舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

ながおか映画祭「マイスモールランド」観てきました。

2023-09-18 23:30:49 | Weblog


9/18(月)、ながおか映画祭で「マイスモールランド」を観てきました。
もともと2022年の映画で、評価が高かったのに観逃していたのでありがたい上映の機会でした。







主人公は、埼玉県で暮らすクルド人一家の長女のサーリャ。
高校に通い、将来のために家族に将来のために内緒で東京のコンビニでバイトをしながら、家では家事をしたり、母校の小学校で弟の担任から呼ばれたら父と共に同席するなど、家族を支えます。

ちなみにサーリャ役の嵐莉菜さんはクルド人ではなく日本人とドイツ人のハーフで、お父さんはイラクやロシアにルーツを持つ元イラン人の日本人。
そんなお父さん含め、この映画のサーリャの家族は本当に嵐莉菜さんの家族が出演しているそうです。

そんな嵐莉菜さんのお父さんが演じるサーリャのお父さん(ややこしい言い方)は、クルド人である自分に誇りを持てと言うが、サーリャはクルド人であることを周囲に隠しドイツ人だと名乗るという、複雑な心境を丁寧に描きます。
サーリャは、東京でのバイト中にも買い物客に「美人ねえ。外人さんなのに日本語上手ねえ」という悪意はないが配慮もない言葉に傷付いたりと、外国人が日本で暮らす時の違和感を繊細に感じ取ってしまう。

また弟も、小学校に馴染めずに、自分は宇宙人であると言い出してしまうなど、自分の国籍やアイデンティティに対する戸惑いが感じられます。
父とサーリャは日本語もクルド語も話せますが、おそらく幼少期に日本に移住したであろう弟と妹は日本語しか話せず、家族の中にも言語や価値観の違いがあります。

そんなサーリャにとって、数少ない心を許せる相手は奥平大兼さん演じるバイト先の聡太で、彼にだけは自分がクルド人であることを打ち明けます。
しかし、聡太の「クルド?知らないな…」という何気ない言葉に微妙に傷付く場面なども繊細に描きますが、それでも2人は惹かれ合います。

サーリャが聡太を自宅に連れて行く場面は、サーリャがバイトをしていることを父に隠すために、父にクルド語で「彼は埼玉の高校の友達でクルドのことを調べている」と説明し、父にも聡太にも嘘をついて紹介します。
信頼している父にも聡太にも、どちらにも秘密にしないといけないことがあり、2人に同時に嘘をつく、それを日本語とクルド語の違いを使って表現する、見事な場面だったと思います。

そこで、父は聡太に、クルド人は戦争で国を失い、トルコ、イラン、イラク、シリアの4か国に分断されて住んでいることを語ります。
ここで聡太は初めて知るクルド人の現実に静かに驚くのですが、同時にクルド人をよく知らない観客も聡太と一緒に「知らなかった…」と現実を知る場面。

また学校では、同級生が無邪気に高校生らしく遊んだり「進学どうするー?」と話したりするのに対し、サーリャは普通の生活すらままならないからこそ愛想笑いで合わせるしかない、そのギャップも切ない。
また担任の先生は「努力は必ず実る!」と言うが、それは日本人だからできることなんだよな…

在日クルド人の方がいかに日本で不自由な生活を強いられているか、日本人である自分がいかに恵まれた立場にいるかを痛感します。
サーリャは埼玉の町の人々からクルド人に向けられる迷惑そうな視線も繊細に感じ取ってしまい、静かに傷付きながら生きている。

その違和感はある日、難民申請の不認定、在留資格の喪失という形で大きな障害へと変わってしまう。
在留資格を失えば不在滞在となり、労働は禁止されてしまう上に、他県への移動も禁止されてしまう。

父が抗議をしても、「決まったことなので私の立場からは何も出来ません」と語り、目の前で入国許可証を破壊する職員、あくまで業務上仕方のないこととはいえ、あまりに残酷な現実。
その帰り道、もう先行きが見えないのに、それでも家族でラーメンを食べに行って家族を楽しませようとする父が「最後の晩餐」みたいで切ない。

父は生活のためにやむを得ずクルド人であることを隠して働き続けるが、ある日それが発覚して逮捕され、入管に収監されてしまう。
サーリャは父に代わって弟と妹を支えるが、労働も県外への移動も禁止なのでバイトを辞めざるを得なくなり、家賃も払えなくなり、どんどん追い詰められていきます。

在留資格を失ったら労働は禁止されるって、本当にどうやって生きればいいんだよ…
しかもこの物語のサーリャたちは、母国では戦争があり、母は亡くなり、帰国も困難なわけで、よくある「強制送還しろ」がいかに暴力的か分かります。

個人的に好きなのが、藤井隆さんが演じるコンビニ店長が、こうなった以上もう働いてもらうことはできないとサーリャを解雇するのですが、最後のバイト代をちょっと余分に払ったり、最後の餞別のようにお店の商品いくつか持たせる場面。
立場上何もしてあげられないけれど、心の中ではせめてこのくらいは助けになりたい、でもだからと言ってできることは少ないという、切ない場面です。

県外への移動が禁止され、埼玉と東京の県境をまるでサーリャたちを閉じ込める国境のように描きます。
そんな国境を越えて会いに来てくれる唯一の理解者である聡太の存在がいかに大きく、サーリャにとって救いになるかが分かります。

とはいえ、友人が遊び半分でやっているパパ活を知り、生活費のためにやらざるを得ない状況に追い込まれ、しかも断れば外国人と差別される場面など、本当に観ていてつらい。
そんな中、父がまさかの自分を犠牲にするような危険な決断をしますが(随分内容を書いてしまったが、ここだけはネタバレを書かないでおく)、それが本当は子供達を守るためだと平泉成さん演じる弁護士から最後に明かされます。

この父の苦渋の決断も、それ以外に選択肢がないような立場に追い込まれている難民を巡る現状が浮き彫りになり、素直に感動できないものです。
そして弁護士も家族の味方ではありつつも、できることには限界があるという、難民を巡る日本の制度の難しさを突き付けます。

フィクションとはいえ、行き場のない日本における難民問題を突き付ける映画でした。
それでも弁護士や友人の聡太など理解者の存在がせめてもの救いのように感じられる映画でもあり、自分はそういう人間になれるのか、観客の一人一人に問い掛けている映画だと思いました。



上映後、長岡市国際交流センター「地球広場」センター長の羽賀友信さんが、クルド人は第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し分割されたことで、トルコ、イラン、イラク、シリアの4か国に分断されて民族同士が会えないこと、そして、それぞれの国で迫害を受けているために難民となっている人が多い、という現状を解説。
そして難しいのは、日本はトルコと親交が深い(エルトゥールル号遭難事件の影響もある。「海難1890」を見よう)からこそ、クルド人の難民には日本を頼る人が多い一方で、日本政府はトルコ政府と関係が深いが故に批判的な主張を避ける現実もあり、クルド人の難民の受け入れが日本で進まないことを知る。

「マイスモールランド」はフィクションですが、そのあとに現実を知るとさらに問題の深刻さが伝わる上映会でした。
自分に何ができるか分かりませんが、せめてこの現実を知り、難民の方に寄り添える人が一人でも増えればと思います。
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