熊野大社を後にして、熊野古道はしばらく舗装路歩きとなる。
熊野川が広くて気持ち良いが、上流ダムの放水により濁っているのが残念。
余談だが、三重県,和歌山県、奈良県を通るこの川の名称は江戸時代より呼び方が色々あったようである。
1970年一級河川指定の時に、国交省が新宮川としたことがあった。
しかし法的な名称と地元の呼び方に温度差が生じ、結局地元の呼び方の熊野川に変更されたのは1998年という経緯がある。
この日は天気が良く、アスファルトが熱い。
道端のアジサイが癒してくれる。
こちらはユキノシタが群生している。
春の山菜として天ぷらなどで食べることができる。生薬にもなるそうだ。
見かけると、ちょっと気になる花である。 愛情を強く心に感じて😉
迷う旅人が多いのだろう、山道に入る登り口を軽トラに乗った地元の方が親切に教えてくれた。
ここまでアスファルト歩きが約1時間。
やっと山道に入れるが、目的地の小口まで約13km。遠い。😅
山道に入ると舗装路とは違い、いい感じである。ここはスギ・ヒノキ林ではない。
ただひたすら歩く。登山と違ってすれ違う人が極端に少ない。
たまに13㎞を歩く装備ではない軽装の人とすれ違うがどこから歩き始めたのかだろうか。往復か?
シダが元気よく生い茂り木漏れ日に奇麗である。
2時間歩いて、ようやく見晴らしがよいところに出た。
紀伊山地の山並みを望む。
地蔵が旅人を見守る。
細いけど沢あり。水に手を浸してつかの間の涼を取る。
こちらは植林。見晴らしはなくスギ・ヒノキの中をひたすら歩く。
徐々にザックの重さが応えてくる。
木漏れ日はいい感じだが、展望はない。そして風があまりなく暑く汗が止まらない。
標識に小口まで6.6㎞。半分来た。『まだ』と思うか、『もう』と思うか、気持ち次第(笑)。
当時あった茶屋跡に東屋が建つが、先ほど道端で休憩したので素通り。
ここまで、湯之原温泉を出て7時間。ザックの重さが肩にこたえてきた。
石碑。読めないので、写真だけ。
立派な樹に出会うと何故かホッとする(笑)。
視界が開けると、解放される気分だ。
林道歩きもそれらしい道になると熊野古道を思い出す(笑)。
雰囲気があるところに来たので、フォトジェニックに。😀
オーッと声が出るほど見晴らしがよい。山の名前は分からないが(笑)。
町の音が聞こえる。
石畳の階段を振り返ると夕日が差し込んでいる。
集落に出た。山道歩きが終了。ここからは今日のキャンプ地に向けて歩く。
もうかなり疲労が溜まってきている。お店閉まる前にビール買えるだろうかと余計な心配をする(笑)。
しかし、意外にここからが長かった。
実際には20分少しなのだが、もう終わりだと思ってからのひと歩きは心身ともにきついものだ。
この川を渡った目の前が、今日の宿泊地だ。
何とか、キャンプ地に到着。受付に行くともう閉めるところだった。(24時間常駐ではない)
『ぎりぎり、間に合ったねと』と施設長さん。『まだ、お風呂あるからテント張ったら入って』と。
なんと!!!風呂に入れる!
汗だくで歩いてきたので、お湯沸かしてタオル拭きと思っていたのでなんという有りがたき言葉。
感謝感激である。風呂に始まり風呂に終わるなんて、素晴らしい1日ではないか。
今日1日の汗と疲れを流して、さっぱりする。
ビールもここで買えたので、冷えた缶ビールを2本購入すると、つまみの柿ピー小袋を付けてくれた。😂
プルを引き、ごくごくと冷えたビールを喉に流し込む。
『うーん、美味い!』これは、人生に残る1本だ。
施設長と話をする。ここは、キャンプも部屋宿泊もできるのだが、お客さんの7割が外国人という。
世界トレイルのひとつに数えられているので、海外からの旅人も多い。それが昨年からのパンデミックで厳しい状況だ。
日本の原風景のひとつで施設の経営を支えているのが外国人とは。
いわゆるインバウンド(訪日外国人旅行)と言うやつである。世界中の観光地が同じ状況であるが、早く終息を願うばかりである。
さて、テントに戻り夕飯を作ろう。キャンプ地なので水道、テーブル・椅子もあり、ここでのテン泊は楽である。
食後は持参したウィスキーを楽しむ。😄
夜中からの行動だったので、早めにシュラフに入る。
この時はまだ翌日に起こる出来事を知らないのだが・・・つづく