高い目標に向けて努力し、
失敗したときには、
それについて愚痴を言ったり、
くさったりするのではなく、
「自分にとって大切な休養期間が与えられたのだ」と考えて、
積極的な光明転回をなすこと、
すなわち、発想を転換し、
光の方向に心を一転させることが必要なのです。
『「アイム・ファイン!」になるための7つのヒント』 P.112より
『「アイム・ファイン!」になるための7つのヒント』 P.112より
http://voicee.jp/2013113016 より転載
私はいま一児の母です。10代のとき、私は不登校や非行など荒れた生活をしていました。そんな私が、立ち直ることができたのは、仏法真理と家族の励ましのおかげです。
中学2年生の時でした。
「M、またお父さん転勤だって」
母の言葉に、私はショックを受けました。せっかく、今の学校に馴染めたのに、また転校。 父の都合に合わせてばかりの引っ越しが不満でした。私の父は“転勤族”で、中学だけでも2度目の転校。しかも、今度は東京から遠く離れた、地方の学校……。
泣く泣く転校して間もなくのこと。
「ちょっと、トイレに来てよ」
クラスメートに言われて、トイレに行くと、何人かの女子が集まっていました。
「あんたのその態度、ムカつくんだけど」
「なにその茶髪? スカートも短くして何様のつもりよ」
転校したばかりで、制服も東京の学校のままでした。東京ではふつうの格好なので、びっくりしました。このことがきっかけで、私はいじめられるようになったのです。
ある日、机の中に手紙が入っていました。
「みんなから、いろいろ言われているみたいだけど、大丈夫? 学校のことで分からないことがあったら、私に聞いてね。Y」
話したことはありませんでしたが、明るい世話好きそうな子からの手紙でした。嬉しくもありましたが、同情されているようなみじめさも感じました。その後も手紙が続き、彼女から話しかけてくるようになりました。
「Mさん、一緒に帰らない?」
誘われれば一緒に帰りましたが、私の態度は消極的でした。つい意地を張り、Yさんに対しても素直に心が開けなかったのです。そのうち、Yさんもあまり話しかけてこなくなり、私はクラスのなかで孤立した存在になっていました。
ある朝、急にお腹が痛くなりました。病院に行き、数日学校を休んだら痛みは取れましたが、それから朝起きるのがかったるくなり、どうしても起き上がれません。私は不登校になってしまったのです。
学校に行かなくなって数週間が過ぎ、母は、先生や教育委員会に相談して、他の中学に移る手続きをしてくれました。もともと学校が嫌いなわけではありません。この学校さえ移ればなんとかなると思いました。
私は、次の学校では服装や髪型に気をつけ、クラスに早く馴染めるように、できるだけ“いい子”を演じようと努力しました。しかし、同級生との距離はいっこうに縮まりませんでした。まじめな態度がかえってわざとらしく見えたのかもしれません。
「M、カバンの中、見せてみろ」
ある日、先生が私に言ってきました。カバンを開くとタバコが入っていて、びっくり。誰かの嫌がらせでした。私が必死に説明すると、先生も変だと思ったのか、いたずらだと分かってくれました。でも、陰険ないじめにショックを受けました。
「もう、嫌だ。学校なんて行きたくない」
私は再び不登校へと逆戻りしてしまいました。
「M、ちゃんと話し合おうよ」
母に話しかけられても、「放っておいて」と、ふとんを頭から被って動こうとしない私。そのうち、父が怒りはじめました。
「いい加減にしろ! いつまで学校に行かないつもりなんだ!」
父はお酒を飲んでいるようでした。昔から、父はお酒を飲むと人が変わったように怒りっぽくなります。大きな声で怒鳴られて、私もキレました。
「何よ! お父さんが転勤したからいけないんじゃない。私の青春、返してよ!」
取っ組み合いの喧嘩になりました。私のあまりの荒れように、父は途中で匙を投げたようです。それからは私に何も言わなくなりました。私のことは母に任せたようでした。
「私のことなんて、どうだっていいんだ」
国立大学を出て、大きな会社に勤めている父──できの悪い私を厄介者に思っているような気がしました。
私は虚しさに襲われ、リストカットをするようになりました。家の近くの崖に何度も行ったりしました。でも、その場に行くと、もう一歩が踏み出せませんでした。以前、母から聞いていた話が心にひっかかっていたからです。
「『死んだら楽になる』って自殺する人が多いけれど、天国に還れないで不成仏霊になって苦しむんだって」
母は幸福の科学の信者でした。私も、小学生の頃から、母に仏法真理の話を聞いていました。死んだ後まで苦しみたくないと、恐くなって、思い止まりました。
ある日、母に自分の正直な気持ちを打ち明けてみました。
「私、東京の学校に戻りたいよ」
結局、私は一人で東京にアパートを借り、転校前の中学に戻ることになりました。そこでは以前からの友だちも多く、何事もなかったかのように、ふつうに通学できるようになったのです。
高校は寮のある学校を受験。受験までの間、母が自宅と東京の間を行き来して、私の面倒をみてくれました。
ある日、母が幸福の科学の総本山・未来館に連れていってくれました。
「明るくてきれいだな……」
ギリシャ的な雰囲気がとても好きになりました。私はこのとき、母に勧められて幸福の科学に入会しました。
私は高校に合格しました。中学時代は転校で苦しんだ分、高校では楽しもうと思っていました。でも、寮での一人暮らしは、思っていた以上にさみしいものでした。自分の部屋に一人っきりでいると、不安になります。
「ねぇ、これから部屋に行ってもいい?」
さみしさを紛らわすために、私は同じ寮の友達の部屋に入り浸っていました。お母さんはよく訪ねてくれるけど、お父さんは連絡もくれません。不登校で荒れて以来、私と接しようとしない父──。父が私を“お荷物”のように思って避けているんだと感じました。
毎日、あちこちに電話やメールばかりしていましたが、そのうち、それだけではもの足りなくなった私は、携帯サイトで出会った人たちと遊ぶようになりました。当時流行していたコギャルのファッションで、夜の街を遊び歩きます。さまざまな非行をするようになっていきました。でも、何をしていても、心はいつも虚しかったのです。
母は、私の様子がおかしいことを、薄々勘付いていたのかもしれません。夏休みに帰省した際、母に日記と携帯電話を見られ、私の非行がばれることになりました。
「M、これはどういうことなの!」
「勝手に見るなんてひどいじゃない!」
私は開き直って、母に反抗しました。父にも知られて、おもいっきり殴られました。ぜんぜん反省の素振りもない私に、両親はついに警察に相談することにしたらく、警察署に連れていかれて説教された私は、ふてくされて部屋にこもり、両親と口を利かなくなりました。そんな私の心を開こうと、母は必死になって話しかけてきました。
「M、勝手に日記を読んでごめんね。お母さん、あなたのこと信じているから」
そういって、母は鍵付きの新しい日記を私に手渡してくれました。日記を無断で見られたのは頭にきましたが、母は本気で心配してくれてるんだと感じ、少しうれしかったです。
夏休みが終わり、東京に戻ると、母から幸福の科学の本が送られてきました。『愛の原点』という本でした。タイトルの「愛」という言葉が気になって本を開きました。
「愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いです」(『愛の原点』より)
私は本に引きこまれていきました。母から送られてくる仏法真理の書籍を真剣に読むようになり、自分もこのままじゃいけないと思いました。そんなある日、母が幸福の科学の総本山・正心館に連れていってくれました。
「お母さん、何か研修受けるの?」
「今日はMと一緒に『特別灌頂(とくべつかんじょう)』を受けようと思うの」
母の話によれば、それは仏への信仰のもと、過去の心の重荷をおろし、新しい人生への出発を誓う儀式だといいます。
「M、これまでつらい思いをさせてごめんね。もう一度、お母さんと一緒に、真っ白な気持ちになってやり直そう」
それまで、親のせいで、友だちのせいでと、人のせいにばかりしてきた自分。いろんな言い訳が積み重なった今の自分――。ほんとうに変われるものなら変わりたいと思いました。少し不安でしたが、祈願室に一歩足を踏み入れると、その厳かな雰囲気に、暗い気持ちが消えていきました。目の前に大きな仏がおられる気がしました。
「私、間違っていました。ごめんなさい」
一生懸命祈りました。心があたたかくなり、涙が止まらなくなりました。終了後、講師の方が話をしてくれました。私は今までのことをすべて打ち明けました。
「──こんな私でも変われますか?」
「どんな人でも信仰を通して生まれ変わることができます。間違いをよく反省してください。そして、もう一度やり直そうと決意し、努力してください。仏はそういう苦しい経験をされたあなたに対して、きっと期待しておられますよ」
講師の言葉に勇気づけられ、私は「二度と同じ過ちをしない」と心に誓ったのです。久しぶりに心がスッキリしていました。
高校を卒業した私は、実家に帰って働くことに決めました。仏法真理も熱心に学ぶようになりました。ちょうど父は単身赴任中で実家にはいませんでしたが、父とのこともなんとかしなければと、気にかかっていました。
精舎で『幸福の法』公案研修に参加したときのこと。経典をじっくり読み進めていくと、ある一節が目に留まりました。
「無限に愛を奪い取る傾向を持っている人は、いくら、まわりの人からほんとうに愛を注がれていても、それが分からないことが多く、足りないことのほうにばかり意識が行くのです」(『幸福の法』より」)
「これって、私のことかもしれない……」
父の姿が心をよぎりました。私は父との関係をもう一度ちゃんと振り返ってみようと思いました。
「そういえば、小さい頃、花をプレゼントしてくれたことがあった。私が花好きだったから、父なりに一生懸命、見繕ってくれてたんだろうな」
「一人暮らししていた時、突然、父が訪ねてきたこともあったな。なぜか二人でお寿司を食べに行った。……あれは私のこと心配して見にきてくれたんだ」
「あっ、そうだ、釣り……。父は釣りが好きだったから、よく私を一緒に連れて行ってくれた。……たしか私専用の釣り道具まで揃えてくれてた」
考えだすと、いろんなことがよみがえってきます。私のことなんか、父はまったく関心がないと思っていたけれど、実は私のほうが父を見ようとしていなかったのではないかという気がしてきました。
「私は、父からもっと愛されたくて、反抗していたのかもしれない。ほんとうは父に愛されていたのに……」
研修をきっかけに、父に対する見方が少しずつ変わっていきました。たまに単身赴任先から実家に帰ってくる父。でも、2人の妹も思春期で、父と距離を取りたがっている様子。家で一人でお酒を飲んでいる姿はどこか寂しげに見えました。娘たちと話したいのに、話しかけられない父の不器用さが伝わってきたのです。私は自分から父に話しかけてみました。すると父はうれしそうに、仕事の話から始まって自分の幼少時のことまで、いろんなことを話してくれました。
「M、釣りでも行こうか?」
ある日、父が誘ってくれました。
「いいよ。ほんと、久しぶりだよね」
誘いにのって、2人で海釣りに出かけました。……なぜか私ばかりが釣れました。
「Mは釣りがうまいな」
ぽつりと父が言いました。まさか、釣りで褒められるとは思ってもみませんでした。勉強では父に褒められたことがなかった私。はじめて父に認められたような気がして、照れくさくなりました。
仏法真理を学んで気持ちが前向きになったせいか、その頃、交際相手ができました。彼は大柄な体に似合わず、とてもやさしい人でした。私の過去を正直に打ち明けると、すべて受け止めてくれました。私も彼のために何かをしてあげたい、という思いが自然にわきあがってきて、よく幸福の科学で言われている「与える愛」の喜びって、こんな気持ちなのかと、少しずつ実感できるようになっていました。
結婚を前提にお付き合いを続け、お互いの家も公認になりました。ある日、私は自分が妊娠していることに気づきました。彼も喜んでくれ、私たちは母と彼の両親にもすぐに伝えました。ただ、父の反応を考えると、少し不安になりました。父はまだ単身赴任中で、家にいませんでした。
妊娠が分かった日の夜、私は不思議な夢を見ました。
「“約束”しましたよね。お願いしますよ」
夢のなかで、めがねをかけた大人の男性から、そう言われました。
「約束って言っていたな。もしかして……あの人が自分の子どもになる魂なのかも」
そんな気がしました。親子の縁はあの世で約束してくると教わっています。私が頼りなげに見えたのか、少し叱られたような気もしました。不思議がって母に話したら、母も「そんな感じの男の人が、私の夢にも出てきたよ」と言うので、びっくりしました。
「お腹の子がわざわざ挨拶に来たんだから、私もちゃんと父に言わなくちゃ」
勇気を出して父に電話をかけました。
「お父さん、私、赤ちゃんできたの……」
「…………」
無言の父。驚いているのか、怒っているのか、電話の向こうの表情が分かりません。緊張しながら父の言葉を待ちました。
「──そうか、分かった。おめでとう」
予想外の穏やかな言葉。私のほうが驚いてしまいました。それから数日後──。
「Mさんを、僕にください」
彼が父の前で正式に結婚を申し出ました。父は下を向いて黙ってしまいました。泣いていたのです。
「どうか、娘をよろしくお願いします」
涙で声をつまらせる父。私も涙がこぼれました。父に愛されていたことを、はっきりと感じました。
結婚後、主人も幸福の科学に入会し、赤ちゃんも、夢で見た通り、男の子が生まれました。私は家庭の幸福を実感していました。
ある日、ふとYさんのことを思い出しました。中学の時、いじめられている私に対して、手紙で励ましてくれた子です。あの時言えなかった「ありがとう」の一言が言いたくて、彼女に手紙を書きました。すると、すぐに彼女から電話がかかってきたのです。
「ほんと久しぶりだよね。どうしたの?」
「Yさんからもらった手紙、今も大事に取ってあるんだよ。すごくうれしかった。でも、あの時は素直になれなくてごめんね。ほんとうにありがとう」
彼女も喜んでくれて、お互いの近況を話していると、驚いたことに、彼女も私とほとんど同じ時期に出産したと言います。子育てで悩んでいる様子でした。
「もし、よかったら、幸福の科学の支部に行ってみない?」
「それって、誰でも参加できるの?」
「うん。子育てをしているお母さん方の集いもあって勉強になるよ。あの後、私もいろいろあったけど、ここで学んでから変わることができたんだ」
私は自分の経験を話しました。私の話に興味を持った彼女は、支部の子育て中の母親の集いに参加するようになりました。やがて、彼女も幸福の科学に入会しました。
「幸福の科学を教えてくれてありがとう」
Yさんに感謝されて胸が熱くなりました。
「私でも人の役に立てるんだ――」
私の10代は荒れたものでした。まるで出口の見えないトンネルのなかをくぐっているようで、苦しくてどうしようもない時期もありました。
でも、幸福の科学の信仰と母の励ましを通して、自分の間違いに気づき、やり直すことができたのです。その結果、父との葛藤を乗り越え、私自身も子を持つ母として幸せな家庭を築くことができました。
薄暗く見えた私の人生に光を与えてくれた仏に心から感謝しています。この気持ちを胸に、これからはお返しの人生を生きていきたいと思います。
みなさんの心の奥底には、
今回の人生で数十年を生きた記憶のみならず、
遠い遠い昔からの人類の過去を生き抜いてきた、魂の記憶があります。
そして、それが甦ることが時折あります。
それは、人生において、深い心の傷を得て、煩悶(はんもん)し、
苦しみ抜いて、一条の光明を見出した時、
そうした深い宗教的体験において得られる、あの感覚です。
このように、私はまず、「信仰心というものは、
単に教えられるものではなく、本来、各人が持っているものである」と申し上げたいのです。
『宗教選択の時代』 P.42より
https://ryuho-okawa.org/quotes/20200105/
愛と反省はそう難しいものではなく、
ある程度は習慣の問題です。
習慣として身につけてしまえば、
それほど努力しなくてもできるようになります。
他人に愛を与える、
他人に優しく生きるというのは、
習慣化されてくると、ごく自然にできるようになります。
反省も同じであり、
自分が間違ったことを思ったり行なったりしたときに、
「これはいけない」と修正をかける癖さえつけていけば、
だんだんマスターできるようになります。
この二つに関しては、
よい習慣を早く身につけることが大切なのです。
『ユートピア創造論』 P.109より
「忍耐力」というのは、自分の才能や能力などが、
まだまだ十分に開花していないか、あるいは、
そうしたものを持っていないと思われるような人たちが成功するための、
本当に大事な大事な資源なのです。
この資源は、生まれつき持っていなかったとしても、
「自己鍛錬」や「訓練」を通してつくれる資源であるということを知ってください。
そういう心掛けを持って、毎日毎日を積み重ねていくことによって、できてくる資源なのです。
『創造的人間の秘密』 P.206より
https://ryuho-okawa.org/quotes/20200218/
人間は間違いを犯しやすい存在です。
昔のことわざに「過つは人の性、許すは神の心」
という言葉があります。
すなわち、
「人間は多くの間違いを犯すものであり、
神のみが、すべての人を許す権能を持つ」
ということです。
これが伝統的な意味における信仰であり、
伝統的に宗教が受け入れられてきたスタイルです。
『I Can! 私はできる!』 P.27より
愛とは何かというと、「よかれ」という念いです。
「栄えよ」という念いです。
「幸せになれ」という念いです。
そうした念いが結実して、さまざまな現実として現象化してきたのです。
みなさんは、この世界というものを考える際に、
その奥にある愛を知り、
愛が奇跡を起こす力であるということを知らなくてはなりません。
愛とは、そのように偉大なる力を起こすものなのです。
『若き日のエル・カンターレ』 P.184より
「国民一人ひとりが、神の子、仏の子である」
という思想が根本にあって初めて、
民主主義は尊いものとなります。
「基本的人権」の根本の姿は、
「人間一人ひとりに、仏性(仏の性質)や、
神性(神の性質)がある」ということです。
これが、人間の尊さの根本なのです。
『政治に勇気を』 P.126
暗い思いと言うものは、結局、失敗者を引き寄せる傾向があるのです。
人間の心は磁石のようなものであり、「類は友を呼ぶ」のです。常々、失敗のイメージを心に持っている人は、そういう失敗をいかにも起こしそうなひとを、また呼び寄せることになります。
これに対して、成功のイメージを持っている人には、失敗を起こしそうなひとが近ずいてきても、どこかで価値観がかみ合わず、相手は、何となく雰囲気的に違うものを感じて、離れてゆくことになります。
こうして疫病神から逃れることができるわけです。
事業の成功、不成功も、人との付き合いから始まっています。
とんでもない失敗を招くのは、たいてい相手を見誤った場合であることが多いのです。
そのように考えてみると「常に、肯定的、積極的イメージを出し続ける」ということが、どれほど大事であるかが分かるでしょう。
それは肯定的、積極的イメージを出すことが、実はそういう人たちを呼び寄せる原因となるからです。
肯定的、積極的な人たちが集まってきて、成功しないということは、ありえないのです。
幸福の科学出版「成功の法」より抜粋
https://ryuho-okawa.org/info/2016/510/
年を取ってから死ぬ原因の現在の第一位はガンです。ガンで死ぬ人が最も多いのです。第二位は心臓病、第三位は脳や血管系の病気です。脳や血管系の病気というのは、「高血圧になり、脳溢血などで倒れる」といったものです。
これ以外にも幾つか原因はあり、珍しい病気になる人も一部いますが、この三つが主要原因です。だいたい、この三つのどれかだと考えておいてよいでしょう。
ガンのもとになる病念は何でしょうか。
一つは、他の人に対する憎しみや恨み、怒りなどの攻撃的な感情です。それから、そういうものの抑圧された感情です。他の人に対する攻撃的な感情があるのに、それを表面上は抑えて十年二十年と持ちつづけていると、心のなかに病念ができてきます。それが幽体に影となって現れて、次は肉体にガン細胞が現れてきます。そういうパターンが多いのです。
もう一つは自己処罰の観念です。
自分に対して非常に罪悪感が強く、自己を処罰しようとする観念が病念として確立してくると、肉体にガンとなって現れるのです。
自分で自分が許せない気持ちを持っていると、それがどこかで病気となって現れてきます。ある意味では、自分で自分を処罰するわけですが、自分に対する罰点が現実化してきて、それにふさわしい病気になることがあります。
この場合は「良心が痛む」ということが原因です。
攻撃的なタイプの場合は、当会の教えでいくと、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」、すなわち、貪欲、貪りの心と、怒りの心と、愚かな心が原因です。
したがって、煩悩に迷わされる愚かな心などを取り去る訓練をし、そういう反省をしながら、平和的、瞑想的な心をつくることが大事です。
もう一方の、自責するタイプ、自分を責めるタイプは、宗教的人格の人にわりあい多いので、そういう人は用心しなければいけません。
「自分を責める」ということは正義のようにも見えますが、「度が過ぎると、やはり悪になることがある」ということを知らなくてはいけません。
配偶者などとの関係でも苦しみや悩みは多くあります。「家族を顧みなかった」「配偶者を裏切った」などということが、十年二十年と心のなかで澱(おり)になり、晩年、それが自己破壊的に働くこともあります。
一定の反省をすることはよいのですが、それが自分を追い込んでガンをつくってしまうようであってはなりません。なぜなら、「自分もまた生かされている人間だ」ということを忘れている面があるからです。
十三世紀のイタリアの聖人・聖フランシスコには、「イエスが磔(はりつけ)の際に釘(くぎ)を打たれた部分と同じところに、聖痕(せいこん)という傷口ができ、そこから血が出てくる」という現象が起きました。強く願えば、そういうことも起きるのです。同様の現象は、キリスト教では、ときどき報告されています。
そういうことをありがたがる気持ちがあれば、それは幾らでも起きるでしょうが、「ありがたくない」と思えば、もう起きません。人間の体は、そのようにできていて、強く願えば、だんだん、その願いのようになってきます。
要するに、「何を思うか」ということによるわけです。
どうか、「自分は自己処罰の観念が少し強すぎるのではないか」という点を考えていただきたいと思います。
人間というのは、基本的に間違いやすいものです。
その間違いは、仏法真理を知らないために、あるいは、
仏法真理に未熟なために起きることでもあります。
ただ、仏は慈悲として、間違いを犯しても、
それを、「反省」という行為によって正すことができるようにしてくれているのです。
「人生に消しゴムあり」「間違ったら、消しゴムで消して、正しいものに入れ替えなさい」ということです。
例えば、仏法真理から見て間違った言葉を語ったり、
間違った行動をしたりして、間違った過去を背負っている人でも、
それを消すための“消しゴム”が与えられています。
それが「反省」という作業です。
反省によって、自らの罪が許されると、
真っ暗になっている心、真っ黒の心、
天国の光が射さない心に光が射して、
明るく輝き、天使たちも喜ぶような姿になっていきます。
『「正しき心の探究」の大切さ』第1章「未来へ」より
https://ryuho-okawa.org/#/teachings/reflection より転載
「『Aを取り、Bを捨てる』という判断の前に、
それぞれの意見の優劣、高低を知ることが大事です。
(そのためには、)他人の意見に振り回されるのではなく、
心を澄ませて中道に入ることが大切です。
中道に入り、仏法真理に照らして考えなくてはなりません。」
(大川隆法『感化力』203ページ)
何ゆえに、自分の人生が数十年で燃え尽きてしまうに考えるでしょうか。
そして、それをと当然のことのように思うのでしょうか。
それを素晴らしい事のように思うのでしょうか。私には、その理由がわかりません。
永遠の生命を生きてればこそ、今世(こんぜ)の人生が魅力あるものとなっていくのでは
ないでしょうか。
そういう考え方があるからこそ人生に生きがいがあるのではないでしょうか。
そういう考え方があるからこそ、「多くの人々のために生きてみたい」と思うのではないでしょうか。
このように考えたときに、「永遠の生命」という観点から見て、「今世において、何か新しい物を、自分なりに発見し、積み重ねる。発明する」ということが大事なのではないかと思います。
『成功の法』より抜粋
「どうしても、どうしても、
心の奥底から湧き出してやまない思いがあったならば、
それが、あなたの使命であり、天命なのです。
あなた自身の心の内に、
『今世、自分はいったい何をなすべきであるか』
ということが、すでに植え込まれているのです。」
(大川隆法『Think Big!』188ページ)
心のなかで肯定すべきものは、未来の理想像でなければならないのです。
必ず、心のなかに、自分の「あるべき姿」というものを思い描いてください。
それを強く念じ続け、現にそれが、ありありと見えてくるように感じられるようになってきたとき、
その未来は現実の世界へと引き寄せられてきます。
外国では、「引き寄せの法則」と言うこともありますが、「自己実現の法則」
「成功の法則」と言ってもよいし、あるいは、「勝利の方程式」と呼んでもよい
と思います。
「あなたの思いそのものが、あなたの未来をつくる」という法則を、実感とし
て、つかみ取ることができたならば、あなたの力は本当に十倍、百倍へと増して
いくでしょう。
『宗教立国の精神』より抜粋