http://the-liberty.com/article.php?item_id=9174 より転載
日露戦争がすごい理由【陸軍編】 世界史上の奇跡と評される日本軍の活躍
今から、111年前の1904年2月8日、日露戦争が勃発しました。この戦いは、有色人種が初めて白人に勝った「世界史上の奇跡」と評され、一気に日本が世界の大国に上り詰めるきっかけになりました。
しかし、当時の日本は何がすごかったのか、を知らない人も多いのではないでしょうか。そこで陸軍編と海軍編の2回に分け、そのすごさに迫ってみます。
日露戦争は太平洋戦争よりもすごい!?
戦争が始まる前、世界中は日本が勝つことを予想していませんでした。それは、開戦直前の戦力を比較すれば、一目瞭然です。
- 国家予算は、日本が約2億9千万円、ロシアは約20億8千万円。
- 戦費は、日本が15億円、ロシアは22億円。
- 動員できる兵力は、日本が100万人、ロシアは200万人。
- 軍艦の総排水量は、日本が約22万トン、ロシアは約80万トン。
この比較にピンとこない人もいると思いますが、実は、これは太平洋戦争で戦った日米の戦力差を超えています。つまり、日露戦争当時の日本は、太平洋戦争の時よりも劣勢の状況で、ロシアを破ったわけです。
日本軍は戦の常識を覆した
こうした中、日本は奇跡のように連勝を続けます。特に知られているのは、世界最強と謳われたコサック騎兵隊に対し、機関銃で応戦して破った秋山好古の戦い方でしょう。その他にも、第一軍総司令官の黒木為(くろき・ためもと)大将による目覚しい活躍がありました。
黒木は、現在の中国の遼寧省に位置する沙河(さか)で、1連隊の兵をロシアの正面に当たる太子河の川岸に並べ、あたかも黒木軍の主力がそこにいるように見せかけました。一方、2万人の兵を迂回させ、夜陰に乗じて一気に河を渡り切り、奇襲攻撃する作戦を立てました。しかし、この作戦は、1812年のロシアとの戦いで、ナポレオンのフランス軍がベラルーシのベレジナ川を渡河した際に惨敗したことから、「愚策」と思われていました。当時は、渡河するにしても、少数で行うのが戦の常識でもありました。
しかし、黒木はこの作戦を見事に成功させたことで、これを見ていたドイツ軍の観戦武官ホフマン大尉は、黒木の手をとり「私はこれほど尊い教訓を受けたことはなかった」と賞賛。後にホフマンは、第1次世界大戦でロシアと戦ったタンネンベルグの戦いにおいて、黒木の戦い方を真似て大成功を収めました。
一方のロシア国内では、この戦いで戦死者4万人の大敗を喫したことにより、政局の対立が激化し、1917年に同国を支配していたロマノフ朝が崩壊する「二月革命」が起きる火種となったのです。
つまり、ロシア革命の遠因は日本軍の活躍と言っても過言ではありません。
日本軍は電話や無線などの最新技術を使用
また、日本軍はロシアに無謀な突撃を繰り返し、死体の山を築いたというイメージがありますが、それは誤解です。
当時の機関銃は重量が重く、持ち運びには適しません。動き回るのであれば、弾を連発できる小銃は最適であり、突撃は最後の最後まで行いませんでした。また、当時の最先端であった電話や無線、観測気球、手榴弾(しゅりゅうだん)などを使用するなど、新しい技術は何でも試しました。その過程で、戦の常識を覆す戦いにつながり、結果的に世界中を驚かせたのです。
日露戦争は日本人として誇るべき歴史なのです。(山本慧)
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