12/5(土)、6(日)に開催された、東区市民劇団 座・未来「みなとトンネルを抜けると~いつか笑える日のために~」最終日に観てきました。
感想を書いていこうと思うのですが、ちょっと長くなると思います。
単純に公演の内容についてと同じくらい、この新型コロナウイルスの時代にこうして演劇をすることについて、色々考えてしまったからです。
できるだけ誤解のないように、この劇団をどう僕が評価しているかという部分から書いていこうと思います。
そもそも、僕は東区市民劇団 座・未来さんの演劇を2012年くらいから大体観ているし、過去にはスタッフをしたりパンフレットに推薦文を書かせていただいたこともあるくらい、付き合いのある劇団です。
演劇の内容も、少なくともここ5年くらいは全部面白かったと思っているし、応援している劇団です。
この劇団の大きな魅力として、老若男女が出演できる多様性があると思うのです。
演劇の経験の有無にかかわらず、プロのタレントからアマチュア演劇人、普通の社会人や主婦だけど初めて演劇に挑戦した人、芸能界を夢見る子供たち、中には人脈を作りという下心で出演した人もいるとは思いますが…(主に公成とかいう奴 笑)それでも演劇をしてみたいと思ったあらゆる人を受け入れる懐の深い劇団が新潟にあることは、単純にいいことだと思うんです。
そして、そういう劇団全体の魅力がちゃんと演劇にも反映されていて、色々な出演者がそれぞれの魅力を舞台で発揮することが、演劇全体を豊かにしていたと思います。
また、演劇の内容も、演劇を好きな人も初めて見る人も誰もが楽しめて感動できる、いい意味で分かりやすくて演劇の楽しさを身近に感じられる内容だったのもこの劇団の魅力だったと思います。
世の中には選ばれたプロしかできないクオリティの芸術もあるし、難解だからこそ面白い作品もありますが、座・未来みたいに誰もが身近に楽しめる演劇があるのもすごくいいことだと思うんです。(いい意味でNoismの真逆みたいな)
出演者は毎回違うし、なんなら脚本家や演出家も違ったりする劇団ではありますが、そういう劇団の魅力みたいなものが一貫して続いてきていたのも良かったことだと思います。
なので普段なら今回も迷わず観に行く気でいたのですが、新型コロナウイルスの影響があり、正直ちょっと今回はチケットを買うまでに迷いがありました。
いや、ちゃんと感染予防をすれば安全だとは思うし、実際、客席を減らしたりチケットのシステムを変えたりの対応は徹底していて素晴らしかったと思うし、それは本当にお疲れ様と思っています。
ただ、正直僕は自粛警察ってほどじゃないけどかなりコロナに対しては慎重な気持ちがあって、この時期にあえて演劇をするべきなのか、観る必要があるのか、という部分に結構まだ自分の気持ちを決めかねている部分があるのです。
なのでかなり迷ったんですけど、先程も書いたような対策を劇団の皆さんが頑張っているという話も聞き、頑張っているなら応援したいなという気持ちから、やっぱり観に行くことにしました。
そんなわけでやっと演劇の感想なのですが、冒頭で全員がマウスガードを装着して出てきたのを見た時、おっ、これはいい演劇なんじゃないか!って思ったんですよ。
まあ、マウスガードの効果云々の問題はあるものの、少なくともやらないよりは絶対意味があるわけで、マウスガードしたまま演劇するって、この時代の演劇としてアリじゃないか!最先端なんじゃないか!って思ったんです。
それと、冒頭で出演者さん達が口々に2020年の新型コロナウイルスの時代を振り返る台詞とかも、ちゃんとこの時代に向けてやっている感じがしました。
座・未来って、新潟、特に東区の歴史や文化を題材にすることが多く、ただ演劇をやるだけじゃなくて、この時代に同じ新潟で生きている人達に向けて演劇をしているところが好きだったので、そういう意味でいいなと思いました。
ただ、マウスガードをしていたのは冒頭だけで、途中から普通にマウスガードなしで演技していたので、僕はずっとしていたも良かったんじゃないかなと思いました。(なんなら歴史上の人物も含めて)
そもそも演劇なんてそもそもフィクションであって現実とは違うリアリティラインで成立しているものなので、「これはこういうものです」ってことで全編マウスガード付きの演劇、アリだったと思うんですよね。(どうですか、演劇界隈の皆さん)
いや、出演者さん達はみんなちゃんと感染予防とかしていたとは思うから心配しすぎかとは思うんですけど、2020年を生きてきた今、「マスクをしていない人が目の前の舞台上で会話している」というのは、僕は想像以上に違和感を覚えるものでした。
目の前に実際に役者が存在いて実際に演技をしている、というのは、演劇だからこその面白さだとは思うんですけど、コロナ禍だからこその違和感も際立ってしまうんだなあという。
だから、テレビや映画というのはあくまで映像じゃないですか、だからこの時代に観ても全然平気なんだけど、生の舞台だと違和感を覚えてしまうという。
まあ、これは劇団がどうこというより時代がこうなってしまったからであって、感じ方は人それぞれだと思いますが、個人的に僕はそう思いました。(一応このあと、この公演が東区プラザホールの感染予防のガイドラインに則って安全に実施された、ということを知ることができたし、実際それで感染者も出ていなかったので、それで僕は少なくとも感激直後よりは安心してこの公演をとらえている、ということだけは、加筆しておきます)
で、ようやく演劇の内容に関する感想ですが、はっきり言うと、面白い、面白くない以前に、どういう話か分からなかったというのが正直なところです。
いや、正確に言うと、何がやりたいのかはなんとなく分かるんです。
2020年の東区に暮らす普通の家族や、タイムスリップしてくる新潟の歴史上の人物や、サンタクロースなどファンタジーの世界の住人など、あらゆる場面を行ったりきたりして、広い意味での群像劇を描く。
そして、そういう人達が最後にはみんなクリスマスに幸せになっていく、という物語だということは、理解できるんです。
でも、具体的にどういう登場人物がどういうことを考えていて、何をしたから何が起きて、みたいな「物語を楽しむ」という一番大事な部分がまったく伝わってこないから、登場人物に感情移入もできないし、物語の次の展開にわくわくすることもなかったんですよね。
物語がストレートに面白いというのは、この劇団の本当に大きな魅力だと思っていたので、ここは残念なところでしたね…
また、演劇で伝えたいメッセージがあるのも分かるのですが、それがほとんど台詞で説明されてしまっていたのが、本当に勿体ないなあと思いました。
演劇って、台詞で「悲しい」「楽しい」と説明されるから泣いたり笑ったりするのではなくて、物語に感動するから泣いたり笑ったりするわけで。
そういうのは、台詞ではなくて、物語やアクション(殺陣やバトルだけじゃなくて舞台上で役者が動くことは全部アクションだと僕は考えています)で伝えてほしかったですね。
何でそんなことを思うかと言うと、今までこの劇団はそういうことがちゃんと出来ていたと思うし、だからこそ応援していたので、本当にどうした座・未来…!?と思ってしまいました。
だから正直僕はかなり低評価なのですが、ただ、新型コロナウイルスの影響で稽古が思う通りに出来なかったんだろうな…と思う部分もあるので、あまり酷評もしたくない気持ちもあります。
また、舞台上でソーシャルディスタンスを保つために思った通りの演出ができなかったこともあったと思うし、他にも色んな感染対策を頑張ってきたのは本当にお疲れ様だと思うし、そう考えるとこうして低評価とか言うのはちょっと悪いなという気持ちもあります。
とは言え、ずっと応援してきた劇団なのでわざわざ社交辞令で褒めたりするのも逆に失礼だと思うし、そもそもそういうこと自体が気持ち悪くてできない人間なので、正直に書くことにしました。
あと、これだけ大きな劇団だと脚本、演出、役者などどこに問題があったのか僕には判断できないのですが(そもそもそういう劇評のプロでもないし)、あくまで観客の一人として僕の主観として書きました。
で、ここからさらに話を進めてセンシティブな内容になるのですが、そもそもこの新型コロナウイルスの時期に、出演者や関係者も今までのように思う通りに動けない状態で、こうして演劇をすることが正しかったのか、という疑問も正直あるんです。
もちろん僕は、演劇などの文化は人間にとって大切なものだから不要不急とは思っていないし、何もかも自粛しろみたいなのもかえって不健全だと思います。
それに、こういう災害みたいな状況で、例えば予算も環境も不十分な中で突貫工事みたいに初期衝動を大切にして表現するからこそ人の心を動かす作品だって世の中にあるとは思うんですけど、準備にも時間がかかり関係者も多くて会場の規模も大きい演劇という表現が正解だったのか、と思うと、よく分からないのです。
演劇は全部自粛しろ!とは思わないし、座・未来だって感染予防に気を付けながら可能な範囲でやっていけばいいと思っているのですが、それで今回のように劇団がずっと持っていた魅力が損なわれてしまったら意味がないと思うし、少なくとも、今回の公演はそうなってしまっていたように僕は思ってしまいました。
だから、今はしばらく休んで、もっとじっくり時間をかけて準備して、コロナが収束してからあらためてちゃんと開催する、というやり方でも、全然良かったんじゃないだろうかと、個人的には思いました。
でも、演劇の内容的に、コロナ禍の2020年だからこそ表現したかったことなんだと思うし、あと物語の中にサンタクロースが登場するのでどうしても12月中にやりたかったんだろうなとも思うし、タイミングとかもあるし一概に延期すれば良かったってものでもないと思うので、そう考えれば感がるほど正解が分からなくなってしまうわけですが…
ただ、コロナ禍における演劇というのは、少なからずこういうモヤモヤを抱えるもの(もしかしたらこの先しばらくも)なのかもしれません。
もちろん、こういうことを僕が書いたところで座・未来という劇団を否定したいわけではないし、出演者、関係者の皆さんには本当にお疲れ様でしたと思っています。
そして今後、コロナが収束するのがいつになるか分かりませんが、いつの日かあらためて安全に楽しく演劇ができる日が戻って来ることを願っております。
ここまで書いて気付いたのですが、もしかしたら僕がこの演劇を今までより楽しめなかったのは、コロナの影響で演劇の面白さが失われたというよりも、コロナの影響で僕が色々なことに気になってしまって、演劇の内容を今までみたいにじっくり楽しめなかったのかもしれないな…と思えてきました。
まあ、こういうのは個人差があるんだと思いますが、僕がそういう人間だったのかもしれないなということで…なので、そういう意味でも、前みたいに演劇を素直に楽しめる時代がまた来てほしいですね。