12の楽しみ!

ここでは色んな楽しいことをランダムにアップしていきます。

SNS:ソーシャル・ネットワーキング・サービス

2021-11-11 20:26:55 | 随想

ブログにアクセス解析というものがあるのは皆さんご存じなところ。

たいして気にはしていないのだが、投稿した時ばかりは少し気になる(笑)。

 

先日、執筆中に何気にリアルタイムアクセスを表示したところ画面がオレンジ色になっている。

一瞬、『???』となる。何、何、何、これは何?頭の中パニック!😲😨🤪

 

 

よく見るとある瞬間から一気に数が増えている。

普段の右側の表示は1~5。ブログを更新した時は多少アップする(笑)。

それが100を超えているではないか。何事が起った⁉😲

どこからのアクセスだと『6時間以内にアクセスした人』を見る、全100件!!

いくつか訪問したら、普通にブログ書いてる人やなんか広告のような訳の分からないのもある。

 

 

冷静に状況を判断する。何がどうなっているのか。

すると原因が分かった。これである。

goo blogスタッフが選びました

 

 

『空とダルマストーブと焼き芋と』

以前、渾身の一枚?みたいなものに応募したのをすっかり忘れていた。そこからたまたま選ばれたようだ。

題名の通り。工房でのひとコマを切り取った内容で青空と紅葉がキレイ、それに焼き芋をプラスした。

アクセスはあるけど『いいね』は無い(笑)。

訪問してくれた人のところには一度は拝見に行くのだが、これだけ多く来ると何人か回って疲れてしまった。😅

 

すぐに元に戻るだろうと思っていたら、記事は1週間ぐらい出ていたのでアクセス数は伸びた。

4日ぐらい経ったところで過去のアクセス解析を表示。

訪問者数が2日目に13000を超えている。

 

 

閲覧数は34000超えた。1人2~3ページ見ている計算になる。

 

 

少し引いた見方をすると数字の話が1万超えただけ、でも初めてのことなので驚きがすごい。😲

と同時にSNSのフォロワーが何十万人とか100万人とかのスゴサが分かった(笑)。

そこまで数が集まると影響力もありビジネスにも繋がるわけだ。

スポーツ選手とか有名人のそれはかなりのものだろう。

 

ぼちぼちと執筆している者にとっては、他人事である。

もし自分のブログが10万人にフォローされたらどうするだろう。

書き続けるかな?書く内容もちょっと意識してしまうなぁ。

本になって印税生活か⁉

まあ、ありえない話なので妄想である(笑)。

 

しばらくして。

 

 

やっとブーム⁈は去った。

と思っていたのに、余韻が続いている。

 

 

一個人として基本的に数の多さというものを警戒する性質(たち)である。

だから流行りものに疎い。大体は自分の興味・関心のないものが流行っている。

少し前までキメツを知らなかった(笑)。

自分がフォローされ数が増えるのは嬉しい気持ちになるが、ブームは必ず去ることを意識する。

数の理論:多数決も慎重に吟味する。

その本質を見極めたいと思うから。

 

少女のツイートが全世界を良い方向へ導く運動になることは、素晴らしいことだ。

肝心なのは、そのツイートの本質をきちんと理解して行動しているかどうかである。

日本では何でもブームにしたがる傾向がある。ゆえに時間が経つと忘れ去られる。

海外にブームがないとは言わないが、諸外国ではブームが起こりにくい。

他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分という個人が確立されているので持続的なものになる傾向が強い。

 

すべての本質が理解できるわけではないが、見極めようとする努力はしているつもりである。

このブログの内容のひとつが、あなたに響けばそれで良い。

印税生活には遠いけど(笑)。😄

 


Beethoven Billy Joel

2021-09-30 08:36:34 | 随想

有名な曲

ベートーベン Beethoven 

ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章

しかしこれを聞くといつも私の脳裏にはビリージョエル:Billy Joel – This Nightしか浮かんでこない(笑)。

それは、最初に聞いたのがビリージョエルだったから。😁

しかもだいぶ聞き込んだのでなおさらである。

ビリージョエルのサウンドと歌唱力がまたこの曲に合うんだなコレが。

イノセント・マン

 

認知症第一人者の長谷川和夫先生が認知症になったNHKの番組で先生の連れ合いの方が悲愴を弾いた時、

原曲の持つ深さを垣間見た気がした。

Twitterでつぶやく程度のものかもしれないが、それ、やってないのでブログでつぶやく(笑)。

 

たまには、そんなアップもありかな。

原曲はこちら。

辻井伸行ピアノ・ソナタ第8番(悲愴)第2楽章

 


時間 2020-12

2020-12-11 16:02:07 | 随想

以前、『時間』というブログを書いた。

1年52週だから先を見て過ごすと1年楽しみであるという内容。

そして、12月に入り気づけば残り3週となった。

49週を生きて来たわけである。そろそろ1年を振り返る頃か?(笑)

 

 

世界は動く。新しいウィルスが世界中をめぐり人々の生活を一変させた。

これは病気になる、命に係わる可能性で生活が一変したが、技術革新でも生活は一変している。

携帯電話、パソコン、様々なSNSなどちょっと前までは、漫画か映画の世界だったものが今は日常である。

こちらは直接生命に関わらないので何となく過ごしているが、SNSにはまり過ぎている状態も病気だと言え無くもない。

 

そんな時の中で物事は進んでいく。

自分も、アカウントを持ち投稿したり見たりするのだが、現在お休み中。🙂

情報発信ということでは活用できるが、知人の投稿は安否情報としてみている。元気ね(笑)。

時折りすごい映像など見つけたりするが、見だすとキリがないのである程度でやめておく。

 

 

余談だが日本で若い人は、Facebook より Instagramを使う。画像・映像中心で文章もひと言ふた言。

さらに、ストーリーとか後に残らないものもある。基本、文章を書かない。

その気軽さで若い世代に受けている。

文章は後に残る。文章はその人がその時、生きた証みたいなもの。

ただSNSは、個人日記とは異なり人に見せる、見られるのが前提となるので微妙なところがある。

photo : フォトライブラリー

 

このブログもSNSのひとつ。自分は、文章を書くという意味で使っている。脳トレ(笑)。

この意味でかなり訓練になる。また推敲と写真選定にも時間が掛かる。結果、更新が遅い。

脳トレの中でも文章を書くというのは国語力がいる。

ただ計算力とは違う脳の使い方なので数学系の脳トレも必要かな。

 

 

そう今年の振り返りである。

と言っても主な出来事はブログに書き、しかも月に2~3の投稿。見直すと『ああ、そんなものね』😁

書いていないのは、ウィルスのこと。かなりの人が書いているのでまあ良いかと(笑)。

ウィルスは数知れず。毎回それに対する薬や治療方法が開発されてきた歴史。そして公衆衛生。

自然なのか人類活動の結果なのかこれまた微妙なところ。

 

 

今年新しいことに挑戦した。ある程度モノになったらアップしよう(笑)。

さあ、『今』をガンバ!

2020年も残り3週。クリスマスシーズンを迎えて。

Merry Christmas!

photo : フォトライブラリー

 


日付ブログ 2

2020-03-18 19:09:10 | 随想

MAR  18 ,2020

 

fhoto : Adam isn't hehe

 

2020年が始まり11週が過ぎた。1年は長い。やっと(?)5分の1が過ぎたところ。まだ5分の4ある。

山歩きなら身体があったまり調子が出てくるころだ。

今は、進学や就職、移動などの時期。農業などは春の準備に忙しくなる。

この時期をどう過ごすかによって中盤の動きが決まってくる。大事な時だ。

 

しかし時として、波に乗れないこともある。

個人的には、足が故障だ。日常生活にさほどの支障はないが、ジョギングはここ数日休止だ。

走りは休止だが、完全オフの日はずっとない。(笑)

 

 

 

忍耐の時かな。『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む』と有名な句がある。

苦難、忍耐は分かるが、練達とは『熟練して深く通じていること。また、そのさま。』とある。

何かを成し遂げるために、忍耐が必要と言うのは分かる。

けれども社会全体の変革や安定、あるいは病気からの復帰となるとなかなか忍耐できないものである。

何故か、それは先が見えないからである。

先が見通せないとき人は、イライラしたり不安になる。先が分かっているから長蛇の列を作り何時間でも待つことができる。

 

 

 

そういう時は、小さな喜びを見つけると良いかもしれない。

目の前の課題を一つひとつをクリアしていくことに集中する。

そうしているうちに状況が変わったりする。

諦めないことで可能性が出てくる。そこが忍耐かな(笑)。

ただ、可能性というのは良い方にも悪い方にも転ぶ。だから可能性と言える。

 

 

 

足の痛みが消え、また走れる。休みが取れて山へ行ける。また、あの人に会える。

全て可能性の話しである。そうならないかもしれない。

そうならないかもしれないと知りながらも諦めない。

なぜ諦めないのか、それはそうなりたいという希望があるから。

 

 

 

最初に苦難があるわけではない。最初にあるのは希望である。

そうでありたいという確固たる希望が無ければ、どんなに小さい苦難でも耐えられない。

希望があってこそ苦難に耐えることができ、やがて練達、深く通じることで希望へと繋がっていく。

こう考えると少し希望が湧いてくる(笑)。今を生きる意味がもっと深くなる気がする。

さ、目の前の課題に集中して、もう一歩踏み出すとしよう。

小さな喜びを見つけるために。

 

 


時間

2020-01-19 10:44:14 | 随想

2020年が始まって半月が過ぎた。

時間が経つのが早いと思うところである。

年を取ると時間が早く過ぎ去ると感じるのは異口同音。

 

なぜ早いと感じるのか?

 

ふと思った。

それは過ぎ去った時間ばかりを見るからではないか。

小中学生のころ、夏休みが待ち遠しかったのは何故か。

カレンダーを見て指折り数える。

時間の先を見つめているときは長く感じるようだ。

 

年を取ると、過ぎ去った人生を見つめることが多くなる。

いつの間にか過ぎた時間ばかりを意識するようになっている。

それが1年が早いという言葉になる気がする。

 

1年は、52週ある。来年まで52週あるということである。

1月が半月過ぎたと考えるより、2週が終わったと考えると残り50週ある。

未来を見つめると時間はまだまだあると思える。

少し心が嬉しくなる。

 

ただ、

未来は世の中がそれほど変わらず、自身もそこそこ健康であるという確信の下でだが。

生きる力が失われている人には、その長さに辟易するかもしれない。

 

さて、残り50周。

どう使い、どう生きようか。それは全く自由である。

水平線のかなたに未来は広がっていると確信して一歩を踏み出すのである。