去の膨大な歴史から何も学ぼうとしない怠惰なだけの姿勢はいずれ予期せぬ形での大規模戦闘を招き寄せる可能性がある。
 しかし学んでも駄目、議論するのも駄目、と軍事について知ろうとすることを忌諱する人達がいる。
 それでは外交についての知識も著しく劣ることになってしまう。
 外交が疎かになるということはどのような事態を招くか? そのことを考えようとしない。
 そして組織についての知識も疎かになってしまう。そうなれば文民統制についての知識も不足してしまう。
 現代の戦争のことについて何も知らないままでいる為に、「このままでは徴兵制が復活する」などという阿呆で無知で無能であることを曝け出すようなことを述べる政治家さえ出てきてしまう。

 軍事力に関する知識は極めて重要な知識であるにもかかわらず、何故かそれを調べようとすると語ろうとすると軍国主義者とか右翼とか呼ぶ人達がいる。
 実に実に不思議なことであるなぁ。と思っているところなのでございます。

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