狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

もうひとりのあなたがあなたを見ているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね。

2019年08月05日 23時47分34秒 | VSの日記



 本日8月5日は、ハンフリー・ギルバートが初の北米のイギリス植民地を開設した日で、ニューヨーク植民地総督ウィリアム・コスビーを批判し逮捕されていた新聞出版者ジョン・ピーター・ゼンガーに無罪判決が出た日で、プロイセン王国・オーストリア帝国・ロシア帝国によって第1次ポーランド分割が行なわれた日で、浅間山が大噴火を起こした日で、ニューヨークでフランスから送られた自由の女神像の建築が始まった日で、オーストラリア・カウラの捕虜収容所から史上最多となる545人の日本兵捕虜が脱走した日で、南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者ネルソン・マンデラが当局に逮捕された日で、マリリン・モンローが自宅で死んでいるのが発見された日で、アメリカ合衆国・ソビエト連邦・イギリスの3ヵ国がモスクワで部分的核実験禁止条約に調印した日で、人民日報に劉少奇打倒を示唆する毛沢東の論文『司令部を砲撃せよ-私の大字報』が掲載された日で、前日に発生したクアラルンプール事件で日本政府が犯人の要求に応じて超法規的措置で服役・拘置中の左翼活動家7人を釈放した日で、北朝鮮の諜報機関によるスパイ密入国事件・ 男鹿脇本事件があった日で、ベトナムとアメリカ合衆国が和解して国交を樹立した日で、チリでコピアポ鉱山落盤事故が発生した日で、朝日新聞社が慰安婦問題の記事で吉田証言の証拠が全く見つからず虚偽の報道であったと認定して記事を撤回した(しかし謝罪は一切なく開き直った。この記事で日韓関係はずたずたに引き裂かれてしまった)日です。


 本日も倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は三十五度。最低気温は二十六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。




 或る日の事。
 倉敷美観地区の大原美術館の門の下にぼんやり空を仰いでいる一人の愚か者がありました。
 愚か者の名は狐といつて元は蝶よ花よと言はれて育つたにもかかわらずぽんこつでぼんくらで怠惰な性のままぼんやりと生きてゐるのです。
 哀れなる哉。愚かなる者。狐は呆けた顔でぼんやりと空を仰いでゐたのでございます。

 何しろ倉敷美観地区といへば名だたる観光地ですから往來にはまだしつきりなく人や車が通つてゐました。
 門一ぱいに当たってゐる油のやうな夕日の光の中に老人のかぶつた帽子や女の金の耳環や男の持つ寫眞機が絶えず流れていく容子はまるで画のやうな美しさです。
 しかし狐は相変わらず門の壁に身を凭せてぼんやり空ばかり眺めてゐました。
 空にはもう細い月がうらうらと靡いた霞の中にまるで爪の痕かと思ふ程、幽かに白く浮かんでゐるのです。

 「日は暮れるしお腹は空くし、ぼんやりと生きてきて此の儘で佳いのかしらん? というぼんやりとした不安に襲われるし、こんな思ひをして生きてゐる位ならいつそ倉敷川へでも身を投げて死んでしまつて鯉の餌になつた方がましかもしんない」
 狐は獨りさつきからそんな阿呆な取りとめもない本気でない愚かなことを思ひめぐらしてゐたのです。

 すると何処からやつて来たか、突然狐の前へ足を止めた老人があります。
 それが夕日の光を浴びて大きな影を門に落とすとぢつと狐の顔を見ながら、「うぬは何を考へてゐるのだ」と突然に横柄に狐に言葉をかけました。
 「私ですか? 私は理由もなく不安な気分が治まらずほとほと困り果ててどうしたものかと考へてゐるのです」
 老人の尋ね方が急でしたから狐はさすがに眼を伏せて思はず正直な答えをしました。
 「さうか。それは可哀さうだな」
 老人は暫く何事か考へてゐるやうでしたが、やがて往來にさしてゐる夕日の光を指さしながら、「では我がうぬに好い事を一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つてうぬの影が地に映つたらその頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつとうぬの不安が治まるものが埋まつてゐる筈だから」
 「ほんたうですか」狐は驚いて伏せていた眼を挙げました。
 「嘘ぢや。その道は混凝土ぢや。掘れぬわ。ふおふおふおふお。早く家に帰つて飯をたらふく喰いぐつすりすやすや寝るがよい。ふおふおふお」
 不思議な事に老人の声はするものの老人は何処に行つたのか周囲にはそれらしい影は見当たりません。
 その代わり空の月の色は前よりもなお白くなつて休みない往來の人通りの上にはもう気の早い白鷺が寝床を捜してひらひら舞つてゐました。

 「揶揄われた。orz。見知らぬお爺さんに揶揄われてしまつた。orz。やれやれ」
 狐はやはり夕日を浴びて大原美術館の門の下にぼんやりと佇んで空ばかり眺めていたのでありました。
 「今日はたらふく食べて早くぐつすりすやすや寝やう」
 狐はそう呟いてやがて帰路についたのでございます。


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『日米通貨交渉2000日―大蔵財務官たちの闘い』/野口 均

2019年08月05日 21時13分29秒 | 小説・本に関する日記



 昨日の夜は、野口 均のノンフィクション『日米通貨交渉2000日―大蔵財務官たちの闘い』を読み返していました。

 1985年のプラザ合意は世界経済に大きな影響を及ぼした歴史的な合意だった。
 先進5か国による協調的なドル安を図る合意は円を国際決済通貨へと押し上げた。
 プラザ合意でその力を世界に知らしめた日米の経済官僚達。
 彼等はその後、時に協調し時に対立しながら世界経済を引っ張っていく……。

 日本ではバブル経済の兆しが見えはじめていた……。




 バブル経済の始まりから終わりまでの時期の日米の経済官僚達の交渉の過程が描かれています。
 交渉なので相手が当然います。
 ベストの選択をしたくても相手がいるので単独でのベストの選択は取れません。
 複雑に絡み合った双方の利害関係の中でお互いにWin-Winの関係を目指す。
 お互いに信頼しながらも殴り合いの交渉。
 外側からなら無責任に好き放題に述べることができますが、実際には出来ることと出来ないことがあります。
 この日米の通貨交渉は日本とアメリカの双方の国内政策にも影響を与えました。
 そして、日米の通貨交渉の過程で生み出されたものの中には意外なものがあるのです。
 中華人民共和国への巨額投資はプラザ合意後の日米通貨交渉の過程の余波と言えるのです。
 

 読み物としても非常に面白いです。
 専門的な知識は必要ありません。

 面白いですよ。
 お勧めです。


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厳しい状況に追い込まれるほど、選手は問題を解決しようと努力し発想が豊かになるものだ。故に悪条件下ではメンタルフィットネスの準備がとても重要になってくる。

2019年08月05日 14時42分58秒 | サッカーに関する日記





 昨日はJ2は第26節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、アウェのニンジニアスタジアムで愛媛FC様と対戦でありました。
 試合結果は、0-2で敗戦でありました。orz。


 酷暑の中での過密日程。
 知らないうちに疲労が溜まっているけれども自分では気が付かない。ということはよくあります。
 そんな時に陥る、頭がクリアに働いていると自分では思っているけれども実際にはほぼ何も考えることができていない、という状態は自分では気が付きにくいのです。
 周囲の人に声をかけて指摘されるとすぐに気が付きますが、周囲の人も同じような状態に陥ると(←つまり集団で疲弊した状態だと)声をかけることが少なくなり、それに有効な声のかけ方が少なくなります。

 2連敗であります。この連敗は忘れましょう。
 上手くいかなかった部分の原因だけを抽出して対処法を考えて、あとは忘れましょう。
 まだ上位陣との勝ち点差はわずかです。
 ここからでありますよ。

 次は楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。



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