狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

知床商法

2012年06月13日 | その他
斜里町へ来たので14時頃、お風呂に向かいました。この街中に温泉があるのです。ナビをセットして行きましたが分りません。郵便局の親切なお姉さんに聞くと、どうやら行き過ぎたようです。
ペンション風の喫茶店がそれでした。さっそく300円を支払うと風呂に向かいました。えっ、と絶句しました。風呂にはお湯が無いのです。15センチぐらいしか入ってないのです。衣服を着けるとレジに戻りました。
「風呂には15センチしか湯が無いぞ。アレに入れというのか」えっ、すみません。女風呂に入って下さい。鍵をすればいいです。
冗談じゃない、女の残り湯に入れと言うのか。300円を返してもらうと直ぐに帰りました。
湯の無い風呂で金を稼ぐのが知床商法なのですね。温泉番長・舘浦あざらし氏「湯抜き清掃は毎朝」じゃなかったのですか。

斜里町立知床博物館

2012年06月13日 | 道東紹介
フルネームでお題を書きました。立派なのです、充実しています。地元の歴史、残すべき資料が良くまとまっています。音声のガイドがあり見学の助けになっています。
お弁当の包み紙から殖民軌道のレールまで収集品には驚かされました。
しかし一番は駐車場の花です。黒百合や鈴蘭が植えられているのです。黒百合は「君の名は」で織井茂子によって歌われ、恋の花いつかは必ず結ばれる、ですね。
博物館とは関係有りません。失礼しました。

根北線・越川橋梁

2012年06月13日 | 道東紹介
此処では文化庁登録有形文化財である旧国鉄根北線「越川橋梁」を紹介します。
そもそも根北線は根室厚床より斜里に至る鉄道で1892年に計画されました。根室側は標津線として開通しましたが、斜里側は戦争の為、敷設と中止を繰り返し最終的には12.8キロの区間のみ開通しました。部分開通の為、利用も少なく全国ワーストワンの赤字線となり1970年に廃止されました。
この鉄橋が作られたのは戦前で多くの朝鮮人工夫が作業したそうです。
橋下より見上げると鉄道に懸ける住民の熱意と時代の変遷を思わずにはいられません。

画龍点睛??

2012年06月13日 | 狩猟と銃
ダツトラも段々良くなってきました。腐っていたステップを取り外しました。点灯しないフォグランプも外しました。アクセサリーとしては良いのですが、霧の町では必需品です。牽引のフックが無いので付けねばなりません。そしてウィンチも必要です。猟期までには付けます。
今日はNRAライフ会員のバッチを付けました。いいですね。しかし猟果とは連動しません。アクセサリーです。