すべての人が恐怖を心に描いたならば、
http://voicee.jp/201406019552
夫の死の悲しみを乗り越えて
「あなたが天国に旅立ってから、もうずいぶん経ちましたね。私も2人の息子たちも元気にすごしています。あなたも天国で、幸せに暮らしていますか?」
私は今、こうして笑顔で、天国にいる夫のことを想うことができます。
最愛の人を失い、一時は何も手につかなくなった私が、どのようにして悲しみを乗り越えていけたのかを、お話させていただきたいと思います。
余命宣告
「残念ながらご主人は、肺ガンの末期の状態です」
脇の下の腫(はれ)に気づき、念のために受けた検査。夫も同席するなかでの医師の告知に、私は愕然としました。
(何かの間違いに決まってる。毎年、人間ドックだって受けてるんだから!)
医師の説明では、ちょうど肋骨の陰に病巣があり、健康診断では見落とされていたということでした。さらに、リンパ節に転移したため、短期間で脳にまで遠隔転移。「運が悪かった」と言われました。
夫のいないところでは、「余命3カ月から半年」とも――。
まだ42歳の働き盛り。長男は中学受験を控え、次男は小学3年生です。
(どうしてなの? 私たち、何も悪いことはしてないのに。どうしてパパなの?)
頭の中が真っ白になりました。
押し寄せる後悔
夫のYとは、お見合い結婚でした。
「親孝行で優しそうな人だな……」。彼の誠実な人柄に惹かれました。お見合いの2カ月後には結納を交わし、翌年結婚。2人の男の子にも恵まれ、絵に描いたような幸せな結婚生活を送っていました。
それが一転、結婚13年目にして、突如苦しみのどん底に突き落とされたのです。
確かに、夫には喫煙の習慣がありましたし、発病した頃は仕事でもかなり無理を重ねていたようでした。自動車メーカーの輸出担当で海外出張も多い上、不況による人手不足で、帰宅が深夜1時、2時になることも珍しくなかったのです。
正直、「こんなになるまで、働く必要はあったの?」と会社を恨みました。
しかし何よりも、妻である自分を責めました。「毎日顔を見ていたのに、どうしてもっと早く異変に気づいてあげられなかったんだろう……」。悔やんでも悔やみ切れませんでした。
しのび寄る死の影
「絶対に治す方法があるはずだ」。私は連日、「ガン」と名の付く本を読みあさり、民間療法や健康食品も調べ尽くしました。しかし、必死の努力も空しく、病状は日に日に悪化。
食欲も落ち、リンパ節が腫れて左腕が不自由になり、かつての元気な姿は見る影もなくなっていきました。
人前では決して不平や不満を口にしなかった夫が、ある時つぶやいた言葉が忘れられません。私に支えられながら病室を移動していた時、ふと鏡に映った自分の姿を見て一言、「みじめな自分……」と。
働き盛りで一線を退かなくてはならない悔しさ。幼い子供たちを遺していく不安。どれほど無念であったことでしょう。明らかに「死」に向かっている夫を前に、私はかける言葉を失っていきました。
一条の光
そんな、八方ふさがりの時です。母の友人で幸福の科学会員のTさんが、私たちの状況を聞き、金沢から『太陽の法』という幸福の科学の書籍を送ってくださったのです。
何か夫を励ます言葉が見つかるかもしれないと思い、読み始めました。
「人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております」
「人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです」(『太陽の法』より)
(永遠の生命? あの世? もしあの世があるとしたら、万が一、パパが亡くなっても、あの世でまた会えるってこと?)
すぐに確信は持てなかったものの、「死は永遠の別れではない」と思うと、絶望していた心が少し和らぎました。
Tさんにお礼の電話をすると、とても優しくお話ししてくださいました。「仏はいつも見守ってくださっているからね。つらいときほど、側で支えてくださっているからね」。その言葉に、どんなに勇気づけられたことでしょう。
この執着がパパを苦しめているの?
ガンの告知を受けてから1年ほど経ったある秋の日、病院へ向かう電車の中で、1枚の広告が目に留まりました。映画「太陽の法」の広告でした。
「これTさんが言ってた映画だ。観てみたいな。でも、病院に通わないといけないし、無理よね……」
そう思った2日後、自宅に1通の手紙が届きました。夫の元同僚の方からで、開けると、なんと映画「太陽の法」のチケットが2枚入っていたのです。
これも何かのご縁と思い、次男を連れて観に行きました。
人類の歴史を描いた壮大なストーリーに、はじめから引き込まれました。なかでも、お釈迦様が悟りを開くシーンは、今でもはっきりと心に焼きついています。
「家族を思う人間的な心であったとしても、それが執着となれば苦しみの原因となる。なにものにも執われず、小川の水のようにさらさらと流れていく境地に入っていくことだ……」(映画「太陽の法」より)
まるで自分のことを言われているようでした。(「一日でも長く生きてほしい」という思い、これは私の執着なのかもしれない。この執着が、私だけでなく、パパも苦しめているのかな……)。涙をこらえることができませんでした。
その後も、「もっと生きてほしい」という思いはなくなりませんでしたが、同時に、 「どうか夫の魂を救ってください」と願う気持ちが大きくなっていきました。
同じ境遇の友
幸福の科学に救いがあると感じた私は、Tさんの紹介で、東京の支部を訪ねました。支部長さんとスタッフの女性が、親身になって話を聞いてくださり、病気平癒のお祈りをしてくださいました。
そして帰り際に、「せっかくなので何かお土産を」と、小冊子の「ザ・伝道」をくださったのです。
家に帰って読んでみると、Mさんという方の手記が載っていました。
(Mさんて、あのMさん? 幸福の科学の会員だったんだ)
Mさんは、一緒にPTAの役員をしたこともあるご近所さんです。Mさんも、3人のお子さんを抱えてご主人をガンで亡くされていたのですが、信仰によってその悲しみを乗り越えた体験が紹介されていたのです。
「こんな近くに同じ境遇の知り合いがいたなんて」と、深いご縁を感じました。
ついにその時が
私が希望を取り戻していく様子を見て、夫も幸福の科学の書籍を読み始めました。『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』『仏陀再誕』。筋力が落ちて、本が持てなくなると、御法話のCDを聴きました。
「あの世はある」と信じることだけが、私たち夫婦の唯一の救いだったのです。
その年の12月、自宅で療養していた時、夫がふと言いました。
「ママ、あの世で会おうね」
夫は自分の死期が近いことを悟っていたのでしょう。その2日後に、容態が急変――。
そして、年が明けた1月2日、家族が見守るなか、夫は安らかに息を引き取ったのです。舅が「人に自慢したくなるくらい、きれいな顔だ」と言うほど、美しい死に顔でした。
安らかに旅立ったことはせめてもの救いでしたが、いざ現実に夫の死に直面すると、生身を引き裂かれる思いでした。
「パパ、息して。息してよ!」。私はベッドのかたわらに泣き崩れました。
葬儀の間も泣き通しでしたが、火葬され、炉から出てきた遺骨を見た瞬間、「ああ、これでもう元に戻れない!」と。涙があふれて止まりません。私の足元には、小さな水たまりができました。
1人じゃないからね
やがて、冬休みも終わり、子供たちは学校へ、手伝いに来ていた両親も金沢へと帰っていきました。日中、家に1人になった私は、「これで思い切り泣ける」と、「わーっ」と声を上げて泣きました。
と、その瞬間、背中から、「ママ、ママ」と呼ぶ声がしたのです。(えっ?)と思ってふり返っても誰もいません。
(今のは確かにパパの声だ。心配して側にきてくれたんだ……)
四十九日が過ぎるまでは、故人の魂はこの世に留まるといいます。
「私がいつまでも泣いていたら、パパは安心してあの世に旅立てないかもしれない。パパのためにも、子供たちのためにも、がんばらなくちゃ」。自分で自分を励ましました。
しばらくして、「ザ・伝道」に載っていたMさんから、電話がありました。
葬儀にも参列してくださったMさんは、私の様子を心配して、支部に誘ってくださったのです。
「幸福の科学の教えと、Tさんたちの優しさに救われた」と実感していた私は、その時、入会しました。
支部の皆さんはとても温かく、とくにMさんは、「1人じゃないからね。私は100%あなたの味方だからね」と、いつも側で支えてくださいました。
夫の愛に気づいて
多くの人の愛に支えられ、生きる力を取り戻していった私は、3カ月後には仕事を始めることができました。ありがたいことに、夫の上司が私たち家族の生活を案じ、同じ会社の事務の仕事を紹介してくださったのです。
15年間専業主婦だった自分が正社員になれるとは、夢にも思いませんでした。一時は恨んだ会社に、実はずっと支えられていたのだと気づかされました。
また、実際に不況下の中堅男性の仕事ぶりを目の当たりにして、夫がいかに厳しい環境で働いていたのかを知りました。
常に120%を求められ、上司から厳しく叱責される。体調が悪くても無理を重ねてしまう。家族のために身を粉にして働いてくれていた夫の愛に気づき、深い感謝と尊敬の思いが湧いてきたのです。
奇跡が起きた日
夫への感謝を形に表したいと思った私は、その年の9月、支部で夫の「永代供養(えいたいくよう)」を申し込みました。そして同月、幸福の科学の総本山・正心館(栃木県宇都宮市)で「総本山・先祖供養大祭」に参加したのです。
今思えば、それが私の人生のターニング・ポイントだったと思います。
正心館に到着して礼拝堂に入ると、運良く前の方に1、2席空席がありました。
席に案内されて間もなく、突然、「本日は、大川隆法総裁先生より御法話を賜ります」と、アナウンスが流れました。私は、仏の説法を直接拝聴するという奇跡の機会に巡り会えたのです。
総裁先生が御登壇されると、一瞬にして、礼拝堂全体がなんともいえない清かな空気に包まれました。(悟りたる方というのは、こんなにも清らかで尊いものなんだ……)。
初めて拝見する総裁先生は、とても神々しく光り輝いていました。
御法話は、死後の導きのお話でした。
「あの世に還って初めて、生き通しの魂があるということを知った人は、ほんとうにびっくりします」「だから、できれば生きているうちに、知っていただきたいのです。何かこの世で縁を持っていただきたいのです。教えが書かれている本を一回読んだことがある、それだけでも悟りのよすがなのです」(法話「『総本山・先祖供養経』講義」より)
仏の慈悲深さに、私はただただ号泣しました。
「パパの魂も仏が救ってくださる……」。夫も隣で、仏と出会えたことを一緒に喜んでいるような気がしてなりませんでした。「パパのことは、もう仏にお任せしよう……」。
苦しみを通して得た魂の宝
それから1年経ち、2年経ち、「永遠の生命」の確信が深まるほどに、私の心の傷は癒されていきました。
夫との死別は、本当につらく苦しい体験でしたが、この経験を通して、私はたくさんの魂の宝を得ることができました。
他の人の悲しみや苦しみ、とくに愛する人を失うつらさは、実際に経験しなければ、本当の意味で理解することはできなかったでしょう。
また、私を支えてくださる多くの人の優しさにも、気づくことができました。そして、自分もまた、大切な人たちの力になりたいと思えるようになったのです。
あなたに会えてよかった
ある時、自分の人生をふり返っていて思いました。
「私は夫を亡くしたけど、TさんやMさんをはじめ、支えてくれる人がいる。子供たちもいる。両親もいる。健康で、仕事もある。私に欠けているものを数えたら片手で十分だけど、与えられているものを数えたら、両手両足を使っても足りない。私は本当に幸せ者だ」と。
夫と過ごした日々をふり返って、私は今、心から言うことができるのです。
「あなたと結婚できて、私は本当に幸せでした。私があの世に還ったとき、笑顔で再会できるように、あなたから合格点をいただけるように、私は残された人生を精一杯生きていきます。あなた、本当にありがとう。天国でまた会いましょう」
幸福の科学 公式サイト https://happy-science.jp/whats-happy-science/
http://voicee.jp/201407059980
40歳の若さで亡くなった妻
数年前、5人の子供と私を残して、妻のHが40歳の若さで、がんで亡くなりました。もし信仰がなかったら、私は悲しみに暮れ、仕事も手につかなかったでしょう。
しかし、今、私は心に希望を抱いて生きていくことができます。それは、「人生はこの世限りではない」ということを確信しているからです。そして、あの世から見守ってくれている妻の存在を感じているからです。
妻の死を通して、私が感じ、学んだことをお話ししてみたいと思います。
突然の余命宣告
「お父さん、私、がんだって……」
ある春の日のこと、妻が不安そうな声で会社に電話してきました。
「最近、胸のあたりが苦しい」と体調不良を訴えていた妻が、病院で受けた検査の結果でした。病名は「スキルス性胃がん」。進行が早く、治療が難しいと言われている胃がんだそうです。
「すぐにでも入院して、手術しましょう。胃の3分の2を切除すれば、治癒の可能性もあります」
医師の強い勧めにしたがって、手術することになりました。ところが、手術が終わって医師に呼ばれると――。
「残念ですが、奥さまのがんは予想以上に進行し、周辺の臓器もすでにがんに侵されていました。胃は全体を摘出しましたが、すべてのがん細胞を取り除くことは不可能でした。余命は……あと、1カ月から半年です」
あまりのショックに言葉も出ません。
医師の説明を聞きながら、「どうして今まで気づいてやれなかったのか」と申し訳なさに涙があふれるばかりでした。
「生命は永遠」と知ってはいても……
私たち夫婦は、幸福の科学の信者です。人間の本質は霊であり、死んで肉体が滅んでも、あの世に還って新たな生活が始まると学んでいます。
しかし、実際に妻の死が迫っていることを告げられると、私はすっかりうろたえてしまいました。
しっかりしなければ――。そう自分に言い聞かせて、妻の病室に向かいました。手術前、妻から「手術の結果は隠さずに伝えてほしい」と言われていたので、私は医師の説明を彼女に伝えました。
「気をしっかり持って頑張るんだぞ」と言いながら、自分が動転しています。
「お父さん、大丈夫よ。心配しないで。何があっても私は仏を信じているから。でも、あと4、5年は生きられるように頑張るからね」
妻は全く動じることなく、いつもの笑顔で、逆に私を励ましてくれました。病名を告げられてから、手術を受けるまでの間に、心の整理をし、覚悟を決めていたようです。
しかし、私にはとてもそのような不動心はありませんでした。
優しかった妻
妻は高校時代の同級生で、当時から付き合い始め、24歳の時に結婚しました。
私は運送会社の営業職で、朝から晩まで忙しく、結婚当初から家庭を顧みる余裕はありませんでした。
「もっと早く帰ってこれないの」と時々こぼしていた妻でしたが、幸福の科学の信仰に出会ってからは「お仕事、遅くまでおつかれさま」などと、ねぎらいの言葉をかけてくれるようになりました。
その変化に驚き、幸福の科学に興味を持った私は、妻の勧めで入信しました。そして、仕事で問題につきあたったときなどに、『常勝思考』や『仕事と愛』などで説かれている成功論や仕事論を実践し、少しずつ教えの素晴らしさを実感していきました。
しかし、今振り返ると、当時の私は、仕事のため、成功のために仏法真理を学んでいたようなもので、確かな信仰を持っているとはいえない心境でした。
一方、妻はもっと深いところで、仏の慈悲を感じていたのでしょう。信仰に出会ったことで、本当に強くて優しい女性になりました。
家庭では私や子供たちにいつも笑顔で接してくれ、「ありがとう」という感謝の言葉を絶やしません。
子供の母親同士の人間関係の中でも、何か揉め事が起きれば仲裁に入り、人のことは絶対に悪く言わず、いろいろな人に頼りにされていたようです。伝道にも熱心で、友人・知人に仏法真理の本をお勧めする手紙をよく書いていました。
自宅療養のため5月に家に戻ってからも、妻の優しさは全く変わりませんでした。「お父さん、身体大切にしてね」と毎日笑顔で送り出してくれる妻に、私も笑顔で応えました。
しかし、私の心の中は、数カ月のうちに妻を失うことになるかもしれないという不安と悲しみでいっぱいだったのです。
父の日の手紙
自宅療養が始まって1カ月ほど経った6月中旬の父の日のことです。
「これ、お父さんへの感謝の気持ち」と、妻が手紙をくれました。
「Kさんへ。いつも家族のために、お仕事頑張ってくれてありがとうございます。(中略)Kさんの優しさ、励ましに支えられて、今の私があると思います。Kさん、家族、幸福の科学の仲間たち、数多くの方々の愛に気づかせてくれた、仏の慈悲に深く感謝いたします。この生命を正しく全うし、来世でもまたKさんとご縁がありますように……」
涙で、手紙の文字がにじみます。あふれてくる涙を拭いながら、何度も何度も読み返しました。私は、手紙に込められた妻の強い信仰心に、改めて目を覚まされた思いでした。
妻は、心から仏を信じ、その信仰心の輝きで私や子供たち、そして身近な人たちを照らしていました。 自分の身を案じるより、周りの人たちの愛に感謝し、そして何より仏に感謝して、許される限りの生命を全うしようとしている……。
私は、妻を失うことを悲しんでばかりで、自分のことしか考えていませんでした。悲しんでばかりいるのは自分勝手なことだと気づき、私も仏を信じ、信仰を拠り所として、妻をあたたかく支えていこうと思えたとき、悲しみでいっぱいだった心に、一条の光が差し込んできたような気がしました。
それからの私は、悲しみや絶望にさいなまれそうになる自分の心を、仏に祈り、仏法真理を学ぶことで励ましながら、自宅療養を続ける妻を心身ともに支えていきました。
再入院
療養生活を送りながら、病状は徐々に悪化していきました。8月下旬になると、腹部の痛みや倦怠感でつらそうな顔をしていることが多くなりました。
そして9月に入ってすぐ、妻は耐えられない痛みに自宅で倒れ、救急車で運ばれて再入院することになったのです。
「再入院になったら、もう家には戻れません」と医師から言われていました。いよいよ最期のときが近づいてきたことを私は覚悟しました。
私は仕事の都合をつけながら、毎日のように妻の病室に足を運びました。
「お父さん、いつも、ありがとう」
私が行くと、妻は必ずやせた頬に微笑みを浮かべて声をかけてくれます。
夜中の付き添いにいけば、「少しでも眠ってね」と忙しい私の身を心配してくれました。激しい痛みと倦怠感で、人の身を気遣えるような状態ではないはずなのに……。
私も、悲しみをこらえながら、できるだけ明くふるまい、「少しでも楽になるように」と願いながら、幸福の科学の書籍を読んで聞かせたりしていました。
やがて衰弱が進み、妻は話すこともままならなくなっていきました。
入院して2週間が過ぎたある日の午後。いったん、会社に戻った私に病院から電話がかかってきました。
「すぐ病院に来てください」
急いで子どもたちを連れて病院にかけつけました。
医師や看護師に囲まれ、酸素マスクをつけられた妻が、目をつむってベッドに横たわっていました。
私と子供たちが妻の手を握ると、妻は少し薄目をあけて微笑んでくれました。子供たちは、皆泣いています。
「今まで世話ばかりかけてごめんな」
私が泣きながら謝ると、妻は微笑んだままゆっくりと首を横に振りました。
そして、震える手で酸素マスクをはずし、何かを言おうとするのです。
「子供たちのことが心配なのか?」
そうたずねると、妻は、「そうではない」というように、ゆっくりと首を横に振りました。
「あ・り・が・と・う」
声にはなりませんが、そう唇が動きました。その言葉を最後に、妻は穏やかな笑顔を浮かべたまま、静かに息を引き取りました。私たちは、ただただ泣くばかりでした。
妻からのメッセージ
帰天式(幸福の科学式の葬儀)には、700人もの方が参列してくださいました。いつも穏やかで、誰に対しても優しく接する妻には、多くの友人がいたようです。
私は、信仰深く生きた妻の思いを伝えようと、妻の友人たちに幸福の科学の教えを紹介していきました。しかし、そうして前向きに努力しているつもりでも、一人になると何とも言えない寂しさや自責の念が襲ってきます。
亡くなってちょうど30日目、納骨を済ませた日の明け方、まだ暗いうちにふと目を覚ますと、空色の服を着て、にこにこと笑っている妻の姿が見えました。
「H、今、どこにいるんだ?」
「天国の手前で、あの世について勉強しているところよ」
いつもの優しい笑顔で答えてくれました。
死後まもない霊は、霊界の入り口であの世について勉強してから、それぞれの心境にふさわしい世界に還ると、仏法真理では説かれています。
「H、やっぱりあの世は、本当にあるんだな」
「あるよ。絶対にあるよ」
「じゃあ、あと40年くらいたって、俺も無事、この世での人生を終えて、あの世に還ったときは、お前迎えに来てくれよな。そして、来世、生まれ変わるときには、また一緒になってくれよな」
「うん。約束よ」
そう言った妻の姿がすーっと消えていき、はっと気がつくと朝になっていました。
その後も、四十九日を迎えるまでに、何人もの親戚や友人の方から「Hさんと夢で会いました」「Hさんの声が聞こえました」と言われました。
肉体は死んでも、現実に魂は生き続けている。人間は、この世限りの存在ではなく、この世とあの世を転生輪廻しながら、魂を磨いている存在なのだと実感しました。
自分の死を見つめながら、信仰のもと最期まで強く生きた妻の姿。そして、あの世からのメッセージ。これらの経験を通して、私は少しずつ穏やかな心を取り戻していくことができたのです。
限りない感謝を込めて
妻が亡くなってから、私は、10人の方を幸福の科学の信仰に導くことができました。その中には、「Hさんの姿を見ていて、素晴らしい宗教なんだろうと思っていました」と言って入信された妻の友人もいます。
実は、再入院することになる前の晩、妻と私はこんな話をしていました。
「私、お父さんと一緒に、たくさんの人を仏のもとにお連れしたい」
「そうだな、一緒に伝道しよう」
死を目前にしてなお、妻の伝道への情熱はいっそう強くなっていたのです。この世では、もう二人で縁ある方を伝道することはできませんが、私の伝道を、妻があの世から応援してくれていると感じます。
悲しい出来事ですが、しかし、もし、妻の病気と死がなかったならば、今でも私は、心から仏を信じる喜びを知らずにいたでしょう。すべてを支えてくださっている仏の慈悲に、心から感謝いたします。
そして愛するHへ。今世、僕と一緒になってくれてありがとう。あなたが教えてくれた深い信仰と愛を胸に、これからも多くの方に仏の教えを伝え続けていきます。
今、世界の人々にとって大事なことは、「唯物論に基ずく科学文明の発達はあるけれ、
そのままだと人間は、自分自身がいったいどういう存在であるかということを忘れる危機にある」と言う事を知ることです。
例えば、「自分自身の肉体に魂が宿っており、実在界(あの世)とこの世を行ったり来たりしながら、魂修行をしている」ということなど、昔の人であればみな知っていました。
ところが、そうしたことを忘れ去って、この世のものだけが豊富になったり、便利になったりしているわけです。
それだけでは人間として本当に進歩したと言えるのか、非常に疑わしい部分があるでしょう。
「自分を機械とおなじように扱って、喜ぶ人間」というのは非常に悲しい存在だと思います。
「人間には、自分自身にも、他の人にも、そのなかに尊いもの、つまり神の一部としての尊い光が宿っている」ということが分からないのは悲しいことだと思います。
それは、「そこまで心が曇っている」ということですが、この曇りを晴らしたら、見えてくるものがあるわけです。
やはり、そうして見えてくる、人間としての本来のあり方をきちんと持って、この世で生きるべきでしょう。それから、、「あの世の世界が実在の世界であり、そちらにしっかりとかえれるような生き方を、この世でしなければならない」ということです。
また、「神様、仏様はあの世にかえると消滅してしまい、二度とこの世に帰ってこない存在ではないのだ。この世において人々を導いたような立派な人たちは、あの世に帰っても、きちんと地上の人々を指導しているのだ」ということを知っていただきたいと思います。
簡単なことではありますが、宗教の根本の部分は、こういうところにあるわけです。
大川隆法 著「日本建国の原点」より抜粋
個人個人に対して、
よき変化が起きなければならない。
私たちがめざす奇蹟は、
決して珍しいものではありません。ごくごく平凡です。
ごくごく平凡に、私たちの教えを学び、それを実践した人が、
必ず、一歩、二歩、三歩と人生を前進させていくーーそういう考え方です。
その根底において、きわめて堅実な思想があるのです。
『人生の王道を語る』 P.168より
『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)につづく、基本三部作の完結編『永遠の法』(空間論)。──
「霊界」のすべてが、
いま明かされる。
人はどこから来て、どこへ去っていくのか?
人類の永遠の疑問に答えきった霊界案内の決定版。
天国と地獄から、素晴らしい天使や女神の世界、
そして神秘のベールに包まれた救世主の世界まで―――。
従来の霊界観を一変させる、この一冊が、
あなたを永遠の幸福へといざないます。
○霊界の次元構造を徹底解明!
○どんな心がどんな霊界に通じているのか
○神々や偉人たちの霊格や使命が明らかに