8/15(日)、シネ・ウインドで「蟻の兵隊」を観てきました。
終戦後、軍の命令で残留兵として中国人と戦わされたが、帰国すると脱走兵とみなされ日本から何も補償をされなかった人達がいた。
その一人、奥村和一さんを追ったドキュメンタリー。
そもそも2006年の映画なのですが、去年の8月にシネ・ウインドで再上映され、その時に初めて観た映画でした。
そして今年は池谷薫監督の舞台挨拶もあるということで再び観に行ったのですが、2回見たことでより映画を深くできたし、また監督の反戦の言葉が強く胸に刺さったので、本当に行って良かったです。
映画の内容を書いていくと、奥村さんは国を相手に裁判を起こし、当時を知る戦友達を訪ね歩くものの、みんな高齢で寝たきりになっていて、裁判の結果を待たずに亡くなってしまう人も多い。
そこで中国にも何度も足を運び、現地の人達を訪ね歩き、軍の命令で残留兵になった人達がいたという証拠も探し出すのに、裁判では認められない。
また、奥村さんは日本から見捨てられた被害者であると同時に、軍の命令とはいえ中国人を殺した加害者でもあるという苦しみを抱え続けています。
でも、そんな奥村さんが中国で現地の人達から「あなたは悪い人には見えない」と言われる場面を見て、戦争がなければ奥村さんは戦争の加害者にも被害者にもならずに、こんなに苦しむこともなかったんだろうな…と思ってしまいました。本当に戦争は悲劇しか生まない。
また、映画の終盤で、そんな奥村さんが終戦記念日の靖国神社を見に行く場面で、戦争の恐怖を何も理解してないであろう勘違いミリタリーコスプレイヤー達の姿が、ひたすら居た堪れないなあと思いました。
また、そこで演説をする小野田寛郎さんに対して「侵略戦争を美化するんですか」と話しかける(そして怒鳴られる)場面も、奥村さんの意志の強さを感じました。
上映後、池谷薫監督の舞台挨拶で、奥村さんはこの映画が2006年に上映された時はまだ存命だったそうですが、その後、2011年に裁判の結果も出ないまま亡くなってしまったという話を聞き、、本当に無念という気持ちになりました。
また、監督の「奥村さんは映画の中に生きている」「右傾化する時代に奥村さんの戦争体験者の話は本当に貴重になっていく」という言葉に、せめてこの映画で、戦争に反対する人が一人でも増えればいいと思いました。
監督の話で知ったのですが、奥村さんは新潟の中条出身の方らしいのですが、でも、終戦から数年たってやっと帰国できた後は公安から逃亡兵、スパイ扱いされ、新潟に住めなくなり東京で暮らしたとのことです。
2006年に中条で上映された際は、まだ存命だった奥村さんも中条に来られた、ということもあったらしいです。
そして今はお墓が中条にあり、監督もお墓参りに行ってきたとのことでした。
そういう意味でも、シネ・ウインドでの上映や、池谷薫監督の来館は意味のあったことだったそうで、シネ・ウインドの井上支配人も毎年上映したいと言っていました。
それから、監督曰く、この映画では奥村さんを通して戦争の被害と加害の恐怖、両方を描きたかったとのことで、両方の歴史を知らないと戦争は理解できないと語っていました。
奥村さんのように、戦争は一生人を苦しませ続ける。軍備を強化しようとする時代に、そこまでして人に一生戦争を背負わせるのか、という監督の言葉が胸に刺さりました。
また監督は、森友学園の公文書改竄問題で自殺した財務省近畿財務局の元職員、赤木俊夫さんの妻・雅子さんが起こしてる裁判を例に挙げ、国に対して個人の尊厳を賭けた戦いであり、奥村さんとも重なるという話もされていました。
監督の反戦思想の根底にあるのは、当たり前かもしれないけれど人の命と尊厳を守りたい気持ちなんだなあ、と感じる映画と舞台挨拶でした。
そんな舞台挨拶のあと、監督が前にテレビのドキュメンタリーで出会った新潟のパン屋さんから差し入れのあんパンをもらったということで、観客の一人一人に配るというほっこりする一幕もあり、最後は監督の温かい人柄に触れられた上映と舞台挨拶でした。
そして、ちょうどこの日は終戦の日に観たので、帰りに黙祷して帰ってきました。