元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

ヘーゲルの霊言 思想革命で価値観を逆転させよ

2015-01-12 20:17:17 | 日記

西洋哲学史上、最も壮大な思想をつくった人物は誰か? この問いへの1、2位を争う回答として、ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの名前が挙がるのは間違いないだろう。

ヘーゲルは19世紀前半にドイツで著作活動をし、カント、フィヒテ、シェリングと続いた「ドイツ観念論」を大成させた哲学者として知られている。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、この哲学者ヘーゲルの霊を招霊。ざっくばらんに質問をぶつけることで、その個性や考え方の筋を探った。霊言では、学問の本質、政治思想のヒント、現代日本へのアドバイスなどが語られたが、ある意味でヘーゲルの“人間味"も味わえる内容となった。

 

 

ヘーゲルの生前の哲学とは

 ヘーゲルは、古代ギリシャのアリストテレスにも比肩される、史上最大の体系家の一人だ。彼の哲学には、論理学、自然科学、法学、経済学、政治学、宗教学、美学、歴史学など、当時のあらゆる学問ジャンルが詰まっている。

主著の一つに『エンチュクロペディー』(百科事典)というものがあるが、その名の通り、一人で百科事典を書いてしまったかのような印象がある。

 精確さを多少犠牲にして、ヘーゲル哲学の大枠だけを述べると次のようになるだろう。絶対者である神は「論理」として抽象的に存在していると同時に、現象化して「自然」としても存在する。さらに自然の一部である人間に「精神」活動をさせ、それが歴史の中で、法律、政治制度、芸術、宗教、学問を生んでゆく。

喩えるなら、論理が神の「骨格」、自然は神の「肉体」、人類の精神活動が神の「心」の表現ということになるだろうか。

 彼の哲学は同時代に大きな影響を与えたが、やがて、カール・マルクスがそれを換骨奪胎して唯物的に解釈。そのマルクス主義が圧倒的に強くなったことから、ヘーゲルは神を語る反動的な思想家というレッテルを貼られるようになった。

そのため、毀誉褒貶の多い哲学者であり、難解な文章で書かれていることもあって、ヘーゲルの全体像や真意は現代人には伝わりにくくなっている。

 霊言では、生前の思想の繰り返しになることを避けるため、現代の諸問題について質問したが、それに対する回答は、ある意味で難解なヘーゲル哲学を“逆照射"し、分かりやすくするものとなっている。

 

 

科学万能主義は「バカ」

 霊言ではまず「宗教と学問」「宗教と科学」の関係が問われた。10月、設置申請をしていた「幸福の科学大学」が文科省の判断によって不認可となったが、その理由を述べた文書には「霊言には科学的合理性がなく、それに基づく教育は認められない」という趣旨の内容が書かれていた。

幸福の科学大学は霊言を根拠にして教育するとは言っておらず、この文章自体が悪質な印象操作だが、そもそも「科学的合理性がない学問は教育してはいけない」のだろうか?

 これについてヘーゲルの霊は「『科学で分かるもの以外は学問ではない』なんて、もう、バカとしか思いようがない」「文科省の役人、精神病院に入った方がいいよ」と吐き捨て、その判断を一刀両断した。

 

さらに、学問の序列について「宗教、神学、哲学があって、その下に他の実用性のある学問があって、そのさらに下に科学がある」と語り、下のものを使って上のものをチェックしているとして文科省を批判した。

 生前のヘーゲル哲学においても、「自然」は「精神」よりも下位の存在であり、自然科学も人文系の諸学問よりも下位に置かれていた。

 

科学に対する見方には異論もあるだろうが、ヘーゲルの考えは生前も死後も一貫しているようだ。ヘーゲルは、矛盾を克服しながらダイナミックに変動する人間活動をとらえる学問の方が、自然科学よりも高度な認識力が必要だと考えていた。科学的手法を過大評価する現代とは価値観が正反対だ。

 ヘーゲルの霊は、学問の本質について聞かれ、「(人間が)肉体を中心に生きている者であるか、そうでないかということの〈踏み絵〉が学問だと思う」と語り、学問をしていない者は肉体的生存を中心に物事を考えるようになり、学問をした者は高尚な考え方を求めるようになると指摘した。

学ぶ者の精神を向上させると考えている点で、儒学や陽明学など、徳目を重視する東洋的な学問観と大きくは違わないことが分かる。確かに、『精神現象学』をはじめとするヘーゲルの著作は、人間の精神がどこまでも高まってゆく過程を描いたものであった。

 

 

ヘーゲル哲学はもはや「ガラクタ」?

 実は、霊言に先立って行われた大川総裁の事前解説では、生前のヘーゲル哲学について「現代的に見れば、もうガラクタとしか言いようがない」「(ヘーゲルなどの観念論も)行きすぎると妄想の世界に入ります」と批判する一幕があった。

 確かに、ヘーゲル哲学は200年前の思想であり、そのままでは現代には通用しない。当時最新の学問を取り入れているものの、それらも今では時代遅れになっており、自然科学の部分などは多くの間違いが指摘されている。

しかも、それを「真理の最終形態」のように扱うため、余計にうさん臭さがつきまとう。哲学者バートランド・ラッセルも若い頃はヘーゲル学徒であったが、やがて失望して離れていった。

 自然科学以外でも、現代には適用しづらく、最終的な真理だと言われると困る部分も多い。例えば、ヘーゲルの法哲学では、国家は「立憲君主制」であるべきとされるが、君主制がごく少数の現代世界にとってはあまり参考にならない。

 

キリスト教の三位一体説の擁護(宗教哲学)、過度なヨーロッパ中心史観(歴史哲学)なども、やはり当時の常識に引きずられている印象は拭えない。

 しかし、最大の問題はやはりその難解な文章だ。そもそも、当時のインテリたちが使っていた哲学用語が現代の私たちには分かりにくい上、ヘーゲルはさらにそれらを独自のニュアンスで用いたり、新たな用語を発明したりしている。

 

専門に研究する人でなければ、意味を解読することはほぼ絶望的だ。このように、ヘーゲル哲学には多くの難点がある。

 しかし、現代は諸学問の専門分化が進み、それぞれの枠の内に閉じこもった結果、学問としての目的や理念を見失っている。何らかの意味で、諸学問の整理・統合が求められていることも事実だ。その点、ヘーゲルが諸学問を「神の世界を叙述する」という観点から体系化したことには大いに学ぶべきだろう。

 大川総裁は、ソクラテスやアリストテレスなど、哲学の源流に当たる諸聖賢の霊言も行っているが、彼らは異口同音に「学問とは、神が創られた世界の真理を明らかにすること」と語っている。ヘーゲルの霊も「(哲学の使命は)神や、神が起こしているもの、起こしてきたものを客観的に叙述すること」と語ったが、生前の哲学は当時なりにそれにチャレンジしたものだと言える。

 幸福の科学では、「神仏の考え」「人間の幸福」という観点から諸学問をまとめ直すことを提唱している。人間の幸福を探究してゆくならば、一貫した理念によって諸学問に生命を与えつつ、時代や地域に応じて内容も柔軟に進化させてゆけるはずだ

ヘーゲルの意図を汲みつつ、学問を固定化してしまった失敗を避ける道でもある。

 ちなみに、ヘーゲルの霊は事前解説での大川総裁の批判で少し機嫌を損ねていたようで、やや投げやりな受け答えをする場面も多かった。実は、これもヘーゲルの人となりを表していて興味深い。ヘーゲルは「理性の哲学者」というイメージが強いが、生前の文章でもかなり感情的に書き殴っているところが多いと指摘されている

。性格のあまり知られていない一面がきちんと出てくることも、霊言が真実であることの実証だと言える。

 

 

平等を求めすぎると自由は死滅する

 ヘーゲルは終生、「自由」をテーマに思索していた。世界史は人々の自由が実現してゆく過程だと論じ、また、国家が自由な共同体であるにはどうすべきかを考えていた。

 

しかし、その後の歴史では、社会主義や共産主義が世界を覆い、人々の自由を奪っていった。現代世界でも、「格差是正」を名目にした重税、ガチガチの許認可行政に象徴される「大きな政府」など、「自由」より「平等」を求める社会主義的な発想は根強い。

「格差」や「福祉社会」について聞かれたヘーゲルの霊は「(平等は)一人一票と一夫一婦制でもう十分だと思います」「それ以外の平等と言ったらもう行きすぎで、あとは『自由の死滅』しかない」と語り、自由主義的なスタンスを明確にした。生前の法哲学や国家論に対してはいろいろな解釈がなされているが、この霊言によって、ヘーゲルの真意が明らかになったと言える。

 ヘーゲル哲学から出発して共産主義をつくったマルクスについては、どう考えているのだろうか。ヘーゲルの霊は「マルクスは『地獄は天国だ』って言ってるんだよ。(中略)万国の労働者は天国に住んでるんだよ。地獄という名の天国にね」と皮肉たっぷりにマルクスを斬り捨てた。

マルクスに限らず、後の思想家たちは「死人に口なし」とばかりにヘーゲルを批判してきたが、死者の反論を聞くことができるのも霊言の醍醐味だ。

 ただし、ヘーゲル哲学がマルクスに“乗っ取られて"しまったことにも、相応の理由があるかもしれない。神が世界に「内在する」ことを強調するあまり、この世を超越した天上世界のことがあまり語られず、唯物論的に解釈しやすい面があったのだ。

 

もっとも、人間を精神的存在から物質的存在に引き下げたマルクスと、精神の尊厳を説き続けたヘーゲルには、思想の高みにおいて雲泥の差がある。

 

 

価値観を変えられなければ日本は滅びる

 ヘーゲルは特定の民族や国家に「世界精神」(神)が宿り、それが世界史をリードすると考えていた。天上界に還ったヘーゲルが、今後の世界の動向をどう見ているのかは気になるところだ。霊言では、日本が世界のリーダーになるために超えるべきハードルがいくつかあるとして、そのヒントを語ってくれた。

 ヘーゲルの霊は、現代日本の「一国平和主義」を指摘し、自国ばかりに目が向いている日本人を批判。「(日本では)考える人間、自立する人間、自己発信して行動する人間みたいなものを、無気力化する洗脳が、いろんな形で行われている」と言い、このまま思考停止状態が続けば、他国の侵略などによって日本は滅びると警告した

 

。いずれにせよ、日本は「価値観の逆転」「大地動乱」を経験しなければならないという。

 また、少子高齢化問題の解決案として、アジアの友好国と緩やかな共同国家をつくり、彼らを受け入れることを提案。その際には、日本人の同質性にこだわらず、「人種問題」に積極的に立ち向かうべきだと説いた。

 

さらに、人種問題は世界レベルでの課題であり、宇宙からの移民が来訪する前に地球内部の人種問題を解決しておく必要があるという。宇宙を視野に入れつつ、地球人類の進化を図るスケールの大きさを伺わせた。

 

 日本の若者へのメッセージとして語られた「君たちは『何を捨てられるか、そして、何を選び取るか』ということを自問自答してほしいな。何かは捨てなければいけないと思うよ」という言葉からは、日本人の自己変革に伴う困難さを予想しつつも、その先に拓ける未来に期待していることが感じ取れる。

 幸福の科学グループは、日本を信仰心あるリーダー国家として再生させ、世界の紛争や貧困を解決するべく日夜活動している。ヘーゲルの霊は「君らにかかっているわけではない」「自己中に考えるな」などと憎まれ口を叩きつつも、最後は同グループへの期待を口にした。ヘーゲル霊はこの活動を「神様は実在する」という思想革命だと定義。

あなた方の革命が成功する時は、この国がひっくり返る時だ」と述べ、エールを送った。

 かつて「世界精神」の動きを捉えようと思索したヘーゲル。その彼によって、日本が世界精神となるための鍵が示された。しかし、そこでは日本のアイデンティティーの一部を犠牲にする覚悟も求められている。日本が痛みに耐え、世界精神として躍り出るか、痛みに耐えかねて滅んでゆくか。ヘーゲルの霊はそれを見極めようとしている。

 

 霊言では、これ以外にも以下の論点について触れられている。

 

  • 今の大学教授はぼんくらばかり!?
  • 「教育の無償化」への厳しい評価。
  • みんなが大学へ行くと、国力が落ちる?
  • 観念論はポップコーンみたいなもの?
  • 高等宗教研究機関「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」への苦言。
  • 霊言を信じないクリスチャンについて。
  • 生前のヘーゲルに霊感はあったのか?
  • 習近平など、各国の指導者への評価。
  • 日本が外国に攻められる時期は?
  • ヘーゲルの家庭論、女性論。
  • 未来の「知」のあり方。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ギリシャ危機2.0 総選挙後に... | トップ | 大河ドラマ『花燃ゆ』が描く... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事